第278話 静寂の谷
フウカは軽快な足取りで俺達を連れて砂の大地を進んでいく。
三人分の負担を本人が全く苦にしていないのもすごいが、持久力と速度も中々のものだ。
有り余る"空の加護"がフウカに力を与えているのだろうか。こればかりは才能というやつだね。
しかし反対側のリッカの様子を窺えば、彼女はあまり冴えない表情をしている。
黒波導は煉気の消費が重いとは聞いているけど、長時間行使するとなるとやっぱり堪えるんだろう。
なんとかして彼女の負担を減らしてやれないものだろうか……。
『リベル、あれ試してみないか』
『エレメントブリンガーによる飛行だね』
迷宮に落ちたばかりの頃、試してみて盛大に砂に突っ込んだ苦い思い出が甦る。
『うまくできればもっと速く進めると思うんだよ。今俺はフウカにぶら下がってるだけで何もしてないしさ』
『失敗したら全員まとめて墜落するかもしれないぞ』
『あの時と違って、今はフウカが飛んでくれてる。加速することに集中できるはずだ』
『わかったよ。出力制御は任せて。マスターはとにかくイメージを成功させてくれ』
命が掛かっているんだ。俺も覚悟を決めて、できることは全部やるべきだろう。
「フウカ、リッカ、今からリベリオンの力で速度を上げてみる。ちょっと不安定になるかもしれないから気を付けてくれるか?」
「わかったよ、いつでも」
「お願いします、ナトリくん!」
「じゃあいくぜ……、エレメントブリンガー、『ドレッドストーム』」
空いた側の手に出現させたリベリオンの刀身が薄く緑色に輝く。剣を構えながら風の流れをイメージする。
周囲の空間から風を集め……。
クレッカの草原に立ち、吹き渡る風が背中を押す感覚で。
俺たちを先導するフウカに風を集め、彼女の背をそっと押すように。
「わ! 風が集まってきてるよ。これなら……!」
フウカが地面を蹴るタイミングに合わせ、風を送る。
するとより速く、より遠くまで彼女の体は運ばれて行く。
「こんな……感じ、か?」
「いいね、風が背中を押してくれてるみたい」
何度か同じ要領で風を集め、感覚を探っていく。より無駄無く風をフウカに集中。
周囲の空間を捻り、旋回させ勢いつけて。
より速く。より力強く。タイミングを合わせて。
「すごい。さっきまでと速さと飛距離が段違いですよ」
「これならどんどん進めそう。ありがと、ナトリ!」
まだイメージするのに集中が必要だが、要領はわかってきた。うまくやれそうだ。
フウカとリッカのサポートを受けられる今の状況、風属性を操作する訓練には最適かもしれないな。
「フウカ、ヒノエ先輩達はちゃんとついてきてるか?」
「大丈夫みたい。フレスベルグってあんなに速く飛べたんだね!」
鳥の形をしているわけだし、そりゃあ速いだろうな。きっと今までは俺たちの速度に合わせてくれていたんだろう。
「よーし、このまま目的地目指して、一気に進んじゃうよ!」
§
俺たちはハイペースに移動を続け、翌日の夕暮れ前には目的地の近辺まで進むことに成功した。予定よりもかなり早い。
俺がフウカをアシストすることで上手い具合にリッカの負担も分け合うことができ、ヒノエも持ち前のスタミナでしっかりと俺たちについてきてくれた。
なにしろ探査機が三日かけて到達した地点だ。調査の出だしは非常に順調といえるだろう。
「見えてきましたね」
砂丘の頂上付近から跳躍した際、遠くに赤褐色の土地が広がっているのが確認できた。
俺たちはそこを目がけて一気に進み、砂漠と岩肌の露出した土地の境目あたりで一旦停止した。
「ふう、みんなお疲れ」
「ヒノエ先輩、平気ですか?」
「私は大丈夫だよ」
「ここが目的地なんだね」
俺たちの目の前には巨大な谷が広がっていた。ここから先は見渡す限り岩の大地となっており、段々と下り坂になっている。
そして元々の砂漠の高さまで残る岩壁が巨大で複雑な渓谷を形作っている。
「実際見てみると、でかい谷すね」
「ああ。目視だけではどこまで広がっているのかわからないな」
「とりあえず、探査機が拾ってきた奇妙な地形のある場所を調べてみたいな。アル、どの辺りかわかるか?」
アルベールが周辺の地形情報を記録した急造端末を取り出し、位置を確認する。
「うーん、まだ結構先っすね」
「じゃあこの先は谷を降りて進まないとだめだよね」
「もうすぐ日が暮れる。見通しの利かない場所は野営には向かない。件の場所の調査は明日にし、休息をとってはどうだろう」
「おなか……すいた」
確かにこんな地形で野営していたら、いつノーフェイスやモンスターに襲われるかわかったものじゃない。
「ヒノエ先輩の言う通りだ。谷に入るのは明日にしよう」
「そうですね」
俺たちは大渓谷から少し距離を取った場所で野営することにした。
何事も無く夜が空け、日の出とともに俺たちは渓谷を下る。
谷を下るにつれて日は差し込まなくなり、朝だというのに薄暗くなってくる。
探査機でも深度が測定できなかったくらいには深い谷だからな。
ようやく谷底かと思われる地点まで下り終え、上を見上げれば空は随分と遠くなってしまっている。
「ナトリ」
「うん」
俺だけはフウカの手を取り、皆から遅れないように移動を助けてもらいながら谷間を進む。
「なんだか……、不気味な場所ですね」
「ところどころ壁に穴が穿いている。中に何が潜んでいるとも限らない、皆気を抜くな」
「は、はい!」
さすがは炎姫と呼ばれるヒノモトの戦人だ。ヒノエの声に皆が気を引き締める。
谷間の探索を始めてもしばらくは自然の風景が続く。特に不自然な点は見られず、ひたすら岩と砂しかないただの谷といった様子だ。
不気味ではあるが砂漠生物の気配も特になし。
「もうすぐ例のポイントに到達するっす」
岩壁の間を通り抜けなおも進むと、突如として不自然に視界が開けた。
「なんだ……これは」
この大渓谷の最中にあって、その場所は明らかに異質だった。
いままで視界を遮っていた谷壁がない。いや、完全に崩壊し、崩れ去っていると言った方がいいか。
一定範囲の岩はあらかた崩れ、見通しの良い広場のようになっている。
だが俺たちを驚かせたのは、広場の壁際、岩壁に残された窪みだ。
きっと岩が分厚くて崩れ去ることなく残ったのだろう。自然にできた形とは違う。数えきれないほどの巨大な円形の窪みが、歪な文様のように壁に刻まれている。
「何か……、大きな力で抉られたような感じです」
「そうだな……。風化しているものの、自然にできた地形ではない」
「数値通りっすね。実際に見てみると、戦いの跡みたいだ」
「何と何が戦ったら、こんな風になるの……?」
正直想像もつかない。壁に掘られた巨大なクレーター。一撃であれを作り出すほどの力って一体なんなんだ。
「厄災との戦いなら、一体誰が?」
「うん……、厄災と渡り合えるほどの人物って考えると、英雄アル=ジャザリとか?」
「この痕跡を見れば、神話もあながち間違いではないという実感が湧いてくるものだ」
「みんな、本来の目的忘れてないっすよね?」
「あ、ああ……そうだな」
眼前の異様な光景に呆気に取られて、俺たちは立ち尽くしていた。
明らかに他と違う場所。そして熾烈な戦いの痕跡らしきもの。厄災に繋がる手がかりが残されている可能性は高い。
「手分けして、近辺を隈無く調べよう。厄災の痕跡が見つかるかもしれない」
俺たちは互いの姿が見えなくなる場所にいかないよう気をつけながら周辺探索を開始した。見晴らしは悪くない。広大ではあるが。
戦いの跡を辿って行くと、戦闘の痕跡にもいくつか種類があることがわかってくる。
複数人が同時に戦ったのか、様々な攻撃方法が用いられたのか。
いずれにせよ古の時代のことだろう。
ひたすら歩き回り、地形の観察を続けるが、戦闘痕以外のものは一向に見つからない。
ちなみにグルーミィはずっと俺についてくる。拠点でもわりとこんな感じだったし、もうそんなに気にならなくなっていた。
どこかに戦いの痕が続いている……ってこともなさそうに見えるが、ここだけに戦闘痕が残されているのはどういうことなんだ。厄災はどこへ行った?
立ち止まり、思案に耽っていると急に叫ぶ者があった。
「ちょ、みんな! ちょっと来てくださいよっ!」
大声を上げた張本人であるアルベールは、広場の中央あたりに穿たれたとりわけ巨大なクレーターの中にいた。
窪みの勾配を滑り降りて急いで駆けつける。
「何か見つけたかっ?」
アルベールは窪みの中央に膝を突いていた。その背中に駆け寄る。彼は何かを覗き込むようにして見ていた。
「これは……、人か?」
そこに横たわっていたのは、半ば砂に埋もれた物体だ。上半身に、両腕。そして頭部らしきものが確認できる。
「なになに、どうしたの? って……それ人?!」
「人を象ってはいるが、人形か機械のようにも見えるな」
表面を砂や埃が覆っているため、大まかな形がわかるのみだ。
「フウカ、風で砂を吹き飛ばせるか?」
「うん」
フウカが右手をさっと振ると足元を突風が駆け抜けた。
風に晒された物体の表面にこびり付いていた砂が剥がれ、状態が見やすくなった。
「かなり古いものみたいです。でも……」
「……ねむってる」
グルーミィが呟いたように、表面の装甲は色褪せ、剥がれ落ちているにも関わらず顔と思しき部分に浮かぶ表情は安らかだった。
眠る女性を模した機械のようだ。
「アニキ、こ、これ……、きっとオートマターっすよ!」




