第28話 黎明のイストミル
最近はこうして目覚めた時に、一瞬今自分がどこにいるのかわからず混乱してばかりいる気がする。
俺の目が覚めたのに気が付いたフウカがすぐに覆いかぶさるように上から覗き込んできた。
「おはようナトリっ」
「お、おはよう、フウカ」
寝台脇の窓から差し込む朝日に照らされたフウカの笑顔はいつも以上に輝いて見えた。なんだかご機嫌のようだ。
「あー……、今ってどれくらい?」
「もう朝だよー。ぐっすり寝てたんだから」
「そっかぁ」
むくりと寝台の上に起き上がる。体は少しだるいけど痛みはない。
シャツを捲って昨晩ゲーティアーの管が突き刺さった腹部をさする。
体を貫かれる嫌な感触が蘇って少し気分が滅入るが、うっすらと痣のようなものが残る程度で怪我など最初から無かったかのように見える。
「治してくれたんだね。ありがとな」
「あはっ」
フウカがどこかしら得意げな顔をしてるように見えたのはこのせいか。
俺はむしろ彼女の怪我の方が気に掛かっていたのでその事を聞くと、見る? と言って服を捲ろうとするので慌てて押し留めた。
自分の怪我もちゃんと治したらしい。
「フウカが無事で良かった。本当に……」
「すごく痛かったけど、ナトリが励ましてくれたから力が湧いてきたんだ」
「フウカの波導が無かったら絶対死んでたな。本当に助かった」
こうやってまたゆっくり雑談を交わせる幸せを噛み締める。俺たちは生き延びたんだ。
船室の窓から差し込み俺の体を照らす朝日はいつもより眩しく目に映った。
右手を軽く持ち上げて掌を上に向ける。気絶したのは多分王冠を使った反動だ。
もしかして、とは思ってたけど今回の事で確信した。あれは多分、俺の精神や体力と関係がある。杖の引き金を引いた直後の、身体の中身を根こそぎ刈り取られるような脱力感を思い出す。
朝日の差し込む船室で昨日のことについて思い返していると腹が鳴った。
「あ、朝ごはん食べてない! ナトリもお腹減ってるみたいだし食べに行こっ」
「うん、腹が減ったよ。でもこの時間で食べさせて貰えるかなあ……」
駄目もとで行ってみる事にして俺たちは連れ立って船室を後にした。
船内食堂には結構人が居たが朝飯の時間は終わっていた。カウンター越しにコックに声を掛けてみる。
「あのー、朝ご飯ってもう無いですか……?」
「え? あー、もう片付け始めててな……」
申し訳なさそうにこちらを伺う。
「おうおうおう。そんなこと言ってええんか。この船救った英雄はコイツやぞォ?」
隣に立ってコックを煽り出したのは長身のストルキオ。クレイルだった。
どこか眠そうだったコックは俺の顔をまじまじと眺める。
「は……、はいィ! すぐに用意させて頂きます……!」
「それでエエんや。カッカッカ」
隣を振り向く。クレイルもこちらを向いた。
「ようクレイル」
「目ぇ覚めたなナトリ」
鳥のように長い嘴がニカッと歪んで不敵な笑みを作る。俺もニヤリと笑みを返す。
お互いにすっと右手を持ち上げて、こんっと拳を合わせた。
食堂の長テーブルについて俺とフウカは朝食をがつがつと食べ始める。かなり体力を使ったせいかいくらでも入りそうだ。
飯を食いながらクレイルも交えて昨夜の戦いについて話す。
「ナトリが気ィ失った後も色々大変やったぞ」
「ああー……、そうだよな。ほんとに色々助かったよ。クレイルが頑張ってくれてなきゃ、二人とも拘束された時点ですぐにトドメを刺されてた……」
「おお。感謝せぇよ」
クレイルは笑って言う。
「でもあの怪物をぶっとばしたんはナトリの力や。俺たちが助かったんはお前のお陰やで。感謝しとるぞホンマに」
「俺に大した力なんてないよ。運がよかっただけさ」
隣を見る。口元にソースをつけながら肉を頬張るフウカのべちゃべちゃになった口元をナフキンで拭いてやる。
おいしい? と聞くとにっと笑った。いい笑顔だ。
コックが奮発してくれたのかちょっと豪華な朝食はお気に召したようだ。
俺が気絶した後、ゲーティアーは黒い霧となって消滅していった。
後には腹に大穴が開いて血を吹き出す俺とフウカが残され、フウカはその場で俺たちの傷を波導で癒したそうだ。
その時は精神力が切れかけていて、最低限の治癒しかできなかったらしい。
二人とも船室へ運ばれた後、フウカが回復するまでエレナさんが俺とフウカに治癒の波導を施してくれたそうだ。後で礼を言わないとな。
俺とフウカがクレイルに担がれて甲板の上へ降ろされると、ガルガンティア様は波導結界を解除した。
そして残った煉気を使って周囲を飛んでいたゲーティアーの配下を波導で全て氷漬けにして始末したのだという。
後はモークが船内の影を全て倒し、危機は去ったというのがクレイルから聞いたその後の顛末だ。
「あのラクーンの爺さんはやっぱりバケモンやな。本当はあの狸爺一人で全部なんとかできたんちゃうか?」
「ははは、そうかもしれない」
命があればなんだっていいのだ。とにかく俺たちは脅威を退けることができたんだから。
「結局アイツは昔話に出てくる貴族の娘、ウェパールと関係あんのやろか」
「どうだろ。確かに近くで見ると本体は女っぽい姿してたような気もするけど。ゲーティアーって何なんだマジで」
「『悲劇の娘ウェパール』はただのお伽話に過ぎない。アレはもっと異質なものよ」
振り返ると、食堂の入り口からこちらへ向かってエレナが歩いてくる。
すらりとした長くて細い足がコツコツと床板を鳴らし、後ろで結った銀髪が揺れて光を反射する。
斜め後ろにモークが付き従うように付いてくる。
彼らが食堂に現れると、他の乗客のざわめきが大きくなった。
ガルガンティア波導術士協会の名は東部では広く知られているようだ。
彼らが脅威から船を救ったことはもう周知の事実らしく、その実力と功績を讃える声がそこかしこから聞こえてくる。
「よっ、優等生」
クレイルが茶化す。
「ゆ……?」
「おはようございますエレナさん」
「……え、ええ。おはよう。無事でよかったわナトリくん。怪我の具合はどうかしら?」
エレナに治療の件と、敵の撃退について礼を言う。
彼女は俺たちのお陰だと謙遜したが協会の面々が船に乗り合わせていなければとても切り抜けることはできなかったと思う。
「よかったやないか。ガルガンティア協会の売り込みにもなったやろ。仕事増えるんやないか?」
「あなた達の力がなければとても乗り切れなかったことはよくわかってるわ」
エレナさんが困ったように言う。
「ほぉ、殊勝なことで」
エレナの背後で壁にもたれてじっとしているモークが潰れていない方の目でじろりとクレイルを睨んだ。
「怖ぇなオッサン」
「クレイル、あんまり煽るなよ」
「わーっとるわい。すまんすまん」
モークの足下で小さな何かが立ち止まった。乗客のラクーンの子のようだ。
膝にも満たない黒目がちなちびっ子ラクーンを巨人のようなモークが天から見下ろす。
「あ……、あのっ!」
「……」
「ネコのおじちゃん……。おかーさんを助けてくれて、ありがとうっ!」
じっと男の子を見下ろすモークは、目を瞑って頷き返事とした。
クールな人だなぁ。男の子はとととっと走って今度はフウカのところへやってくる。
「エアルのおねーちゃんも、おかーさんを治してくれてありがと!」
「どういたしまして。お母さんが治ってよかったね!」
フウカが男の子の前にしゃがみ込み、ふさふさした毛で覆われた頭を撫でる。
フウカは船内で出た怪我人も治療していたようだ。二人とも幸せそうに笑っていた。
ラクーンの子の母親らしい女性もやってきてフウカに頭を下げた。
周りから徐々に拍手が巻き起こる。それは食堂全体に広がり、それに感謝や賞賛の声が混じった。
不思議な気分だった。握手を求められるのも、賞賛されるのも、そんな経験は未だかつてないものだったから。
肩を叩かれてたじろぎながら隣のフウカを見る。彼女はとても嬉しそうに満面の笑みだ。
クレイルは大仰な身振りを交えてゲーティアーとの戦いを集まった聴衆に聞かせ始めた。
エレナさんも目を輝かせて彼女を取り囲んだ乗客達を困ったように押しとどめている。
食堂は歓喜に包まれ、俺たちはしばらくその中心で持て囃されることになった。
「乗客の皆様、あと一刻ほどでオリジヴォーラ港へ到着予定だ。皆様には到着までに下船の準備をお願いする。
忘れ物の無きように。……昨夜本船は謎の襲撃に遭い危機的な状況に陥った。しかし偶然乗り合わせた波導術士の方々が脅威を退け、我々は無事イストミルの地を踏むことができる。
彼らの勇気に今一度拍手をお願いしたい」
操舵室から船長の伝声が終わると再び食堂は拍手や歓声、感謝の言葉で満たされた。
その中を俺たちは辞退し、廊下で別れて荷物をまとめるためにそれぞれの船室へと戻る。
「それじゃあナトリ君、フウカさん。また後で」
エレナとモークはそう言って船内廊下を歩いていった。
「後?」
「さてと。俺も自室片付けなな。また下船の時に会おうやお二人さん」
「おう」
「また後でねクレイル」
浮遊船はかなりの損傷を受けたが、オリジヴォーラまではなんとか保つそうだ。
奇跡的に死者もない。フウカやクレイル、協会の術士達の尽力のお蔭だ。
部屋を片付け、荷物をまとめると俺たちは船室を出て外の船舷通路へ出て船の舳先までやってきた。
どこまでも続く空と雲の狭間に、南北に渡って広がる東部のガストロップス大陸が見えていた。
船べりから身を乗り出してその広大な浮遊大陸を眺める。半年ぶりに味わう東部の風が大陸の向こうから吹き渡ってくる。
「イストミルでは何が待ってるのかな?」
「そうだな……、きっとまだ俺たちが経験したこともないような事だよ」
「本当? 楽しみ。でも少しだけ怖いの。またナトリが怪我をするんじゃないかって」
「うん。俺だって怖い。……でも俺たちならきっと大丈夫。目指すものに向かって、一歩一歩進んでいけば、きっとね」
目を瞑ると微かにガストロップス大陸の草原を渡る風が運んでくる若草の匂いが鼻腔を擽る。
俺の進む道も、フウカの家も、きっと探し出してみせる。
目を開く。俺とフウカはオリジヴォーラの埠頭に船が近づくまで、ずっと船縁に並んで新たな冒険の予感に胸を躍らせるのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これにて一章は終わりです。次は迷宮編、と思いきやもう少し先です。




