第266話 人形
夜の砂丘に横になり、疲労感に満ちた体を休めていると地面を細かな振動が伝わってきた。
『敵襲だ!』
「ロクに休ませてもくれねーのか……っ!」
体を起こし、顔を上げる。
隣の砂丘の斜面を駆け下りてくるいくつもの影が星明かりに照らされて視認できた。
「砂狼の群れ……、しかもあんなにか」
隣に倒れ込んでいたグルーミィを揺り起こし、声をかける。
「起きろグルーミィ!」
「……ねる」
「寝てる場合じゃない!」
数は十匹以上。一人で対処できる数を超えている。グルーミィは戦力にならない……。
『アンチレイ・フルバーストで始末できるか?』
『可能だ。けど、今の煉気量だとぶっ倒れるかも。後続の敵がいたら危険だよ』
『オーバーリミットを使うしかないか』
『時間との勝負になる。素早く数を減らせ』
夕方に起きた砂漠生物との戦闘は手こずらされた。そのせいで俺の煉気はまだ回復しきっていなかった。
砂オオカミ達が俺たちのいる砂丘に差し掛かったところで詠唱する。
「叛逆の鉄槌、『リベリオン・オーバーリミット』!」
白銀の手甲で右手を覆うと地面の砂を弾けさせながら狼の群れに向かって突進する。
最も近くに迫っていた一体に真正面から殴り掛かり、狼の骨が砕ける音を聞きながら進行方向と真逆に吹き飛ばす。
並走していた二匹目の横っ面にフックを見舞い、弾け飛ぶように宙を舞わせる。
そのまま群れの間を縫うように移動し、猛獣共を一体ずつ蹴散らしていく。
こいつらは集団行動が得意だ。巧みな連携攻撃を仕掛けてくるから油断ならない。
タイミングを合わせて飛びかかって来た二匹の爪を掻い潜るようにしゃがみ込み、体を捻って真上の二匹に対しその無防備な腹に大回し蹴りをぶち込んで同時に排除。
後隙を狙い背後を突いた一体を軽い跳躍で躱し、着地点にいた一体を拳で圧殺。性懲りもなく飛び込んで来る砂狼共を一体、二体、三体と交互に拳を繰り出し粉砕していく。
『グルーミィから離れてる!』
『しまった……!』
振り向きながら、狼に囲まれたピンクの長髪目掛けて猛ダッシュする。
「おおおっ!」
無防備な彼女に襲い掛かる獣に横合いから拳を叩き込み、一体、二体と続けて砂丘の向こう側まで弾き飛ばす。
『煉気が足りない。これ以上オーバーリミットを維持できない……』
リベルの声と同時に体が重くなり、リベリオンが右手から剥がれながら杖形態に変形していく。同時に体を包み込む空の加護も減衰し、動作にかかる負荷がぐんと増していく。
「く……!」
剣を構え周囲に視線を走らせる。残る砂オオカミは四体。
「叛逆の剣、『ソード・オブ・リベリオン』」
『一撃で決めて』
俺たちを囲み、じりじりと距離を詰めてくる黒毛の猛獣に注意を配りながらタイミングを計る。
柄を握る手に力を込め、残りの煉気を流し込んでいく。
「――――伏せろ!」
四体が同時に動き出した瞬間、俺の影に隠れるように身を寄せていたグルーミィに鋭く耳打ちする。
リベリオンの刃を即座に伸長させながら、体を捻るようにして回転切りで周囲を薙ぎ払う。
四体は上下に寸断され、呻きを上げることもなく砂に崩れ落ちた。
「く、は……、はぁ……」
がくがくとして足に力が入らず、どさりと膝が落ちた。震えて手も満足に持ち上がらないほど煉気を使い果たしてしまった。たった一人で何体倒さなきゃならないのか。
「なん、とか……」
『後ろだ!』
「――ッ?!」
僅かに首を回して背後を見たとき、魚影が宙に翻るのが目に入った。それは鋭い牙を剥き出しに、一直線に俺へ向かって飛び込んでくる巨大砂魚だ。
こいつ……、俺が消耗するタイミングを計ってやがった。
「う……!」
回避が間に合わない。体が動かない。だが、その刹那肩に何かが触れた。グルーミィが俺の体を押しのけたのだった。
「っ?!……ぐおぁ!!」
「――あぅ」
俺とグルーミィはもつれ合って倒れ込む、僅かに砂魚の着地点からは逸れたが、着砂の余波をもろに喰らって俺たちは弾き飛ばされた。
地面に付いた側頭部に、砂の中を泳ぐ魚の振動が直に伝わって来る。
再び砂魚が地上へ躍り出し、大口を開けて俺たちを飲み込もうとした時、俺は地面に転がりながら既にその方向に予想を付けてリベリオンを構えていた。
「細切れに……、なりやがれ。アンチ、レイ……フルバースト……ッ!」
リベリオンの先端から束になった閃光が閃き、正面に迫った砂魚の口内に突き刺さる。青い閃光に脳を灼かれた砂魚は、顔だけ露出した状態で砂中遊泳を停止した。
「……ぐ」
閃光と共に間違いなくほとんどの煉気を吐き出し、体は急速に重く、激しい頭痛に見舞われる。
眩暈と疲労感に、上げていた顔をかくんと砂の上に落として意識も手放した。
§
目を開けると女の顔が目に入る。
グルーミィ・アルストロメリア。桃色の髪を持つ妙齢の美女が寝転がる俺を見下ろしていた。
「敵は」
「……いない」
さっきの獣の群れはなんとか全滅させられたらしい。
それにしても。
「さっきは、俺を助けたのか?」
「……そう」
グルーミィが動かなければ俺は砂魚に頭を食いちぎられていたかもしれない。
「……ありがとう」
「…………」
グルーミィは相変わらずの無表情で俺を見ていた。
何を考えているのかは分からない。でも、エンゲルスの中にも真っ当な意思疎通が取れる者は存在するのかもしれない、と思った。
「って……お前、腕!」
グルーミィの左腕、肘から先が消えている。
起き上がり彼女の腕を掴む。その断面は、出血はなく何故か発光していた。
「これって、フィル光……か? 一体、どうなってる?」
『マスターこいつ、人間じゃないよ』
『えっ?』
光の粒子が僅かに零れ落ちる腕を離し、グルーミィを見る。
「お前、何者だ?」
「……ぶんしん」
「分身?!」
「わたしの……あなすたしあ。……ぶんしん……つくる」
"アナスタシア"というのはグルーミィの力のことか。実際エンゲルスの奴らは皆アイン・ソピアルを持っていた。
ここにいる彼女はグルーミィ本体ではないってことか?
「だから……、フィアー達はお前を捨て置いて逃げたってことか」
「わたし……つかいすて」
グルーミィは何故か比較的素直に能力について聞かれたことに答える。
彼女のアイン・ソピアル、「淡雪の恋人」は自由に分身を生み出せる。
その分身は内包する残存フィルが尽きるまで存在でき、遠くにいる彼女の本体と常に感覚や記憶を共有しているそうだ。
全くもって便利な力だ。エンゲルスはグルーミィの分身を使って相互に連絡を取り合っているのだろう。
「いま……つながり……ない」
どうやら迷宮に落ちてから、本体との感覚共有は途絶した状態らしい。
「話は大体わかった」
「だから……わたし……もういらない」
「でも、お前自身にも一応意思があるんだろ。このまま消えていいのか」
「……ただの……にんぎょう」
「自分でそんなこと言うな。人形は俺を助けたりしない。あれはお前自身の意思だったんじゃないのか?」
「…………」
「どちらにせよ、俺はお前を見殺しにするつもりはないからな。助けられちまったし、聞きたいことはまだたくさんあるんだから」
グルーミィは俺の瞳を見つめたまま口を開く。
「……だいじ……だから?」
「…………否定はしない」
『このままにしておくといずれグルーミィの分身はエネルギーが尽きて消えるだろうな』
『傷口を塞いどかないとか』
『それならエレメントブリンガーが使えるだろう。私に任せて』
「グルーミィ、腕を前に」
彼女が差し出す、途絶した腕を前にし、リベリオンを発現させる。
『エレメントブリンガー』
エレメントブリンガーを発動させると、剣の周囲をフィルの粒子が取り巻く。そしてその粒子はグルーミィの傷口に集まっていく。光が収まると、腕の断面は硬化し完全に固まっていた。
色々と応用の効く力に自分で感心してしまう。
まあ、これはフウカの治癒能力とは違って傷口にフタをしただけなんだけど。グルーミィの身体が分身だからできる処置だ。
「これでよし」
きっとリベルの尋常ならざる演算能力があってこそ実現できるものなんだろう。何が行われてるのか、俺ではほとんど理解できてないし。
「まあちょっと不自由だろうけど、我慢してくれ。腕の再現まではさすがに無理だってさ」
「……うん」
途切れた腕の断面を不思議そうに眺めるグルーミィを横目に、俺は再び地面に転がった。
夜明けまで休まないとまともには動けそうにない。頼むからこれ以上の襲撃は勘弁してくれ……。
§
陽が登り、目を覚まし、水を生み出し補給する。体に体力も戻り、俺たちは再び歩き出した。
歩き出してから四刻ほど。遠くに砂埃が上がっているのを見つけた。
いつも通りのモンスターや動物の群れかと思ったが、少しだけ様相が違うらしい。
「数が多い。それにデカい……?」
砂埃の向こうに真っ黒で巨大な体躯が覗く。
そして、その周囲でチカチカと光が瞬いているのも確認できる。
「まさか、誰かが戦ってる?!」
俺とグルーミィは砂丘を下って戦闘が行われている場所へ向かって駆け出した。




