第263話 エレメントブリンガー
僅かに開いた瞼の間から、薄青に染まる砂の地面が見える。
そろそろ夜明けか。
横になり、ぼんやりした頭でぼうっとしていると、風の音に混じって何か聞こえるような気がした。
音じゃない。振動……、地響きか?
『起きろマスター!』
「なんだ?!」
跳ね起きるが、見える範囲に異常はない。クレーターの中央で眠りこけるグルーミィの姿があるだけだ。
窪地のへりを登って砂地の穴から顔を出す。夜明け前の砂丘の向こうに砂煙が上がっていた。
「なんだあれ? っていうか……、こっちに来る?!」
『かなりの速度だな』
窪地の中央で寝るグルーミィの元へ駆け寄り、その体を揺さぶる。
「おい起きろ! 何か来る!」
「……ねむい。……おなか……すいた」
彼女は目を開いてもごもごと何か口にするが、それ以上動く気配がない。
「そんな事言ってる場合じゃねーんだよ!」
腕を取り、引き立たせようとするがグルーミィの動作は非常に緩慢だ。
モタモタしている間にも地響きは大きくなり、巻き上がる砂煙がすぐ側まで迫っていた。
「あぁくそっ! 叛逆の鉄槌、『リベリオン・オーバーリミット』!」
一際大きな砂音が響いたかと思うと、空中に巨大な影が舞った。
砂地から飛び出した何かが、この窪地にいる俺たち目がけて飛び込んでくる。
「うおおおおっ!」
グルーミィの体を強引に脇に抱えると全力で地面を蹴り、影から逃れる。
窪地の外側に着地すると同時、一瞬前まで俺たちがいた場所に巨大な砂柱が巻き起こる。
『見えたかリベル?』
『うん。この砂の大地に生息する巨大生物だ。魚類のような見た目をしていた。のこぎりのように鋭い剥き出しの歯が500本くらい生えているな』
『嫌な情報ありがとよ』
間髪入れずに地面を潜航しながら接近してくる砂魚を避けるべく走り出す。
化け物は地面から牙の並んだ顎を突き出し、俺たちを噛み砕こうと迫ってきている。
嚙み砕きの攻撃を搔い潜りながらひたすら逃げる。
「おい、後ろ来てるか?!」
「うん……」
後ろ向きに小脇に抱えたグルーミィに問いかける。
グラマラスな体型のわりに驚くほど軽いのは幸いだが、今は完全なお荷物だ。動き辛いったらない。
なんでエンゲルスの殺し屋を守ってるんだ俺は……。
『あいつ、永遠に追いかけてくるぞ』
『倒すしかねぇな……!』
空の加護を全開にして、一直線に砂地を走りながら逃げる。煉気の消耗は激しいけど、なんとか逃げ切れる速度を出せているみたいだな。
そうしつつも、右手にフィルを収束させ力を溜めていく。
十分にエネルギーを溜めきったところで、急停止反転、砂の化け物を正面から見据える。
「さあこい! ぶちのめしてやる!」
地面から半ば体を露出させ、嬉しそうに巨大な顎を開いた砂魚が砂埃を巻き上げながら突進してくる。
距離が近づくと、そいつは砂の中に潜航し始めた。
「小癪な真似しやがって。けど無駄なんだよ!」
軽く跳躍すると、砂魚の進路に合わせてリベリオンに集めたエネルギーを解放する。
「吹き飛べ、『イモータル・テンペスト』!」
拳に収束させたフィルをまっさらな砂地に叩き付ける。青電が迸り、衝撃波によって周囲に砂煙が巻き起こった。
周囲の地中一帯に思いっきり衝撃を叩きこんでやった。
————ギャオオオオオオオオン!!!
一拍遅れて、巨大な魚影が地面から飛び出し頭上を舞う。
『たまらず飛び出して来た』
「叛逆の剣――、『ソード・オブ・リベリオン』!」
墜ちてくる砂魚を見上げながらオーバーリミットを解除。
すぐに拳を剣に変形させ刀身を巨大化。落ちてくる魚影に合わせるようにリベリオンで両断してやった。
砂魚は空中で二つに別れ、砂埃と音を立てて地面に落ちて動かなくなった。
「ふう。いきなりでビビったぁ」
なんとか倒せたけど……、なんなんだこいつは。
ノーフェイスではないみたいだけど、迷宮の中にこんな生物がいるなんて。赤い血肉の露出した断面を見上げながら思案する。
改めて、明るくなった周囲を見渡す。本当に辺り一面砂だらけだ。
ここは光輝の迷宮デザイアで間違いないんだろうけど、砂以外に本当に何もない場所だな。
地面に下ろしていたグルーミィが砂魚を見上げながら口を開く。
「……おいしそう」
「え!?」
砂魚の見た目はお世辞にも美味そうには見えない。結構グロテスクな見た目をしていると思う。
若干引き気味にグルーミィを見ていると思わず腹が鳴った。起きてから何も口にしてない。
「…………」
化け物の正体は分からないが、こんな何もない場所では食糧確保もままならないだろう。目の前にある肉をスルーすることはできない。
「こいつを、食べる……?」
「……たべる」
死骸を見上げていると、グルーミィが立ち上がり砂魚の断面に顔を寄せる。
「ちょ、そのまま食う気か?」
見ていると、彼女は肉の断面に手を翳す。そこから炎が起こり、魚肉を炙り始めた。
そういえばこいつらは波導使いの集団だ。そりゃ使えるか。
火に炙られて赤から褐色に変わった断面に、彼女は顔を近付ける。
そして直に齧り付いた。
「……おいしい」
「マジかよ……」
美女が顔を汚しながら動物のように肉に食らいつく様は、なかなかに奇妙な絵面だった。
グルーミィに近寄り、その肩を掴んで肉から顔を遠ざけさせる。
「ちゃんと切り分けるから待ってろよ」
§
リベリオンで魚肉をカットし、切り出した骨付きの肉をグルーミィの火の波導で炙らせる。
そうしてできたこんがり魚肉に、俺とグルーミィは砂魚の死骸に腰掛けながらかぶりついた。
「ちょっと硬いけど、普通に食えるな」
砂の中を泳ぐ魚だ。その身は魚というより動物の肉に近い食感がある。
臭みはあるし、美味くはないが食えない事もない。調味料さえ持ってればもう少しましになったはずだ。とにかく空っぽだった腹はようやく満たされた。
『迷宮内に食べられる生物が存在していて助かったな』
『ほんとうに。あとは水だよな』
こういう砂ばかりの大地のことを、確か砂漠とかいうと学校で習ったはずだ。
スカイフォール南部地域のトッコ=ルルには、こういった土地が存在するんだそうだ。
日中の砂漠はかなりの高温だ。じりじりと照りつける陽と気温が、少しずつ体力を奪っていくのを感じる。体内の水分もかなり抜け始めてるな。
『水分を補給しないとまずい気がする』
『人間の脱水症状ってやつ?』
けど、この広大な砂漠から水場を見つけるのは厳しそうだ……。
『じゃあ、あれの出番か』
『それが一番現実的な方法だと思う』
手拭いをグルーミィに手渡す。両手でそれを広げるように指示する。
リベルの中に眠る力。俺は学校へ通いながら、ただ刻印術に四苦八苦していたわけではない。
マリアンヌの訓練に付き合いつつ、刻印を学ぶことから得た知見をどうにかリベルの能力に応用できないか考えてきた。
そして俺とリベルは、おそらく実現可能と思われるある一つの能力の訓練を密かに行ってきた。
リベリオンの新しい力が目覚めたのはいつも戦いの土壇場。
もし、必要な力を求めるために何かきかっけが必要だというなら今を置いて他にないはず。
「成功させなきゃ生き残れない……。やるしかない」
剣を正眼に構え、意識を自分の中に集中させる。
思い描くのは水だ。大量の水、流れる水流、フィルに含まれる水の属性。
刀身が発する光がほんのりと青く、強くなる。
『いい調子だマスター。そのまま頼む』
『ああ、制御は任せたぞ』
能力の細かな調整についてはリベルに任せる。
俺は煉気を注ぎ、力のイメージと発動状態を維持することに集中する。
胸の辺りに何か冷たいものを感じた。
視線を下げると、首から提げたラグナ・アケルナルの水龍玉がリベリオンに反応して淡く光っている。
そうか、この宝玉には水の属性が凝縮されているから、こんな乾いた場所でも水の属性を使えるかもしれない。
リベリオンの刀身を中心に、霧のようなものが発生し始める。
やがて、剣の直下で俺の手拭いを広げるグルーミィの両手の間にぽたりと一粒の水滴が落ちた。
同時にリベリオンの失われた力が蘇ってくるのを感じる。
「いける……! ――エレメントブリンガー、『アクアクリミナル』」
刀身をとりまくもやは、剣を軸にゆっくりと回転を始め、その勢いに乗って透明な液体へと変化を始める。
剣の周囲に浮かぶ無数の水摘は、俺の意思の元ざあっと布で作られた受け皿へ落ちていく。
「や、やった……。成功だ!」
ようやく訓練と試行錯誤は実を結び、新たな能力を会得できたらしい。
能力名は「エレメントブリンガー」。
リベリオンの基本能力はフィルの消去だ。
この世界の物質は基本的にフィルで構成されているから、本来ならばリベリオンは触れるもの全てを消し去ってしまう。
だが、もし消し去る属性を任意に選択することができたなら。
この世の物質は、何か特定の属性のフィルだけで構成されていることは少ない。
様々な属性が複雑に混じり合うことでモノを形作っているということを、刻印術を学ぶ過程で知った。
だから水を生み出したければ、大気に含まれる水以外の属性を可能な限り取り去ることで可能となるはず。
『ここは砂漠だからそもそも水の属性が極端に少ないけど、水龍玉のおかげか上手く出来そうだよ』
とにかく、エレメントブリンガーを使えば特定の属性を消し去ったり、逆に抽出したりと様々なことができるはずなのだ。
波導術士に似たことができるようになると思っていいかもしれない。すべての属性を扱える可能性を秘めているのだから、非常にポテンシャルの高い能力と言える。
「あ、おいっ」
発動成功の感慨に浸っている俺を尻目に、グルーミィは溜まった水に顔をつけるようにして豪快に飲み始めていた。




