第256話 因縁
対抗戦本選、第一試合はナトリの圧倒的勝利に終わることとなった。
ヴェルダンの理不尽な戦略の犠牲になると思われたルーキーが、逆に彼をあっさりと下してしまったことで、演習場に詰めかけた生徒達は初戦からの番狂わせに湧いていた。
「さすがナトリさんです。一瞬でしたね」
「ナトリ君って、ああいう硬いだけのタイプにはすこぶる相性いいもんねぇ」
「あはっ、ナトリは強いから」
「すぐに次が始まるようだ」
第二試合の準備が整い、威勢の良い司会の掛け声と共に二人の生徒が闘技台へと上がる。
隙のない構えで姿勢を低くする黒ネコ、ウォン・リー・ロウに対するは、相手を見下ろすかのように泰然と立つヒノエ・ヴァーミリオン。
「ヒノモトの"カムナビ"か。一度手合わせしたいと考えていた」
「私の目的はカーライルただ一人だ」
試合前から火花を散らせる両者。
体格ではウォンに大きく劣るヒノエだが、彼女の発する威圧感はウォン以上の迫力を醸し出している。
彼女の放つ只者らしからぬ気配は、黒い髪に赤い瞳というエアルには珍しい容姿故であろうか。
「それでは第二試合開始だァ!!」
宣言と同時、ウォンが音も無く駆け出しヒノエとの距離を詰める。
それを動じることなく迎え撃つヒノエの背後に、赤く輝く炎の揺らめきが灯った。
§
「まさか、あんな人がいるなんてね……」
「私もビックリです。初めて見ましたよ」
「さすが優勝候補だよ。すごく強かったね、あの人」
「あれが"カムナビ"か。そういう力を持つ者がいるとは聞いていたが、私も目にするのは初めてだ」
第二試合はヒノエ・ヴァーミリオンの勝利に終わった。
ウォンも善戦はしたが、彼女の力の前にはその拳も届かなかった。
「次はクレイルだね」
「相手はフィアーさん……。ちょっと怖いね」
「クレイルさん……」
フウカたちが見守る中、第三試合の二人、クレイルとフィアーが舞台上に歩み出る。
「第三試合は一年同士の対決だァ! 戦闘スタイルはどちらも波導術士だ。注目の一戦だぜ!」
互いに杖を携えた二人が台上で向かい合う。
その片方——、クレイルの眼光は普段以上に鋭く目の前に立つ女生徒を射抜いていた。
「待ちわびたぜ。この時をよ」
♢♢♢
少し前、闘技台へと赴くクレイルにナトリは声を掛けた。
「クレイル」
「どうした?」
ナトリは、アンティカーネンとの約束により、彼女がもたらした情報をジェネシスのメンバーには伝えていなかった。
が、フィアーと戦うことになったクレイルには話す必要があると考え、決戦前のざわめきが扉の向こうに聞こえる廊下で2人は向かい合っていた。
「フィアーはエンゲルスだ」
「――カカッ、そうか」
クレイルは、ナトリの声音が普段と違うことを察する。
こういう話し方をする時のナトリは真剣であるということを、これまでの付き合いでクレイルは分かっていた。
「これで心置きなくブチのめせるぜ」
「でも、殺したら多分罪に問われる。今のところあいつがエンゲルスだって証拠はないし」
「お前の確信だけで十分や。それに殺す以外にもやりようはあるしな」
「気をつけろよ。あいつの力は未知数だ」
「カッ、心配すんな。公の場なんは向こうも同じやろ」
ナトリは、クレイルとフィアーが接触することで盟約の印が露見することを恐れていたのだが、どのみち本気の戦いとなればクレイルは印の力を解放することであろう。
複雑な思いを抱くナトリに見送られながら、クレイルは第一演習場への扉を潜った。
♢♢♢
「そんなに私と戦いたかったのかしら」
「…………」
「君は何故、私に執着するの?」
静かに相手を観察しながらフィアーは問いかける。
「フュリオスの野郎は焼き尽くした。俺はお前らエンゲルスを許す気はねえ。次はテメーの番だ」
フィアーは半ば呆れたように肩を竦めた。
「私はあなたに恨みはないのだけど……」
「お前の目的は知っとる。そんで俺は、お前の目的そのものや」
クレイルは口元を歪め牙を剥き出しにして獰猛に微笑み、親指で自らの胸を突く。
「『盟約の印』は、ここにある」
「――――」
クレイルとフィアーの視線が絡み合う。
彼は無表情のフィアーの瞳の奥を、何らかの感情の揺らぎを見いだそうと注視した。
「本気で来いよ。無論、俺は本気で行くぜ」
「怪我をしそうで、心配だわ」
試合の開始を告げる合図が演習場に響き渡ると同時、クレイルの体から蒼炎が吹き上がった。
「蒼炎解放――、来たれ炎魔の燈、『鬼火』」
蒼炎を纏うクレイルの周囲に次々と炎が灯り、浮かんで行く。その数八つ。
彼が杖を振ると蒼炎は散開し、あらゆる方位から立ち尽くすフィアーに向けて襲いかかる。
「 ܒܠܟ̇ܢ ܡܫܘܡܠܢ ܕܝܗ̣ܝܪܐ̈ܘܤܢ ܡܢ ܬܐܒܚܪܐ̈ܘܤܢ ܘܫܘܢܝܢ、『ソニック・ディストーション』」
迫り来る蒼炎に対し、フィアーが取った行動は前進。
あらかじめ仕込んでいた多重詠唱から構築される複合術式は即座に具現し、強烈な風と響属性の衝撃波が前方の鬼火をかき消した。
「何ィ?!」
さらに彼女は驚くべきことに、僅かに体を傾けるだけで左右と背後から降り注ぐ三つの蒼炎を同時に躱してみせる。
「疾く、瞬風となりて。『颯』」
さらに蒼炎が対象を追尾すると即座に理解したフィアーは、距離を取るのは下策と判断、一気に彼我の距離を詰めに掛かる。
クレイルは驚きを隠せなかった。フィアーの術士としての技量もそうだが、最も異様なのは彼女の判断力であった。
複合術式は、さっきのように略式詠唱によって無理やり詠唱を縮めたとしても、ある程度は術の構築に時間を要するものだ。
鬼火の発動を見てから詠唱を開始したのでは到底間に合うはずがない。
ましてや、ただの風波導では相性不利な炎を相殺するのは不可能。
つまりフィアーはクレイルが術を放つ前に、それがどのような術かをある程度予測しつつ、ほぼ同時に対処するための術の構築を開始していたということだ。
「こいつ……、何者や」
「それは褒め言葉なのかしら?」
鬼火を置き去りにして地面を滑るように姿勢を低くし、急接近するフィアーが次なる波導を放つ。
「疾風よ、烈閃の軌跡を刻め。『烈風波』」
彼女の杖から繰り出される無数の風の鋭い刃がクレイルの的へ迫る。
「チッ!」
不可視の刃を避けるため、クレイルは上空へと逃れる。彼女もそれを追って飛ぶ。
「炎刀、『鬼断』」
クレイルの杖が炎を纏い、蒼炎の剣が生み出されフィアーに向かって振り下ろされる。彼女は空中で方向転換すると鬼断の軌跡からするりと逃れた。
「その空中機動力、テメェ風と響のデュプルか」
「正解よ」
涼しげな微笑すら浮かべるフィアーは、空中を駆けるように移動しながらクレイルの斬撃を回避していく。
風と響の属性を使いこなすフィアーにとって、空中はまさに独壇場であった。クレイルは宙に逃れることで、逆に不利となったことを悟る。
「そこよ、『風刃』」
クレイルの意識の隙を突き、死角から放たれたフィアーの波導がクレイルの的の一つを砕け散らせる。
「冷涼なる炎の波、『不知火』」
直後、クレイルから蒼き熱波が放出され、フィアーは炎の影響範囲外へと逃れる。
「その炎、さすがに不安ね。触れただけで致命傷だもの」
再び闘技台へと降り立つ二人を炎の壁が隔てる。
「灯れ猛りし蒼火共、『真経津陽炎』」
何も無い空間に次々に蒼炎が灯されていく。それらは人の姿を為し、クレイル自身を象った炎の分身となった。
「陽炎の派生術?」
「幻覚かどうか、試してみるか?」
それぞれの分身が独自の動きでフィアーを追い始める。
舞台上は炎に巻かれ、かなりの高温となっていく。
フィアーは燃え盛る鬼断を振り回す分身の攻撃をいなし、また波導により防いで凌ぐ。
真経津陽炎は単に光の屈折による炎の幻覚ではない。盟約の印の力により、蒼炎には実体が伴う。
フィアーといえど、一時に多人数を相手取るのはそう容易くはなかった。
不知火による舞台上の行動領域制限もあり、徐々に舞台端へとを彼女は追い詰められる。
狭い舞台上は、多量の煉気を保有するクレイルと、広範囲攻撃を基本とする炎の波導と相性が良かった。
今度はフィアーが地を蹴り跳躍し、たまらず上空へと逃れる。
「逃げ場がなけりゃ、次は上や。燃え尽きろ『伊邪那火』」
「彼我を隔てよ、『層隔壁』」
フィアーの逃走経路を予測し、狙いすましたように放たれた渦巻く蒼き火焔球は、即座に展開された中級障壁術により防がれる。
闘技台の中空に、蒼い爆炎の華が一気に燃え広がる。
「――――っ」
「その程度の術じゃ俺の炎は防げんぜ?」
クレイルが放った火球の余りの威力にフィアーの障壁は耐え切れず、彼女の体に炎が燃え移る。それを目にした観客からは悲鳴が上がった。
さらに炎の分身が上へ逃れたフィアーに対し追撃を仕掛ける。
燃える体のまま左右から袈裟に振り下ろされる炎の刃を搔い潜るが、背後から忍び寄った一体の振り下ろしにより、フィアーのマーカーの一つが砕け散る。
フィアーが分身の攻撃に意識を割いている隙を突いたのか、舞台上からクレイルの姿は消えていた。陽炎の術により姿を消し、攻撃動作の目くらましとする腹積もりである。
「揺らぎなさい、『響波』」
炎の分身を避け、空中を駆けるように移動するフィアーの杖から波導が放たれる。
響波が周囲の空間に波及し、術者に動くものと形状の感覚を伝える。
「捉えたわ」
空中をフィアーに向かって突き進んで来る、陽炎の熱によって光をねじ曲げ、空気に間に溶け込んだクレイルを捕捉する。
クレイル本体の位置、フィアーは自らの直上にその感覚を得た。
「捉えたからどうした。もう遅ェ。――灼き尽くせ業なる炎。『火之迦具土』」
クレイルの杖が激しい蒼光を放つと共に、渦巻く蒼炎が周囲を覆う。
炎の分身すらも巻き込みながら渦巻く炎は巨大な火柱となり、クレイルとフィアーをその内へと幽閉する。
「もう逃げられんぜ」
「これは――、困ったわね」
微かに眉根を寄せる程度の反応を見せるフィアーだが、触れれば人など一瞬で消し炭になる火力を誇る火之迦具土の内部に捕われた時点で、彼女の風波導はほぼ封殺されたも同義であった。
強烈な灼熱の領域において、風の属性は炎の養分にしか成り得ない。
轟々と渦巻く火焔の中、フィアーは直上のクレイルを見上げる。
彼の振り下ろした杖が激しく光を放った。
「トドメや。消し飛べ、『蒼蓮雷火』」
周囲を火之迦具土の火に囲繞され、もはやフィアーに回避の術はない。完全に命を刈り取る術のコンビネーションである。
風の波導も封じられ、状況は詰んでいる。が、そこからフィアーの取った行動はクレイルには予想外のものであった。
光にも似た速度で撃ちだされたクレイルの蒼蓮雷火に対し、臆する事無く真正面へと飛び込んで行く。
蒼蓮雷火は、熾焔という術が蒼炎を帯びることで強化された、火の波導の中でも特に威力と射程、そして速度に秀でたクレイルだけの一撃必殺の上級波導術である。
しかし、音を置き去りにするほどの速度を実現するため考案された構造により、波導弾の形状自体は杖のように細い。
見切ることさえ可能であれば、行動を制限される炎の結界内でも回避は可能となる。
現実的にそれが可能であるかはともかくとして。
だが、フィアーはそれを実現してみせる。降り注ぐ波導弾に対し、満足に回避すら行えない炎の壁の中で、その音速の軌道をあろうことかすり抜けた。
秒を数える間もなく舞台上に着弾し、爆煙を吹き上げる蒼蓮雷火の風を背に受け、フィアーはクレイルに対し息のかかるような距離まで一瞬で到達していた。
「閉じ込められ、追いつめられたのはあなたの方ではなくて?」
「コイツ……!」
到底常人に許された挙動ではない。コンマ数秒タイミングがずれていれば一瞬で消し炭となったはず。
クレイルはフィアーの判断力に恐怖すら覚えていた。
「ふふっ」
クレイルが攻撃の不発を悟り、次の動作に移る前に、微笑を浮かべたフィアーの右手がそっとクレイルの腹へと当てられる。
『震撃』
「!?」
フィアーの細腕からエリアルアーツにおける振気功の技、振撃が放たれる。
スピーディな展開を重視しての、波導術ではなく気功による一撃。
響属性を帯びた煉気がクレイルの体内を駆け抜け、直接臓腑へと強烈な衝撃が叩き込まれた。
「が、っは、ァッ!!」
「切り裂け、『風刃』」
震撃によるダメージに一瞬白目を剥き、前後不覚に陥ったクレイルの残りの的を、フィアーの波導が一瞬のうちに粉砕する。
的を全て破壊されたクレイルは、掻き消えていく蒼炎と共にどさりと舞台上へ落下し横たわった。
「クレイル選手、全ての的を喪失……。第三試合の勝者は――、フィアー・ニーレンベルギアだ!!」
司会の声に、あまりに壮絶かつ高レベルな戦いに言葉を失っていた観衆が一気に沸き立つ。
焦げつき炭化して汚れたスカートの裾を払い、フィアーは呟く。
「ごめんなさいねクレイル君。ちょっとやりすぎちゃったようだけど……許してくれるかしら。心配だわ」




