第250話 セフィロト領域
「えーっと、多分ここだ」
アンフェール大学二層目、第四校舎三階の廊下は比較的静かだった。
ここは主に教授や教職員用の研究棟らしいから、生徒の姿があまりない。
一層目の大廊下に比べると天井は多少低いが、清掃が行き届いており清潔な印象を受ける。等間隔で並ぶ重厚な扉を見ながら歩き、目的の部屋の前に辿り着いた。
「なんか緊張するっすね」
「だな……」
今日はアルベールと二人で来た。
フウカとリッカの二人も来たがったが、なんとなく彼女達を公爵に会わせたくなかったので俺とアルベールだけで行く事にした。
扉をノックする。
「ランドウォーカーです」
「空いてるよ。入りたまえ」
取っ手に手をかけて扉を押し開き、室内へと踏み込む。
部屋の中は少しだけ雑然としていたが、アルベールの部屋と比べると随分片付いている印象だ。
「悪いね、散らかってて。適当に座って」
部屋の主は窓から差し込む光を受けて、奥の机で書き物をしていた。
クリィムの指し示す応接用の長椅子に、アルベールと並んで腰掛ける。
彼女は体に対して大きなサイズの肘掛けから飛び降りると、重厚な材質の机を回り込んで部屋の隅へ向かう。
機械の動作音に続き室内に水音が響いた。そして仄かに甘い香りが漂ってくる。
「急騰機械……ですか?」
「そ。紅茶の味を変えないように暖める改良は苦労したよ」
アルベールが興味深げに機械を見ていると、彼女はトレイに乗せたカップと茶菓子をテーブルに置いて対面に座った。
「どーぞ。飲みたまえ学生諸君。ボクのお気に入りのお茶だから」
「…………」
「ん、どうしたんだい?」
アルベールはクリィムをじっと見つめていた。
「いや、あの……先生はおいくつなんですか?」
「いきなり失礼な子だなぁ。初対面の女性に歳聞くぅ?」
「あっ、いやあの……すんませんっす」
「ボクはまだ七歳だよ」
「すげえなぁ……、七歳で王宮兵器開発局の長官なんすよね」
彼女はレイトローズと一緒に学園都市へやってきて、今学期限定で特別客員教授という扱いでアンフェール大学に滞在しているらしい。
かなり専門的な授業も一部担当していると聞いた。
「とりあえず自己紹介でもする? ボクはクリィム・フォン・アールグレイ。さっき君が言った通り、エイヴス王国で兵器開発をしてる。今は一時的にここの教授ね」
「刻印学部一年のナトリ・ランドウォーカーです」
「同じく二年のアルベール・ライオットです」
クリィムはにやっと笑うと、俺に聞いた。
「ナトリ君には条件を出していたはずだよね。試験はどうだったの?」
試験結果は昨日発表されていた。
「無事に全科目及第点でしたよ」
「おめでとう。話をする条件は満たしているわけだね。しっかり勉強するのは良いことだよ」
「で、何について知りたいの? ボクの識ってることでよければ答えるわ」
一拍置いて頭の中を整理する。彼女に聞いてみたいことはいくつかあった。
「公爵閣下は凶暴化事件についてご存知ですか」
「もちろんよく知ってる。今ロスメルタを騒がせる一大怪事件だからね」
「何が原因で起きているのか……、わかりませんか?」
「ボクの見解を示す前に、君の意見を聞いてみたいね。ナトリ君はどう考えているの?」
波導の影響であればリベリオンで解除できる。体を悪くしているならフウカや波導治療で治す事ができる。
人体刻印を刻まれた形跡は発見されず、刻印の仕業でもない。
だけど、思い当たる現象に近しいものは知っている。
「呪い」
クリィムが興味深そうに片眉を跳ね上げる。
「そう。ボクも同じ見解だ、アレはおそらく魔法によるものだろうね」
オープン・セサミでゲーティアーが振りまいた呪い。あれに近い性質のものだという気がしたのだ。
「魔法……ってなんすか?」
アルベールには馴染みの無い言葉だろう。
「ゲーティアーは知ってるでしょ?」
「はい。噂だけは……」
「アレはスカイフォールの生物とは全く異なる力を原動力にしているんだ。それが魔法という力であり、魔力素子と呼ばれる異次元のエネルギーなのよ」
「魔力素子……」
「公爵閣下も、凶暴化はゲーティアーの仕業だと?」
「どうかな」
「え?」
クリィムはカップを持ち上げ紅茶をすすると柔らかい背もたれに沈み込む。
「凶暴化現象はロスメルタだけじゃない、その他周辺地域でも事例が報告されてる。あくまでここ、首都ルーナリアが中心地ってだけ。ゲーティアー如きが、そこまで広範囲に作用する魔法を行使できるだろうか?」
「…………」
「スカイフォール各地の迷宮に、それぞれ別々の厄災が封印されているのが事実だとすれば、光輝の迷宮デザイアにも厄災が眠っている可能性が高いよね?」
世間では専ら復活した厄災は神官ルクスフェルトにより倒されたことになっている。
だが、マリアンヌから直接迷宮調査の報告を受けた王宮議会は、厄災が複数体存在する可能性を知っている。
「王宮に襲来した厄災、アレから発されていた力はおそらく魔力だった。そしてゲーティアーが展開するのも同種の力。きっと同じ種族なんだろうね」
「迷宮デザイアに、厄災が……?」
アルベールからすれば信じ難い話だろう。だが、これがスカイフォールの直面している現実なのだ。
「少ないけど、凶暴化の事例はエイヴス王国の領内でも報告されているんだ。王国ではあの現象を引き起こす要因となるものを『強欲の芽』と呼称しているわ」
「強欲の芽……」
「強欲の芽感染者はいずれも己の欲望に忠実な行動を取り、欲を満たすためなら他者を害することも厭わない。いや、進んで他者から簒奪しようと考える」
「恐ろしいっすね」
被害の中心地であるルーナリアでは凶暴化する人間は日に日に増えている。
クリィムは、凶暴化の原因は厄災の魔法にあると考えている。
「だから、現状はどうにもならないんじゃないかな。厄災をどうにかしない限りは、ね」
クリィムはじっと俺の瞳を覗き込んでくる。
「……俺もそう思います」
「そして現状、未だ見ぬロスメルタの厄災を倒せる可能性が最も高いのは君達だ。迷宮を踏破し、厄災レヴィアタンを屠った実績を持つ」
「凶暴化した人達を元に戻すには、厄災を倒すしかない」
「被害者の纏う魔力の気配は非常に強力だよ。おそらく力づくで強欲の芽を取り除こうとすれば、本人も無事では済まないだろうね」
「まさか……、アニキ?!」
「ああ、俺たちの手で、迷宮に封印された厄災を倒す」
クリィムは口元を緩めて微かに笑う。
「君とフウカ様はそのためにこの地へやって来たんだものね」
「そう、だったんすか……」
「強欲の芽は急速に国中へと広がり始めている。もしかしたら、迷宮デザイアが出現する予兆かもしれないわ」
もし、凶暴化の原因が厄災にあるのだとしたら。
クロウニー、ディレーヌ。待っててくれ。俺たちの手で必ず厄災を倒し、再び二人の日常を取り戻す。
他の多くの被害者達のためにも、彼等を一刻も早く厄災の魔法から解放しなければならない。
「学校に通いながら迷宮攻略のための準備を少しずつ進めてます」
「そうか。ボクはあまり強くないから力になれないけど、役に立つ知識であればいくらでも提供しよう」
「とても助かります」
他に厄災や魔法について詳しい者など、七英雄本人くらいだ。クリィムの助力は心強い。
「影の軍勢が使う魔法に対抗する方法とか、ないんでしょうか」
「魔法に関しては、半年ほど前、エイヴス領内で運良くゲーティアーの捕獲に成功して以降王宮で研究が続けられているけど……、よくわからないことが多いわ」
「ゲーティアーを……捕まえたんですか?!」
正直驚いた。あんなに凶悪で意味不明な力を行使する存在を生け捕りにできるとは。
「無茶な要望だから、相当苦労したって聞いてるよ。なにせ神官ルシル・メドラウト様まで駆り出されていたからねー」
あの長髪をした波導剣士の男か。
とにかくそのおかげで、王宮では魔力についての研究はようやく始まったところなのだという。
「とにかく不思議な力。わけがわかんないのよね、これが。波導の力とは全くの別物と言っていい」
「そうなんですか」
「ゲーティアーの展開する魔力障壁に対して、波導の効きが悪いのがわかってるんだけど、その原因はどうもエネルギー量の圧倒的な差にあるみたいなの」
「……と、いうと?」
クリィムは腕を組むと、短く鼻を鳴らす。
「君達は質量不変の法則を知ってる?」
「……うーん」
「知ってますよ。属性の性質が変化しても物体の質量は変わらない、って属性学の考え方っすよね」
「そう、それ。厳密にはエネルギーの変質する過程で質量変化が起こることは旧世紀に証明されているんだけど、規模の大きな変化でもなければまあ誤差ね」
「その法則が、どうしたんです?」
クリィムの話が難しくて何を言いたいのかよくわからない。
「例えばよ。波導術を行使するとする。波導は体内に存在する自らの煉気を媒介に、周囲のフィルを変質、再構築することで現象と成る。そのことはわかるでしょ?」
「はい……、なんとなくは」
「そのときのエネルギーの変動を数値化してみると」
体内の煉気2を外界に存在するフィル8と混合させ、変化したエネルギー量10の波導を放つ。
当然と言えば当然のことだが、こうすることで波導術は見た目以上の威力や効力を発揮できている。
波導は突然不思議な力が降って湧くわけではなく、物質の構成元素であるフィルを利用しているわけだ。
「これに対して魔法のエネルギーの変動を数値化するとこうなるの」
ゲーティアーが保有する魔力1が魔法発動と同時に消費される。そして、20の魔力を含んだ魔法が発動する。
「むちゃくちゃじゃないすか」
「そう。おかしい。ゲーティアーは少量の魔力消費で明らかに強大な魔法を行使可能なのよ。確実に質量法則を無視している」
「それが波導が魔法に勝てない理由ですか」
「そう」
波導は周囲にある限られたフィルしか使えない。
だけど、魔法は少ない魔力で莫大な力を生み出せる。
「物質界の常識を超えたエネルギー……、夢のある話っすね」
「そ。だから今王宮の研究者の間では魔法研究が流行り始めてる」
「もし大量の魔力を引き出すゲーティアーを捕らえて、魔力供給炉として使うことができたら……」
「あははっ、ライオット君、君なかなか見所あるじゃない」
まさか、ゲーティアー自体を兵器にしようとでも考えているのか?
「でも、それだとさっき言ってた質量不変の法則とやらと矛盾しますよね。ゲーティアーだけは特別なんですか?」
「問題はそこ。いくらゲーティアーといえど、この世界にある限りはスカイフォールの法則からは逃れられないはずよ」
「無から有を生み出すことが不可能なら……、力の出所はこの世界とは別の場所……とかっすか」
アルベールの答えにクリィムは満足げに笑う。
「面白い意見だよ。ゲーティアーを調べるうちにわかってきたことなんだけど、アレは魔力を使った文様を操ることで更なる魔力を引き出しているみたいなんだよねぇ」
「刻印みたいなもんですか?」
「似てると思うね。魔法は一つの例だけど、エネルギー収支が合わない現象というのは他にも存在するのよ。わかる?」
「王冠ですか?」
「ナトリ君正解。旧世紀に生み出された古代兵器、王冠は稼働に必要なエネルギーと生み出されるエネルギー量にかなりの差がある。やっぱりこれもどこかから力を引き寄せていると考えていいね」
「もしかしてアイン・ソピアルも?」
「うん。例は少ないけど、あれも本人の煉気とは別の力を行使していることが確認されてる。そして————」
クリィムは口元をハンカチで拭うと俺の顔をじっと見上げる。
「君の武器も、特別なんじゃないのかな?」
クリィムが七歳児とは思えない獣のような笑みを浮かべる。なるほど、それが彼女がリベリオンに執着する理由か。
「でも、スカイフォール以外の場所といっても……、例えばどこなんすか?」
「観測はされてない。だけど、質量法則の乱れによるこれらの事象は、ここ以外の世界が存在することの可能性を示唆している」
出所のわからない力。突然何もない場所から生まれる莫大なエネルギー。
「君はそれを身をもって経験しているんだと思うけどね」
「…………」
以前、俺は死後の世界を訪れたことがある。もしかして、彼女の言う力の出どころとはあそこなのか……?
「煉気とは、人間の魂から生み出される精神的原動力よ」
「人間の心にも力が宿るってことすか」
「そう。人はどこから来て、どこへ行くのか――。死んだ人間の魂は消滅する。内在する力と一緒にね。それは一体何処へ行くのか?」
なんだか難しい話になってきた。
「ボクはね、自説に沿って”セフィロト領域”という概念を提唱しているわ」
「!?」
聞き覚えのある言葉。忘れもしない、スカイフォールの創造主と名乗った少女、リーシャ・ソライドと出会った空間。
彼女はあそこをセフィロトと呼んでいた。
「セフィロト領域……っすか?」
「古代人が残した王冠の研究資料にはね、セフィロトという言葉が使われているの。スカイフォールではない場所、より高次元にそれはあると考えられていたみたい。ボクは、そこが人の魂が生まれ、消えた魂が還る場所だと考えている」
「王冠や、アイン・ソピアルはそこから力を引き出しているってことですか……」
「ボクはそう考えている。おそらくセフィロト領域は膨大なエネルギーで満たされた場所。全ての力の源泉にして、記憶と魂の渦巻く空間」
セフィロト領域について語るクリィムの瞳は熱を帯び、頬が上気していた。
俺は一度死に、多分そのセフィロト領域を訪れている。
彼女がここまでの結論に辿り着いていることに驚きを隠せない。これが天才か……。
「つまり、魔法に対抗するなら同じようにセフィロト領域から強い力を引き出せる方法でなければ不可能だってことすよね」
「説明が回りくどくなっちゃったけど、その通り。ま、ボクが魔法について知ってるのはその程度だよ」
リベリオンでゲーティアーや厄災を倒せるのは、魔法と同じようにセフィロト領域から力を引き出せるからなのか?
「さて、じゃあ今度は君の武器を視させてもらおうかな?」
少女は手をわきわきとさせながら前のめりになってこっちへ身を乗り出してくる。
クリィムの言葉に、俺の中でリベルがぶるりと震えたような感覚があった。
その後彼女の気が済むまでリベリオンをいじくり回され、アルベールとクリィムが刻印についての専門的な議論を交わすのを聞いた後俺たちは彼女の研究室を後にした。




