第246話 夢のために
マリアンヌの特訓に付き合うようになって数日が経った。
今日も俺は授業が終わった後、彼女と待ち合わせて演習場へと向かい、マリアンヌの訓練を見守った。
とはいえ、俺は波導に関しては門外漢なので、あまりできることはない。
せいぜいリベリオン・オーバーリミットを使って身体能力を底上げし、彼女の泡から逃げ回ったり、感じたことを指摘するくらいのものだ。
あまり役に立てている実感はないのだが、それでもマリアンヌは心強いと言ってくれる。
「ふう。さすが泡なだけあってアガニィの水波導並に自由自在だな」
「ええ、普通の水に比べて対象を追尾できるのは大きな利点です」
逃げ回る俺を追いかけることで、ここ数日でかなりマリアンヌの泡の操作精度は上がったような気がする。
「だけど、この泡石はもっと色々なことができるはずなんです。でも中々思いつかなくて」
「うーん、泡、泡か……」
マリアンヌがふわふわと目の前に浮かべた頭大の黄色い泡を見ながら考える。
「大きさを変えてみるのはどうだ?」
「動きの遅い対象には大きな泡も有効ですが、大きくなるとあまり速く動かすことはできないんですよね……。せいぜい壁にするぐらいでしょうか」
攻防一体となれるのは泡石の大きな強みだが、おそらく彼女の悩みは攻撃面だろう。泡石はどちらかと言えばサポート向きの力に見えるからな。
「じゃあ小さくするのはどうかな。現状どれくらい小さくできるんだ?」
「やろうと思えば、かなり。でも小さくすると攻撃力は」
「目に見えないくらい細かくできれば強いかと思ったけど、威力がないと意味もないか」
「泡石を目に見えないほど小さく……」
マリアンヌは何か考え込むように握った杖を見下ろす。
「あまりやってこなかったんですが、ありかもしれません」
「そう?」
「はい。泡を小さくすることで、泡一つ一つにかかる圧力は高まるんです。密度を上げて硬度を増し、それをうまく地の属性に形質変化できれば……、想定する威力を得られるかもしれません」
彼女は前方へと長杖を掲げる。
杖の先端から泡が噴き出し、ぼこぼこと膨れ上がっていく。
「細かく、隙間なく、密度を高めながら……」
マリアンヌの集中と共に、渦巻く泡は収縮と攪拌を繰り返し、ムラの少ないきめ細やかなものに変化していく。
「跳んで、『泡蛇』」
マリアンヌが振り上げた杖に合わせて泡塊が上へと射出された。
泡蛇はどんどん伸びて行き、放物線を描く軌跡で落下を始める。
「……先端部のみを地属性へと再構築、形質変化『固』!」
地面に向かって落下する泡の速度がぐんと上昇し、ガキィンと派手な音を立てて石造りの地面に激突した。
「今までで一番の威力じゃないか?」
「…………」
「マリア?」
彼女は杖を構えたまま身動きせず、泡蛇の落下地点を見ていた。
「これ……、いいかもしれません! 何か掴めたような気がします!」
「本当か!?」
「はいっ!」
振り返ったマリアンヌの頬は嬉しそうに緩んでいた。
「泡石は圧縮技術次第で、さらに密度を上げることができそうです。これを磨けば普通の地属性では実現不可能な術も扱えそうです。工夫次第で威力を持たせることもできそうだし、微細な泡にはまだまだ可能性がある気がします!」
辛そうに訓練していたここ最近の彼女からすれば、その表情はとても晴れていた。
いい結果が得られそうでよかったな。
「思いつけたのはナトリさんの助言おかげです。あの……」
「ん?」
マリアンヌは俯きがちになって自身のローブの裾を指先で弄る。
「約束……」
「ああ」
そうだった。特訓に進展があったらマリアンヌを褒める約束をしていた。
腰を折り、彼女に目線を合わせて肩に手を置く。
「俺はなにもしてないよ。思った事を言っただけだ。これは君が積み重ねた努力の結果だよ。すごいぞマリア」
そう彼女に笑いかける。
「————ナトリさんっ。私、もっと訓練して、必ず今日の感覚をモノにしますから、見ててくださいねっ」
頬を上気させ、少女ははにかみながら可憐に微笑んだ。
§
俺は相変わらずマリアンヌの特訓に付き合い、夜はアルベールの刻印指導を受けながら勉強していた。
アルベールの話はとてもわかりやすい。
講義で聞く理論はどこか自分からは遠い物事のように思えたが、アルベールは身近な例や馴染み深い事柄に例えて親しみやすく解説してくれる。
おそらく彼自身が刻印大好き男であることが大きいのだろう。
そのおかげか、少しずつ刻印のことが頭に入るようになってきた気がする。
大きな借りだなこれは。アルベールのためにちゃんとマグネロックを見つけてやらないと。
「アル、そこに置いてある機械は何だ?」
アルベールの部屋には用途のわからない機械がそこら中に散らばり、また積み上げられている。
今も彼の机の上にはレンズのついた箱形の刻印機械が載っていた。
「あれはっすね……」
「お、もしかして写影機か? すげーな、たしか映像記録エアリアって高いんだろ」
興味を引かれて机の上の機械へと手を伸ばす。
「あ、それを触っちゃあ……」
「ナトリ、いるー?」
狭い部屋に鈴の音のような声が響く。開けられた窓からフウカが顔を覗かせていた。
「クレイルにこっちにいるって聞いたから」
「フウカか。そろそろ窓からじゃなくてちゃんと扉から入ってきてくれよ」
「だって玄関から行くと寮母さんに追い出されちゃうんだもん」
ここはネコの寮母が取り仕切っているのだが、彼女はとても寮の規律に厳しかった。いつも玄関ロビーにいて鋭く目を光らせている。
男子寮は女人禁制、女子寮は男子禁制だ。
窓枠に腰掛けるフウカが妙に絵になっていたので、俺は思わず手に取った写影機を持ち上げて覗き込んだ。
「なん……だ、これは……」
機械の覗き口からレンズを通してフウカが見えた。
見えたのだが……、色褪せた画面には何故か彼女の服が透過してその下にあるはずの体のラインがハッキリと白塗りの状態で映っている。
フウカの華奢で繊細なボディラインが露になっていた。
写影機から目を離し、アルベールを振り向く。彼は後頭部を掻きながら愛想笑いを浮かべた。
「へへへ……」
「なんてもん作ってんだよ……。アルお前まさか、これ使って……」
「誤解っす! これは注文された品で……。オレは盗撮とかやってないっすから! 断じて」
「なになに? 私も見たーい」
「ダメ!」
なんとかフウカの興味を逸らし、アルベールの機械を机に戻して事情を聞く。
「オレ、金ないんで。アニキ達みたいにモンスターも倒せないし、自分で作った刻印機械を売って学費と生活費の足しにしてんすよ」
「そうか……」
聞くところによればこのボロ寮に入る以前アルベールは母親と二人で暮らしていて、今は病気がちな親に仕送りまでしているそうだ。
なんと見上げた学生か。
あの怪しい機械は透過式写影レンズという自作の売れ筋商品らしい。
何もかもがくっきり鮮明に写るわけではなさそうだが、用途は……あまり考えないでおこう。
「アルベール、偉いね。勉強もしなくちゃいけないのにお母さんまで助けてるなんて」
「母ちゃんはオレを誰の力も借りずに一人で育ててくれたんすよ。だからオレも恩返ししないと」
「ごめん、アル。俺はお前の事を誤解してたみたいだ。ただの変態じゃなかったんだな」
「アニキ、その誤解はさすがにひどくないすか?」
いや、あんな機械が部屋にあったら普通はそう思う。
と、アルベールは少し口を閉ざすと躊躇いがちにちらちらと俺とフウカを交互に見る。
「どうした?」
「あの、オレ、邪魔じゃないすか?」
「なんで? ここアルベールの部屋でしょ?」
「フウカさん、アニキと二人になりいのかなーって……」
いつものことだから気にしていなかったが、フウカは俺に肩が触れるぐらいの距離で座っていた。
「あはっ、私は退屈だからお話しにきただけ。アルベールもいた方が楽しくていいじゃない」
「そ、そうすかね?」
彼は顔を赤くして照れた。どうやらアルベールはあまり女子に免疫のないタイプだな。
「やっぱさすがっすよ、ナトリのアニキは。オレもフウカさんみたいなカワイイ女子と仲良くなりたいなぁ」
「特級クラスに気になる子とかいないのか?」
「オレなんか相手にもされないっすよ……。それに、刻印二年の女は大体カーライルの野郎に夢中ですから」
「あー……、なるほど」
皇子でイケメン、成績トップで才能に溢れている、となればモテないわけがないな。
もう一人の美形王子を連想してしまう。
レイトローズの奴も入学してからこっち、エアルの女子学生を中心にカリスマ的人気を博していた。
フウカと一緒に校舎内を歩いている時、二人の後ろを謎の女子学生集団がこっそり後をつけている……、みたいな光景を何度か目撃している。
フウカが他の女子から妬まれ、嫌がらせされていやしないかちょっと不安になる。
「ね、アルベールはどうして刻印を勉強してるの?」
「それ俺も聞きたかった」
彼は頬を掻きながら答える。
「大した理由じゃないっすよ。子供の頃に聞いたアル=ジャザリのお伽噺、それに出てくるオートマターに憧れたからっす」
「オートマター?」
「七英雄のアル=ジャザリが行使したって伝承の人型の刻印兵機のことさ」
「へぇ〜」
「いつか、自分の手でオートマターを完成させるんす。それがオレの夢なんだ」
アルベールはぐっと拳を握り、言葉に力を込めて言う。
「きっとできるさ、アルベールなら」
「そ、そうかなぁ……」
「うん。あんな怪しい装置も作れるしな。変だけどすごい技術だと思うぜ」
「変は余計っすよぉアニキ」
「あははっ」
迷宮に入り、厄災を目指すなら波導生命体となったアル=ジャザリ本人に会うかもしれない。
もし会えたら、アルのためにオートマター作りのコツを聞いておかないとな。
「そうだ、アル。今アンフェール大学にエイヴス王国の一流刻印術師が来てるんだよ。ちょっとした知り合いだから、頼んだら話ができるかもな」
クリィム・フォン・アールグレイ公爵はあの幼さだが、かなりの知識量を誇る天才らしいし。
「まじっすか! 国外の刻印技術も気になるなぁ。話聞いてみたいっすね」
今度会ったら話を付けてみることを約束する。
「女の子型のオートマターを作れば儲かりそうじゃないすか。そうすれば生活も安定して……」
「お前、やっぱりそういうことなのかよ」
「モテない奴にはそれしか希望が残されてないんすよ」
怪しい副業はともかく、彼の今後の研究成果が楽しみではある。




