第243話 通り魔
レストランで休憩、もといフウカとリッカにくっつかれた後。
ようやく気が済んだのか、しばらくすると二人は対面の席に戻った。
「ナトリくん、最近ずっと寝不足みたいに見えますけど、夜に勉強してるんですか?」
「ああ。刻印がもうわけわかんなくてさ。もう少しで何か見えそうな気はするんだけどな……」
自分は何か決定的な部分で思い違いや見落としをしている。だから理解できない。そんな予感だけはあるんだけどな。
「それよりフウカは大丈夫なのか? 勉強、苦手だろ」
「あはは……、私はレロイがしっかり教えてくれるから大丈夫。多分……」
「そっか、そうだったな」
唯一の勉強できない仲間だと思っていたフウカが、うまくやっていると聞いて少し寂しい気分だ。
「最近は講義外の時間を使って、まだ使いこなせない黒波導の練習をしてるんです。ここの大図書館には黒波導の文献がいくつかあるようなので」
「リッカでもまだ使えない術があるんだなぁ」
「リッカ偉い。私も黒波導、ちゃんと使えるようにしなきゃ」
「あ、そういえば」
リッカは思い出したようにこちらをみる。
「最近マリアンヌちゃんが演習場の使用許可を申請してるんです」
「マリアが?」
ここの学生であれば学校へ申請をして許可を得ることで、個人や複数人で演習場を借り切ることができるらしい。
演習場は大きなものから小規模なものまで無数にある。個人で特訓のために借りる者も多いのだとか。
「マリアンヌ、毎日借りてるの?」
「ほとんど毎日みたいだよ」
この前狩りについてこなかった時も、一人で訓練していたのだろうか。
「随分熱心だなぁ。やっぱりアイン・ソピアルの特訓か」
「でも、あんまり上手くいってないみたいなんですよね」
リッカはマリアンヌと同じ講義に出ることが多い関係で、彼女の様子について詳しいようだ。
最近は若干思い詰めた様子で少し心配らしい。ただ、理由を知るため探りを入れてもはぐらかされてしまうようだ。
マリアンヌのちょっと冷たいあの態度と関係あるんだろうか。
「リッカ、マリアがどの演習場を借りてるかわかるか? 今度様子を見に行ってみる」
「ナトリくんならそう言うかなって思いました。マリアンヌちゃんがいつも入っていくのは、第27演習場ですよ」
「マリアンヌ、ナトリのことは信頼してるからね。悩み事教えてくれるかも」
俺としても彼女のことは気がかりだ。
「うふふ、あなたたち随分と仲ががいいみたいね」
「?」
ふいと通路に目をやると、そこから眼鏡を掛けた青髪の美女が顔を覗かせていた。
「フィアー?! なんであんたがここに!」
「偶然あなた達を見かけたものだから、折角だしついてきたの。ここ、いいかしら?」
許可を出す間もなくフィアーはするりとボックス席内へ入ると、当たり前のように俺の隣に腰を下ろした。
そして、さらにもう一人桃色の髪をした女性が入ってきて、フィアーの反対側にこちらも何気なく腰を下ろす。
確か、フィアーの取り巻きの一人でグルーミィとかいう名前だったか。
狭い席は三人並べばもうぎゅうぎゅうだ。フィアーもかなり豊かな胸部を誇る女だが、もう一人のグルーミィはそれ以上にグラマラスな体型をしている。
あまりに肉感的過ぎて制服が若干似合っていない。
両脇から弾力のある脂肪の塊が、ぐいと二の腕に押し当てられる。
「…………」
こいつら、急に現れて一体何のつもりだ。
対面に座るリッカが険しい顔をしている。リッカがこの場にいるのはあまり好ましい状況とは言えない。
フィアーがクレイルの言う通り、本当にエンゲルスの構成員だったらとしたらリッカの持つ盟約の印に勘づかれる危険性がある。
「アンティカーネン教授について改めて話しましょう、といったでしょう? いい機会だと思ってね」
「サンドラのこと?!」
フウカは過去、彼女の事をそう呼んでいたらしいとレイトローズから聞いた。
「フィアー……おなかすいた」
グルーミィが表情を変える事なくボソリと呟く。
それを聞いたフィアーは目を閉じて首を振り、手を高く上げ店員を呼び適当なものを注文した。
テーブル上に食べ物が並ぶと、フィアーは再び語り出す。
「それで、教授についての記憶は戻ったのかしら、フウカちゃん」
「まだ顔くらいしか思い出せないよ」
「教授自身に関する記憶は、一層強く封印されていてもおかしくはないわね」
「それでフィアー、教授の居場所の目星はついてるのか」
「残念だけどいまのところはまだね。色々と手を尽くして探してはいるけれど……」
「ねえ、フィアーはサンドラを見つけたらどうするつもりなの」
フウカが不安げに問う。
「話を聞くだけよ。彼女が隠そうとしていることをね」
「アンタのことだ。穏便に済むとは思えないな」
「ナトリ君にも嫌われたものね。今後が心配だわ」
「元々好いてもいない」
「冷たいわね。折角旅のヒントを与えてあげたっていうのに」
「大きなお世話だよ」
サンドリア・アンティカーネン教授はフウカの保護者ということだ。
どんな人物なのか、俺には全然わからない。もしかしたら何か悪い事をしていたのかもしれない。
でも、その教授がフィアーによって傷つけられたらフウカはきっと悲しむ。
教授が見つかって欲しいような、そうでないような。フィアー達よりも早く彼女に接触できればそれが一番だと思うけど……。
「フィアー、あんたは王宮に属する人間なのか?」
「それは言えないわね。守秘義務があるの」
彼女の正体を探ろうとするも、すげない返事しか返ってはこない。
「お願い、サンドラを傷つけないで」
「約束はできないわ。彼女の態度次第……といったところかしら」
ボックス席内に沈黙が落ちる。グルーミィがパイを咀嚼する音だけが静かに響く。
「でもね、フウカちゃん。私が彼女を見つければあなたは教授に会う事ができる」
「会わせてくれるの?」
「もちろんよ。大事な人ですものね」
フィアーはフウカに対して微笑む。その笑顔は果たして本物か。それとも偽りなのか。
「ルーナリアに来たということは、あなた達の目的は光輝の迷宮よね」
「そうだ」
「厄災に近づけば、おそらくフウカちゃんの失われた記憶は戻るはずよ。翠樹の迷宮でそれは証明されている。心配ではあるけれど、私たちは応援しているから」
「他人事みたいに言いやがって。クレイルほどじゃないけど、俺もあんたの事は好きじゃない」
「……悔しいけれど、厄災なんて強大な存在を相手に私にできることなんて何も無いの。あなた達は特別なのよ。無事を願っているとするわ」
フィアーはすっと腕を伸ばすと俺の口の端に触れる。
驚いて身を引くが、彼女は指で掬い取ったソースを妙に官能的な仕草で舐めとると、伝票を持って立ち上がった。
「ではごきげんよう。お互いに勉学に励みましょうね」
俺たち四人は黙ってフィアーを見送った。
「グルーミィ」
「まだ……たべたい」
いまだ席を立つ気配のないグルーミィは、茫洋とした視線をフィアーに向け口を開く。
「まったくあなたは……。晩ご飯まで我慢なさい。もう行くわよ」
グルーミィは名残惜しそうに席を立ち、フィアーの後に続く。
「ああ、そうだわ。今度、凶暴化事件に対処するために自警団を結成して校舎の警邏を始めるつもりなの。ナトリ君、よければ参加してくれないかしら?」
「……考えておくよ」
「色よい返事を待っているわ」
フィアー達が店を出て行く音がし、少しだけ空気が和らぐ。
「はぁ……ビビった。リッカ、大丈夫か?」
「……はい。怖くてあまり喋れませんでしたけど」
ボロみたいなものは出なかったはず。
「サンドラ……」
教授のことは何ともし難い問題だ。こちらから探そうにもルーナリアの街は広い。
できればフィアーより先に教授を捜し出し、警告したいところだが。
「二人とも、俺たちもそろそろ出よう」
レストランで妙に濃い時間を過ごした後、俺たちは再び街へ出た。
§
「二人とも、そろそろ帰らないか? さすがに疲れたんじゃないか」
「まだまだ全然大丈夫」
「あ、すみません……。ナトリくんのこと、全然気がつかなくて」
リッカが申し訳なさそうな顔をする。
実際のところ二人はまだ全然平気なのだろう。体力でも筋力でも劣る俺は、歩き疲れてだんだん辛くなってきているが。
ドドであることは普段忘れられがちなことでもある。二人には必要以上に気にしてほしくはないけどな。
けど時間的にそろそろ頃合いなのも事実だ。暗くなる前に寮へ戻った方がいい。
「あはっ、疲れたなら私が運んであげようか?」
「さすがに格好つかないから自分で歩く」
「頼もしくてかっこいいですよ、ナトリくん」
二人からの印象がよくなるならいくらでも強がるぜ。
その時、通りの喧噪を裂くように突如悲鳴が響き渡った。
「なんだ……?」
声の方を振り向くと、駆けて行く人々が目に映る。何かから逃げている。
通りに渡された歩道橋の上だ。彼等を追うように一人のコッペリアの男が走っている。
橋の中央まできた男は立ち止まり、下の通りを見下ろす。男の目は妖しい輝きを放っていた。
そいつは歩道橋を飛び降りると通りに着地する。周囲にいた者達が思わず飛び退いた。
「ウオオオオオオォォォッッ!!」
男はまるで理性の感じられない雄叫びを上げる。
そして、男の迫力に気圧され逃げ後れていた、手近にいた女性に襲いかかった。
「きゃあああああああっ!!!」
「凶暴化だッ!」
近くにいた者が叫ぶ。それを聞いて、通りを行き交っていた人々は我先にと逃げ始めた。
「フウカ、リッカ!」
「わかってる!」
「はいっ!」
フウカが一歩を踏み込み、風の波導で加速を得て通りを疾走する。
暴走した男との距離を一瞬で詰め、展開した波導障壁を突き出し、女性を捕まえた男に体当たりを喰らわせる。
フウカの突進をまともに受け、男は弾け飛ぶように突き飛ばされて道端の露店に突っ込む。
捕まっていた女性は放り出されたが、無事に着地した後通りの塀を飛び越えて逃げ出していった。
派手な音を立てて露店に突っ込んだ男がゆらりと立ち上がる。
フウカに狙いを定めたのか、今度は彼女に襲いかかろうと両手を広げる。
「叛逆の鉄槌——、『リベリオン・オーバーリミット』」
右手にリベリオンを纏わせ、全身をフィルが駆け巡る感覚を得た直後に駆け出す。
フウカと男の間に割り込み、振り下ろされた両腕を掴んで攻撃を阻止する。
「ナトリ!」
「ぐ……、なんて力だ……ッ!」
コッペリア男性の細腕とは信じられないような怪力だ。
こいつがもし凶暴化事件の被害者である一般人であれば、なんとか危害を加える事無く拘束しなければならない。
「うぐッ!」
両腕を掴まれた状態から、男は膝蹴りを繰り出してきた。手を離し、両腕で蹴りを防ぐ。
強烈な打撃を受けて体が後退する。
男がすかさずかけた追い打ちは、こちらへ届くことはなかった。
「汝星の支配を受け入れ、その動きを止めよ。『星蹄』」
男の背後に回っていたリッカが、彼の背に杖を突きつけ術を発動していた。
暴走していた男は目を開いたままぴくりとも動かなくなった。
「ありがとう、リッカ」
「いいえ……。でもこれを維持するの、ちょっと辛いです。フウカちゃんお願い」
「リッカ、もう少し待ってて」
フウカが停止した男に両手を突き出す。
彼女の力により周囲から集まってきた光が男の体にまとわりつき、白い塊となっていく。
やがて男の体は頭以外が白い石塊のようなもので覆われた。
「……ふう。結構がちがちにしたからもう大丈夫だと思う」
リッカが男の後頭部から杖を話した瞬間、彼は唸りながら猛り狂ったように暴れ始めた。
「ひっ」
「なんなんだよ、これは……」
なんとか事態を収拾し、俺たちはその場で憲兵隊が駆けつけるのを待った。
事情を説明すると拘束したことを感謝され、彼等は拘束された男を数人がかりで運び去って行った。
「びっくりしましたね」
「ああ。話にはきいてたけど、実際に目の前で起こるなんてな」
「怖いね、凶暴化って。どうしてあんな風になっちゃうんだろう……」
一日遊び回った上に三人とも煉気を消費したせいか、俺たちは疲れてしまった。
既に暗くなってしまった中、言葉少なに学園都市の学生寮まで戻ったのだった。




