第239話 皇都の影
フウカたちのテーブル周辺の妙な騒がしさの原因は、どうやら目の前に座っている男らしい。
「王子様……? うっそでしょ?!」
隣に立つリィロはレイトローズの顔を見たまま固まっている。
背後のざわめきが部分的に耳に入ってきた。
「誰あの超美形!!」
「新入生だよね……やっば!」
「何学部だろー。お近づきになりたーい」
レイトローズは澄ました顔のままに口を開く。
「私がここにいるのはフウカ様を守るためだ。お前たちを追ってきた」
「ボクもルーナリアに用があったから殿下にお供させてもらったの。王国とはまた違った感じで、新鮮でいいわ」
大貴族クリィム・フォン・アールグレイ公爵はそういいつつ、目の前の皿にのったケーキを口に運ぶ。
「レイトローズも波導学部なんだって。さっき会ってびっくりしちゃった」
王子は王宮でのあれやこれやが済んだ後、俺たちを追いかけてイストミルへ渡った。
その前に大暴走が起き、彼がプリヴェーラへ到着した時には俺たちはオープン・セサミに乗り込んだ後であったそうだ。
王子達はそのまま自前の浮遊船でルーナリアを目指し、俺たちがアンフェール大学に通うことを知り、自らも留学生として特別に入学したそうだ。昨日の入学式には間に合わなかったらしい。
フウカは気楽そうに笑っているが、隣のリッカとマリアンヌは見るからに戸惑っている様子。
「私に気を使う必要はない。今はただの留学生だ」
「と言われても……」
二人の身分があまりにも高すぎる。正直なところ俺はこの二人が苦手だった。
自分たちの椅子を確保して俺とリィロは注文に向かった。
昼食を手に席へ戻り食べ始めるが、どうにも空気が重い。
「マリアンヌちゃんは波導理論Ⅱとか受けてたよね。どう?」
「さすがに難しいです。けど専門的な内容も多いので、まだまだ学べる事はたくさんありますね」
マリアンヌの勉学に対する真面目な姿勢に対し、フウカの表情はあまり晴れない。
「特級クラスとはいえ、フウカもちょっとは単位が必要なんだよな?」
「うん。みんな難しい授業ばっかり受けててすごいよ。波導術って難しいんだねぇ……」
「フウカは知識ってより感覚で波導を使うタイプだもんなぁ」
実力や能力の特異性は文句なしの特級。だが、意外にもフウカは基礎的な部分の知識が足りておらず、むしろそれを学ぶことが目的だったりする。
特級ではあるが、フウカは割と初級の講義にもたくさん出るつもりのようだ。
「フウカ様を馬鹿にしているのか」
フウカが感覚派であることを指摘すると、何故かレイトローズが冷えた視線を向けてくる。
「ご心配には及びません。私もフウカ様と同じ科目を履修する予定ですので」
「え、ほんと?」
「もちろんです。わからない部分があれば私がお教えしましょう」
「…………」
彼はこちらをじっと見つめる。
「不服か?」
王子様にとっては初級の講義など既に知っている内容ばかりだろう。
王宮で高度な教育を受けているであろう彼が、フウカと一緒にその講義を受ける意味はほとんど無いように思う。
でも俺が波導のことでフウカにしてやれる事は何もないのだ……。悔しい。
「俺は、別に……」
「皆、私のことはレロイと呼んでくれて構わない。よろしく頼む」
随分と気さくな王子様だな。その顔はあまり感情の動きが感じられない無表情だが。
「そうだナトリ。リッカと話してたんだけど、今度の休みの日なら大丈夫だよ」
「ああ、バベルの件か」
フウカ達には予定のない日を確かめておくように頼んであった。
生活費に余裕はあるが、迷宮攻略の準備を進めるために色々と物入りだ。資金を稼ぐため狩りにいかなければならない。
「俺たちもその日は講義なかったはずだし、クレイルも多分大丈夫だろ。皆でバベルに行こうか」
「私は……今回は遠慮しておきます。ちょっと用事があるので」
マリアンヌは少し下を向いてそう告げる。彼女の場合金銭的に困ることはないだろうから、勉強に集中しても問題はないだろう。
「そうか。わかったよ」
リィロも狩りへの参加を申し出た。彼女は少し億劫そうにしていたが、学生服にこだわったせいで少々金欠気味のようだった。
「ならば私もフウカ様にお供しましょう」
「どんだけフウカにくっついてくるんだよ……」
細められた色違いの瞳に射抜かれる。王族相手にさすがに失言だったかと体を硬直させる。
「恐縮ですが殿下、狩人の真似事はさすがに危険かと。万が一のことがあれば随伴する私の責任に……」
ケーキをパクついていたクリィムが口を出す。半ば保身に走っている気がするが、危険であることには違いない。
「そうだよレロイ。狩人って大変なんだから。私たちはユニットで行くから大丈夫だって」
「……そうですか。承知しました」
不承不承といった様子で引き下がる。
構内に刻限を知らせる鐘の音が鳴り響いた。もう少ししたら午後の講義が始まる。
「さてと。殿下、私は古馴染みの教授と約束があるので、これにて失礼させていただきますわ。君たちも勉強頑張りたまえよ。またどこかで会ったらよろしくー」
クリィムが椅子から勢いをつけて飛び降り、俺たちに手を振って去っていく。
「古馴染みって……、あの人一体いくつよ?」
「クリィム卿はつい最近家督を継いだばかりのはず。ユリクセスだが実年齢は見た目とそう違わない」
「え、じゃあ私より幼いのに、もう家督を……」
マリアンヌが驚愕に目を見開く。無理もない。
「アールグレイ公爵はあらゆる知識に精通した一流の刻印術師であり、王宮兵器開発局の局長を務め、王宮議会にも顔を出す国の重鎮だ」
「正真正銘の天才少女……、いや天才幼女ね。私の周り、天才多すぎでは……?」
一流の刻印術師か。
彼女の力を借りればあるいは、リッカに取り憑いた厄災を分離する有効な方法が見いだせるかもしれないぞ。
「さあフウカ様、もうすぐ午後の授業が始まるようです。講義室へ参りましょう」
「え? あ、うん。ナトリ、また後でねっ」
フウカはレロイに促されるままに立ち上がり、背を押されて連れて行かれてしまった。
なんか不安だな。
§
本日全ての講義が終わり、俺は広大なエントランスホールの一角でフウカ達を待っていた。
フィアーの存在、アールグレイ公爵とレイトローズ王子の留学。
学校生活は迷宮出現までの準備期間程度の感覚でいた部分もあった。
しかしここへきて、俺たちの周囲は俄に騒がしくなってきている気がする。
最近マリアンヌの態度がどこかよそよそしいこともあってか、柱に寄りかかりながらつい物思いに沈んでしまった。
「よっ」
肩を叩かれ顔を上げると、赤毛のストルキオ、クレイルが俺を見下ろしていた。
「今終わったとこや。他の奴らを待っとるんか?」
「ああ。約束してたからさ」
「にしても、なんか妙に騒がしいな」
確かにざわざわと生徒達の話し声が聞こえてくる。見回すとホールの一角に学生が集まっていた。
「行ってみようや」
二人で学生の集まりに寄っていくと、彼等は掲示板を囲んでいることがわかった。
学生達は一枚の掲示物に注目しているようだった。俺たちも彼等の肩越しに掲示物を覗き込む。
「学内で新たに凶暴化事件が発生……。各自厳重に警戒、身の安全を確保されたし」
「凶暴化って、ちびすけの親戚が言っとったアレか」
「物騒だな。学校の中でも起きてるのかよ」
隣で事件についてしきりに仲間と言葉を交わす生徒に、事情通とみたクレイルが話しかける。
「おい、今フィアーがどうたら言うたよな? 詳しく教えてくれんか」
「えっ? お、おう……」
ネコの男子学生はクレイルの威圧感に一瞬ビビったようだったが、どうやら噂好きらしく進んで知り得た情報を語ってくれた。
事件が起きたのは昨日。入学式の数刻後。
俺たちは居合わせなかったが、校舎の大廊下で女子生徒が急に暴れ始めたらしい。
まるで周囲が見えていないかのように正気を無くし、周りの生徒に襲いかかったそうだ。
そして手が付けられない状態の彼女を押さえ込んだのは、新入生代表となったフィアーらしい。
「俺遠くから見てたんだけどさ、凄かったぜ。暴れ出した子を傷つけずに、苦もなく拘束したんだ。美人な上に優秀とかハンソクだよな」
興奮するように一部始終を話してくれた彼に礼を言って、俺たちは生徒の集まりから抜け出す。
「まだ入学したてだってのに、フィアーの奴人気あるな」
「ハン。学生からの支持を集めた方が色々と動きやすいんやろ」
クレイルはフィアーがエンゲルス構成員であることをほぼ疑っていないようだ。
「これじゃフィアーを犯罪組織の構成員だと糾弾しようにも、こっちがおかしいと思われそうだな」
「俺は既に思われとるようやしな」
どうやら入学式の後でクレイルがフィアーに詰め寄った件は、一部の生徒達に悪印象を与えてしまっているようだ。
クレイル自身早速何かあったみたいだし。
クレイルは半ば確信を抱いているみたいだが、フィアーの身元に何か根拠があるわけじゃない。あくまで勘であるため追及するのは不可能だ。
「ナトリくん、お待たせしました」
講義を終えたフウカとリッカが連れ立ってやってきた。
ホールの騒ぎが気になっている彼女達に理由を説明する。
「怖いですね。いつ誰が凶暴化するか分からないなんて」
「でも、どうしてルーナリア全体でそんな事が起きてるんだろ?」
「ご安心を。フウカ様の学内での身の安全は私が保証します」
レロイは最早当たり前のようにフウカと行動を共にしている。
「なんでコイツここにおるんや……?」
レロイの存在に面食らったクレイルに事情を話す。
実際王子の実力は確かだし、フウカを護衛してくれるのは心強くもあるのがちょっと悔しいところだ。
刻印都市ルーナリアを中心に発生する凶暴化事件。
突如現れたフィアーの存在が意味するもの。
何か、あまりいい予感はしない。
またオープン・セサミの時のように、人知れず全滅なんて笑えない事態が起きたりしないだろうな。
寮へ戻るため、少々神妙な心持ちで学校を後にした。




