第236話 入学
入学適性試験を受けてからは、新学期に向けての準備を進めながら過ごした。
マリアンヌの叔母さんの屋敷に数日世話になった後、俺たちは揃って学生寮へ移った。
アリョーナ婦人は困ったことがあればいつでも頼ってくれと言って送り出してくれた。彼女はマリアンヌのことをずっと心配しているようで、学生寮で同室となる予定のリィロに色々と頼み込んでいたみたいだ。
マリアンヌは大人びているけどまだ13才。そりゃあ心配もするよな。
夫人は嫌な顔一つせず俺たち全員を泊め、歓待してくれた。本当にいい人だった。
「うおッ、汚ねえ!」
ベッドカバーをばさりと取り払ったクレイルが思わず声を上げる。狭い部屋の中に大量の埃が舞った。
「ちょ! ——ごほ、ごほっ!」
振り向いた拍子に放たれた埃を被って激しく咽せる。
「この部屋、最後に掃除したん何年前やねん」
「さあ……、前の住人が立ち退いた時じゃないか」
俺たちはこれから住む事になる学生寮の部屋を片付けていた。
目つきの鋭いネコの寮母さんに挨拶し、部屋の鍵を受け取って中を覗いたが、なかなかの汚れ具合。
とりあえず掃除しなければまともに生活もできやしない。
一つしかない窓を大きく開け放ち、ひとまず部屋の澱んだ空気を入れ替える。
「ん?」
開け放った窓から外を見ると、通りを挟んで向かい側に建つ建物、女子寮二階の一室の窓が開いており、中に橙頭の人影が見えた。
あそこがフウカとリッカの部屋か。ちょうど通りを挟んだ向かいになる位置だな。
「おーい、フウカ!」
動いていた人影が声に反応し、顔を上げてこちらを見る。
「あ、ナトリ! 部屋そこなんだね」
「ああ。でも部屋の中が埃だらけでさ。ちょっとこっち来てくれない?」
「うん。今行くー」
フウカは窓枠に手をかけ身を乗り出すと桟を蹴る。軽やかに宙を舞い、通りを飛び越えて俺とクレイルの部屋に着地した。
「お、フウカちゃんか。ええとこ来たな」
「フウカ、ちょっと風を起こして部屋の埃を吹き飛ばしてくれよ」
「あはっ、任せなさい」
三人で部屋の外へ出ると、フウカを扉の前に立たせる。彼女が部屋の中に向けて手を差し出すと、室内の埃が舞い上がった。
部屋中を渦巻くように大量の埃が風に乗っている。こうやって風を可視化すると動きが非常にわかりやすい。
飛んでいるものがものだけに、結構おぞましい光景だが。
「これを全部外に押し出せばいいんだよね」
「頼むよ」
「それっ」
部屋の中を渦巻いていた風は、その勢いのままに一気に窓から外へ放出される。あまりの勢いにボロボロだったカーテンも一緒に吹き飛んでいった。
「おおー」
フウカの風波導に関心していると窓の外からいくつもの悲鳴が上がった。
さっぱりした室内を進み窓から外を覗くと、女子棟の窓ごしに咳き込んだり大騒ぎしている女の子達の姿が見える。
どうやら勢い余って向こうの棟まで埃を吹き飛ばしてしまったらしい。
「やっべ」
彼女達の視線が一斉にこちらを向く。なんとなく愛想笑いで誤摩化そうとしたが、皆一様にぎろりと俺を睨んでから窓を閉め切った。本当に……前途多難だな。
「はっ!」
見下ろすと一階の部屋からマリアンヌがこちらを見上げていた。
「ナトリさん、何やってるんです……」
そして彼女も悲しそうな一瞥をくれた後、ぴしゃりと窓を閉て切る。
それを見届け、がっくりと肩を落とした。他の女子はまだしも、マリアンヌには嫌われたくない……。
クレイルが肩に手を置く。
「気にすんな。部屋、綺麗になったぜ」
「ナトリ、なんかごめんね」
「いいよ。むしろフウカのせいだと思われなくてよかった。うん、そうだよな、はは……」
入学後、女子寮の生徒達が俺に冷たかったのは言うまでもない。
§
なんやかんやですぐに入学式の日はやってきた。揃って学校まで行こうと、朝食を終えるとみんなで寮の前に集合する。
「おはよー、二人とも。……あははっ!」
「俺見て笑たやろ、フウカちゃん」
「だって、なんかクレイル面白いんだもん」
今日の俺たちは全員アンフェール大学指定の学生服を着用している。
「似合ってねえのは自分でもわーっとる」
「クレイルさん、なんか不良っぽいです」
「あはは、これぞミスマッチって感じだわ」
確かにクレイルは元々目つきが鋭いし、威圧感もある。着崩した制服姿は、リッカの不良学生という表現がしっくりくる。
「他の学生から舐められなくていいなって思うけど」
「こんなん着る必要なくねェか? せめてストルキオの体型に合わせたヤツをだなァ……」
「仕方ないじゃないですか。規則なんです」
校内で指定制服を着用することは校則で定められているらしい。王都で配達してた頃も緑の制服を着ていたので、クレイルと違ってあまり違和感はない。
視線を女性陣の方へと向ける。立ち並ぶ女子制服を着た四人は、それぞれ普段と趣が異なり見慣れているはずなのに非常に新鮮に映る。
「あの……、私、似合ってますか? ナトリくん」
着こなしを気にしているのか、リッカがどこかそわそわしながら聞いてくる。
アンフェール大学の学制服はブラウンを基調とした落ち着いた色合いだ。女子制服はフードの付いたブレザーにスカートというスタイル。どことなく波導術士っぽい出で立ちに見えなくもない。
清廉な印象を受けるリッカには非常によく似合っていた。
「うん、よく似合ってる」
「……よかった!」
答えを聞いて微笑む姿もなかなかに可憐だ。
「ちょっとサイズが小さいような気がして不安だったんですけど、リィロさんはこっちの方がいいって言うから」
サイズのせいか、制服のデザインか、服はぴったりと彼女の体に沿うように、その意外と豊満なボディラインを強調している。
リッカの大きな胸が、その存在感を遺憾なく発揮している状態だ。
リィロの方を向くと、彼女はバチっとウインクしながら親指を立ててみせる。そういえばこの人、みんなの制服買いにいく時にやたら張り切ってたな……。
「私はー?」
リッカの制服姿に見とれていると、フウカが両手を腰に当てて俺の前に立つ。改めて彼女の装いを確認する。
リッカより短いスカートと、そこから伸びるすらりとした形の良い足は、フウカの快活さと明るさを存分に引き立たせている。
胸元には、リッカのタイとは異なる鮮やかなリボン。元々派手めな容姿のフウカと非常にマッチしており、その美少女っぷりが明らかに底上げされていた。
うん、めちゃくちゃ可愛い。
「フウカも、よく似合ってる」
自分の語彙力のなさに呆れながらも素直に褒めた。
「やったー! リィロってば、合う着こなしを見つけるのすごく上手いんだよね」
リィロを見るといかにも誇らしげな笑みを浮かべ、堂々として腕を組んでいる。正直こればかりは素晴らしい仕事だと文句なしに賞讃せざるを得ない……。
「ちびすけ、お前も似合っとるやないか。普段の女っ気のねえローブに比べりゃな」
「褒めてるんですか? 馬鹿にしてるんですか?」
「カッカッカッ」
マリアンヌがクレイルに冷たい視線を向ける。彼女も貴族の身分であるためか、こういったお固いよりの服装はとても馴染むようだ。
マリアンヌの見慣れぬ制服姿を眺めていると、ちらりと彼女は俺を見る。
「?」
だがすぐにふいっとそっぽを向かれてしまった。あれ、やっぱ俺嫌われてない?
彼女はその後も目を合わせてくれず、微妙な居心地の悪さを感じる。
「おい、リィロのだけなんか違わへんか?」
「え、そうかな」
よく見ると、リィロの学生服は他の三人と異なる点が多い。
膝下までのスカートは彼女のだけタイト気味でシルエットが細く、裾にはフリルがあしらわれているし、ブレザージャケットの下に着ているシャツも胸元にフリルと細長いリボンがついている気合いの入れ用だ。
「リィロさん、すごくおしゃれですね」
「お前、ソレ年齢的にちょっと無理ねェか?」
「!!!」
リィロ以外、あのフウカですらクレイルの言葉に若干引いた。
「あ、はは、は……。そう、だよね。みっともない、よね……」
「ぐおっ!」
マリアンヌがクレイルの脇腹に杖を突き込んでいた。
「酷いよクレイルー」
「クレイルさん、今のは……」
「デリカシーがなさ過ぎて呆れ返ります」
女性陣からは散々な言われようだ。そう言われても仕方ないとは思うが。
おそるおそるリィロを見やると、俯き気味に下を向いている。目元には若干涙まで溜まっていた。多分気合いを入れて調整した服なんだろう。
「リィロさんの着こなしも、すごいイイと思います」
思った事を素直に伝える。深刻なまでに語彙力が足りてない。
「本当……?」
「はい。大人っぽい感じで、でもちょっと可愛いっていうか、いかにも選び慣れてるっていうか……」
「あはは……、お世辞でも、嬉しいわ」
リィロは少しだけ機嫌を持ち直したのか、眼鏡の下の瞼をこする。
クレイルの隣に寄って背中を叩いて囁く。
「さすがに謝れよ。クレイル」
「……俺が悪かった。すまんなリィロ。失言やった」
「いいよ……本当のことだし」
「まァ、その、なんだ。俺よりは似合ってると思うぜ」
「確かにね」
リィロは可笑しそうに苦笑する。
「みなさん、そろそろ学校へ向かいませんか? 入学式に遅れます」
「うん。初日から遅刻はよくないよね」
俺たちは街中を移動する歩道に乗るため、急いで寮前の急坂を駆け下りた。
§
「入学式っちゅうのは、退屈なモンやな……」
「だなぁ。……若干眠い」
アンフェール大学でもっとも大きな第一講堂は人で埋め尽くされていた。その多くが前学期の新入生だ。
こんなに多くの人間が、皆一様に同じ制服を着て集まっていることに不思議な感覚を覚える。
故郷クレッカの学校には制服なんて洒落たものはなかったし、生徒数も十数人程度だった。都会の学校は俺の想像を超えている。
アンフェール大学の歴史から始まり、くどくどと新入生に対する激励の言葉を並べ立てていた校長の長い話が、ようやく一区切りついたところだった。
続いて生徒の名前が呼ばれる。新入生の一人が代表で挨拶するようだ。呼ばれた女性徒が立ち上がって通路を進み、段上に上がった。
ん、あの人……?
「初めましてみなさん。新入生の代表を務めさせていただきます、フィアー・ニーレンベルギアと申します」
「ああっ?!」
思わず間抜けな声を上げてしまった。静かだった講堂に声が響き、何事かと周囲の注目が集まる。
段上の女生徒もそれに気づいてこちらを見る。目が合った。
ある時は偽の司書、ある時は王宮に潜り込む諜報員。
濃い青髪に眼鏡をかけた、知性的な容姿を持つ美女、フィアーは俺に向かってニッコリと微笑みかけた。




