第214話 魔龍
「秋雨よ、疾く花の落つ前に降り過ぎよ。『流水仙』」
ガルガンティアの杖が光を放ち、空中に数えきれぬほどの氷槍が生成されていく。そしてそれは、トレト河を下り街へと侵攻するモンスターの頭上へ降り注ぎ、河を魔物達の血で染めていった。
老狸は休むこと無く氷塊に乗り移動しながら、最前線でモンスターを間引いていく。ここで全てを殲滅するのではなく、適度な数を水没地区で待機する者達のほうへ流しながら、後陣の負担を軽減しつつ戦況を維持するのが目的であった。
「それにしてもきりがないのう」
戦端が開かれてからどれだけ経つか。既に陽は落ち、炎術士の打ち上げる大型の燈の光がいくつも川面に反射して揺らめいている。
最前線で戦うガルガンティアの目は、少し前から異様なものを捉えていた。それは少し上流に留まるモンスターの群れであった。モンスターが群れること自体は珍しいことではない。が、その集団は街へ攻めるでもなく、その場に留まり続けた。様子を見ているようにも見えるし、何かを守っているようでもある。
このような現象が起こる原因として最も可能性が高いのは、特別なモンスターの存在である。ガルガンティアも真っ先にそれを疑い、常にその集団に注意を向けていた。
「徐々に水の気配が増しておるようじゃ」
彼がそう感じた時、トレト河の水面に突如渦が巻き起こった。それは徐々に大きくなり、どういうわけか竜巻のように激しく水を巻き上げながら天へと伸びる水柱を発生させる。水柱は二本三本と増え、さらに数を増していく。
水柱の中心地は、やはりモンスターのまとまりのようであった。竜巻によって巻き上げられた水の属性は空気中に散布され、周囲の環境を支配していく。
強大な水のモンスターがその姿を現そうとしていた。
ガルガンティアの付近の氷河に突如黒い空間の穴が開く。そしてそこから、黒い衣装を纏った半裸の少女、影紡のバルタザレアがせり上がってくる。
「なによ、あれは」
「有象無象の類いではない」
「まるで天災じゃない。あれがスターレベル5ってやつなの?」
モンスターの頂点に君臨するレベル5。空を裂き、地を砕く天災級のそれは、過去の記録の中に時折記されてきた。大抵は凄惨な内容である。
本来であればレベル5モンスターは活動のために莫大なエネルギーを必要とするため、能動的に動きまわるようなものは少ない。普段は休眠しているものが多勢である。
「よもや、何者かの手により目覚めさせられたのではあるまいな」
「だとすれば、とんでもないことをしてくれたものね」
彼らは同時に納得もしていた。この大暴走は、レベル5の目覚めに誘発されたものであったのだと。
“龍”の目覚めがモンスターの行動に及ぼす影響は様々だ。その意思に染まり行動を共にするもの。強大な存在から逃れようと移動を始めるもの。
レベル5が直接プリヴェーラ方面へ移動することで、トレト河の大暴走は引き起こされたのであろう。
「よお、お二人さん」
プリヴェーラの北側から高速で飛来し、二人の側に浮遊する者があった。
「あんたも来たの」
「そらな。あんなの普通じゃねえヨ」
色付きの眼鏡をかけ、原色に近い派手なマフラーを纏う傾いたルックスのストルキオ。
彼こそ街の北側の防衛を任されることになった東部三大賢者の一角、「風掌」のリグ・カストールであった。
「で、結局何なのヨあれ。あんたらなら知ってんだろ?」
「ガストロップス大陸に眠るレベル5、水の魔物とくれば間違いようがないわ」
「『水龍ラグナ・アケルナル』じゃな」
「ハァッ? レベル5だぁ? おい、冗談よしてくれ。大暴走の上にそんなんまで出張って来るとかさすがに無理だろーヨ」
「怖じ気付いたの? 賢者の癖にとんだ根性なしだわ」
「あのなァ、戦うだけが術士じゃねーだろ? 俺様はあんたらみたいにバリバリの戦闘タイプじゃねーの」
リグ・カストールの本職は浮遊船設計士であった。若くして高性能な船を次々に発表し、スカイフォール随一の天才設計技士の呼び声も高い。
彼の設計による船のおかげで、東部空運の安全と飛躍的な効率化が進み、その功績が認められたことでリグ・カストールは弱冠32歳にして今代の東部三大賢者と讃えられるようになったのであった。
彼らの視線の先でモンスターの集団が割れる。そして、巨大な首が水中から現れた。それはまさに、モンスターの頂点に君臨する『魔龍』の一種、水龍ラグナ・アケルナルそのものであった。
水龍の、鱗で覆われ硬質化した頭部が天を仰ぎ、引き裂くような鳴き声を上げる。同時に雨が降り始めた。河から巻き上げられ、空へと登った水分が雨雲を形成し、立ち込める暗雲が夜空を覆い隠していく。
周囲を自分好みの環境へと変化させた水龍は、プリヴェーラへと接近を始めた。
「おいおい、ヤバくねーか?」
「さすがにヤバいわね」
「婆さん無理して若者言葉使うことねーぞ」
「死にたいの?」
バルタザレアがカストールを睨む。
「わりいわりい……」
「それはそれとして、さすがにここらが限界なんじゃないのガルちゃん。所詮街一つよ。時間も稼いだし、大方避難も済んでるんでしょうし」
二人はガルガンティアをみつめる。彼は考え込むように水龍の姿に視線を注いでいた。
「あやつを倒す」
「本気でいってんのかヨ。アレはいくらあんたでも——」
「……わかった。手伝ってあげる。カストール、あんたは逃げてもいいわよ」
「正気か……? どうしてそこまですんだ。たかが街一つだろーヨ?」
ガルガンティアは尚も水龍を見つめたまま語る。
「プリヴェーラのためだけではない。我ら人類は常にモンスターによって存在を脅かされてきた」
有史から連綿と続く人とモンスターとの終わり無き戦いの歴史。人はモンスターによって故郷を焼かれ、作物を食い荒らされ、住処を奪われてきた。それを許せる者などどこにもいない。
「その元凶の一つが今目の前に現れたのだ。……逃げることもできよう。だが、奴らは繰り返す。己らが満足するまで、何度でも」
「ガルちゃん……」
「今、我らには奴を斃す手段がある。ならば——、どうしてここで逃げられようか」
ガルガンティアの言葉は、人としての、人間としての意地でもあった。その気持ちは二人にも伝わった。
「……そうか。たかが街、じゃねえヨな。あれは人間が積み重ねた文化と叡智の結晶だ。それを、モンスター共に土足で踏み荒らされて、どうでもいいわけがねえ。
爺さん、いいこと言うじゃねえか。よし、俺も逃げんのはやめだ。ぶっ倒してやろうゼ、あいつをヨ」
「よくぞ言ってくれた、カストールよ」
「でも、わたしらだけで倒せるかしら。大暴走を食い止めながらアレの相手をしなきゃいけないんでしょ」
「足止めで精一杯じゃろう。犠牲覚悟で懐に飛び込んだとて、おそらくは討てぬ」
「おいおい、結局勝てなかったら意味ねえじゃねーかヨ!」
カストールが絶望的な表情で天を仰ぐ。ガルガンティアは彼に向き直ると、その顔を見上げて言った。
「カストール、お主に頼みがある」
「なんだ? お前が突っ込んでなんとかしろってんならさすがに協力できねーぞ」
ガルガンティアは首を振って否定し、続ける。
「お主に、街の方から連れてきてもらいたい者達がいる」
「パシリかヨ……ってまあ、そっちのがまだマシだな。アレをぶっ倒せるくらい強え奴でもいんのか?」
ガルガンティアは頷き、口元を僅かに曲げ微笑む。
「彼奴であれば、水龍ラグナ・アケルナルを斃せるやもしれぬ」




