第22話 波導術士
「幽霊船……!」
「嘘だろ、あんなのただのヨタじゃねえか!」
船絃通路は沈黙から一転、騒然とし始めた。突如現れた巨大な黒い浮遊艇。俺とクレイルは柵から乗り出してその船を注視する。
かなり古い艇で、表面の塗装は剥げかけて装甲は黒ずんでいる。古い艇に特有の、艇体側面から突き出した何本もの制御棒はひしゃげて折れ曲り動力を示す光もなく、正常に作動しているとは到底思えない。
それどころか艇はまるで周りの光すらも吸収しているかのように何故か暗く淀んで見えた。重く、冷たい感覚が伝わってくるようで思わず身震いする。
突然艇の一部が激しく明滅した。直後に浮遊船全体が揺れ、俺たちは体勢を崩すまいと柵を強く握る。
「なんだっ!?」
「砲撃だっ! 撃ってきたぞ!」
船舷通路は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。そこに集っていた人々は我先に船内に戻ろうと扉へ押しかける。
「ナトリ、俺らも中戻った方がええ」
「ああ!」
俺とクレイルは群衆と一緒になってなんとか船内へ戻り、フウカの残る部屋へ一緒に走った。
「あの話本当だったのか?」
「わからん。けど向こうには攻撃の意思があるようやな。こんな普通の輸送艇なんぞあっちゅう間に落とされてまうぞ」
俺たちは部屋に辿り着くと、不安げなフウカに迎えられた。
「何があったの?」
「突然謎の軍艦が現れて攻撃して来たんだ。船内はパニックだよ」
詳しい状況を説明しようとした時、部屋の伝声パイプから声が響いてくる。
「あー、船客の皆様。こんな時間に申し訳ない。現在当浮遊船は未確認の艇から攻撃を受けている。当該の艇からは交渉に応じる意思が見られない。当船は最大速度で雲脈を目指している。くれぐれも船外に出ないよう、パニックを起こさないよう注意していただきたい」
伝声中、船は何度か揺れた。艇の攻撃が着弾したのだろうか。俺たちは声が途切れて暫く黙り込んだ。
操舵室は謎の艇からの逃走を決めたらしい。当然だ。敵は見境なしに攻撃してくるがこっちには本格的な武装がない。
「……大丈夫かな」
「簡単に落ちはしないと思うけど、このまま攻撃を受け続けたらさすがに危ない。もしタンクが破損すようなことがあったら……、それまでに雲脈に辿り着けばいいけど」
「雲脈って?」
「雲脈ゆうんは、一定の周期で移動しとる巨大な雲の領域や。そこに突っ込んであの艇撒いたろ言う話やな。俺らの船は雲脈沿いにイストミルに向かっとったからな」
「じゃあそこまで行けば助かるんだね」
「どうかな。辿り着けたとしても、そもそも乱気流や視界の閉ざされた雲脈は危険な場所なんだ。中で方向を見失えば遭難することだってある」
今夜は雲の量は普通。船は雲を抜けながら雲脈を目指しているんだろうが苦肉の策といえるだろう。雲脈に呑まれて消えた船の話はよく聞くところだ。
俺たちは思い思いの場所に腰を下ろして押し黙った。
断続的に砲撃音が聞こえ、衝撃が伝わってくる。今にも壁に穴が開くんじゃないかと不安になる。
「じっとしてることしかできないのか……」
クレイルが丸椅子から立ち上がり口を開いた。
「俺はこれでも術士の端くれや。俺は行く。行ってあの船を逆に落としたる。生き残る可能性が少しでも上がるならな」
そう言ってクレイルは外へ行こうと扉へ向かった。俺も立ち上がる。
「俺も行く」
「ナトリ。あんさんはここに居れ。大して出来ることもないやろ」
「そうだよ、危ないよぉ」
フウカも不安そうにこちらを伺う。
「外で何が起きてるのか、ちゃんと確かめたい。俺だって何もせずに死ぬのは御免だ」
「そこまで言うんならもう何も言わんが、お前まで守っとる余裕はないかもしれへんぞ」
「自分の身は自分で守る」
フウカは何か言いたげにこちらを見ていた。俺はベッドに腰掛けた彼女の前に立った。
「行ってくる」
「ナトリ……」
「……わかってる。俺は生き残るために行動したい」
フウカを守るためにも今できることを。扉の前で肩をすくめるクレイルと共に部屋を出て駆け出す。
「案外肝据わっとんな。それとも無謀なだけか?」
「こんなとこで死にたくないだけさ」
微かに笑うクレイルと後部甲板に向かった。途中、壁が破壊されていたり柵が吹き飛んでいたり、謎の浮遊艇による攻撃の痕が見受けられた。
いつ砲撃が飛んでくるかわからない。艇は今本船の真後ろに回っているようなので後甲板は特に危険だ。用心しなければ。
後部甲板に辿り着き、壁から顔を出して船体後部を覗くとデッキの上に数人の人影を見つけた。
軍艦は船の後ろから追撃してきている。黒い艇影が音もなく迫る。と、甲板中央の三人の人影、真ん中の小さな人物が持つ何かが強く白い光を放った。
「あれは……?」
船の周囲を覆うように光の帯が船体後方から前部に向けて駆け抜ける。
光が駆け抜けた後、卵のように丸みを帯びた透明な壁が薄っすらと船体の後ろ半分を覆う巨大な盾のように現れる。
謎の艇が発光を伴った攻撃を放つが、透明な壁に阻まれる。激しい衝撃のあった部分だけ壁がハッキリ見えるので、それが波導で作られた強固な障壁なのだとわかる。
「『三界多重障壁』やとォ……!?」
「これも波導術?」
「ああ、そうや」
クレイルによると、三界多重障壁というのは広範囲に渡って障壁を展開する上級の波導術であるらしい。
「それだけやない。この術は本来、維持するだけでも大量の煉気を必要とする燃費の悪ィ術。だがこいつは……見ろ。攻撃の当たる部分だけが目に見えとるやろ。広範囲に最低限の波導を流しつつ障壁を維持。インパクトの瞬間だけその部分に波導を集中させて大幅に強度を上げとる。あの術士、相当な手練やぞ」
今日の昼過ぎ、暇を持て余した俺たちはクレイルから波導術についても色々と話を聞かせてもらった。
クレイルによれば波導において最も重要なのは想像力なのだという。同じ術でも、使用者のイメージと構築処理能力次第で術の効果が全く異なってくることもあるとか。
これは実力ある波導術士だからこそ可能な術の使い方なのだろう。
後部甲板に立つ三人の人物に寄っていく。両脇の二人がこちらに気づいた。三人とも杖を携えており、いずれも術士である事がわかるが種族はバラバラだった。
左の体格のいい大男はネコで、右目が大きな傷跡で潰れている。残った一つの目は抜かりない眼光をこちらへ向けており、いかにもベテラン術士といった風貌。
右に立つのは銀色の長髪を後ろで結った透明感のあるエアルの色白で美しい女性だった。薄く澄んだ青い瞳が俺たちを見る。
こちらもその立ち居振る舞いには隙を感じさせない。
真ん中で頭上に輝きを放つ大錫杖を突き立てる男はかなり高齢のラクーンのようだった。後ろを向いているので色素の抜けた髭で覆われた顔は見えないが、小さな体に見合わない威厳のようなものを感じさせている。
三人とも揃いの術士ローブを纏っていた。