第211話 開戦
プリヴェーラ東区の果て、シエラ水没地区。この辺りにガルガンティア協会の人員が配置される予定だとトレイシーから聞いている。
俺たちは朝早くに部屋を出てここへやってきた。来る途中、街にいつものような活気はなく店の扉は固く閉ざされ、人気は少なかった。ほとんどの住民は街から避難したようだ。
「あ、あそこにいるのクレイルじゃない?」
廃墟の壁にもたれているクレイルに三人で寄っていくと、彼の側にはすでにマリアンヌもいた。辺りにはちらほらとガルガンティア協会の術士達の姿も見える。
「よお」
「おはようございます、みなさん」
それぞれに挨拶を交わす。
「お前らちゃんと準備できたんか?」
「ああ、昨日やってる店でなんとか色々かき集めてきた」
「これ、協会が備蓄している煉気水です。みなさんどうぞ」
「ありがとう、マリアンヌちゃん」
五人で大暴走について話し込んでいると、協会の術士がやってきて俺たちに声をかけた。
「やあ。君たちは……、話に聞いていたマリアンヌくんの仲間だね。私はケイオス。マリアンヌくんのいるケイオス班の班長をやっている」」
「班長。私は彼らと共に戦おうと思うのですが……」
「そうか。では君たちにこの辺りの守りを任せてもいいかな。うちの班にはマリアンヌくんの他にも治癒術士がいるし、君は彼らと行動を共にしてもらえるだろうか」
「わかりました」
「彼女をよろしく頼みます。そうだ、よければ君たちの操る属性を教えてもらえないか?」
戦力バランスを把握しておきたいということだろう。
「火や」
「風だよ」
「黒です」
「なるほど……、黒の使い手とは珍しいね。マリアンヌくんは水と地の二色使いだからバランスは悪くないな。ああ、そうだ」
ケイオス班長は何か思いついたように顔を上げると、後ろを振り返って声を上げる。
「リィロ! ちょっと来てくれ」
「はい!」
彼の呼びかけに反応して、こちらへやってきたのは金髪で眼鏡をかけたちょっと気の弱そうな女性術士だった。
「彼女はリィロ。響波導が使える。君たちの中に響術士はいないようだし、彼女が一緒の方が戦い易いはずだ」
「そいつァ助かるぜ」
「リィロ、君にはマリアンヌくんと一緒に彼らとこの地区を守ってほしい」
「は、はいっ。了解です!」
ケイオスが班員を連れて移動していくのを見送ると、リィロは俺たちに向き直る。
「リィロ・エンヴィアです。みなさん、よろしくお願いします……」
「こ、こちらこそ」
リィロは緊張しているのか、どうにも様子がおかしい。彼女は二十歳ぐらいに見え、おそらくこの中で一番の年長者なのだがやたらと畏まっているようだ。
「リィロ先輩、大丈夫ですか?」
「う、うん……、大丈夫」
「モンスターと戦うの、怖いですよね。でも、みんなで力を合わせればきっと大丈夫ですから」
マリアンヌがリィロを元気づけている。どっちが年上なのかわからなくなるな……。
「怖いのもあるけど、私はみなさんに迷惑をかけてしまうかもしれないから……」
「なんでや?」
「私、響波導しか使えませんので……」
「ああ、そういうことか」
顔色の優れないリィロの前にリッカが立つ。
「リィロさんの力は戦いでもとても役立つはずです。そんなに申し訳なさそうにしないでください。足りない部分はみんなで補い合えばいいんです。ですよね、ナトリくん」
「うん。リッカの言う通りだ。一人では駄目でも、力を合わせることで強敵にだって対抗できる」
それぞれの役割をこなしてモンスターを討伐するのは狩人の基本だ。
「リィロならモンスターの場所と数がわかるんでしょ? すごいと思うよ」
「みんな、ありがとう……。そうだよね、弱気になってる場合じゃない。街を守らなきゃ」
「みんなで戦うって、なんか狩人のユニットみたいだよね」
「せやなァ。ユニット名でも決めとくか?」
「いいですね。ナトリさん、どんなのがいいと思います?」
ユニット名かぁ。フウカやリッカと討伐に出かけた時にはアルテミスの名を使ったけど、さすがにそれを使い回すのも気が引ける。新たに考えるべきだろう。
気合いの入る、できるだけ強そうなのがいい。
「『ジェネシス』っていうのはどうだ?」
「ナトリにしてはまともよりなユニット名やな。ええやん」
「頑張ってね、リーダー!」
「え、俺がやんの?」
「ったりめえや。お前が名前つけたんやぞ」
「私もいいと思います」
「ナトリさんならきっと大丈夫」
全くこいつらは、なんでこんなに俺のことを信頼してくれるんだ。だったら俺も、精一杯その期待に応えないとな。
「……わかったよ。みんな、これから始まる戦いはとんでもなく過酷だ。リーダーとして命令する、たとえ街を守ることができなかったとしても、命だけは失くさないでくれ」
俺の言葉に、集まった面々は真剣な表情で頷いた。
§
ついに広大な運河の水平線を覆い尽くすモンスターの大群が現れた。奴らは確実にこの街へと迫りつつあった。
「来ましたね」
「ああ」
「ん、あれ、もしかしてガルガンティア様?」
フウカの指差す先には河上に浮かびながら移動する小さな影が見える。
「ガルガンティア会長は最前線で戦うと聞いてます」
「ガルガンティア様一人で大丈夫なのかな……」
「あの方のことだから、下手に誰かが側にいるよりは一人の方がいいでしょうね」
モンスター共はもうかなり街へと接近し、個々の姿を視認できるようになっている。そのほとんどが水棲のモンスターだ。シーラやシーラス、シレーヌに、ダイル、魚竜種のガリアスと、実にバリエーション豊かな面々だ。
怒濤の如く街に近づく群れを前に、ガルガンティアは氷の足場を空中で停止させると、その手に持つ大錫杖を掲げた。杖が強烈な白い輝きを放つと、彼の真下の河面が白く凝固していく。
氷の波導は波紋のように急速に川面へと広がり、トレト河を一気に凍らせていく。凍てつく波導はモンスターの大群にぶち当たると、氷の彫像のようにまるごと奴らを凍てつかせながら、尚も群れを飲み込んでいく。
気がついた時には、見える範囲の河面は真っ白に凍り付き、ここが川の上だとはとても思えない光景が生み出されていた。
「…………」
「景色が、変わっちゃいましたね……」
「さすがじいさんや。並の術士ならこれだけで煉気が枯渇してぶっ倒れてるだろうぜ」
「ん、あれは……」
河の北方で、何やら白い噴煙が巻き起こっている。それは次第にガルガンティアの方へと近づいていった。どうやら会長の竜がモンスターを凍らせながら飛び回っているらしい。
「大暴れだね」
「ですね」
ガルガンティアと彼のペット、白寂嶺は二手に別れ、河上を白い氷の世界へ変貌させながら飛び回っている。
「殲滅力が高すぎてなかなかこっちまでモンスターが来ないな」
「そうもいってられんぜ」
ちらほらと、氷の嵐をすり抜けて街へ迫るモンスターの姿が氷河の上に現れ始める。なにせむこうは数で押してきているからな。俺達や、水没地区の端で待ち受ける狩人や術士たちもそれぞれ身構え、戦闘態勢を取った。
「行こうかみんな。これだけの戦力が揃ってるんだ。必ずやれるさ」
§
『ソード・オブ・リベリオン』
水没地区を駆けながら光の剣を振るう。すれ違いざまにシェルフィーの硬い甲殻に刀身を叩き込み、三体を同時に斬り伏せる。
「!」
廃墟の影から更に二体のシレーヌが飛び出し、鋭い槍を構えてこちらへ向かってくる。
リベリオンをアンチレイに切り換えようとした時、二体のモンスターは炎に包まれて炎上した。そのまま真っ黒に炭化し、崩れ落ちる。
振り返ると、いまだ形を留める風車塔の廃墟の屋根に杖を掲げるクレイルの姿が見えた。
「助かった、クレイル!」
クレイルは高所に陣取り、一帯に侵入したモンスターを遠距離から排除するつもりのようだ。先程から度々飛んでくる援護射撃が非常にありがたい。
「ナトリさん、前を!」
マリアンヌが前方を指差すと、氷河に出来た亀裂から大量のウルルンが湧き出していた。一体一体は大した驚異じゃないがこいつらは数で押しつぶしてくる。
「天翔ける猛き獣、遥かなる星霜の果てより来たりて周く衆人の首を垂らしめよ――、『黒角の牡牛』」
リッカの波導により、周囲のウルルンは全て見えない力に押し潰され破裂した。
「受け止めて、『泡石』」
周囲に黄色い泡が生み出され、浮遊する。忍び寄るウーパスの吐きつける酸液が浮かぶ泡に当たった。泡石は酸を泡の中に取り込むと、そのまま凝固して地面に落ち、土くれとなった。
俺も以前はウーパスにはかなり苦労させられたけど、酸に対する盾としてこれ以上のものはなかなか無いな。
「あれは……」
「早速レベル3のお出ましか」
氷河の上を四足で這うように街へ近づいてくるのは、体の大きな魚竜ガリアスだ。
戦った事はないが、レベル3の中でも特に危険とされる種族だ。
「フウカ、 街に近づかれる前にアイツをやるぞ」
「うんっ、分かった!」
風の波導でまとめてウーパスを薙ぎ払ったフウカがこっちに飛んでくる。彼女が伸ばす手を掴み、手を引かれたまま水没地区を飛び出す。
「ガリアスはあの長い首から強烈な水流波を撃ち出してくるらしい。当たれば怪我じゃ済まない。大丈夫?」
「だったら、攻撃に当たらないくらい速く動けば良いんだよね?」
「まあ、そういうことだね」
「だったら……! えーっと、『颯』!」
「うおっ!」
術の発動と共にフウカの周囲を流れる風が勢いを増し、飛ぶ速度が一段回上がる。ガリアスは飛んでくる俺達を視認し、鋭い眼光をこちらに向け威嚇するように咆哮した。首の先についた鋭角な印象の顎を大きく開く。水流波の合図だ。
「……来る!」
開かれた口から水流波が迸る。フウカは空中で身を躱すように方向転換すると、ガリアスを回り込んで、氷河を叩き割る威力の水ブレスから逃れようとする。
「わわっ、思ってたより速い!」
「あの長い首は自由自在だ。離れるのはまずい、突っ込んでくれ!」
「うん!」
この水流波は半端な波導じゃ防げないだろう。ぴったり俺達を追尾するように水平に薙ぎ払われるブレスに対し、フウカは空いた手のひらを下に向けて風の波導を放つ。
「はあっ!」
薙ぎ払われた水流波を飛び越えるように俺たちの体が跳ねる。フウカはそこから体を回転させ、捻りを加えるように空を蹴って、ガリアス本体に突っ込む。
振り戻しの水ブレスを、体の回転によって生まれる気流を利用し自身の飛ぶ軌道をずらすことで、すれすれで避けていく。俺たちはついにその長く厄介な首に肉薄した。
「叛逆の剣、『ソード・オブ・リベリオン』!」
リベリオンを振り抜き、鱗に覆われた太い首を撥ね飛ばす。ガリアスの首は憤怒の形相を刻んだまま氷河に転がっていった。
「やったね!」
「…………」
「ってナトリ、大丈夫?!」
「みんなのところに戻ろう。その前に……、ごめんフウカ、ちょっと治癒頼める……? うぷっ」
フウカのとんでもない空中機動に振り回され、景色が回って見える。こればっかりは慣れないな。
◇
杖を地面に突き立て、モンスターの気配を探っていると少し離れた場所で街に接近しつつある二つの気配を捉えた。
「マリアンヌちゃん、リッカちゃん、あの廃墟の向こうにモンスター二体!」
二人の少女と共に気配の発信源へと向う。
「リィロ先輩、他にモンスターは?」
「大丈夫、今はこの先にいる二体だけ」
率先して現場へ向うマリアンヌちゃんの背中はやたらと勇ましい。マリアンヌちゃんとはケイオス班長の元で協会の任務を共にすることもあった。私の記憶にある彼女は、もっとクールで感情の起伏に乏しい子だったように思う。
臨時の作戦班、いや、彼らの作法に則るならユニットといった方がふさわしいか。ジェネシスという大仰な名を冠する彼らの戦いぶりは、圧巻という他ない。
マリアンヌちゃんはいつのまに会得したのか、見たことも無い黄色い泡の術を操り、押し寄せるモンスターの攻撃に変幻自在に対応してみせる。
高所からモンスターを撃ち抜き、その数を確実に減らしてくれているストルキオの彼。波導の威力を抑え煉気を節約しているようだが、火球に回転をかける独自の工夫で通常の術以上の威力と速度、そして正確なコントロールを実現している。若くしてかなりの実力を持つ戦い慣れた術士であることは間違いない。
私の前を走るふわふわした可愛い女の子のリッカちゃんは、その使い手少なく術の伝承もままならないという黒波導を相当なレベルで使いこなすようだ。ろくな文献も残っていない黒波導をセンスだけであそこまで操れるなど、相当な波導力の持ち主でなければ成し得ないはず。
あの橙色の変わった容姿をした美少女も、可憐な見た目に似合わない凄まじい飛力と、ほとんど無詠唱でありながら相当な威力を有する風の波導を操る才覚を持っている。人一人運びながらあそこまで縦横無尽に飛びまわれる人を初めて見た。
そしてあの男の子、ナトリ君。彼らの中にあって唯一術士でもなく、一見地味で頼りなげにも見える彼は、もっとも異彩を放つ戦い方をする戦士だ。ジェネシスの面々はリーダーを務める彼に絶大な信頼を寄せているらしい。あのマリアンヌちゃんでさえも彼を信頼しきっているように見えるのだ。
彼が振るう光の剣は波導の剣とは全く違う。けれど、フウカちゃんとの連携であの凶悪なレベル3モンスターをたったの一太刀で切り伏せてしまうほどの威力を持つ。
皆、強敵相手に全く引けをとらない強さ。さすがに迷宮の登頂者だけのことはあるわね。
「この面子、凄すぎる……?!」
「どうしました? リィロさん」
「あ、いやちょっと自信を失くしかけちゃって」
それに比べ、私のこの体たらく。元々非戦闘員の術士であるとはいえ、まともにモンスターを攻撃できる波導の一つも使えない。せいぜい彼らの足を引きずらないようにしなければ。
「そんな風に思わないでください。リィロさんの響波があるからモンスターを討ち漏らさずに戦えてるんですよ」
リッカちゃんが優しくフォローを入れてくれる。
「さすがリィロ先輩です。氷河の下に潜むモンスターの位置もわかるなんて」
「あ、あはは。探知だけは自信あるからね。対処はみんなに任せっきりになっちゃうけど、お願いね……!」
大暴走なんて聞いたときは正直逃げ出したかったけど、私だってガルガンティア協会の端くれだ。協会最年少のマリアンヌちゃんだって逃げずに戦おうとしてる。
それにこんなにすごい子達が一緒なんだ、絶対に、この大暴走を乗り切って街を守りたい。
私は杖を握りしめ、常時展開している響波の感覚を強めた。




