第210話 プリヴェーラ防衛戦
「相も変わらず加減というものを知らん」
ガルガンティアは半裸の少女の前まで来ると『影紡のバルタザレア』を見上げて言った。
「……あんたもでしょ。それにまだ誰も殺してない」
「昔話に花を咲かせるのもよいが、まずは影を退かしてくれんか」
「わたしを侮辱したヤツが名乗り出たら解いてやる」
「大多数はとばっちりではないか」
「連帯責任でしょ」
少女は己の暴論を取り下げるつもりは欠片もないようだ。ロビーにいる者達は、影に動きを封じられながら二人のやり取りを固唾を飲んで見守った。
「久方ぶりに姿を現したと思えば、以前に増して人嫌いが極まっておるとは」
「フン」
「引くつもりがないのであれば————、最早力づくで止めるしかないのう」
その瞬間、ガルガンティアから強烈な圧が迸った。加護のない俺でも感じる、目に見えそうなほどに濃く凝縮された煉気がその小さな体から立ち昇るのがわかった。それに伴い、彼の立つ場所を中心に床が凍てつき始める。ロビーの気温はさらに一段階下がった。
「いいじゃないか。ここであの時の借り返してやるよ。今度こそ叩きのめす」
バルタザレアの体からもおぞましい気配が溢れ出し、一層周囲の影が濃く深くなっていく。部屋はさらに暗くなった。火花を散らす両者の圧を間近で浴び、俺の全身から冷たい汗が噴き出す。
ここにいたくない。こんな場所に立ったままこの二人が戦い始めたら、その余波に巻き込まれてあっさりと死ねる気がする。頼む、誰か、助けてくれ。
「怒りで周りが見えなくなるのも変わっとらん。それに、もうええ歳なんじゃから服ぐらい着させてやらんか」
「おい」
少女はガルガンティアの言葉を鬼のような形相で遮った。
「なんじゃ? そもそも婆のくせに若——」
「やめろ」
「バ——」
「こら!!」
少女が放っていた危険なオーラが一瞬で霧散する。同時に体中に絡み付いてた影も解けるように消失した。少女が武装解除したことで、ガルガンティアも冷気の気配を収める。ようやくいつもと変わらない陽の差し込む明るいロビーが戻ってきた。
「ところでガルちゃ——、うおっほん! ……銀嶺も呼ばれたのか」
「奥で話を聞いとったんじゃ。お主が暴れだしたせいで中断したがの。ほれ、付いて来い」
ガルガンティアの後に続くようにして、バルタザレアはバベルの奥の間へ歩いていく。お偉方が集まって作戦会議でもしていたんだろうか。
彼女は奥へ続く廊下の入り口でぴたりと止まると、半身だけロビーの方へ振り向き言った。
「次に言ったら、その場で全員殺す」
憎しみの籠った鋭い眼力に、その場にいた全員の呼吸が止まった。少女はそれだけ言うとガルガンティアの後を追ってロビーから消えた。
思わず尻餅をつき、その場に座り込んだ。彼女が去ったというのに、部屋の中には妙な静けさが残された。振り向くとフウカとリッカも床に座り込んでいた。
「し、死ぬかと思った」
「うん……」
「生きた心地、しませんでしたね……」
「み、みなさん大丈夫ですか」
受付カウンターを見上げると、台に縋り付くようにしてトレイシーの上半身が現れる。
「トレイシーさんこそ」
「私はちょっと腰が抜けちゃって……。椅子で失礼します」
「ガルガンティア様もだけど、あの影を操ってた女の子、すごく怖かった……」
「あの方が東部三大賢者の一角、『影紡』ことアンナ・バルタザレア様ですよ」
椅子に腰掛けたトレイシーがズレた瓶底メガネをぐいと元に戻して言う。
「普通の術士とは桁違いの波導力でしたね」
「アレが、東部最強と東部最凶の術師……か」
「まさか、本物に会えるなんて思いませんでした」
「リッカはあの人のこと知ってるの?」
「うん。マグノリア公国から出た後、私も黒波導についてもっと学びたいと思ってね。黒波導について書かれた本をちょっと探したの。全然見つからなかったけど……」
「黒波導は使い手も希少だと聞いてますし、使いこなせる者はもっと少ないみたいですから。専門書なんて幻の一品ですよ、きっと」
トレイシーがしきりに頷きながら補足する。
「一応数少ない専門の波導書が出回ってはいるとは聞いてて。その一つがバルタザレア様が著した書みたいなんです。機会があれば読んでみたいと思うんですが……」
「おそらくとんでもない値がついてるでしょうね。数が少ない希少な波導書は100ドーラ以上の値で取引されるものがザラですから」
「ひゃく……!!」
フウカが目を丸くする。
「やっぱすごい人なんだなぁ、あの人も」
専門書を書いたということは、アイン・ソピアル以外にも黒波導についての相当な技量と知識を持っているはずだ。リッカの黒波導は使い手が少ない故に学ぶ機会も限られる。弟子とかとってないんだろうか。あの人に師事するのはちょっと怖いけどな。
「とにかく、三大賢者は今回の防衛作戦の要ですから。そう思えば頼もしいでしょう?」
「たしかに……」
イストミルで最も頼りになる術師達がこの地に集結するのだ。そう思えば、大暴走だってなんとかなるような気がして来る。
「今回の作戦では、三大賢者の方々にそれぞれ上流側、街の三方を守っていただきます。そしてガルガンティア協会を中心に、プリヴェーラに拠点を置く術士協会の戦力がバランスよく配置される予定です」
主戦場は街の周囲に広がる水没地区で、街との境界線が最終防衛線として設定されるそうだ。
「もし、戦線が街まで後退した場合どうなるのでしょうか?」
「その場合は……戦線を放棄、各自己の身の安全を最優先せよ、との通達です」
「そうですか……」
「街の周囲を守るだけで大丈夫なの? ここって河の上に浮いてるんだよね?」
「それは多分大丈夫だ。街の地下には水路があるから」
「ええ、有事の際は全ての水門が閉じられることになりますからね」
街の地下に網の目のように張り巡らされるプリヴェーラ地下水路。あれが防壁として機能し直下からのモンスターの進行を防いでくれるはずだ。
三大賢者、術士協会、後はバベルの呼びかけによって東部三大賢者のネームバリューに釣られおこぼれに与ろうと大陸各地から集まってきた狩人達。トレイシーによれば僅かではあるが東部軍の支援も間に合うそうだ。
これらの戦力でもって街の四方から押し寄せるモンスターを食い止める。過去最大級の大規模討伐となる。
「大体の状況は分かったと思います。ところで、ガルガンティア協会はどこに配置されるんです?」
「ガルガンティア協会ですか? 彼らはガルガンティア様と共に、最も危険とされる方角である街の東側ですね」
「俺たちもそっちで戦います。知り合いと約束してるので」
「なるほど、わかりました。……みなさん」
トレイシーは椅子から立ち上がり、姿勢を正して俺たちを見つめた。
「以前のプリヴェーラ地下水路での大規模討伐要請では、私の思慮が足りずランドウォーカー様には大変なご迷惑をかけてしまいました」
「あれはトレイシーさんのせいじゃありませんよ。……俺の判断が甘かったんです。目先の利益に目が眩んでいたんだ」
「今回の防衛戦は、最早あの時とは比較にならない危険度です。街に残ることを選んだ時点で、命の保証はないでしょう……」
そう言って彼女は少し俯いた。その肩が少し震えているのに気がつく。彼女はバベルの職員だけど、モンスターと戦えるわけじゃない。そりゃあ怖いだろう。
「本音を言えば……今すぐ逃げ出したいです。それでも、私はこの街を守らなければいけない」
「命を賭けても、ですか」
「はい、そうです」
彼女は迷うこと無く頷いた。
「お願いします。どうかプリヴェーラを守るため、みなさんの力を貸してください。そして……決して死なないでください」
「マリアンヌも、トレイシーも、絶対傷つけさせたりしないよ」
「私たち、こう見えて結構強いんです。モンスターを街に近づけさせたりしませんから」
全く、頼もしい二人だ。
「俺は狩人ですから。モンスター共を倒しまくるのが仕事だ。任せてくださいよ」
「はい……!」
俺たちは戦いに備えるため、バベルを後にした。




