第208話 水の都への帰還
時は戻らない。
規則正しく時を刻む時計の針は、既に決定された終末へと突き進む。
約束された滅びに向かって収束していく因果の環。永続のための犠牲は降り積もる。
何度となく繰り返されようとも俺は足掻き、抗う事を止めないだろう。
たとえそれが——、スカイリアの意思だとしても。
いつかその先に、確かな未来が存在すると……そう信じて。
♢♢♢
「おかえりなさいませ、マリアンヌ様」
俺たちの前で腰を折るのは由緒正しき装いの使用人。
彼女はここ、水の都プリヴェーラの南区に建つ、コールヘイゲンの屋敷に仕えるメイドだ。
俺、フウカ、クレイル、リッカの四人は、マリアンヌと共にエイヴス王国からイストミルのプリヴェーラの都へ戻り、流れでそのまま彼女の屋敷に招かれることになった。晩ご飯を御馳走してくれるという。
天井の高い廊下を歩き、客間へと入る。
さすがは貴族の館だ。建物の造形や随所に置かれた彫刻などの装飾品はとても金がかかっているように見える。
「適当に寛いでください」
「ええとこ住んどるなぁ」
「なんか、すごく広く感じるね」
俺たちは荷物を置いて、部屋の中央に置かれた上品なテーブルを囲むふかふかした長椅子にそれぞれ腰を下ろし、列車に揺られて硬くなった体をほぐすように力を抜いた。
軽く雑談を交わしていると扉が開き、先ほどの使用人の女性がお茶とお菓子をテーブルへ人数分置いて戻っていった。
「貴族の生活って、ちょっと憧れますね」
「リッカ、お前も元々公女やろ」
「あはは……、私のいたお城は意外と庶民派だったみたいです」
「庶民派の、城……?」
雑談に興じていると再び扉が開き、今度は銀髪に薄青の瞳をした見慣れた人物が顔をのぞかせた。
「エレナお姉さま!」
「おかえりなさい、マリア。それにみんなも久しぶり」
マリアンヌの姉、エレナ・コールヘイゲンは俺たちを見ると嬉しそうに頬をほころばせる。
彼女とは翠樹の迷宮攻略後にシスティコオラで別れて以来だ。マリアンヌは早速エレナの傍に寄っていき、王都での役目の報告を始めた。
以前見た時よりも、二人はさらに仲の良い姉妹になっているようだ。
エレナに初対面となるリッカを紹介し、話は自然とエイヴス王国で起きた事件のことになる。
「厄災の襲来については、もうイストミルにも伝わっているわ。大変だったそうね」
「ま、ナトリとフウカちゃんのおかげで今度こそあのバケモンを消し去れたがな」
エレナの元に届いた噂は、実態とは少々異なる部分も多かった。
「そうだったの。あなた達は……本当にすごいわ。なにしろスカイフォールの危機を救ったんだもの」
エレナは俺たちを見ながらしみじみと言う。
「手柄はほとんど王宮神官サマに横取りされちまったがな」
「私はみんなを守れただけで嬉しいよ」
「そうだな。祭り上げられたくてやったわけじゃないし」
「謙虚よなァ、お前らは」
マリアンヌが思い出したようにエレナに問いかける。
「そう言えばお姉さま。駅前が何やら騒がしくて、列車に乗る人も多かったようなのですが、何かあったのでしょうか?」
「あなたたちはまだ知らないのね。実は……、プリヴェーラの街にモンスターの大群が迫っているそうなの」
柔らかい表情を一転させ、エレナは真剣な面持ちでそう告げた。
「え?!」
「モンスターの大群……、まさかとは思うが大暴走か?」
「おそらくは」
今より一週間ほど前、街の筆頭星詠みである術師カルラによって凶兆が見出されたらしい。
そして数日前。この街よりトレト河上流の、川岸に位置する村シュトロームが、大暴走に飲み込まれ壊滅したという伝令が街にもたらされた。
大暴走はトレト河に棲息する水棲のモンスターを中心に勢いを増し、下流であるここプリヴェーラに向かって尚も進行中だそうだ。
大暴走は稀に見られるモンスターの異常行動だ。奴らは基本的に自らの生態に適した土地のみを活動範囲とする。だが、稀にそのタガが外れ、群れとなって大移動を開始することがある。
運悪くもプリヴェーラの都はその大暴走の進路上に位置してしまっているようだ。
「それで街の様子がおかしかったんだ。みんな街から逃げ出そうとしてるのかな」
「そうよ。あなた達も早く街から出た方がいい」
「じゃあ、屋敷のみんなで早く準備を……っ!」
エレナは済んだ薄青の瞳でまっすぐにマリアンヌのことを見つめた。
「マリア、私は街に残るわ」
「……え。何故ですお姉さま! みんなで一緒にっ」
「ガルガンティア協会は、プリヴェーラを守る方針を決定したわ。だから私は最後まで街に残って戦います」
「おいおい、正気なんか?」
過去、大暴走を凌ぎきることができた事例はほとんどないと聞いたことがある。
「お姉さま、私も——」
「駄目よ。あなたはまだ若い。それに、マリアには生きていてほしい」
「いやですっ! 私だってガルガンティア協会の一員です! 街のために戦います!」
「私の言うことが聞けないの、マリア」
エレナは静かに、だが深い覚悟を秘めた瞳でじっとマリアンヌを見つめた。彼女の心は決して変わらない。そんな気概を感じる瞳だった。
そんなエレナの視線に耐えきれず、マリアンヌは項垂れ、体を震わせる。こんな時に、彼女が憧れ尊敬する姉としての言葉を使うのは少し卑怯だ。
「俺がマリアを守ります。だからこの子も討伐に参加させてあげてくれませんか」
立ち上がり、マリアンヌの肩に手を置いてエレナに声をかける。
「それは、でも、あなた達には……」
「俺だってこの街が好きなんです。俺の好きな人たちが暮らす街をモンスター共の好きになんてさせたくない」
「ナトリならそう言うと思ってた。キミが戦うなら、もちろん私も一緒に戦うよ」
「フウカ」
「マリアンヌちゃんが残って戦うって言うのに、私だけ逃げるわけにはいきませんよね。私も戦いますよ」
「リッカさん……」
フウカに続きリッカも戦う意志を表明する。全く二人ともお人好しだな。気持ちはわかるけど。
「この街自体にさして愛着はねーが……、ちびすけ。お前の妙に無鉄砲で、己の気持ちに正直なとこは嫌いやない。俺も手伝ったるわ」
椅子の背もたれに身を任せて頭の後ろで手を組むクレイルがぶっきらぼうに言い放つ。
「……クレイルさん」
「あはっ、クレイルもマリアンヌちゃんのこと心配なんでしょ?」
「……ちゃうわい。俺が一抜けてコイツが死にでもしたら寝覚め悪くてしょーがない。そんだけや」
「ふふ、素直じゃないですよね」
頼もしいことを言ってくれる仲間達を見回して、再びエレナに向き直る。
「俺たちがマリアと一緒に戦いますよ。クレイルもリッカも術士としてはかなりの使い手だし、フウカの治癒波導もある」
「あなたたち……。でも、街に迫ってるのは大暴走なのよ?」
「わざわざ大暴走に立ち向かうなんて、普通は愚行や。やるからには勝算、あんのやろ?」
「それは……、そうだけれど」
戸惑う様子を見せるエレナを安心させるように言う。
「マリアは優秀です。ベテランの術士にだってきっと引けをとらない。むしろ、エレナさんのことを守ってくれるはずです」
エレナははっとしたように顔を上げ、俺とマリアンヌの顔を交互に見た。そして半ば諦め、半ば得心したように表情を引き締めた。
「……そうね。そうだった。いつまでも庇護すべき可愛い妹じゃない。あなたももう、一人前なのよね」
「はい、お姉さま。マリアンヌは、プリヴェーラを、家族と仲間を守るため戦い抜くつもりです!」
エレナと良く似た薄青の大きな瞳が、強い意志の光を宿して輝いていた。
§
夕食の準備が整い、俺たちは長い食卓に付きプリヴェーラ名物の魚料理を御馳走になった。エレナも交え、とても賑やかな晩餐となった。
食事を終えて再び客間へ戻った俺たちは、各々に寛いで食後の腹を落ち着かせた。満ち足りた気分で隣の椅子に腰掛けたマリアンヌと言葉を交わす。
「ナトリさん、さっきはありがとうございました。お姉さまを説得してくれて」
「余計なお世話だった?」
「いいえ、……嬉しかったです」
「私、迷宮を出てからずっと考えてました。どうして私にアイン・ソピアルが芽生えたのかって」
「うん」
「アイン・ソピアルは特別な波導です。限られたごく一部の術士にしか発現しない。偉大な術師、例えばガルガンティア様のような」
確かに、王宮神官のような位が高く実力もある術師ですら全員が習得しているわけじゃないみたいだし。
「そんな人達と比べれば……、私なんて。泡石の力もまだ全然引き出せていないし」
「もしかして、アイン・ソピアルに覚醒したことを他の人には話してないのか?」
マリアンヌはこっくりと頷いた。
「お姉さま以外はまだ知りません」
そのことが世間に広まればマリアンヌは一躍注目されるだろう。なにせ十代の修得者だ。
「この力は、きっと、何か大切なことを為すために、足りない私の力を補うために生まれたものなんじゃないのかなって」
「大切なことか……。今がそれだと?」
「はい。だから戦うんです。この力を正しいことに、使うべき場所で、使うために」
「そっか……。そうすれば、きっとマリアの力もその気持ちに応えてくれるかもしれないな。辛い戦いになるかもしれないけど、頑張ろうな」
「はいっ!」
普段やけに大人びている少女は、そのときだけは年相応に、希望に満ちた笑顔で力強く頷いてみせた。




