第207話 ここから君と
「会いたかったー! ナトリ!」
「これっ、夢じゃ、ないよな……」
空から降ってきたフウカの頬を摘んでぐにぐにと動かしてみる。
「ちょっと、にゃにするの?」
「は、はは……、本物だ」
「ちゃんと私だよ。帰って来たよ、ナトリ」
「!」
まっすぐに俺の目を見つめてそう言うフウカの笑顔を見て、胸の奥から何か熱いものが込み上げて来る。
思わず顔を俯けた。
「どうしたの? 気分悪い? 治す?」
不安げにそう聞くフウカが可笑しくて、滲みかけた涙が引っ込んだ。
「大丈夫。……それよりどうしてここに?」
「私、王宮の外に出てもいいことになったんだ。だからまたナトリ達といられるの!」
「それ、本当なのか……!?」
嬉しそうなフウカの言葉に耳を疑った。
そんなことがあるんだろうか。本当にいいのか? 一緒にいても……。
「フウカ様には王宮議会の決定により、王宮神官として厄災と迷宮調査の命が下された」
フウカの肩ごしに、こちらへやってくるレイトローズ王子の姿が見えた。
「王子様……。フウカが、厄災の調査を?」
「そうだ。スカイフォールが存亡の危機に瀕している可能は兼ねてより議論されてきた。今度の出来事、そしてシスティコオラ迷宮調査隊員の報告から、厄災の脅威が現実のものとなったことが確定したからだ」
そんなの、あのレヴィアタンの威容を目にすれば誰だって一目瞭然だ。
「迷宮調査は各国が独自に行っており、その情報は秘匿されている」
「フウカを諜報員にして送り込もうっていうのか?」
レイトローズは微かに目を伏せながら語る。
「おそらく……調査とは名目に過ぎない。あの騒動によってフウカ様が王宮に齎した被害は少なくない」
フウカが暴走した際に王宮にも被害が出てしまっていた。
危険を伴う無茶苦茶な命令。左遷……みたいなもんだろうか。そうでもしないと貴族連中の批判を免れないということか。
なんてことだ。彼女こそ厄災から王宮を救った英雄だというのに……、あまりに酷い処遇じゃないか。
王宮議会の決定で、表向きには厄災を倒したのは王冠のエルヘイムと神官ルクスフェルトの働きということになったそうだ。
王宮にとって都合のいい解釈だ。
「事実上王宮を追放され、フウカ様はある意味自由の身となった」
「…………」
「私はまたナトリといられるなら何だっていい」
当の本人はどこまでも前向きだった。
「ナトリ・ランドウォーカー。フウカ様についていてくれないか」
「俺でいいのか?」
「どの道厄災と戦う運命にあるのだろう。ならばフウカ様と歩む道は同じ。彼女を任せられるのは、君をおいて他にいないのだろう。……私はそう思う」
レイトローズの目には、以前のように俺を見下すような気配はなかった。
随分と評価が上がったみたいだ。王子殿下にも少しは信頼していただけるようになったのだろうか。
「きっと危険なことだらけだ。命の保証はない……」
「そんなことわかってる。今までだって、ずっとそうだったじゃない。それでも私はナトリと一緒がいい。ね、いいでしょ?」
フウカは頑なだった。
彼女の力は今後厄災と戦っていく上で非常に助けになる。
それに、そんな打算を抜きにしても俺はまたフウカと一緒に過ごしたかった。フウカがまた隣にいてくれる。こんなに嬉しいことはない。
「それなら、一緒に行こう。おかえり……フウカ」
「うんっ、ただいま。そしてまたよろしくね、ナトリ!」
俺たちはこれからも共に歩んでいこう。フウカの可憐な笑顔に頬を緩ませ、そして決意を新たにする。
レイトローズが少し困ったような、微妙な表情で言う。
「先日はすまなかった。王宮では慌ただしくて話どころではなかっただろう。私は向こうで待っている。ここでゆっくりしていくといい」
彼はそう言い、くるりと背を向けて歩いて行った。気を利かせてくれるようだ。
王子の背を見送りながらフウカが口を開く。
「あはっ、レイトローズってちょっと頑固だけど、すごく優しいんだよ」
「なんとなく、わかるよ」
それから俺たちは緑広がるなだらかな丘に腰を下ろして、青い空の下会えなかった間のことを互いに話す。
話したいことはたくさんあった。でもこれからは、いつでも話せる。
「ナトリが胸を貫かれた後、そんなことがあったんだ」
「ああ。死後の世界セフィロトに、神リーシャ・ソライドとの約束」
「本気なんだよね?」
「正直覚悟なんて全然できてない……、けどフウカが戻って来てくれて、君の顔を見たら、やっぱりこの世界を守りたいと思った」
スカイフォールを守ること。それはフウカの笑顔を守ることだ。
「俺は神との約束を果たしたい」
眼下に並ぶ五番街の街並を見下ろしながら呟く。
「できるよ、私とキミが一緒なら」
嫉妬の厄災レヴィアタンを倒し、俺たちは生き残った。
「そうだな、きっとできる」
俺たちが生き残る道は、まだあるはずだ。
「フウカ、一つ言わなきゃいけないことがある」
「何?」
フウカは怒るだろうな。でも言わなくては。たとえ嫌われるとしても嘘をつくことはできない。騙すようなこともしたくない。
「俺はフウカのことが好きだ」
「私もナトリのこと好きだよ」
「ありがとう」
こんな綺麗な子に好きと言われて嬉しくないわけがない。
「俺はリッカのことも好きなんだ」
「あー、やっぱりね」
「え?」
「なんとなくわかってたもん」
隣のフウカは相変わらず微笑んだまま、声の調子もいつも通りだ。
「怒らないの?」
「どうして? 誰かを好きって気持ちは当たり前のことじゃない」
少し意外な答えだった。
「リッカもナトリのこと、すごく好きだよね」
「そう、なのかな」
「見てればわかるよ。私だって同じだから」
「それで……、俺としては、やっぱり好きな子とは恋人同士になりたいと思ってる」
「恋人!」
フウカは何故か目を輝かせている。この流れでその反応は、ちょっとおかしくないか。
「でも、二人同時に付き合ったりすることはできないよ。それはやっぱり不誠実だと思うからさ」
「だめなの?」
「え?」
彼女はきょとんとした顔で俺を見る。そんな反応されるとこっちが困る。
「だ、だめだって。フウカもそんなの嫌だろ」
「私はお互い好き合ってるなら付き合っていいって思うけどなぁ」
「…………」
確かに、大貴族や富豪は多数の妻を娶ったりすることがあると聞くが……。
俺は生憎そんなでかい器と甲斐性を持ち合わせちゃいない。ただの小市民だ。
「……優柔不断だって思うかもしれないけど、今はこのままの関係でいたい」
「ナトリがそう言うなら私はいいよ」
情けないことこの上ないが、俺はまだどちらかだけを愛すると決めることはできそうにない。
そうやって結論を先延ばしにすることで、愛想を尽かされてしまうかもしれない。情けない奴と逆に彼女達に見限られるかもしれない。
でもこれが、今の精一杯の俺なりの答えだった。
「だからフウカ、もし俺以外の誰かを好きになったら……」
「私が好きな男の子はナトリだよ」
フウカは俺の目を見ながらどこまでも素直な言葉を投げかける。
その飾らないシンプルな言葉はあまりにまっすぐで、俺の胸に突き刺さる。
「私ちゃんと待ってる。ナトリの答えが決まるまで」
「ごめん。……ありがとう」
フウカはなんの含みもない笑顔で無邪気に笑う。フウカの薄紅の瞳は俺だけを見ていた。
彼女の素直さが眩しい。俺は多分フウカの、そんなところにも惹かれたんだろう。
待ってる、か。ほんと情けないな。いずれ結論は出す。どちらかを悲しませることになったとしても、俺は……。胸の内でそう誓う。
「そろそろ行こうか、フウカが帰ってきたことを知ったらみんなびっくりするぞ。チェシィもマリアもいるんだ」
「本当? ずっとみんなに会いたかったの!」
俺たちは丘を伝って歩き出す。後ろから追いついてきたフウカが俺の手を取り、握ってくる。
今はこうやって、二人で寄り添い歩いて行こう。
俺たちの歩む先にはきっと、想像もできないような苦難や絶望がひしめいている。
きっと一人では挫けてしまうだろう。それでも。
フウカとリッカが、仲間達が共に歩んでくれるなら、きっと俺はこの先も頑張れる。頑張ってみようと思える。
俺も彼女の手を握り返した。
第一部 紅翼のスカイリア 完
この話で第一部『紅翼のスカイリア』は完結です。より激しい戦いとなる第二部もよろしくお願いします。




