第206話 空の彼方から
「ナトリさん達はこれからどうするんです?」
スプーンを動かしながらマリアンヌが俺に問いかける。
「王宮の騒動も落ち着いて来たし、一度リッカとプリヴェーラへ戻ろうと思ってる」
「そうですか。じゃあ私も一緒に帰りますよ。王宮での用は済みましたし。そういえばクレイルさんは?」
「クレイルは相変わらず王都で情報を集めてるよ。夜になると宿に戻ってくるんだけどな」
クレイルは王宮地下水道で襲いかかって来た謎の女と戦い、なんとか勝利することができた。
クレイルが「紫雷のフュリオス」と呼んだあの赤髪の女は、エンゲルスの一員であったそうだ。
エンゲルスについては俺も耳にしたことがある。スカイフォール最悪の犯罪組織の名だ。
何故そんな奴らが王宮に潜んでいたのか、その目的も結局わからなかったそうだが、どうもエンゲルスという連中はクレイルにとって因縁のある相手らしい。
それもあってかここ最近のクレイルは熱心に奴らの情報を集めているようだった。
同時にクレイルは気になることを言っていた。
フウカはエンゲルスとなんらかの繋がりがある——、と。
さらには時空迷宮マグノリア、六十年前のマグノリア公国に存在していたアガニィもエンゲルスの構成員である可能性が高いと。
実際アガニィもフウカのことを見知っているような言動を取っていた。
エンゲルスの存在は気になるところだが、奴らもルクスフェルトを始めとした王宮神官達に喧嘩を売るほど馬鹿じゃないはずだ。
王宮にいる限り、フウカの安全は保証される……。
「なんだよー、リッカ達もうイストミルに帰るつもりなの? 早すぎ……。折角知り合えたんだしさ、明日くらいは四番街にでも行ってみんなで遊ばない?」
チェシィが口を尖らせて言う。
「ええっと……」
リッカが俺の方を窺うように見る。もしかして俺に遠慮しているんだろうか。
「そうだな。急いで帰らなくちゃいけないってわけじゃないんだ。一日くらい遊んでいったら?」
「本当ですか? 王都の四番街……楽しみです!」
「マリアちゃんも一緒に行こーよ」
「いいんですか? ……でしたら是非ご一緒させていただきたいです」
「いいねいいね。明日は楽しくなりそうじゃん!」
女子三人は明日の予定で盛り上がり、とても楽しそうにはしゃぎ始めた。
甘ったるいシロップがふんだんにかけられたケーキを食べる、あまり進まない手を止めて俺は彼女達を眺めた。
ここ最近ずっとフウカのことで思いつめていたせいか、こういう情景を見ていると心が安らぐ。
隣に座るチェシィの頬に付いていた黒蜜を指で拭う。
「ひゃあぁぁ!」
「そんなに驚かなくてもよくないか」
「だ、だって急だとびっくりするじゃん……もう」
ここにフウカもいたら、もっと楽しいだろうに。そのことだけが残念だった。
ついあの子の事を考えてしまう。
「む? なーんかナトリが遠い目してる」
「仕方ありませんね。フウカさんとはとても仲が良さそうでしたし……」
ぽんっと柔らかい手のひらで肩を叩かれた、振り向くと同情するような表情を浮かべたチェシィと目が合う。
なんだか妙にムカつく顔をしている。
「明日、ナトリくんも一緒に行きますよね?」
「気にすんにゃ。きっと次があるって……。明日はパーッと行こ? もちろんナトリのオゴリだけどさ」
「結局俺頼みかよ……」
もちろんってなんだよ。
お前は俺を励ましているのか追い打ちをかけてるのか、どっちなんだチェシィ。
この中で働いているのは俺とマリアだけだが、自分たちより年下の子の金で遊び歩くなんて酷い光景だ。
財布として俺も随伴させようという魂胆だな。
……でも、チェシィには色々と世話になった。ちゃんと借りは返すべきか。
「ごめんなさい、ナトリくん……。プリヴェーラに帰ったら私も自分の生活費くらいちゃんと稼げるようになりますから」
「はは……、ありがとうリッカ。明日の気遣いは無用だけど、自立については応援したいと思ってる」
「私、頑張りますね」
「リッカさん、でしたらうちのガルガンティア波導術士協会に入りませんか? リッカさんは非常に珍しい黒波導の使い手ですし、きっといい待遇が受けらますよ」
「ええっ? うーん、どうしよう……」
マリアがリッカを術士協会に勧誘し始めた。
そういえば前にフウカもエレナに勧誘されてたな。姉妹揃って仕事熱心なことだ。
この日常の景色も、厄災を倒せていなかったらきっと存在しなかったものだ。
神から託された厄災を倒すと言う使命、それはこういうなんでもない、けれど俺の周囲を取り巻くすべてのものを守る戦いだ。
やれるとこまでやってやる。現にフウカと力を合わせて嫉妬の厄災は倒すことができたんだ。
遥か昔からこの世界に存在してきた危険な存在。あの七英雄ですら倒すことができなかったもの。
それでもなんとかなった。だったら他の厄災だって、きっと。
スカイフォールには、まだリッカの中のアスモデウス以外にも五体の厄災が封印されている。
そうのんびりとはしていられないだろう。プリヴェーラに戻って態勢を整えたら、次の迷宮に向けて旅立つ。
フウカが一緒に来てくれれば……、と考えるがすぐに思い直す。
多分もう、彼女とは会えないだろう。そのことを思うと少しだけ胸の奥が苦しかった。
少しだけもやもやとした気持ちを抱えながらも、気持ちは安らいでいた。
この先どうなるかはわからない。それでも俺は、この日常を守るために戦おう。
それがどれだけ困難な道だとしても……。そう決意した。
§
東部へ戻る日はすぐにやって来た。
みんなでアレイル港へ出かける前、俺は見晴らしのいい、街を見渡せる丘に来ていた。
今日も賑やかな五番街を見下ろしながら今までの出来事を思い返す。
フウカと出会ってから、色々なことがあった。
王都で普通に配達局勤めをしていたら絶対にしないような経験を山ほどした。
大変で、慌ただしく、多くの痛みと苦痛も伴う旅。
挙句の果てに世界を救うなんて無理難題まで抱え込んでしまった。
フウカは俺の、精彩を欠いた灰色の日々を鮮やかな色で満たしてくれた。
それは何物にも代え難い出会いだ。今の俺が俺であるために必要なことだったと思う。
この先俺たちを何が待ち受けているのか、どんなことが起きるのか全くわからない。
それでも俺はフウカに会えて良かったと、そう思う。
俺はもう君がいなくても、きっと自分の進むべき方向を向いて歩いていける……。
彼女に心の中で感謝を告げる。
目を閉じれば思い出せる。弾けるような笑みで頷いてくれるフウカの笑顔を。
その声すらも聞こえるようだ。
おーい……
本当に誰かを呼ぶ声がした気がした。まさかな。
「……おーい!」
「ん?」
本当に声がする。
周囲を見回すが、誰の姿もない。おかしい。でも間違いない、聞き慣れた、透き通るように透明感のある声。
フウカが近くにいる!?
「ナトリーっ!」
「わっ!」
声のした方に顔を向ける。真上だ。
青い空の彼方から落ちてくるように、衣服をはためかせてフウカが降りてくる。
「うおっ……!」
両手を広げて降ってくるフウカをキャッチするように抱き止めた。
不思議な感覚だ。随分高いところから落ちてきたようにみえたのに、とても軽い。
橙色の鮮やかな前髪の下、見慣れた薄紅の瞳がそこにある。フウカは満面の笑みで俺に向かって笑いかけた。
「フウカ……!」
見たかった顔が、会いたかった人がそこにいた。




