第205話 平穏
「ハァーッ!」
「ごはぁっ!」
空中でコマのように体をスピンさせた、チェシィの高速回し蹴りを腹に受けて俺は宙を舞う。
落ちる直前に体勢を立て直し、地面に痕を残しながら着地した。
「にゃはは、これであたしの三連勝!」
「くそー、やっぱ強ぇ……!」
彼女は両手を腰に当てて踏ん反り返り、高笑いをする。
「ま、ナトリも結構やるじゃない。ここまで動けるなんてねー。私のスピードについてこれるエアルなんて初めてだもん。まともに一撃貰ったらさすがの私も危なそうだし」
「これでも一応狩人なんだよ。それなりに実戦も経験してるんだぞ」
「たしかに」
俺とチェシィは王都五番街アレイル中層、ウォズニアック家からほど近い場所にある丘で組手を行なっていた。
普通に戦ってもスピードタイプの拳闘士であるチェシィ相手では勝負にならないので、使用感覚を掴むためにもリベリオン・オーバーリミットで普通の人間と同様に空の加護を得た状態での勝負だ。
ここ数日、新たな能力であるオーバーリミットを試していた。
煉気を急速に消費する代わり、リベリオンの力を逆転させ自身に空の加護を付与する。
フィルを消滅させるリベリオンの力の中では異質な力だ。
だが、組み手の結果は全敗。
リベルの行動予測は使っていないし、本気の攻撃も出していない。
オーバーリミットで身体能力を底上げしても、やっぱり近接戦闘の経験の差というのは如実に出てしまうものだ。
攻撃が当たらない。圧倒的に修練が足りてない。
「俺も師匠に弟子入りしようかなぁ」
「パパの修行は地獄のように厳しいけど、いいの?」
「あの優しそうな師匠から想像できないって」
「ナトリくん、チェシィちゃん」
呼びかけに振り返ると、ゆったりとした緑の丘の上をリッカと、銀髪の少女マリアンヌが並んでこっちへ歩いてきていた。
「マリア、王宮から戻ってきたのか!」
マリアンヌは俺を見上げると、微妙に頬を膨らませて目を細め俺を睨んでくる。
「酷いですよみなさん。私たちに何も言わずに王宮を出ちゃうんですから」
「悪かったよ。ちょっかいかけられるような雰囲気でもなかったからさ」
「……気にしてません。みなさんが正規の手段で王宮に入ったわけじゃないこと、知ってますから」
気にしてないといいつつも、マリアンヌは明らかに不機嫌だった。
これは何か詫びを入れないといけない雰囲気だ。
「本当にごめん。お詫びに何か奢るから。甘いものとか、食べたくない?」
その言葉にマリアンヌがぴくんと反応する。
「甘い……もの?」
そういえばこの子は甘いものが好きだったな。赤壁の街ガベルでクレイルと一緒にゲロ甘スイーツを食う羽目になったことも懐かしい。
俺たちは組手を切り上げ、一旦師匠の家へ戻ると四人で午後の街へ繰り出した。
厄災が王都に襲来してから一週間が過ぎていた。
フウカ達の元を離れ、混乱する王宮下層に降り、俺たちはなんとかチェシィ達と合流することができた。
幸いにも下層に位置するマルティウス大闘技場はレヴィアタンの攻撃の被害を免れていたので、危機が去ったことを確認した船団はそれぞれ元の港へと帰っていった。
俺たちもそれに乗じてなんとかアレイルの街まで戻ってくることができたのだ。
レヴィアタンの出現で、王都全体が嵐に見舞われたそうだが直接的な被害は王宮のみ。すでに他の街も平静を取り戻しつつある。
マリアンヌが戻って来たということは、王宮の状況も多少は落ち着いたのだろう。
「フウカさんは王宮に残るみたいです」
通りに面した甘味処でテーブルを囲み、色とりどりのクリームと果物を盛りに盛ったパフェをスプーンで口に運びながらマリアンヌは言った。
マリアンヌは、神官として運ばれてくる怪我人を治療し続けたフウカの様子を語ってくれた。
丸々二日ほど、煉気を使い果たす直前まで波導を使い、最低限の休息と煉気水で治療を続けていたそうだ。
どんなに酷い怪我でもすぐに完治させてしまうフウカの力と、怪我人に善意と責任感で向かい合う真摯な姿は、多くの人々の感謝と尊敬を集めていたそうだ。
「そうか。王宮に……」
「あの騒動もそうですけど、正体不明の少女による王宮襲撃の件もあって色々と面倒なことになっているみたいでした」
リッカの表情に影が差す。
「ナトリくんを殺した、あの女の子の……」
「え? ナトリを殺した?」
「どういうことですか?」
俺はレイトローズとの戦いの後、突如現れた少女に刺されて一度絶命した経緯を説明した。
「はえー、リッカがナトリを復活させたってのもビックリだけどさ、王子と戦ったって。マジ?」
「ふふっ、でもナトリさんならそんなこともあり得そうです」
マリアンヌには何故かくすくすと笑われてしまう。俺はこの子に一体どんな奴だと思われてるんだ。
「リッカがいなけりゃ俺は確実に死んでたな。そのことは感謝してもしきれないよ」
彼女には大きな借りを作ってしまった。リッカの中の色欲の厄災、これも絶対になんとかする方法を見つけなければいけないのに。
リーシャの頼みといい、やらなきゃいけないことは多い。
「でもリッカさん、どうやってナトリさんを蘇生させたんです? 黒波導に治癒の力はないんじゃ……」
「実は……、厄災に力を借りたの」
「ええっ!」
詳しい話を聞いてみると、リッカは俺の死体を永遠の水瓶の術で時間の流れを止めて維持することしかできなかったらしい。
でも、突然彼女の中から厄災アスモデウスが語りかけて来た。
そしてリッカは奴と契約し、心の一部を明け渡すことで厄災の魔法、時空迷宮の力を引き出すことで俺の肉体を生前の状態で再構成した。
時空迷宮を使えば、リッカの記憶を元にして領域内の時空間を自在に操ることが可能になる。
しかし、いくら生前の俺を再現したからといって本当に復活するわけじゃない。あくまでそれは異能の影響下のみでの話だ。そこに俺の魂は戻らない。
「想像を絶するような力ですが……。でもナトリさんはこうしてちゃんと蘇ってます。記憶から生み出された幻などではなく」
「それはきっとリベルのお陰だな」
リッカが作り出し、維持してくれた身体。迷宮の中で甦ったリベルが、残された身体とセフィロトへ送られた俺の魂を結びつけてくれたのだ。……多分。
『概ねその解釈で間違いない』
だそうだ。
「それよりアスモデウスと契約って……。本当に大丈夫なのか」
「今のところは特に何かが変わった気はしないです」
「仕方がなかったとはいえ、厄災との取引です。絶対何か裏がありますよ……!」
異常はないとリッカは言うけど、心配だ。
何か体に悪影響が出ている可能性はある。アスモデウスの考えが読めない。
「難しいことはわかんないけどさ、よかったじゃん。厄災も倒せたし、フウカにも会えたんでしょ。まあ……連れて帰るのはできなかったけど」
「フウカがそういう生き方を望んでるなら、俺は何も言えない。そうするべきだし、それでいいと思うんだ」
「ナトリさん……」
彼女はきっと、今日も神官として頑張っていることだろう。
ようやく自分の居場所を見つけたのだ。フウカが幸せなら、俺は、それでいい。それで……。




