第204話 別れ
王城へ続く大正門前の広場には、避難しようと押し寄せた多くの人々が集まっていた。
門は閉ざされており、集った者達は不安げに周囲を見回している。
俺とフウカが門前広場に降りると、数人の影が駆け寄ってくるのが見えた。
フウカが嬉しそうに彼らに手を振る。
「ナトリさーん! フウカさーんっ!」
「お前ら……マジにやりおったなァ!」
クレイルにマリアンヌ、モモフク師匠にレイトローズもいる。
「よかったぁ……、みんな無事だったんだ」
彼らの顔を確かめ、フウカが安堵のため息をつく。厄災を消し去ることはできたものの、みんなの安否についてはかなり不安なところだった。
「はい、ありがとうございます……フウカさん、ナトリさん。やっぱりお二人はすごいです」
マリアンヌが頬を上気させて賞賛の言葉をくれる。
「でも……レヴィアタンの攻撃が王宮を直撃しちゃった。私がもっと頑張っていれば……」
「あなた達はあなた達にできることを全力でやり切った。そのおかげで王宮は守られたんですよ。そのことを責められるものなど、ここには誰もおりません」
師匠が俯きかけるフウカの肩に手を添えて言う。
この度の騒動で、王宮は少なくない被害を被ることになったはず。きっと多くの犠牲が出ただろう。
……それでも俺たちは厄災を止めたのだ。これ以上の被害が出るのを防いだ。
師匠の言う通り、それが今の俺たちの精一杯だ。
「フウカ様」
レイトローズがフウカの前に立ち、彼女を見下ろす。
「王宮に住まう者として、深く感謝いたします……。強大なる影からこの王宮を守り抜いていただいたこと、私は決して忘れない。ありがとうございます」
彼は俺の方にもその澄んだ瞳をまっすぐに向けてくる。
「ナトリ・ランドウォーカー、フウカ様と共に脅威に立ち向かってくれたこと、君にも感謝する。そして……すまなかった。私は君という人間のことを己の浅薄な偏見によって見誤っていた。どうか狭量な私を許してくれ」
レイトローズは申し訳なさそうに頭を下げた。
この青年は女性のように麗しく並外れた美貌をしているくせに、その表情は常に何かを思い悩むように顰められている。
「こっちこそ、あんたのことをよくわかってなかった。こうしてフウカと会えて、話すこともできたんだからもういいよ。気にしないでくれ」
「賊と断じてフウカ様を連れ帰るのでなく、対話をすべきだった。……私は愚かだな」
「そうだよー。私なんていきなり気絶させられて、知らない船に乗せられたんだからね。説明くらいしてくれてもよかったのに」
「——誠に、申し訳ありませんでした」
頬を膨らませ、むくれながらレイトローズを見上げるフウカに対し、彼は一層落ち込むように項垂れた。
こうなると王子も形無しだな……。なんかかわいそうになってきた。
襲撃は、レイトローズもフウカの身を本当に案じての行動だったことが分かったので、もう気にしてはいない。
レイトローズの抱える想いを知ってしまえば、もう彼を責める気にはなれなかった。
「いつまでもこうしてはいられない。まずは母上達と、君の仲間の安否を確かめなければ。彼女らと合流しよう」
「リッカのことが心配だ。連れてってくれ」
§
その後、俺たちはレイトローズの案内で避難所へと向かい、リッカと再会することができた。
彼女はレイトローズからもらった煉気水のおかげで立って歩けるほどに回復しており、俺たちは互いの無事を喜び合った。
そこからは大変だった。
フウカは王宮神官の務めとして、怪我人の治療に当たると言い張った。
レイトローズとともにレヴィアタンの攻撃で被害を被った地域へ赴くと、治療院に続々と運び込まれてくる怪我人の治療に早速当たることになった。
俺たちは神殿のように立派な治療院の建物を遠巻きに、慌ただしく動き回る治療術士や貴族の使用人達を眺めていた。
「何か……、俺たちにできることってないのかな」
「やめとけ。俺らのような素人が手伝っても邪魔にしかならんぞ」
「こんな時、私にも水の適性があれば、っていつも思います……」
水の波導を使えるマリアンヌはすでに院の治療術士に混じって怪我人の手当をしていた。
治癒波導を使える術士は限られ、怪我人はいつも多い。
「王宮には、高い波導力を持つ優秀な術士が大勢います。波導治療の質は非常に高い。問題ないですよ」
「そうか……」
「フウカちゃんのこと、心配ですね」
「うん。フウカだってかなり煉気を消耗してるはずだから」
倒れそうになるまできっとフウカは治療を止めないだろう。
目の前に助けられるかもしれない人がいれば自分のことなんて顧みずに手を差し伸べようとしてしまう。
王宮が受けた被害に対して負い目を感じているだろうし、フウカはそういう子だ。
「師匠、ありがとうございます。俺たちのこと助けに来てくれて」
「フウカさんに会うことができましたね。本当によかった」
「いろいろ大変なことが起こりすぎましたけどね」
王子と決闘したり、死んだり、神と面会したり、厄災を倒したり。
思い返すと体が鉛のように重く感じ、俺は思わずその場に座り込んでしまった。
「な、ナトリさん?!」
「……大丈夫。気が抜けただけだからさ」
「あのレヴィアタンとやりあったんや。無理もねえな。俺も疲れたぜ」
「私はこれから下層へ降りて、マルティウス闘技場へと戻ろうと思います。無事だとは思いますが、置いて来たアリス達のことも心配ですから」
「そうかい。俺らはどうする?」
フウカはしばらくここを離れないだろう。しかし俺たちにはこの王宮に居場所はない。
貴族でもその使用人でもない、本来ここにいることは許されない身分なんだから。
「俺たちも……一緒に行きます」
「いいんですか、ナトリくん」
リッカが俺の顔を覗き込んでくる。
「いいんだ。フウカは元気そうで、大丈夫だった。……フウカがいるべき場所はここだ。今回のことでそれがわかった」
「…………」
今、フウカはここで多くの人に必要とされている。
今だけじゃない。王宮神官として、彼女はエイヴス王国に求めらる貴重な人材だった。
王宮の外には危険も多い。謎の人物フィアーの暗躍のこともある。
フウカの周りには、レイトローズやルクスフェルトのような頼りになる奴らがたくさんいることもわかった。
あの王子様だったら、きっとフウカを色々な障害から守ってくれる。俺がいなくても……。
実際にフウカに会い、この目で見て言葉を交わし、わかってしまった。
王宮は、フウカの元いた場所はそんなに悪いところじゃない。俺の身勝手だけで彼女を連れ出すことは難しい。
フウカはようやく、自分の帰るところを見つけたのだ。
「本当にええんか」
「ああ……」
俺は立ち上がると、リッカとクレイルに向き合った。
「二人とも、ありがとな。俺のわがままに付き合ってここまで一緒に来てくれて。二人の力がなければ無理だった」
「急に何を言い出すかと思えばんなことかい。言ったやろ、来たくて来とるだけやってな」
「そうですよ。よかった、フウカちゃんが無事で……」
「ああ、本当に……」
何も言わずに去ることを、フウカは怒るかもしれない。
そんなこと、神官としての忙しい日々に埋もれてどうでもよくなるかな。
フウカの家、家族を探すという長い旅の目的はとりあえず果たされた。俺が彼女と一緒に居られる口実はついに無くなった。
フウカはもう、俺に頼らなくても歩いていける。
そうなれば残るのは身分の違いだけだ。方や平民、方や貴族で王宮神官。
本当はフウカと一緒にいたい。けどそれはもはや叶わないことだ。
フウカの幸せを願うなら……。俺にできるのは黙ってここを去ることだけだった。
下層へと降りるために師匠について治療院を離れる際、一度だけ院の建物を振り返った。
「ナトリくん」
どれくらいそうしていただろう。リッカが俺を呼ぶ声に、彼女の方を振り返る。
「……ごめん。行こう」
そうして俺たちは、未だ喧騒に包まれる王宮上層から立ち去った。




