第199話 共に
「レヴィアタンを倒す」
その言葉に周囲の者達が息を飲む。
「ナトリさんもさっきの攻撃を見たでしょう? あの古代兵器でも無理だったんですよ……」
「でも、前は撃退できた」
「今度こそ、死んじゃいます」
マリアンヌは肩を落として俯く。
「勝算はあるのですか」
師匠はいつもの表情を変えず、相変わらず落ち着いた声音でそう聞いた。
「正直わかりません。でも嫉妬の厄災レヴィアタンは、きっと俺のリベリオンの力でしか倒せない。……やるしかないんです」
「ナトリにしか、できない……?」
「うん。どうもそうらしい」
神の言葉を信じるならば。
「また……、またあなたは……っ」
マリアンヌが声を震わせながら俺を見上げてくる。今にも泣き出しそうな表情だった。
「……私たちは知ってます。ナトリさんが神話に出てくるような英雄なんかじゃない、普通の、優しい人だって。
あなたが私たちのためにそこまでするなんて、そんな風に責任を負う必要なんてないんです! だから……っ!」
逃げましょう、と続けようとした言葉を飲み込み、マリアンヌは俯いて黙り込んでしまう。
「優しいな、マリアは」
「……!」
「でも、俺の力ならここにいるみんなを守れるかもしれない。大事な人たちの未来を守るためなら、俺は戦える」
フウカ、マリアンヌ、クレイル、師匠の顔を見回しここにいないリッカを想う。
「本気かよ」
「ああ、決めたからな。厄災《運命》に抗うって」
クレイルは頭を掻き、俺の正面に立って言う。
「ナトリ。今の俺らじゃお前の力になることすらできやしねぇ。自分の力のなさに苛つくぜ」
「じゃあ俺と一緒だな」
俺だっていつも自分の弱さに喘いでいる。クレイルもそうなのか。少し意外だ。
「今度こそケリつけてこい。そんで、ぜってェ死ぬな」
突き出された赤い拳に、自分のものを合わせる。
「強大な力を持つ者には、相応の責任が伴う」
「師匠?」
「5番街でナトリくんと語らっていた日々が懐かしいですね」
「ええ……。随分と遠くまで来ちゃった感じがします」
「あの時私は、君の選択が世界の命運をも左右しかねないものだったなどとは露ほどにも考えていませんでした。ナトリくん、後悔はありませんか」
後悔、か。あの時、フウカを助けていなければ。
自分の心に嘘を吐き続けていれば。
俺の今はきっと違う形になっていた。
けど、それでも滅びに向かう世界の運命が変わるわけじゃない。
これが最善だったと、そう思うべきなんだろうか……。
「ありません。俺の選んだ道は正しかったと、信じてます。
こうして、フウカやリッカ、クレイル、マリア達とも出会うことができたし。今俺にはそのみんなを守れるかもしれない力があるんですから。後悔なんてないです」
師匠は俺を見下ろし微笑んだ。
「そうですか。ならば、君にはきっとできますにゃ。運命を切り開くことが」
再び防衛障壁に厄災が衝突し、大気が振動する。
厄災の攻撃を受けるたび、王冠の生み出す障壁の歪みはひどくなっていく。
すっと手が柔らかい感触に包まれる。フウカが俺の手をとっていた。
自分でも気づかなかったが、俺の手は震えていたらしい。
「大丈夫。ナトリには私がついてる」
「フウカ」
フウカの温もりに包まれていると、不思議と心が落ち着き震えが収まっていく。
やっぱり彼女は俺の特別だ。
「ナトリは一人じゃない。私ならキミの力になれるんだもん。私も行くよ」
「フウカさん……」
「ありがとう。心強いよ」
「……私ももう、お二人を止めません。そして——」
マリアンヌは俺たちを見据えて言う。
「救って下さい、なんて言いません。死なないでください……!」
「俺とフウカに任せてくれ。みんなは王子と一緒に避難を」
「わかりました。ナトリくん、フウカさん。また元気な顔が見られると信じています。後ほどまたお会いしましょう」
「行ってあのデカブツを蹴散らしてこい」
クレイルの激励に頷く。
フウカが目を閉じ、意識を集中し始める。
彼女を取り巻く空気が揺れ動き始める。やがてその背に浮かび上がるように半透明に輝く緋色の翼が形成された。
目を開くと、彼女の瞳には薄紅色の輝きが宿る。
「やっぱりすごい力。ハッキリ見えるほどフィルの密度が高い……」
「フウカ様!」
避難を始めたと思われたレイトローズが俺たちの元へと駆け戻って来た。
「一体何をされるつもりですか!」
「レイトローズ、私は厄災と戦うよ」
「……無茶です! あれは到底人の手に負えるものでは……!」
「ごめんね、でも行かなくちゃ」
フウカが、焦りを浮かべた顔で必死に諭そうとするレイトローズを制す。
「ならば私も……っ!」
「キミはここにいなきゃ。みんながここレイトローズを必要としてる」
避難を始めた衛士達が、不安そうな表情でこちらを見守っている。
「く……」
「私は絶対戻ってくるから。そしたら、今度はちゃんと話そうね。色々なこと」
「フウカ様……」
彼はフウカに伸ばしかけた手を途中で止める。その手は力なく降ろされた。
レイトローズはとても不安定に見えた。フウカは彼にとっても心の拠り所なのだろう。
しかしその顔をすぐに引き締め、毅然としてフウカを見つめる。
その美術品のように美しい横顔は、王の血筋を感じさせる気位に溢れていた。
「——王宮神官フウカ殿。貴女の力でどうかこの王宮を覆う脅威を討ち払ってはもらえないか」
「うん。必ずレイトローズや王宮のみんなを守るね。でも厄災を倒すのは私じゃなくて、ナトリだよ」
彼は俺の方を向く。
「君の力をもってすれば、あれを打ち倒せるのか」
「多分」
「…………」
レイトローズは澄んだ瞳で俺をただ見つめる。
信に足るか、フウカを任せられるか、考えあぐねているのだろうか。
「俺たちは死ぬつもりはない。フウカと一緒に出来る限りやってみる」
「その言葉を信じよう。我々を、フウカ様を頼む……」
そう言って、レイトローズは俺に頭を下げた。
「必ず」
王子殿下に頭を下げられるなんて恐れ多い。
「ナトリ」
「行こう、フウカ」
フウカが再び手を差し出してくる。その手をしっかりと握った。
彼女の背負う緋色の両翼が瞬き、体が軽くなるのがわかる。
フウカがふわりと浮かび上がり、その手に引かれて俺の足も地面を離れた。
地上から見上げるみんなを一度だけ振り返ると、フウカは厄災に向かって飛び始めた。




