第196話 少女を追って
橋から飛び降りた俺たちは少し離れた塔に飛び移り、塔の外壁を垂直に駆け下りる。
「うっ……わあああっ!!!」
師匠の背中にがっしりとしがみ付いていなければこの高度から振り落とされて真っ逆さまだ。おまけに外壁の装飾を避けるため、小刻みに激しく揺れる。
「揺れますよ」
「は、はいいっ!!」
俺たちは手近な建造物に飛び移りながら、フウカ達の痕跡を追って王宮を巡った。
その間も厄災は王宮を長大な体躯で取り囲み、時折天地を揺るがす咆哮を放つだけで危険な動きはまだない。
王宮の防衛障壁とやらがどれほどのものなのかわからないが、今はそれに頼るしかないだろう。
「ナトリくん、あれを!」
「!」
上層中空域に位置する浮遊街区。その上で激しい光が瞬いている。
「あそこか!」
街区を飛び越え、壁面を駆け抜け、間橋を渡って目的の地区へたどり着く。
ここへ来るまでに王宮市街の様子を見て来たが、どこもかしこも住民達は混乱の極みと言った様相を呈していた。
貴族の怒号が飛び交い、絶望に沈んだ人々は膝を折って地面に蹲る。
厄災のせいだ。あんなものが突然現れれば誰だってああなる。
フウカ達は街の上空を激しく飛び回り、違いに波導を撃ち合っていた。
俺たちも建物の屋根へ上がって屋根伝いに二人を追跡していく。
「フウカ……!」
「くそ、速えな。普通に動いても捕まえられんぞ」
正体不明の少女とフウカが波導剣を振り回してぶつかり合うのを遠目からじっと見つめる。
『フウカの方が、速い……か?』
『速度では彼女の方が上、敵は明らかに弱り、劣勢に見える』
『アレを捕まえられれば、フウカを確保するチャンスを作れるか?』
『私たちの力をもってすれば、きっと』
「多分フウカは少女が止まるまで攻撃をやめない。なんとかして先に彼女を確保しよう」
できればフウカに殺しなんてさせたくない。
「それしかありませんね」
「よっしゃ。やったろやないかい」
フウカ達の戦闘域までたどり着く。巨大なドーム型をした施設の屋根を獣のごとく駆け上がりながら師匠が言う。
「ナトリくん。フウカさんに呼びかけてみませんか。君の声なら届くかもしれません」
「やってみたいです。……お願いできますか師匠」
「もちろんです。なんとか近づいてみせましょう」
屋根の天頂付近で緋色の輝きが瞬く。
「っ!」
「うわあっ!」
波導弾が高速で飛来し、屋根に突き刺さる。師匠は素早いステップでそれを躱しながら屋根を駆け登って行く。
この辺はすでに二人の戦闘圏内だ。いつ攻撃が飛んで来てもおかしくない。
弾幕を掻い潜りながら屋根を回り込み、地面を踏みしめた師匠が高く跳躍した。
体が浮くような感覚を覚えながら師匠のベルトをしっかりと握って叫ぶ。
「フウカーー! 俺はここにいる! 戻ったんだ、君のおかげで! だから正気に戻ってくれーっ!!」
謎の少女に向けて波導を乱れ撃ちするフウカとすれ違うようにして飛び、呼びかける。
しかし彼女の瞳は目前の敵しか映していないように薄紅色の怪しい輝きに支配されており、呼びかけに対する反応はない。
「フウカ、もう止めろ! これ以上君の手で被害を広げちゃいけないっ!」
ボロボロになっている薄桃色髪の少女の上空に赤い影が躍り出る。
「火竜の尾、捕えろ『炎鞭』」
少女の死角から放たれた炎の鞭はその華奢な体に巻きつき、締め上げる。クレイルが杖を振ると、それに引っ張られて少女が宙を舞った。
「っしゃあ、獲ったぜ! ……なっ!」
拘束に成功したかと思ったのも束の間、少女の体の周囲に光が両袈裟懸けに閃く。
体表から突き出した波導剣が体にまとわりつく炎を切り裂き、縛めを脱した少女がクレイルに向かう。
「真紅の刃、『火剣』ォ!」
恐るべき速度でクレイルを貫くべく繰り出された少女の剣を、クレイルの火剣が打ち砕くようにして相殺する。
空中に咲くように広がった火花の向こうに浮かぶ少女の背に広がる光の翼が発光を始めた。
「クレイル危ない!」
「『追奏刃』!」
打ち合った反動の隙を狙い、波導を放とうとした翼が音を立てて大きく弾かれる。
響波導を放ち少女の攻撃を妨害したのは、こちらに向かって屋根を駆け上がりながら剣を構えるレイトローズだった。
「厄災にビビるんはもう止めたんかよ? 王子様」
彼は薄桃髪の少女をクレイルと挟む形に位置取った。
「君の言う通りだ。ナトリ・ランドウォーカー」
彼はこちらに目をやると、クレイルと共にすぐに少女との激しい攻防を開始した。
「——私には覚悟が足りなかった。だが君の言葉、胸に響いた。礼を言う」
どうやら厄災の恐怖を克服することができたらしい。
「たとえその先に死が待ち受けていようとも、最後のその刻までフウカ様を守るため私は戦う!」
クレイルが撃ち込む炎の煙幕を利用し、死角から少女に迫ったレイトローズが彼女の背に手を伸ばす。
突き出された右手は桃色の後頭部に狙いをつけていた。
「掻き乱せ、『響破』!」
詠唱と同時に甲高い高音が空間を駆け抜ける。
空中でゆらりと軌道を崩し、旋回しながら少女は落ちる羽虫のように屋根へと墜落していった。
少女は鈍い音を立てて屋根に激突し、屋根の傾斜を転がってごろごろと落ちていく。
「師匠、あいつをお願いできますか!」
「任せてください」
師匠の背から屋根へ飛び降り、走る。
横目に師匠の巨体が少女を追いかけて屋根を下っていくのを確かめ、少女に追撃を加えるべく一直線に降下してくるフウカの前に両手を広げて立ち塞がる。
「フウカ!! 俺達のことがわからないのか!」
緋色の輝きが迫って来る。恐れるものか。彼女は敵じゃない。フウカなんだ。
俺たちの仲間、俺の大好きな————。
至近距離でフウカと目が合う。その中にある荒れ狂うような緋色の光のその奥に理性のかけらを探す。
一瞬の視線の交差の後、俺はフウカが体の前面に展開していた破導障壁にぶち当たって屋根の外にはじき飛ばされた。
「がっ……はぁっ!」
まるで走ってきたアリュプにでもぶつかったような衝撃が全身を襲う。
空中に投げ出され、体が風を切って錐揉み落下していく。
「ナトリ!!! クソッ!」
クレイルの焦ったような声が聞こえた。
なんとかしなきゃ。やばい、地面が——。
「守って、『泡石』!」
体が柔らかい何かに包まれる感触の後、俺はそのまま地面に墜落した。
しかし激突の衝撃はやってこない。むしろ、俺の体はぼよんと弾んで止まった。
体を包む何かを手でかき分け、なんとか足を地面につける。
すると俺の体を包み込んでいた何かは急激に液体へと変化し地面に流れ落ちていった。
「無事ですか、ナトリさん!」
「……マリア?!」
泡が消え去り、俺の前には長い杖を携えた銀髪の少女マリアンヌが立っていた。
「助かったよ……。死ぬかと思った」
「屋根の上を飛んでいくナトリさんとクレイルさんを見かけたので、追いかけてきました。間に合ってよかった……」
そういえばマリアンヌも王宮に滞在していたんだった。最高のタイミングで駆けつけてくれたことに感謝だ。
ずん、と音を立てて俺たちの脇に師匠が降り立つ。
見上げると、その口には子ネコのように少女が咥えられている。簡素な白い衣の後ろ襟を師匠に咥えられ、だらんと薄桃色の髪を垂らしている。
「危ないところでしたね。小さなお嬢さん、ナトリくんを助けてくれて感謝します」
「いいえ。ところでその人は……?」
「この子は今王子様の響波導で平衡感覚を崩しています。拘束するなら今を置いてありません」
上空を見上げる。白い光が走り、炎が散るのが見える。クレイルたちがフウカを押さえようとしているのか。
「マリア。急だけど、こいつを大人しくさせられないか?」
「動けなくするだけでいいんですよね?」
「ああ。頼む」
師匠に両脇を掴まれながらも手足を振り回し逃れようとしている少女。
マリアンヌは事態を飲み込めないままではあるが、手にした長杖の先端を、衣服が破けて露出した少女の腹部に当てた。
「清き水流れを乱し、狂わせよ。『水針』」
「〜っ!!!」
杖のエアリアが青く瞬くと、少女は振り回していた手足から力が抜けるようにして大人しくなった。
その背に浮かんでいた透き通る翼も消失する。
「これで、しばらくは動くことも波導を使うこともできないと思います」
「ありがとう」
近くでまじまじと見上げると、桃髪の少女は色素の薄い虚ろな瞳でこちらを見返して来た。
フウカとやりあったせいか、かなりの傷を負っていて痛々しい。
全身から血が滲み、ぼろぼろになった白衣を赤く染めている。こんな子が、俺を……。
「来るぞナトリ!」
声と同時、すぐそばにクレイルが降って来た。
レイトローズも地面に降り立つ。
マリアを庇うように前に出て上空を見上げる。
ゆっくりと、フウカがこちらに向かって降りてくる。緋色の翼を広げ、そこに強い光を宿しながら。




