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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
五章 セフィロトの翼
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第195話 暴風域

 


 意識の覚醒は水中から水面へと浮かび上がるような感覚だった。


 まとまりのない雑多な情報が、薄く開いた目を通して脳へと流れ込んで来る。



 光、音、声、温もり。


 それらの要素が一つに寄り合い、次第に確かな像を結んでいく。



 目の前に、紫光を宿す瞳をした少女の顔があった。


「あ……、ナトリくん……」

「……リッカ」

「ナトリ……くんっ!」


 ふわりと香るリッカの髪の匂い。


 目覚めた俺の体に腕を回し、彼女はがっしりと抱きついてきた。


「よかったぁ……、戻って、来てくれたぁ……ううっ」


 リッカは体を震わせながら嗚咽を漏らし、体を離そうとしない。


「……リッカが俺を助けてくれたのか。ありがとな……。おかげで戻って来れたみたいだ」

「……よかったぁ。ナトリくんが倒れちゃって、起きなくて、私、もうどうしようって……」


 その背に俺も腕を回し、抱きしめる。彼女の温もりを通して彼女に命を救われたことを実感する。

 そしておそらく俺を治療したであろうフウカにも。



「まさか本当に、蘇生したというのか……?」


 俺たちを見下ろしていたレイトローズが、信じられないものを見たという顔で呟きを漏らす。


 縋り付くリッカを支えながら身を起こす。するとがっしりと肩を掴まれた。


「……おいナトリ! ホンマに、生き返ったんか、夢じゃあらへんよな? やりおったなリッカ!!」

「クレイル……。よかった、お前も生きてたか」

「俺のこたぁええ。お前、心臓ブチ抜かれて死んどったんやぞ。帰ってこれたんは二人のおかげや」



 胸に大穴が空き、もはや手遅れと思われた俺の体を、フウカが治療しリッカが波導で保存し続けてくれたそうだ。


 それでも命が戻ることはなかったが、リッカが突如魔人化して俺の体を影で包み込んだらしい。


 そして俺は目を覚ました。甦ったのは厄災の魔法(ドミネイト)によるもの。

 まさか厄災に命を救われるなんて……。



「あ、うっ……」


 俺にもたれ掛かっていたリッカが苦しげな声を上げ始めた。


「どうした? リッカ!」


 リッカの体に変化が起こる。

 魔人化していた彼女の体が縮み、頭部から伸びた黒角や漆黒の翼が霞となって消えていく。


 彼女を体から引き剥がし、顔を覗き込む。


 呼吸が荒く、視線が定まっていない。そして体が熱っぽい。俺を蘇生させたことによってかなりの煉気を消耗したらしい。


「リッカ、……リッカ!!」

「リッカはお前に波導をかけ続けとった。煉気が底を尽きかけとるはずや」

「ごめん、俺のために……」


「リンファ。あれを」

「はい」


 レイトローズは側に控えていた仮面をつけた従者から何か受け取ると、苦しそうにするリッカの脇に膝を突く。


 彼は懐から小瓶を取り出すと俺に差し出した。


煉気水アニマリエールだ。飲ませれば多少は楽になる」

「……ありがとう。リッカ、ゆっくりこれを飲んでくれ」


 小瓶の栓を抜き、リッカの唇に添える。


 わずかに開けられた口の中へ、中身の碧色の液体を少しずつ流し込んでいく。飲み終わるとリッカは依然苦しそうにしながらも目を閉じた。よくなると良いが……。



 その時、地獄の底から響くような轟音が周囲を覆い尽くした。


 耳を塞ぎたくなるような不快な響きは、鼓膜を震わせ体内に入ると底知れぬ恐怖を呼び起こす。


「……っあ」

「ぐ……」


 なんだ、これ……。


 何が起きているのか確かめようと顔を上げ、周囲を見渡す。

 そして意識がなくなる前とは様変わりした光景が目に飛び込んできた。


 王宮から空へいくつもの黒煙が吹き上がっていた。


 そして、眼下の街並みのところどころは破壊され、各所で火の手が上がっている。


 酷い有様だった。俺の意識がなかった間に何が起きたのか。


 空は暗雲に覆われ、時折雷鳴が空を裂く。

 そして周囲が暗いのは、ただ空が雲に覆われたからというだけではなかった。雲が動いて————いや。雲じゃない。



「陸地……?」


 王宮周辺に島はなかったはず。ならばこれは何だ。


 この王宮を取り囲むように、浮かぶ大地が蠢いていた。薄暗いのはそれが光を遮っているせいでもあった。



 そして————見えた。


 信じられない速さと規模で移動する大地の先端、雲の切れ間から覗く紫色の光。


 目だ。知っている。見覚えがある。この雰囲気、規格外の存在感。



「嫉妬の厄災……レヴィアタン!」


 迷宮で見た悪夢が、再び俺の前にその威容を現していた。


「どうなってるんだよ、これ……!」


 王宮は暴虐龍の領域と化していた。暗い空に暴風が吹き荒れる。


 王宮を取り巻き、暗天を泳ぐ絶対的存在を見上げながらレイトローズが口を開く。


「お前が死の淵を彷徨っている時、突如としてアレは出現した。普段王宮周辺では見られない大雲脈。その中を移動し、ここに姿を現した……」

「戻ってきやがったんだ。俺らが迷宮で追っ払った厄災がよォ……」


 視界を緋色の輝きが過ぎる。


「あれはっ?!」


 俺たちのいる庭園の上を飛び超えるように二つの影が飛んでいく。


 すれ違いざま、追う側の影を目で捉えた。


 フウカだった。

 神官服に身を包んだフウカが、緋色の翼を背中に浮かべて飛行している。


 二つの影は空中でもつれ合うように飛び回り、互いに波導の光を放っている。流れ弾が下方に浮かぶ建造物の屋根に着弾し、爆発炎上する。



「フウカッ!」

「フウカちゃんは今、お前を殺した奴を追いかけて王宮を飛び回っとる。呼びかけても反応せん。完全に怒りに我を忘れとる」

「そんな……」


 俺のために、フウカが? 状況は最悪を極めていた。


 フウカは我を失い暴走状態。王宮に被害を出しながらあの少女と戦っている。おまけに厄災まで現れ、俺たちの生存すらも絶望的。


 リーシャには厄災をなんとかすると言ったばかりだが……。

 ろくな備えもなしにこんな状況で、一体どうすればいい。


 背中を支えて抱えていたリッカが薄目を開けて俺を見る。


「……ナトリくん。フウカちゃんを、止めてあげて。ナトリくんならきっと、できるから……」

「リッカ……」


 それだけ言うと、彼女は再び目を閉じた。


 こんな絶望的な状況でも、リッカはフウカのことを気にしている。

 俺だって同じ気持ちだ。彼女に会うことがここまで来た俺たちの目的だったから。



「ナトリ。行こうや、フウカちゃんを止めによ」

「……ああ!」

「王宮がただ指をくわえてアイツを見とるだけとは思えんが……、厄災をなんとかできるんはお前とフウカちゃんしかおらんやろ。翠樹の迷宮ん時みてえに」

「その通りだ、クレイル。フウカの力があれば、またアレに対抗できるかもしれない。……だから、まずはフウカを助けないと」

「よっしゃ、そうと決まれば追いかけんぞ」


 戻ってきた厄災を倒すには、きっと前みたいにフウカとリベリオンの力を合わせる必要がある。


 だから、まずはフウカを正気に戻す。

 混沌とした状況だけど、目の前の障害に一つずつ対処していくしかない……。


 だから王宮、厄災の攻撃で簡単に墜ちてくれるなよ。


「リッカ。フウカは俺たちがなんとかするよ。だから安心して休んでてくれ」

「……はい」


 レイトローズを見る。彼は憂いを帯びた切れ長の瞳をフウカ達の飛んでいった方へと向けていた。


「王子様、リッカを安全な場所に運んでもらえないか」

「…………」


 レイトローズは側に蹲りながら俯いていた。その顔には色濃い絶望が張り付いていた。

 ミルレーク諸島で俺たちを襲って来た王子の従者二人も同様に彼の側で蹲っている。


「どのみち我々は助からない……。おしまいだ、全て」


 彼等はレヴィアタンを目にするのは初めてだ。厄災のあまりの強大さにあてられて、心が挫けてしまっているようだった。


「ここでじっとしていても何も変わらない。座して死を受け入れるのか?」

「貴様は……、アレをなんとかできると考えているのか?」

「俺たちは一度あのレヴィアタンと対峙してるんだ。あの時も俺たちは生き残った。だから今度だって諦めない」

「む、無理だ……」

「もう、どうすることも……」


 従者の二人が抑えきれない恐怖の感情を吐露する。


 蹲るレイトローズの前に立ち、彼を見下ろす。


「あんた、フウカを守るって言ったよな。あれは噓だったのかよ」

「……もう、意味の無いことだ」

「本気で言ってるのかよ」


 彼の襟首を掴み、顔を上げさせる。その美貌を飾る一対の色違いの瞳を覗き込む。


「あんたの想いはその程度だったのか?! あんな蛇如きに挫けてんじゃねぇよ。いいか、あいつは俺達が必ず倒す。……俺達はフウカを助けに行く」

「……!」


 王子を放すと、体を横たえじっとしているリッカに語りかける。


「すまないリッカ。しばらくここで休んでてくれるか」


 わずかに目を開き、何か訴えるようにこちらを見るリッカに向けて頷いてみせる。


「待ってて。ちゃんとフウカを助けてくる。そして厄災も」

「ナトリ、くん。無茶はしないで……」

「必ず戻るよ」


 リッカの手を優しく握ると、立ち上がりクレイルに向き合う。


「動けるか、ナトリ」

「体の調子は問題ない。……二人のおかげだな」


 ただ、非常に現実的な問題として、王宮上空を自在に飛び回るフウカに俺は追いつくことができない。


 リベルの新しい能力を使えば、一時的に俺も空の加護を得ることは可能だ。けど、さっきの決闘でもやった通りオーバーリミットは消耗が激しい。


 リベルに煉気管理の補助をしてもらってすらあの持続時間だ。使用する場面は選ぶべきだろう。


「くそっ、やっぱり俺は地上からサポートするくらいしかできないのかよ……」

「ようやく見つけましたよ」


 ふっと辺りに影が落ちる。

 見上げると、灰色の巨体がすぐ上空に迫っていた。


「おわっ!?」


 どんっ、と音を立て俺の目の前に着地を決めたのは、巨体を持つ一人のネコ。


 というか、モモフク師匠だった。


「し、師匠っ?!」

「おっちゃん、何でこんな場所におんのや?」

「上層に向かったあなた達のことが気がかりになってここまで上がって来たのですよ」


 そう言って、二メイル以上はある巨体をぶるるとゆすって手で顔を拭いながら師匠は答えた。


「厄災が現れたことで闘技場は大混乱に陥っています。王宮には防衛障壁が備わっていますから、すぐにここが墜ちることはないと思いますが……」


 今日はエイヴス杯最終日。多くの市民が闘技場へと船で乗り付けているはずだった。


 タイミングが悪い……。



「そうですか……。他のみんなは?」

「心配には及びません。アリスなら上手くやるでしょう。それよりも」


 師匠は橋の欄干に手をかけ王宮の街並みを見渡す。


「上層は酷い有様ですね。これは一体……」

「フウカが戦ってるんです」

「まさか、フウカさんがこれを……?」


 師匠の細目がより一層引き絞られる。


「おっちゃん、俺らは今からフウカちゃんを止めに行く。手伝ってくれんか」

「そういうことでしたか……。ならば、微力ながら私も加勢させていただきましょう」

「おおっ、心強いぜ!」

「本当ですか!」


 師匠の人となりには何か人を安心し、和ませるものがある。

 とても頼りになる人なのだ。


 モモフク師匠はくるりと俺に背を向け、広い背中をぽんぽんと叩いた。


「さあ、掴まってくださいナトリくん」

「え?」


 彼はにっと微笑んで言った。


「私があなたを運びます。私の背中に乗って、この襟巻きで体を固定してください」

「師匠……!」


 本当に、どれだけ頼りになるんだこの人は。


 俺は屈んだ師匠のふかふかした背中によじ登り、赤い襟巻きの端を自分の体にぐるぐると巻き付けた。彼が身につけている服のベルトをしっかりと掴む。


「なんとしてもフウカを止めるぞ!」

「おうよ!」


 欄干の前に並び立ち、互いに顔を見合わて俺たちは頷きあう。


 今だ蹲るレイトローズ達を一度振り返り、俺たちは同時に欄干を乗り越えて燃え盛る王宮の上空へと躍り出た。




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