第193話 リーシャの牢獄
目が裂けるかと思うような白い光がひたすら眼前を埋め尽くしていた。
その中を、俺は上も下もわからないままに流されて行く。
自らの存在がぶれるような、非常に不安定な感覚を味わった。
身体がばらばらに解けてしまいそうだ。
そして、なんとなく理解した。
俺は……死んだのか。ここは、死後の世界か? 死んだ後も意識があるなんて知らなかったな。
でも、それももう終わりらしい。
この白い光で満たされた空間に、身体が分解されていく感じがする。
アメリア姉ちゃんにグレイスおばさん、リッカ。フウカ。
悪いけど……先に逝く。
来世で会えたら、謝ろ、う……。
ふと、手に暖かいものが触れた気がした。
次の瞬間、俺は暗い部屋の中に立っていた。
「えっ?」
瞬きした途端に、世界は白から闇へ。
完全な闇ではない。高い塔の内部のような円形の部屋に俺は立っていた。
辺りは薄暗いものの、どこからか漏れ出す夜光灯のような静かな青光がうっすらと部屋の内部の様子を浮かび上がらせている。
周囲の景色の一瞬の変化に戸惑い、俺はしばし硬直した。
左手に柔らかい感触があることを自覚して、俺はふっと隣に目をやる。
青白く、小さく細い子供の手が俺の手を掴んでいた。
青白い肌をした幼い少女がいつのまにか俺と手を繋いで立っている。
少女が歩き始め、部屋の中央に置かれた長椅子の方へ移動する。
俺も手を引かれて彼女についていく。
クッションの柔らかい長椅子の前まで来ると、シンプルだが美しい装飾のついたドレスに身を包んだ少女は飛び乗るように椅子に腰掛けた。
椅子の隣を手で示す。ここに座れ、ということか。
俺は黙って彼女の隣に腰を下ろした。
年齢は十になるかどうかというところか。色素の薄い銀色っぽい髪に、透き通るような白い肌の女の子だ。
もう一度部屋の様子を見回す。
吹き抜けの天井は暗くて、視認できない程に高い。
塔の中はひどく殺風景だ。目につく家具はこの長椅子と、角の方にあるからっぽの鳥かごだけ。中には何も入っていない。
この部屋を見てまずイメージしたのは牢獄だ。とても人の生活する場所には見えないし、暗くて冷たい感じがする。
どこからか漏れる静謐な青い光が、部屋の全てを淡く染め、少女自体もそのせいか青ざめたように全身が青みがかって見える。
「あなたに、頼みたいことがある」
部屋のあちこちを観察していると唐突に声をかけられた。
感情が抜け落ちたように抑揚のない平坦な声だった。
隣を見下ろすと少女が大きな瞳で俺を見上げている。
人形のように可愛らしい女の子だ。というか、人間味がなくてまさに人形のようだ。その顔には何の表情も浮かんではいない。
「…………」
この場の異様な雰囲気に飲まれて、思わず黙りこくってしまう。
「ちょ、ちょっと待った。その前に……状況がよくわからない。俺がどうなったのか、ここがどこなのかも……」
少女は感情の籠らない声で話す。
「あなたは死んだ。今あなたは魂だけの存在としてここ『セフィロト』にいる」
「セフィロト……? って、やっぱり俺は死んだの、か……」
自分が死亡したという事だけは、何故かあっさりと飲み込めた。
「じゃあここは死後の世界……?」
「おおよそ、その解釈で合っている」
見た目と言動の感じが一致しないのはユリクセスみたいだけど、彼女はまたそれとは少し違うように感じる。目も綺麗な青で赤くないし。
少女はじっと俺の目を見つめたままだ。瞬きを全くしないせいか少し怖い。
「スカイフォールに存在する生命は皆、命のセフィラである『ケセド』を持って生まれる。
人の魂は死後、ケセドを通じてここへ転送され、セフィロトに還元される」
セフィロトとは、つまり魂の還る場所であるらしい。
「じゃあ、君も死者なのか」
「いいえ。私の肉体は今もスカイフォールに存在している」
「けど、魂はここにある?」
「現世の私の肉体は朽ちていない。けれどその肉体に戻ることもできない」
それで、死後の世界セフィロトでもこんな牢獄みたいな場所に一人でいるってことなのだろうか。
肉体に戻ることもできず、魂がこの世界に還元されることもない。中途半端な存在……。
「つまり今のあなたと同じ」
「え、でも俺は」
「あなたの肉体はまだ死んではいない。私が『外』を漂うあなたの魂をここへ呼び寄せた後、魂の還元が止まっているのがその証拠」
「じゃあ現世の俺は、まだ生きている……?」
「おそらくあなたの側にいた誰かが、あなたの命を繋ぎ止めようとしている」
「……!」
もしかしたら、フウカやリッカが。
膝の上に置いた拳を握りしめる。現世で誰かが俺のために頑張ってくれている。
でも、俺はその誰かに何もできることがない。そして、遠からず肉体の死も訪れるのだろう。
「君が俺の魂をここに呼び寄せたのは、さっき言ってた頼みごと……っていうのをするためなの?」
「そう」
死んだ人間に頼みなんて、何がある。
それにしても、この子は何者なんだ。妙にここのことについて詳しそうだし。
「もう一ついいかな」
少女は黙って首肯した。
「俺の名前はナトリ・ランドウォーカー。君は一体何者なの?」
青ざめた少女は、一度だけぱちりと瞬きをする。
目を潤すためというよりは、非常に機械的且つ意識的に瞼を動かしたというような少し奇妙な動作だった。
「私の名はリーシャ・ソライド。かつてはエル・シャーデと呼ばれていた者」
さっきから、驚いてばかりいる気がする。
エル・シャーデ。それはユリクセスの間で唯一神として信仰され続けるエルヒムのことを指す言葉だったはず。
この子が神様だって? 確かに人間離れした雰囲気はあるが、エルヒムなのかと言われるとそれも違うような……。
それよりも気になるのは彼女の家名だ。
ソライド。王宮にも実親のいないはずのフウカと同じ名前。
「ダルクから、あなたのことを聞きました」
リーシャと名乗った少女は、その名を聞いて少しだけ目を細める。
些細な動作だが、少女にこれまでで最も感情らしきものが現れた瞬間だった。
「そう。彼も、逝ったの」
「はい……。最後に、あなたのことを探すようにと言われました。助けになってくれるとも」
少女の目線が俺から外れ、虚空へと投げられる。
「私は今、スカイフォールの事象に干渉することができない。従ってあなたに力を貸すこともできない」
「…………」
厄災に抗うための希望、神に会うことができたっていうのに。
彼女はここセフィロトで身動きが取れなくなっていた。
「七百年ほど前、ある男が私の神としての力を奪おうと画策した。力の簒奪を阻止するため、私は己の肉体を迷宮物質で保護することにより、現世からのあらゆる干渉を拒絶した」
「だからあなたはここに?」
少女は俺の目を見て頷く。
「ナトリ。あなたに頼みたいのはそれに関係することでもある」
「何でしょうか」
少女は再び俺の瞳を覗き込むように見上げると言った。
「いずれ解き放たれるであろう厄災を倒し、世界のいずこかに存在する私の肉体を見つけ出し解き放って欲しい。————あなたに、スカイフォールを救って欲しい」




