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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
五章 セフィロトの翼
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第192話 灰色の記憶

 


 頬を撫ぜる爽やかな風を感じて目を覚ます。

 目の前には空が広がっていた。


 白い雲が風に流され、上空をゆったりと通り過ぎて行く。


 青空ではなかった。いつもなら抜けるような青さの蒼天は、今はどこか色褪せたように精彩を欠いて見えた。


 まるで写し絵の風景みたいだな。



 体を起こす。

 俺は草原に寝転がっていた。あしの短い草に覆われた緑の大地が遠くまで続いている。


 どこか見覚えのある景色。


 ここ、クレッカじゃないか。いつの間にか故郷に帰ってきていたようだ。



 ついさっきまで俺は何をしていたのか……思い出せない。


 でも気分は悪くない。体は軽く、俺の五体は軽快に動作するようだった。


 立ち上がり、周囲を見回してみる。


 緑広がる草原もやはりどこか色褪せて見える。


 おかしいな。陽の加減か、それとも俺の目が変なのか。



 どこからか声が聞こえる。はしゃぐような、囃し立てるような子供達の声だ。


 つられるように振り向くと、子供達の一団が連れ立って歩いて行くのが見えた。

 彼らの様子が気になって、なんとはなしに寄って行く。


 様子がわかるくらいまでに後ろから追いつくと、子供達が愉快そうにしている理由がわかった。


 集団の真ん中、一人だけ騒ぐことなく下を向いて歩く少年がいる。


 他の子供達は彼をからかい、小突きながら追い立てていた。


 中央の少年は小さな背中を丸めるようにして、周囲のちょっかいに耐えるように下を向いて歩いて行く。


 俺はその光景に胸の奥から込み上げるような嫌悪感を抱いた。


 あれは——俺だ。小さかった頃の自分がそこにいた。



 子供達は昔の俺を崖まで追い立てる。


 崖といっても大したものじゃない。ほんの数メイルの高さの段差だ。


 けど、子供にとっては結構な高さ。ましてや、空の加護のない俺が落ちれば骨折しかねない危険な高低差だ。


 集団は昔の俺を崖端に立たせ、退路を塞ぐようにそれを取り囲む。

 引き返そうとする俺を小突き、崖際へと追いやっていく。


 子供達は楽しそうだ。対して、昔の俺は今にも泣きそうな、必死な顔で抵抗を試みている。


 子供は残酷だ。彼らには理解できない。あの時の俺の恐怖も、気持ちも。


 緑の髪色をした少年は腕力でも勝てるはずはなく、藁でも押し返すかのように簡単に跳ね除けられてしまう。



「何を怖がってんだー?」

「はははっ、よえーっ! もっと力出せよナトリ!」

「力も雑草並みだぜ、コイツ!」


 思わず耳を塞ぎたくなる。子供達のはしゃぎ声を避けるように、俺は集団から視線を逸らした。


 俺はなんだってこんなものを見ているのか。


 思い出したくもない忌むべき思い出。常にどん底にあったクレッカでの日々。俺にとっての日常。


 胸の奥から、むかむかとした黒い感情が首をもたげる。



 それに呼応するように、周囲の地面に影が差したように草までふっと黒く染まる。


 その影は一点に集まっていき、黒いもやとなって浮かび上がった。


 目の前にふわふわと浮遊する黒い影。かなり不気味だった。


「やあ」

「……!」


 形を持たない影が語りかける。


 驚きのあまり、警戒して影と距離を取る。


「そんなに怖がらないで」

「なんなんだよ、これ……」


 こんな気味の悪い物体が、しかも喋るなんて誰だって警戒する。


「僕は君を傷つけない」

「本当かよ」

「本当さ」

「…………」

「君の気持ち、よくわかる」


 この意味不明のもやもやに、一体俺の何がわかるっていうんだ。

 何かわかった気になって勝手に納得されても困る。



「……わかるさ。だって僕は君の心だもの」

「いきなり何を言い出すかと思えば……。だいたい、どこだよここ」

「それは僕に聞かれても困る。君の知らないことは僕にだってわからないんだから」


 突然現れ、語りかけてきたこの影。これの目的も、正体もわからない。


 ただ、この色褪せた異様なクレッカと関係があるのではないかという気はする。


「まあ、実際そうだろうね。こんな風に僕自身と話すことになるなんて考えても見なかった。妙な気分だよ。夢なのかな?」

「で……、なんで出てきたんだお前」

「出てきたっていうか、気がついたら君の側にいたんだよ。僕にもわからない」

「必要ない。今どんな状況なのかも知らないんだろ。だったら用はない」

「あ、一つだけ目的があったな」


 今思いついたかのように影は言う。


「なんだよ、目的って」

「思い出させてあげようと思ってさ。随分と長いこと忘れてたろ?」


 ……この、触れるだけで吐き気のするような過去のことか?


 思い出したところで、気分が悪くなるだけだ。こんな嫌がらせをするためだけにこいつは現れたのか。


「うーん、おかしいな。昔、君はずっと考えてたはずなのに」

「何を」


 もやが移動し、過去の俺を虐める子供達の方を指し示すように蠢く。


「……あいつらも僕と同じような目に合えばいいのにって」

「…………」

「それはとても強い気持ちだったはずだよ。だって、見なよ。僕の姿は今だってこんなに黒々と、どろどろとして醜悪な気配を放ってるじゃないか」


 影はまるで嗤うかのようにぐねぐねと形を変える。


 こんなのが俺の心だと……?


「いい機会だと思わないか」

「……何が?」

「どうしてかはわからないけど、僕らは今過去にいるらしい」


 過去。状況的に見ればそうかもしれないが。


 あそこにいるのは幼少期の俺で、ああして町の奴らに虐められた記憶は確かにある。


「だったら……、ここで過去を清算すればいいんだよ。あいつらをぶっ殺してさ」

「……!」

「簡単なことだろ。それを使えば一瞬だ」


 ふと気がつくと、俺の手の中には白銀に輝く杖が握られていた。


 そうだ、これはリベリオン。いつの間に。


「……憎くて憎くて堪らないだろ。わかるんだよ僕には」



 子供達の方を見る。


 昔の俺は崖側にどんどん追い詰められて行く。


 その顔は恐怖に引きつり、べそをかき始めている。他の子供は俺の情けない姿を見ると喜んで、余計に囃し立てる。


 俺は町の大人にすら「忌子」と呼ばれてあからさまに厄介者扱いされていた。

 それを見て育った子供達は自分たちが悪いなどとかけらも考えてはいない。


 気が付けば、手のひらに爪を立てて真っ赤になるほど手を握りしめていた。


 なんでだ。何も悪いことはしていない。ただ生きているだけなのに。


 誰にも迷惑かけてない。放っておいてくれればそれでいい。


 どうして世界は俺にこんな重しを背負わせる。


 幾度も、幾度も。


 膝を抱えながら考えていた。



「ちゃんと見なよ。そして思い出せ。あの頃の屈辱を。苦悩を。痛みを……。理不尽な現実を。これが僕らドドにとっての世界の姿だろ」

「……う」


 胸の奥から黯い感情がどんどんせり上がってくるようだ。

 胸を押さえ、その場にうずくまる。


 影を見上げる。


 胸の痛みに比例するように、影はその大きさを増していくようだった。


 醜く、汚く、どろりとした靄が俺を取り囲む。


 これが俺の心の形。


 なんとなく理解してしまっている自分がいた。この影は……俺が隠そうとしてきた、年月をかけて心の底に降り積もった澱。


 なんて、醜いのか。



「そうさ。ようやくわかってくれたかな」

「これが現実……」

「今の僕らには『力』がある。なんでかはわからないけど、これは本来なら絶対に覆らない僕らの『過去』だ。それに復讐し、忌まわしい過去と決別する機会が巡ってきたんだよ」

「復讐して、どうなるんだ……」

「僕たちは多少なりとも報われるだろ。それに、これが本当に過去なら現在の形だって、何か変わるかもしれない」

「そんなことが……」


 胸の痛みが少しだけ引く。


 なんてことはない。認めてしまえば、楽になる。

 拒絶するから苦しい。これが本当の、俺の心の形。


 立ち上がり、子供達の元へ歩いて行く。彼らの元へたどり着く。


 こちらを向いて泣きながら抵抗する昔の俺と目が合った。


 その緑色の瞳には怯えと、恐怖、そして絶望が垣間見える。


 俺が新たに加わったこいつらの大人の味方だと思っているんだ。


 俺は幼い俺の表情の変化を見逃さない。


 その考えは手に取るようにわかる。彼はきっと俺がこいつらのボスであると勘違いしている。


 俺にうまくゴマをすり、取り入ることができれば。

 そうすれば、この窮地を抜けだせるかもしれない。


 そんな狡くて甘い考えが、その怯えきった表情を掠めていった。



 ……なんて哀れで、卑屈で、弱いのか。


 俺は知っている。それは自分の処世術で、少しでも痛い目に合わないための防衛本能みたいなものだったから。


 でも、俺はそれを行動に移す勇気も、度胸もない。


 そんな無力な子供が昔の自分だ。……吐き気がするほどに嫌いな、過去の自分。



「ん、なんだこの人?」

「俺たちになんか用?」


 昔の俺以外の子供達も背後に立つ俺に気がついて振り向いた。


 どれも知った顔だ。イヴァにコビィ、その他大勢の、記憶と現実から消し去ってやりたい連中。


「…………」


 黙って右手に握ったリベリオンを中央に立つイヴァに向ける。


「誰この人。お前知ってる?」

「さあ。リックのとこの大兄ちゃんじゃね」

「なんで杖?」


 こいつらがいなければ、俺の幼少期はもっとマシなものになった。


 忌々しい。昔の俺も、俺を追い詰めたこいつらも。


「さあ」


 取り巻く影が、俺を急かす。


「撃て。撃て。撃て。……撃て!!!」


 リベリオンの引き金に指をかけた。ゆっくりと力を込めていく。


「……!」



 崖の向こうに広がる丘。その上に女性が立っているのが子供達越しに見えた。


 アメリア姉ちゃんだった。一人こちらを向いて丘の上に佇んでいる。


 風にそよぐ髪に包まれた愛嬌のある顔は、今にも泣き出しそうだった。


 悲しそうに、無言で俺の目をまっすぐに見つめていた。


「……姉ちゃん」

「どうした。撃てよ。さあ!」


 撃ったら、やっぱり姉ちゃんは悲しむだろうか。


「構うものか。アメリアを悲しませる諸悪の根源だ、こいつらは」


 アメリアの澄んだ瞳から目が離せない。何かを訴えるような、哀しい目をしていた。


 その瞳の奥を探るように、俺はじっと彼女を見る。


「早く撃て! 過去を断ち切れ! クソッタレな現実を、消し去っちまえ!!」

「そう、だな……。わかったよ」

「よし、じゃあとっとと——」

「叛逆の剣……、『ソード・オブ・リベリオン』」

「え?」


 変形させたリベリオンを突き刺す。


 自分自身の胸の中心に。



「く……、ぅ……」

「……何を、やってる?」

「……思い出したんだ。俺が本当に消し去りたいのは、お前だってこと」

「意味が……わからない! 僕は、お前自身なんだぞ?!」


 そうだ。その通りだよ。でも……。


「こいつらを許すことなんてできない。でも、俺が自分の中でこんなになるまで育ててしまった黯い気持ち……。お前に身を委ねるのは、やっちゃいけないことなんだよ。

 お前は確かに俺だ。俺の弱くて後ろ向きな心。でも気付いたんだ、姉ちゃんのおかげで。俺が本当に許せないのはクレッカの奴らでも、昔の俺でもない。自分自身だってことに」


 自らの胸に突き立てた刃が身体を容赦なく灼く。


 そして胸の傷口から、目の前に広がる黒い靄と同じものが大量に噴き出し始める。


 黯き意志の源泉は俺自身の心だ。



「……もう決めたんだ。俺は自らの運命に抗い、それに向き合っていくって」


 このクソッタレな現実を、それでも俺は生きていく。



 逆手に握ったリベリオンに煉気を送り込む。


「ッ?! あああああッ!! こんな、はずじゃ——ッ! なんでだ、なんでなんだよォッ!」


 胸の傷から止めどなく溢れ出す影と連動する様に、目の前に広がる靄は怨嗟を叫び、足掻くように激しく揺れ動く。


 やがて影は塵となって霧散し、風に流されて消え去った。



 ——僕は消えないからな。お前に根付いた黯き意思、この程度で消えて無くなると思うな。



 影の声が胸の内から響いたような気がした。


 胸の傷口に手を当て、あのどろりとした嫌な感情を一度だけ思い出す。


「わかってる……。俺はお前ともちゃんと向き合うつもりだ」


 不思議と既に痛みは引いていた。


 やっぱりここは普通の場所じゃない。俺が二人いる時点でおかしいが、夢か、幻の類か。



 子供達の方へ振り返る。

 彼らはさっきまでの騒ぎが嘘のように表情の消えた顔で一様に俺を見ていた。

 まるで急に魂が抜けてしまったみたいで、不気味だった。


 そして、その姿はすぐにすっと透き通るようにして消えていった。



 一人残った俺の幻影は、ただじっと俺を見上げていた。俺もそれを見つめ返す。


 わずかに口が開き、幻影が何かを喋ったように見えた。

 しかし、聞き返す前にはその姿も消えてしまっていた。



 崖向こうの丘に視線を移す。


「ありがとう姉ちゃん。俺を、助けてくれて————」


 丘の上に立つアメリアは、さっきとは違い、柔らかに微笑んでいた。


 俺も彼女に微笑みを返す。



 広がる草原の風景に、眩しい陽の光が降り注いできていた。


 聞き馴染みのない鐘の音が、遠くから幻聴のように聞こえて来る。


 色褪せた世界が色づき始め、それと同時に草原の彼方から降ってきた光に世界の全てが飲み込まれて行く。


 浮かべた微笑とともにアメリアも光に飲まれ、やがて俺の身体も光に包まれた。






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