第189話 限界の先へ
いつの間にか、陽はすっかりと覆い隠され暗雲が立ち込めていた。
朝方だというのに青い空は消え、辺りはわずかに暗くなり始めた。
「俺は、フウカのことが、好きだ……!」
睨み合うレイトローズの青く澄んだ瞳。その視線が鋭さを増す。
全身に負った裂傷から血を流しながら、リベリオンを構え彼を見つめ返す。
「それが……貴様がここまで来た本当の理由か」
家族のように、妹みたいに見守ってきたつもりだった。
けどようやく理解したつもりだ。
俺はフウカのことが好きだ。仲間でも友達でもない、女の子として。
心に穴が空いたような感覚……、ずっと彼女に頼っていたのは俺の方だった。
あの子がいなきゃ意味がない。俺はフウカと一緒に居たい。
「……らあッ!」
「!」
力任せに打ち下ろした剣はレイトローズの竜鱗の剣に受け止められる。
「そんな乱れた太刀筋では、貴様の意志は決して私に響かない……!」
青と赤の冷涼な瞳が俺を見下ろす。己に課した覚悟と決意を感じさせる強い目だった。
でも逸らさない。こいつに勝つためには、気持ちの上でも一歩も退いてはいけない。
『……リベル。お前は決して世界にとって不要な存在なんかじゃない』
『しかし……』
『俺がお前に何度助けられたと思ってる。そのおかげで生まれた出会いや幸せな出来事もたくさんあった。お前が俺の運命を切り開いてくれるんだ』
『マスター……』
『お前の力は運命に抗い、そして切り開くためのものだ。消し去るだけじゃない。そこから生み出されるものだってたくさんあるんだよ』
『本当に……?』
『ああ。間違いない。——だから勝とう、二人でこいつに。そして確かめよう。お前の力が何を成せすためのものなのか……!』
『……了解だ、マスター! 』
リベリオンから立ち上る光の勢いが増す。
「おおおおおおっ!!」
「?!」
素早く移動するレイトローズを追い、激しく剣を打ち合う。
キリキリと痛む全身から力を絞り出し、刀身に煉気を流し込む。
血が沸き立ち、痛みが思考から消える。闘志が俺の全身とリベルを包み込んだ。
「ハアッ!」
強烈な一撃をレイトローズの左肩目掛けて打ち下ろす。剣筋は読まれ、レイトローズが体を回転させながら宙を舞う。
リベリオンを叩きつけた地面が裂ける。
『左後方より刺突!』
音もなく死角へ回り込んだレイトローズの行く手を塞ぐように剣を振る。
奴を追い詰めようと立て続けに連撃を加えていく。
「うおおおおおッ!」
リベルの行動予測も戦いの中で観察を続けるうちに精度が増してきている。
同じ術を使った攻撃なら、もう当たりはしない。
「全身の裂傷、痛みで立っているのもやっとのはずだ。今の貴様のどこにこのような力と意志が……っ!」
リベルの思考が俺の思考に重なり、互いの意志が合わさるのを感じる。
限界を超え、一心同体となってレイトローズの剣に立ち向かう。
だから————。
心の奥から何かが溢れ出すのを感じる。
俺の意志とリベルの意志。それが重なり、未だ見ぬ能力が開花する。
『これは……』
『いけるか、リベル』
『……誰に物を言ってる。ちゃんと使いこなせよ、マスター!』
横薙ぎに振るわれた、輝くレイトローズの剣を撃ち払い、リベルのやたらと威勢のいい相槌に少しだけ笑みが漏れる。
「借りるぞ、お前の新しい力……!」
望むは力。望むは速さ。消し去るだけじゃない、生み出すは新たな可能性。リベルと俺が辿り着いた新たなる境地。
「叛逆の鉄槌、『リベリオン・オーバーリミット』」
俺の詠唱に胸の内でリベルの声が重なった。
右手に握るリベリオンの柄が強烈な青い光を放つ。眩く溢れ出る光が周囲を包み込む。
「なに!?」
リベリオンの突然の発光によりレイトローズは瞬時に退がり距離を取った。
握りしめたリベリオンが変形していく。白い持ち手がバラバラに分解され、右手に吸着し張り付いていく。腕に沿うように、右手の拳から肘までが覆われていった。
リベリオンはエルマーの使うガントレットのように、右腕を覆う白銀の籠手となった。
装甲に覆われた拳を握りしめると、青い光のラインが肘の方へ駆け抜けていく。何か強い力を全身から感じるようだ。
「形態変化する武器か……。だが、射程のある剣を失ってどうする。——影なる剣戟、『追奏撃』!」
その術はもうリベルに視られている。
予測の通りに動き、残像の刃を完璧に躱しきる。体は一瞬の遅れもなく思考の通りに動いた。
「これは……!」
『非想子領域を反転させた。今、マスターの体はフィルに干渉する事が可能だ』
全身から漲るこの力の正体は「飛力」か。本来俺が持たない力。
難しい事は分からんが、新たに発現したこの力は俺の身体を強化し、「空の加護」を付与するものなのか。
レイトローズの突撃を避け、背後に回り込む。奴の背中目掛けて拳を突き出す。
「速い……!」
俺の動きに反応し、竜鱗の剣の刃で受け止める。
左右にステップを踏んでフェイントをかけながら、リベリオンを装着した拳を叩き込んでいく。
体が軽い。羽でも生えたみたいに。
『マスターはドドーリアだ。加護が無い分、筋繊維の密度は普通の人間とは比較にならないほどに高い。オーバーリミット状態なら相当な速さと力が出せるはず』
リベルの言う通りに体は一瞬の遅れもなく、いやそれ以上に反応してくれる。速さは互角、いや僅かにこっちの方が速い。
「フウカに会わせろ、レイトローズッ!」
「無駄だと言っているッ!」
「お前は何故そこまでフウカを縛ろうとする!」
「決まっている! 彼女は私の……唯一の理解者だからだッ! 貴様のような凡愚に守れるのか、私に手も足も出なかったお前に……ッ!」
レイトローズがその憂愁の美貌に怒りを露わに、高速の連撃を振るう。
「大気よ、我が意に従え、『交響波』!」
彼の詠唱に応えるように剣が輝きを増し、波導が周囲へと拡散していった。
レイトローズが飛ぶ。そして、空中に足場でもあるかのように俺の周囲の空間を高速で縦横無尽に駆け回り始めた。
その空間機動力で俺を翻弄し、切り刻もうと剣が振るわれる。
動きの幅が広がりすぎてリベルの予測が覚束ない。
それでも慣れないフィルの感覚を掴みながら体を動かし、レイトローズの剣筋を躱す。
地面を強く蹴って跳ね上がり、空中で剣を弾く。レイトローズの後を追い空中を駆け回る。
全身から溢れ出す力はそれを可能にした。
空間を蹴って攻撃を避け、奴の頭上に白銀の拳を振り下ろす。
「ハッ!」
剣筋に拳を当てがい、竜鱗剣の軌跡を逸らせる。白い閃光が激しい火花となって散る。
攻撃をいなすと、奴はそのまま上空へ高く飛び上がった。
地面に降り立ちレイトローズをふり仰ぐ。
すると上空から落下しながらこちらに突きの構えを向けるレイトローズが目に入った。
「これで終わりだ……! 我が決意の刃、食らうがいい————、『響裂刃』!!」
繰り出された波導は、まるで空を覆い尽くすように周囲に広がる無数の光の刃。
それらが一斉に俺に向けて降り注ぐ。周囲一帯を切り刻む範囲攻撃か。
逃げ場はない。だが逃げるつもりもない。
『正面突破を!』
『おう!』
降り注ぐ刃とレイトローズに向けて、右腕をぐっと引き絞る。
周囲のフィルの流れを意識し、それを体の周囲に引き寄せるようにイメージする。いつもフウカがやっているようなことだ。
体の周囲を大気の層が渦巻く。これがフィルの操作。
より強く、濃く。刃の壁を打ち破り、そこに穴を穿つ。
必要なのは、パワーとスピード、そして回転力。
周囲から吸い上げたフィルを右腕のリベリオンを軸に、渦巻くように回転させ加速させていく。
そこにリベリオンを介してできる限りの煉気を乗せる。腕の周囲でバチッと青い雷が弾けるように迸りはじめた。
迫り来る刃に合わせ、全身の力を込めた拳を振るった。
インパクトの瞬間、すべての力が拳先の空間に集約するようタイミングを合わせ、煉気を加速させる。
「おおおおッ! 『イモータル・テンペスト』!」
暴走寸前の力の奔流が、拳の先で爆裂する。
リベリオンによって集められ、物理的なエネルギーへと変換されたフィルの塊は迫り来る残像剣の全てを粉砕し、その中心にいるレイトローズへと達した。
「ぐうぅ……ああああぁッ!!!」
その体を衝撃が駆け抜け、全ての術が解除される。彼は無抵抗に宙を舞った。
着地し、傷ついた体でよろめきながら体勢を立て直そうとしている彼に、追い打ちをかけようと飛び込んだ。
「は、ぐっ……!」
彼の白い首筋を掴み、体ごと持ち上げる。
「くっ……これまで、か」
レイトローズの顔を見上げていると、ふいに足から力が抜けた。
手が離れ、かくんと膝をつく。右手に張り付いていたリベリオンが淡い燐光となって消えていった。
そう、か……。煉気が、もう……。くそ、あと少し、だったのに……。
跪いで項垂れながら、荒い息を吐く。
目の前に立ち、俺を見下ろすレイトローズの足元を見る。
「は、はぁっ、はぁ……」
ゆっくりと顔を上げる。レイトローズは、痛みに顔を歪めながらなんとも言えない表情をしていた。
とん、と俺たちの横に誰かが立った。
「そこまでだ」
「……ユーヴェイン卿」
「勝負は決した。殿下……貴方の負けです。文句はないでしょう」
「……はい」
「ナトリくんっ!!」
今度はすぐ目の前に膝をつくリッカが目に入る。
彼女の顔は涙で濡れていた。随分心配をかけてしまったようだ。
「リッカ……」
「治癒エアリアです、口を開けて」
「ん……」
彼女はエアリアを飲ませてくれると、不安げに俺の体の様子を診始めた。
「少年。君の覚悟、確と見届けた。……強いな、君は」
「…………」
「君の願いは果たされることだろう。——ですよね、殿下」
「わかっています。貴様の意志の力が、私のそれを上回った。惨めに言い訳などしない。……私の負けだ」
ルクスフェルトはレイトローズに向き直ると、彼に両手を翳した。青く清浄な光が放たれ、治癒の波導が王子の傷を癒していく。
さらに別の足音が聞こえ、ルクスフェルトの近くに誰かが降り立った。
「ルクス、お前こんな場所で何をしている。随分と探し回ったぞ」
やってきたのは神官服を着た黒い長髪の青年。昨日神官クラリスに絡まれた時に、魔人化したリッカと戦った男だった。
「悪いルシル。決闘の証人になってたもんでね」
「決闘だと……? それに殿下も何故このような場所で」
彼はレイトローズの様子と、辛そうに座り込む俺を交互に見て、その表情を厳しいものに変えていく。
「まさか、殿下とこの者が?」
「そうさ」
「ルクス、貴様は一体何を考えている」
「いくら殿下と言えど、男同士の戦いに口を挟むなんて無粋だろう?」
「だからといってお前……。いや、それよりも緊急だ」
「緊急? 何かあったのか」
「そうだ。今朝早く、『凶兆』が出た。だからお前を探していた。殿下、こいつを借りていきますがよろしいでしょうか」
「足止めさせてしまい申し訳無い。行ってください」
「すみません殿下、何やら火急の事態のようですので、僕はこれにて失礼致します」
神官ルシルは俺とリッカの方に何か言いたげに少しだけ目をくれると、すぐルクスフェルトと連れ立って背を向け、去っていく。
途中でルクスフェルトが立ち止まり、背を向けたまま言う。
「君たちの処遇については殿下のご判断にお任せするとしよう。もし、決闘外で殿下の御身に危害を加えようというなら……その時は覚悟してくれ」
一瞬だけ威圧感を感じる気配を放ちそう言い残すと、今度こそ彼らは去って行った。
「…………」
残された王子は苦渋に満ちた表情を浮かべて俯いていた。
「フウカ様は、私の支えだった」
やがて、雲行きの悪い暗い空に視線を投げそう呟く。
「妾腹であり、幼き頃より王宮に居場所の無かった私にとって、彼女は唯一の拠り所だった」
「それで……、王城じゃなくこんな王宮の外れに住んでるのか?」
「そうだ。私の母はユリクセス。王宮では肩身が狭い。当然城などにはいられない」
雷鳴が聞こえる。
「エアブレイドの血を引きながら目立った才もなく、ユリクセスの血が混じる私は腫れ物扱いされていつも一人だった。しかしあの方は、フウカ様は——こんな私にも自然に接してくれたのだ」
レイトローズもフウカのことが好きなのだ。
そうか……。こいつも俺と同じでフウカを必要としていたのか。
認めたくないけど、俺には彼の気持ちが少し理解できる気がする。
ここ最近俺が感じていた空虚な思いを、彼はフウカが王宮から消えて以降ずっと感じていたのだ。必死に探しもするだろう。
「……フウカは本当に、王宮にいたいと言ってるのか」
「それは……」
彼は微妙に言葉を濁す。もしかしたら、レイトローズも答えをちゃんと聞いていないのかもしれないと思った。
「私は認めたくなかった。フウカ様が以前と変わってしまったことを。彼女がお前たちの元へ帰りたいと言い出すのを恐れ、無自覚に彼女の意思を確かめるのを避けていた……」
レイトローズは、記憶を失いすっかり変わってしまったであろうフウカにショックを受けたはずだ。
忘れられたことに。関係が消えてしまったことに戸惑った。
「でも、ナトリくんはあなたとの決闘に勝ちました。彼をフウカちゃんに会わせてあげてください。彼女の気持ちを確かめるべきだって、私はそう思います」
リッカが王子から俺を庇うように間に立ち、彼を見上げて言った。
レイトローズは切れ長の瞳を閉じ、しばしの間何か考えるように俯くと口を開いた。
「……返す言葉もない。私が間違っていた。ナトリ・ランドウォーカー、君の意思の強さに負け、ようやくそのことに気が付いた。……彼女に会わせよう。付いてくるがいい——」
「本当、か?」
リッカと目を見合わせ、少しだけ互いに安堵の笑みが漏れる。
レイトローズが離宮の方へ向き直る。そちらを見ると、宮殿の門の向こうからやってくる人影が見えた。
息を切らせてこちらへ走り、彼女は高い門を一飛びで軽く飛び越える。
鮮やかな橙色の髪に、薄紅色の瞳を持つ少女、それはフウカだった。
「フウ……カ」




