第188話 せめぎ合う心
悠然と半身に剣を構えるレイトローズの周囲を、見えない力の流れが渦巻いているように感じる。
「ナトリくんっ!」
「リッカは安全なところまで下がっていてくれ」
こうなるんじゃないか、とはなんとなくは思っていた。
目の前で殺気を放つこの青年とは、絶対に分かり合えない。
ミルレークで為す術もなく屈服させられた時からそう感じていた。
やってやる。全力でもってこの頑固王子と斬り合おう。あの時のリベンジだ。
そして、フウカを連れ帰る。
「叛逆の剣、『ソード・オブ・リベリオン』!」
リベリオンを手の内に呼び出し、中段に構える。
相手は王子。実力は未知数だが、響波導の使い手であることはわかっている。そして相当な速さで動ける。
レイトローズの鋭い視線に怯むことなく、こちらも彼の青と赤の瞳を見据えた。
奴の構えから張り詰めたような緊張感を感じる。剣術の腕前はかなりのものだろう。
対して俺は剣に関しては素人。普通にやれば負ける。
けどな、俺だって今日まで狩人として、守りたいものを守るために戦い抜いて来たんだ。
賽は投げられた。ならば屈してなるものか。
「エイヴス王国第六王子ステラ=レイトローズ・エアブレイド、参る」
「リベルと、ナトリ・ランドウォーカーだ!」
レイトローズが名乗りを上げる。決闘の作法など知らないが、彼に対抗するように俺も名乗る。
その直後、風が駆け抜けた。
動き出したレイトローズは一瞬で彼我の距離を詰め、こちらに向けて銀色に輝く細身の剣を突き出す。
胸部を狙った高速の突きをなんとか避け、続いて振られる刃を叩き落とす——。
『変調歩法。左手からの強襲突き』
突きから薙ぎ払いを繰り出そうとしたレイトローズが消える。
腰を落とし、奴の足元を掬うように剣を払う。
「!」
攻撃を読まれた王子はそれを身を浮かせて躱す。
払った剣を返す刀で即座に斬り上げる。
レイトローズは空中で体軸をずらすようにして光刃を掠めてやり過ごすと、再び鋭い突きを放つ構えを取った。
『正面は偽装。高確率で左手側からの突き』
リベルの言葉を反芻しながら体を引き、フェイク後の刺突に対処する。
同時にタイミングを合わせるように斬撃を叩き込む。
「おらッ!」
レイトローズは光剣の攻撃に合わせるように体を回転させて刃を掻い潜り、隙間なく容赦ない突きを見舞う。
「以前まみえた時とは、何か違う」
「俺達だって強くなるんだ、よっ!」
そうだ、あの時とは違う。
ここに来るまでの間、俺はリベルと共に力を合わせる戦い方についての相談をした。
俺はドドだ。普通の人間に比べると空の加護がない分動きが鈍重になる。
いくらリベリオンの圧倒的な攻撃力があったとしても、身体能力の差がでかすぎて勝つことは難しい。
そこで、俺はリベルに常時戦いのサポートをしてくれるよう頼んだ。
具体的には敵の行動の予測だ。
リベルは知識も妙に偏っているし会話もたどたどしいが、優れた計算能力を持っている。
俺なんかより何倍も頭がいい。
以前リベルに算術の問題を出してみたときにそれを実感した。
どれだけ複雑な問題でも、俺でも答えを出せないような難しい計算でも、一瞬で回答することができてしまうのだ。
今までも、俺はこいつの助言によって何度も命拾いしてきた。
そしてリベルは視界が広く、動体視力がずば抜けていることもわかっている。
その事から、リベルの桁外れな演算能力と観察力が戦いの中でも役に立つかもしれないと考えた。
結果は上々だ。リベルはレイトローズの全身の挙動を隈なく観察し、次に取る行動をある程度予測した上で、即座に意思を伝達してくれる。
リベルの思考をそのまま感じ取ることができるので時間差は発生しない。
「この前のようにはいかないぞ。今度こそ、その剣へし折ってやるからな!」
俺の遅さを補ってくれるリベルの「行動予測」を感じながら攻撃に対処していく。
これが俺たちが編み出した戦い方だ。
二人の力を合わせれば、俺たちは格上相手にだって負けはしない。
♢
いつの間にか眩しく輝いていた朝陽が見えなくなっていることに、王宮神官ルクスフェルト・ユーヴェインはふと気がついた。
陽は、昨日から王都周辺に停滞している大雲脈によって覆い隠されてしまっていた。
王都から雲脈が望めるのは珍しいことである。
そのことに何か常時とは異なる些細な予感を感じつつ、彼は目の前の戦いに視線を戻す。
行方不明となっていた神官フウカと行動を共にしていたらしい少年が、レイトローズ王子と刃を交えている。
王子を納得させ、公正な手段で決着をつけるため。
否、男の意地に配慮した決闘の提案——、王宮に仕える身としては誹りを免れぬような判断ではあったが、ルクスフェルトとしては王子の実力の程やこんな場所まで入り込んだ見知らぬ少年への興味が勝っていた。
万が一に王子が敗北することがあったとしても、彼の命まで取らせるつもりはない。
神官長補佐という地位にありながら、ルクスフェルとはそういった気まぐれを起こすタイプの人間であった。
何より、と彼は思う。
一人の少女に対する気持ちをぶつけ合う男同士の邪魔をするなんて野暮じゃないか、と。
レイトローズの剣跡は、王子という身分であるにも関わらず洗練された正確さを持っていた。
おそらく厳しい鍛錬によって得られたものであろう、とルクスフェルトは推察する。
王子の王宮内での立場を思えばそう不思議なことではない。
彼が響波導の大家である神官アンゼルゲル侯に教えを請うたという噂も彼は耳にしたことがあった。
それに対する珍しい緑色の頭髪をした少年は、実に平凡だった。
その動きは到底褒められたものではない。速さはない。キレもない。鈍重であり、軽やかさと俊敏さから繰り出される高速の剣技を誇るレイトローズには遥かに及ばない。
下手をすればそこらの一般市民にすら劣る動きである。
だが、読みという点において少年は確実に王子を上回っていた。
まるで次にどのような攻撃が繰り出されるかわかっているかのように、レイトローズの斬撃を躱しながら的確に攻撃を差し込んでいく。
相手が次にどんな手を打って来るかわかっていれば、スピードで劣っていたとしても対処する術はある。
彼はそのような不思議な戦い方をしていた。
何故頑なに空の加護を使わないのか、不思議に思いつつ少年の動きを追っているうち、ルクスフェルトは彼の周囲を取り巻くフィルの流れに違和感があることに思い至る。
人は人体の動きに付随して常に何かしらの干渉をフィルに対し行なっている。それが「空の加護」の恩恵だ。
それを意識的にやらない、というのは却って難しい。というか、ただ動き辛くなるだけでそうする意味がない。
しかし、少年を取り巻くフィルの流れは非常に静かであった。まるで一切の干渉がないかのように。
フィルの助けを受けず、自らの動きに枷を掛けることに一体どんな意味があるのか、ルクスフェルトは興味深げに二人の戦いを見守った。
♢
攻撃をことごとく潰してやると、レイトローズは俺から距離をとった。
細い刀身に手を添え、詠唱する。
「大気を震わせ、『響断剣』」
銀の刀身が輝き、光を纏う。波導を剣に流して戦う波導剣士のスタイル。
「フウカ様は王宮に必要な方だ。貴様は何も理解していない」
音を置き去るような速度の踏み込みから、一瞬で間合いを詰めて突きが来る。
リベルの行動予測に従い、それを避けながら反撃の機会を狙う。
「……あッ?!」
突きは躱したはず。だが、左腕の横を通過した剣に、見えない刃でも付いていたかのように二の腕が裂ける。
「く……」
『響波導。剣の周囲の大気を波導によって高速振動させることで、同時に不可視の斬撃を実現している』
『不可視の斬撃……。リベル、視えるのか?』
『経験の蓄積によって、その範囲は予測可能』
視れば視るほど対処できる可能性は上がるってことだな。それまではなんとか致命傷を受けずにやり過ごせれば……。
「王宮にフウカを閉じ込めて、神官の仕事を強要するのか」
「当たり前だ。彼女はそれを理解した上で神官となったのだから」
刺突の雨を避けながらじりじりと下がる。避けきれない波導の刃が徐々に体に傷を増やしていく。
「それはあの子が記憶を失くす前の話だ!」
レイトローズの剣撃の先を塞ぐようにリベリオンを振り回す。
「貴様の、せいで……」
「?」
「貴様のせいで、フウカ様は変わってしまわれた! ——影の刃、『追奏撃』」
リベリオンを掻い潜り、沈み込んだレイトローズから高速の剣が繰り出される。
『左に半歩、右後方へ回避を——』
リベルの予測通りに体を運ぶ、が俺の脇腹を衝撃が駆け抜けた。
「づあッ!!」
突きのない位置から攻撃が飛んできた。今の術か。
まるで奴の手と剣が増えたみたいに——、避けたはずの場所に斬撃が飛んでくる。
胴を守るラケルタスクロークのお陰なのか、傷を負ってはいない。
でも生身の部分にもらえばきっと無事では済まされない。
剣に力を込める。刃を巨大化させ、後退しながら周囲を薙ぐように振り抜く。
地面を抉り取り、体を浮かせたレイトローズを叩き落とすように更なる連撃を見舞う。
彼を追い詰めようとそこら中に破壊の痕跡を残しつつ、宮殿の前庭を滅茶苦茶にしながらリベリオンを振り回す。
俺を飛び越えるように剣を避けるレイトローズ。空中でさらなる回避行動を取られる前に、大上段から刃を振り下ろした。
「共鳴せよ——、『竜鱗の剣』」
リベリオンを振り下ろす腕が止まった。
まさか、と驚愕に目を見開く。
リベリオンはどんなものだって切り裂いてきた。フィルを消滅させるというこの刃に、斬れないものは存在しない。だというのに。
それが、初めて受け止められた。
高音を響かせながらリベリオンを受け止めるレイトローズの剣を注視する。
銀の細い刀身を覆うように、輝く刃が現れている。まるでリベリオンの光に拮抗するように激しく白い火花を散らす。
斬撃を受け流すように剣を弾くと、彼は地面に降り立った。そこへ畳み掛けるように斬り込む。
だが、レイトローズは余裕を感じさせる身のこなしで俺のの斬撃を自身の剣で逸らしていく。
『「竜鱗の剣」という術、あの輝く刀身は消し去る側から波導で再生されている』
『リベリオンの消去の力を上回る勢いで波導を発生させつづければ受け止められる、ってことかよ……!』
渾身の一撃は真正面から受け止められた。鍔競るように剣越しにレイトローズと睨み合う。
「恐ろしい力だ」
「——なんだって?」
「何故貴様のような者が、そのような力を手にしている?」
奴の波導を纏った剣を力任せに弾き、さらに互いの刃を重ねる。
「これは本来あってはならないものだ。世界にとっての害そのもの。やはり貴様はここで斬らねばならない」
「っ!」
「切り刻め——、『乱奏撃』」
レイトローズの繰り出す突きが、幾重にも重なるようにぶれて見えた。
俺はリベルの声に従い最も安全と考えられる行動をとったが、高速で繰り出される実体を持った残像のような無数の刃を全て避けるのは不可能だった。
「ぐがっ!!」
速すぎてリベリオンで弾くこともかなわず、全身を切り刻まれる。
リベルのおかげで致命傷には至っていないが、身体中からきりきりとした痛みと流血を感じる。
それでもレイトローズの剣は止まらない。痛みに悲鳴を上げる神経を強引にねじ伏せて、奴の剣に斬撃を会わせる。
しかし、向こうが回避するしかなかった今までと形勢が変化し、こちらが徐々に劣勢に陥っていくのがわかった。
少しでも気を抜き、リベルの予測を漏らせばそこに傷が増える。
行動予測に混じって心の中にリベルの別の声が響く。
『私は、存在すべきではないのか』
普段感情の窺えないリベルらしくない、少し弱気さを含んだ声。
『そんなことはない。こいつらの言うことなんて気にするな』
『私は、私の存在理由を理解することができない。想子を消し去ることしか、できない。何も生み出すことは、できない……』
何か様子が変だと思ってたら、そんなことを悩んでたのか……。
「ナトリくんっ!!」
リッカの悲鳴に近い叫びが聞こえる。
ああくそ、痛みに腕が、体ががくがくと震える。血が抜けていく感覚。まずいな……。
「さっきまでの威勢はどうしたっ! その程度の力量でフウカ様を守るなどと……。貴様にとって、彼女はその程度の存在かッ!」
俺にとって、フウカは。
「私が彼女を守る。お前は彼女を不幸にするだけだ」
「……っ!!」
レイトローズの剣閃が俺の腕を抉る。頬を切り裂く。
「ぐうぅっ!」
……俺はいつもこうだな。
いつだって自分の無力さに喘ぎ、溺れかけている。
刹那の瞬間視界に入る、リッカの絶望的な表情が脳裏に焼き付く。
好きな女の子にあんな顔をさせるのも、リベルを一人悩ませるのも、フウカを連れ去られてしまったのも、全部俺のせい。いつも何かを取りこぼす。
俺はみんなから数えきれない程助けられているのに。
なのに俺は……。何もできない。
「お前には足りない。あらゆるものが。力も、覚悟も、意志の強さも!」
「……そんなこと、ない」
「いいや、ここで貴様の意志を私が叩き斬ってやる」
銀色の刃が空気を切り裂き襲いくる。
レイトローズの剣が俺の体を引き裂く。
俺が無力な男でも……。
それでもみんなからいろいろなものをもらってここまで来ることができた。
フウカから、前を向いて生きようとする強さを。
クレイルから信頼を。
リッカから心の支えを。
リベルから戦う力を。
俺がみんなに渡せるもの。
それは……意志だ。
決して折れない心。運命に屈することのない、叛逆の意志。
……こんなところで諦めてたまるかよ。いくら傷つこうとも、だ。
リッカが、リベルが、フウカが見ている。
「……きだ」
「?」
「俺は、フウカのことが、好きだ……!」




