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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
五章 セフィロトの翼
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第179話 白と黒

 


「大地よ白き砂塵となれ————、『砂化セケル


 王宮神官クラリス・ヘリオロープは私の元までやって来ると、地面に長杖を突き立てて詠唱する。


 冷や汗が吹き出し平衡感覚が定まらぬ視界の中、吐き気を堪えながら彼女を見上げることしかできなかった。


 私を助けようとして、彼女に向かっていったナトリくんが砂に飲まれた。助けなきゃ……。



「ッ!?」


 突然訪れた浮遊感。私の体は地面の支えを失って急速に落下していく。

 クラリスは私の足元を砂化させ、地下へと滑落させる気だ。


 落下しながら少しだけ気分が回復する。彼女の波導領域から逃れたからだろうか。


 まだ震える手で杖を握る。


「星よ……。その御手により我が身を掬い上げ給え、『星掌マイア』……!」


 ぐちゃぐちゃの思考をなんとかまとめて波導を放つ。


 術の感覚が空間へと伝わり、落下の勢いが急速に弱まる。


 なんとか地下の地面にふわりと着地することに成功した。


「見慣れぬ術です。落下する速度を軽減したように見えましたが。風ではない。まさか……黒の波導の使い手?」


 クラリスが少し先の地面に降り立つ。周囲を確認すると、広くて薄暗い空間に落ちたことが窺えた。

 それなりの高さを落ちてきたようだった。


 ナトリくんと引き離されてしまった。彼は無事だろうか。早く戻らなくては。


「私をどうするつもりですか」

「わたくしは貴女の正体を知りたいのです。何らかの自覚はあるのでしょう?」

「……あなたに言えることは何もありません」


 王宮の技術なら色欲の厄災をなんとかすることができるのだろうか。


 日夜様々な研究が行われ、新しいものや古代に失われた技術が次々と生み出されると言われるこの場所なら……。



 でも、私の中に厄災が宿っていることを正直に告白したら大人しく解放してもらえるだなんて素直に思えない。


 王宮は厄災が復活したことを公表してない。私の身柄も拘束されてきっとみんなのところへ戻ることはできなくなる。


 少なくとも今彼女に捕まるわけにはいかない。フウカちゃんに会うまでは……。



「しらを切る、というならそれでも構いません。その代わりわたくしの波導で調べて差し上げますわ。

 貴女をもう一度、夢の中へと誘いましょう。白昼の夢、たゆたうは——あら」


 目を閉じる。彼女の波導は私の感覚器官から体内に入り込んで体に変調を誘発する。


 人間は視覚に頼って生きているから、彼女の幻覚で最も強いのはきっと視覚に干渉する術だ。


 だったらそれを封じる。単純だが効果的な手段のはず。


 私は感知型の術士ではないけれど、周囲に偏在するフィルの分布くらいは感じ取れる。


 クラリスの位置と、波導の気配を目に頼らず把握するのだ。


 なんとか彼女に馬上の射手(サジタリウス)を命中させ、その動きが停止した隙を見てナトリくんのところへと戻る。


「目を閉じるのは悪手では? ——でも無駄ですわ。立ち込めよ花の香、『幻視香フラロウス』」

「!」


 クラリスから周囲に向けて波導が発散されるのを感じ取る。


 それは瞬く間にこの空間を満たしていき、私を包囲してしまった。


 途端に彼女の感覚がぶれ、曖昧になっていく。


「『障壁ウィオル』!」


 波導障壁を球体上に展開して、地面との隙間なくすっぽりと体を包む。


 彼女の波導を遮断することはできたけど、これじゃ身動きがとれない……。


「お忘れかしら。私の波導は白だけではなくてよ。鋭角の槍、『石杭アガンジュ』」 


 クラリスの詠唱と、地面を伝う波導の感覚を感じ取る。


 私の周囲に展開した障壁ウィオルが、地面から突き出す無数の杭によって粉砕され粉々になって砕け散った。


「うっ……」


 鼻腔を突くような甘い香りを吸い込んだ途端、感じ取っていたクラリスの反応が霧散する。


 見失ってしまった。


「ここにあなたを救い出してくれる王子様はいませんことよ。観念なさい」

「っ! 私は……ナトリくんのお荷物じゃない。あなたを止めて彼を助けます!」

「仲間想いですわね。……でも彼は貴女のことを、同じように助けてくれるのかしら?」


 ふとフウカちゃんの後ろ姿が脳裏に過るが、すぐに頭を振って切り替える。


 こんな煽りに揺さぶられてはいけない。



「私は……私のために、彼のためにここにいる。もう誰も失わせない!

 天翔ける猛き獣、遥かなる星霜の果てより来たれ。今ここに顕現し、周く衆人の首を垂らしめよ——、『黒角の牡牛(エルナト)』!」

「!」


 多量の煉気アニマが急速に杖を通じて外界へと放出されるのがわかる。


 目を閉じ、杖を両手で握りしめて術の構築に集中する。


 周囲の地面が音を立てて軋んだ。波導は広範囲に渡って広がり、この薄暗い空間を伝播していく。


 黒角の牡牛(エルナト)は物体が持つ下へと引き寄せられる力を増大させる波導だ。

 この術の影響範囲内の物体は、自らの重みを増し地面へと叩きつけられる。それを広範囲に渡って展開した。


 閉ざされた視界の中にクラリスのフィル反応を知覚した。その方向へ向かって跳躍する。


 周囲を漂っていた、香りによって幻覚を引き起こす波導は黒角の牡牛(エルナト)の術で全て地面へとはたき落とした。逃さない。


「停滞せよ、『馬上の射手(サジタリウス)』!」


 詠唱を刻み、杖に波導の矢を番え解き放つ。


 確かな手応え。居場所を暴かれ、黒角の牡牛(エルナト)によって身動きを取れなくなったクラリスの反応。そこに私の放った波導の矢は命中した。


 ようやく目を開く。が、目の前の光景に愕然とする。


 確かにクラリスのフィル反応を感じた位置。しかしそこに彼女の姿はなかった。


「なん……で?」


 こんなにハッキリと、確かに感じるのに。どうして姿が——。そこではっとする。



「驚きですわ。まさかここまで自在に黒波導を操る者がいるなんて」

「?!」


 彼女の声が地下空間に響く。壁に反響していてどこから聞こえるのか特定できない。


「けれど甘い。視覚も、嗅覚も信用しないというのに、何故フィルは信じようとするのです?」

「ぁ……」


 色濃く感じていたクラリスの反応が霧散する。


 そう、だった。外界のフィルを感知する力だって人間の感覚の一つであるのに。


 人間は普段視覚に頼っているから、フィルの感覚だけ操っても人を欺くのは難しい。けど、その視覚が封じられていたら。


 ——「かき乱せ、揺らめき波音、『崩曲オーディアル』」

 ——「霜降るは夢現の狭間、『白零下クロセイル』」


 背後から、歌うように重なり合う二重詠唱(ハーモニクス)


 キン、という短い音と直後のめまいに視界がぐにゃりと歪む。


 さらに背筋を駆け上がる悪寒。体を抱えるように、立っていることもできずにその場にへたり込んだ。


 これが、王宮神官の実力。

 とても敵わない……。


 頭の中はぐちゃぐちゃで。


 もう何も、何も考えられない————。


 足音のようなものが聞こえる。本物のクラリスが近づいてくる。



「人の持つ感覚器官は五感だけではありません。例えば『温感』。フィルを感じとる『空感覚』もそうですわ。そして」


 トッ、と背後から私の肩に杖の先端が載せられた。横目にそれを見るとエアリアが白く発光を始める。


「最も刺激の大きな感覚は触覚。痛覚を通せば術の効果は劇的ですわね。

 蝕まれし者、汝我が声に従え。『従縛ククルカン』」

「ぁ゛……う゛ううっ」


 全身を締め付けられるような苦痛が駆け回る。そして私の体は指先すらも動かせなくなった。


「貴女の中身、見せていただきますわ」


 声を出したくても、喉が思うように動かない。息を吸い込むだけで精一杯。……苦しい。痛い……。


「ぁぅ……た」



 助けて……。ナトリ、くん。



 青い一筋の閃光が、視界の端を過ぎる。


 ガラスが砕け散るような高い音、さらに何かを抉るような大きな破壊の音。


「!」


 ふいに体の力が抜け、後ろに倒れこむ。けれど私は地面に転がることはなかった。


 私の体を誰かが支え、抱きとめてくれる。暖かい胸。



「ごめんリッカ、待たせたな」

「ナトリ……くん」


 この世で最も頼れる人の顔が、そこにあった。





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