第177話 王宮神官
そのコッペリアの女性は姿勢良く伸ばした背筋のまま静かに歩き、凛とした佇まいからはどことなく高潔さのようなものを感じさせた。
俺たちは何者か。
彼女はそう問うた。出会い頭にそんなことを訪ねる理由——それは彼女が、俺たちがこの場、この状況にそぐわぬ人間であると認識しているからに他ならない。
変装におかしな点があったのか、それともこの場所を通ったのが駄目だったのか。
いずれにせよ沈黙は疑いを深める。
「私たちはラングロット家に仕える使用人です。何か御用でしょうか?」
拙い言い訳を口にする。今の所俺たちに怪しまれる要素はないはずだ。
彼女は切り揃えられた針金のような前髪の下から覗く、ガラス玉のように透き通る碧い瞳でじっと俺とリッカを見つめてくる。
何を考えているんだろう。衛士ではなさそうだが、これ以上の会話はボロが出る。
「申し訳ありません。急いでおりますので、これにて失礼いたします」
「待ちなさい」
即座に彼女は静止の言葉を発する。その声には有無を言わせぬ圧力があった。
「影」
「……?」
「寒心なる黒き影。深淵にも似た憎悪。貴女のことですわ」
彼女はリッカをまっすぐに見てそう言った。その目が細められ、鋭い視線が彼女を射抜く。
「私……ですか?」
「わたくしがここへ参ったのは貴女の正体を見定めるためです」
「!」
疑われている。彼女は何かしらの確信を持ってリッカを追求しに来たようだ……。
何故俺たちが侵入者であることがバレたのかはわからない。でも彼女は俺たちを先へ進ませるつもりはないようだ。
「……リッカ!」
「はいっ」
俺たちはその場から脱兎のごとく逃げ出した。
逃げながら後ろを確認する。彼女は俺達を追うでもなく、同じ場所に佇んでいる。
すぐに脇道へ入り、走る。さらに角を曲がった直後、俺達は足を止め、驚愕した。
道の先から、先ほどのコッペリアの女がこちらに向かって悠々と歩いてくる。先回りされたか。
「くそっ!」
すぐに切り返し、人気のない通りを走る。いくつかの角を曲がり、通路を抜けた。
しかしそこは最初に白服の女と遭遇した天蓋広場だった。
広場の中央ではやはり彼女がこちらを向いて静かに佇んでいる。
「……っ!」
「逃げても無駄ですわ」
意味がわからない。俺たちは彼女を撒くように、遠ざかるように逃げたはずなのに。
彼女は一瞬で先回りし、俺たちは元の場所に戻ってきてしまっている。
「どうなってる……」
「これは……たぶん白波導です」
「白波導?」
「はい。白波導の術には、生物の感覚を狂わせ幻覚を見せる術がありますから」
あの女が俺たちに幻を見せてるっていうのか。
「私たちは既に彼女の術中のようです……」
「くっ……。あんた一体何者だ。俺たちは王宮に害を為したりはしない。放っておいてくれると嬉しいんだけどな」
「わたくしの名はクラリス・ヘリオロープ。王宮神官を務める者。星詠みにて捉えた邪なる気配。貴女の化けの皮を剥がして差し上げますわ」
神官クラリスと名乗る女性は空色のローブの内側から白い長杖を抜き放つ。
「王宮、神官……!」
「邪なる気配って、なんだよそれ!」
まさかこんな場所で神官なんて大物が出てくるなんて。
クラリスは俺たちを侵入者として断罪しようというつもりか。何か誤解されているみたいだ。
誤解を解くことができれば、あの物騒な杖を収めてもらえるか……?
彼女の注目は今の所リッカのみに向いているらしいが。
邪だと。リッカが……まさか。
「リッカ、あの人もしかして」
「……あの人が言っているのは、私の中にいる色欲の厄災のことなんじゃないでしょうか」
リッカが傷ついたような顔で呟く。
厄災の持つ力は強大なものだ。リッカの中で休眠しているとはいえ、それを感じ取る力を持つ者がいてもおかしくはない。
彼女はどうやってかリッカに間借りする厄災の存在に気づき、その正体を確かめるためにやってきたというのか?
もし、リッカが厄災を宿していることが発覚したら。
彼女も王宮に囚われてしまうんじゃないか。きっと王国は、そんな危険なものを野放しにしておけないと考えるだろう。
俺は彼女を連れて来るべきじゃなかったのか?
……冗談じゃない。リッカまで奪われてたまるかよ。
どう切り抜ける。必死に考えを巡らせていると、リッカが前に歩み出た。俺に聞こえるように呟く。
「ナトリくん。彼女の狙いは私です。きっとまだ私たちの目的までは把握していないでしょう。だから、私を置いて先に進んでください」
そう言うと、彼女はドレスの裾の内側に隠していた杖を抜き、構えた。
元貴族であるリッカが、神官に向かって杖を構える意味を理解していないはずがない。
しかもここは市街地だ。自殺行為とも言える行動に瞠目する。
「…………」
「ナトリくん!」
自分のせいで俺たちは彼女に見つかった。だから責任を——。そんなことを思っているんだろうか。
リッカを庇うように前に立つ。俺のために危険を犯そうとする彼女を放って一人先に行けと?
どんな薄情者だ。クレイルの時とは違い、今俺は戦うことができる。
俺はリッカを守るためなら剣を抜く。
「置いて行けるわけないだろ」
「……ナトリくん」
確かな意思の元、手のひらに意識を集中する。
「叛逆の剣——『ソード・オブ・リベリオン』」
俺は青光を放つ剣を神官クラリスに向けて構えた。




