第175話 炎と雷
剛気功による筋力強化はすでに切っている。身にまとう蒼炎が、何も意識せずとも剛気功と同じ効力を発揮していたからだ。
その燃えたぎる刀身から勢いよく蒼い炎を噴き上げる炎刀『鬼断』と、フュリオスの拳に装着された紫電を帯びて発光する鉄甲が激突し、激しい摩擦音と波導を散らせながらせめぎ合う。
「おおおおおッ!」
「らああああッ!」
本来、火の波導術である火剣には実体としての刀身は存在しない。
だが、俺の身体から噴き出すこの蒼炎の波導によって作り出された「鬼断」には、どういうわけだか実体としての刀身が存在するらしい。
質量のある炎。盟約の印に適合したことにより、体にまとわりつく炎が俺自身を灼く感覚は消えた。
むしろ見た目通り若干の涼しさすら感じる。
右手首に浮かび上がった蒼く輝く刻印を見下ろす。
自分で刻印の力を使っていながら、その基本的な構造はやはり理解できそうにない。
俺は刻印に関してはほぼ門外漢だが、きっと本職でもこの刻印の組成の複雑さには舌を巻くであろうことは想像に難くない。
この身から溢れ出す力。こんなちっぽけな刻印の内部に、一体どれほどの要素と刻印式が刻み込まれているのか。
ダルクが神の心だなんだというだけのことはある。
「チィィッ!!」
鬼断から噴き出す炎がフュリオスの拳に纏わり付き、その手に込められた雷を炙っていく。
蒼炎が紫電を喰らい、奴の皮膚に炎が届く直前で拳が引かれた。
フュリオスが水道管に手をかざし、電流をそこに流し込み始める。
「鬱陶しい力だなァ、クソが! 仕留めろ、『飛雀』!!」
通路内に縦横に巡らされた水道管を伝って紫の電流が走り始める。
それは数を増やしながら俺の方へ迫ってくる。
「来たれ炎魔の燈、『鬼火』」
通路の薄闇の中、周囲の空間に揺らめく蒼炎が灯る。次々と現れる炎は八つまでその数を増やした。
浮かんだ炎を意のままに操り、俺を貫こうとする電撃と相殺させ防ぐ。
管の位置を把握しておけば予想外の方向から雷撃を食らうことはない。
フュリオスの波導を防ぎきり、残った二つの鬼火を奴に向けてけしかける。
「この、程度でぇ! 俺が倒せるかよォッ!!」
飛来する二つの鬼火を拳で打ち砕き、すかさずこちらへ突進してくる。
だが、その鬼火はフュリオスを数瞬だけ足止めするための攻撃に過ぎない。
後退しながら詠唱し、大量の煉気を注ぎ込んで術を構築する。
「冷涼たる蒼炎——『不知火』」
杖に付いた火のエアリアが本来あり得ない青い輝き放つ。
蒼炎の波が溢れ出し、通路内を燼海へと変えていく。空間を覆い尽くす炎が、憤怒の形相を浮かべこちらに迫るフュリオスを飲み込んだ。
「ぐっ」
膝から力が抜け、片膝をつく。盟約の印は俺の煉気をごっそりと奪っていく。
気力型の俺だからまだいいものの、均衡型のリッカにはキツイ代物だな、これは。リッカは印の力をよく使いこなしている。
一面炎に覆われ、蒼く照らし出された通路内。ゆらめく炎ごしに人影が動いた。
「『雷華』……!」
紫電の球体が蒼炎を跳ね除ける。眩しい光球の中心に見えるのは、痛々しく火傷を負ったフュリオスの姿。
帯電した波導を全方位に向けて放つ技か。波導を放出し、蒼炎を相殺しながらまだ向かってくる気だろう。
「ああああッッ!!! クソが! てめえ如きにこのオレが負けるかよッ!! そんなこと許さねえ……、許さねえ許さねえ許されるわけがねえッ!!」
「ギャーギャーうるせーな、単細胞女が」
「オレの『紫電』を舐めてんじゃねえ。こいつで消しズミにしてやるよォ!!」
体を蒼炎に焼かれ、ブチギレながら突攻してくるフュリオス。その体にまとう波導の気配が膨れ上がった。
さっき使った雷華という技で、体に溜め込んだ紫電の波導をほとんど放出したように見えたが……。一体どこにこんな力が残っていたのか。
その爆発的な力の気配に驚愕する。生命力を削って直接波導に変換しているのか——。
「とっとと潰えろ——、これで終いだッ! 喰らい尽くせ雷の龍、『紫電九龍』!!!」
瞳孔を見開き凶相をむき出しにして俺を睨めつけるフュリオス。奴の全身から再度雷撃が放たれた。
無数の極太の電流がうねるようにして通路全面を塞ぐように解放される。
何体もの首を持つ雷龍が、俺を噛み砕かんと牙を剥くようだ。食らえば即死は間違いないだろう。
身を守るか、いや……守りきれなければ今度こそ動けなくなる。俺の煉気も心もとない。
この大技を防ぎきれるかは怪しい。ならば、こちらも余力を使い切って全力をぶつけて打ち勝つしかない。
今扱える最大の力、全力の波導で以って迎え撃つ。
「いいぜ、お前の雷と俺の炎、どっちが強えか決着つけようや。
————神をも焦がす業なる炎……喰らえよ。燼滅の火焔葬、『火之迦具土』」
俺の煉気を媒介に、轟々と燃え盛る蒼炎の魔神が顕現する。
暴虐なる嵐となって舞い上がる炎の渦は、フュリオスの雷撃の龍と正面から激突し熱波と破壊の限りを周囲へと撒き散らす。
波導自体が生きているかのように雷龍を飲み込み、食らい、地響きと共に地下水路の内部を蹂躙していく。
「オオオオオォォッ!!!!」
激光と轟音、攻撃の余波に耐えながら煉気を杖へと注ぎ込む。地鳴りのような音が水道路に反響し、風景が揺れる。
全てが収まった時、通路内は酷い有様だった。あまりの高熱に溶け、黒焦げた壁や地面、そこら中で燃え残る炎に燻る黒煙。
水道管は破裂、溶解し、いたるところで漏れて水音が鳴っている。
そして前方の地面に横たわる赤髪の女。
「あああああクソ、クソがっ! このオレがぁぁッ!」
フュリオスはもはや動くことはできない。
全身に酷い火傷を負い、両腕と下半身は完全に蒼炎に包まれ、崩れかけている。
俺も体の力が抜け、地面に両膝をつく。手が震え始めた。……練気切れだな。
「まだ生きとるな。……お前の負けや。俺の質問に答えろ」
女は半分焼け焦げた頭だけを動かしてこっちを見ると、ギリッと歯を剥く。
瀕死の重体でも瞳には尽きることのない怒りの感情が揺らめいている。死にかけでも屈しないつもりか。
「答えろ。ククルの住民を皆殺しにしたのはどこのどいつや」
「……見下ろして、んじゃねぇよ」
「お前の中にあるのは結局ひたすらただの怒りだけだったってわけか。空虚なもんやな」
「カッ……。テメーもたいして、変わんねぇだろ。ちっ……。こんな臭ぇ場所で死ぬのか、よ、オレは……クソ、クソがァ……!」
今までこいつが殺ってきた何人もの人間と同じ末路だ。それがいつか自分に返ってくるなど、こいつは考えもしなかったのか。
……それは俺自身にもいえることかもしれないが。
「口を開けば罵倒か。てめえの性根は死なんと直らんな。……なんなんや、お前らは。ロクに詠唱も使わねえ波導使いのくせに揃ってアイン・ソピアルなんて高尚な力をもってやがる。まともな奴は一人もおらんのか。世界の害悪共がよ」
フュリオスは口の端を歪め侮蔑を込めて笑う。
「どの道テメーら全員死ぬんだよ。滅びるのが早いか遅いかの違いだけだ……。何も知らず、何もせず、何もできねえ。ああムカつくぜ……」
「滅び……、厄災のことか。お前らもアレのことを知っとるようやな」
「せいぜいもがき苦しみながら滅びの時を迎えるんだな。……クソゴミ共」
蒼炎がフュリオスの体を蝕み、皮膚を溶かし肉体を溶解していく。
それでも奴は俺から目を反らすことも瞬きすることもなく、ひたすらに怒りの感情と呪詛の言葉を吐き続ける。
「どのみちお前らエンゲルスは全員潰す。お前が吐こうとそうでなかろうとな。一人ずつ屠っていけばいつかはそいつに辿り着くやろ。最初からアテにはしとらん」
「俺らを潰すだ? はははっ!! お前はわかってねえ。何もかも。……はっ。どうせ俺はここで終いだ。いいぜ、教えてやる」
「どういう心境の変化だ」
「別に。テメーの顔が絶望に歪むのも面白そうじゃねぇか。……だから敢えて教えてやるんだよ」
足元に這いつくばる女を見下ろし、睨め付ける。
「システィコオラに行ったのは『ジョーイ』だ。あのクソ女がどうなろうがオレの知ったこっちゃねえ」
「クソ野郎にクソ呼ばわりされるたァ相当な奴だな」
「……教えたところでテメーにジョーイは殺せ、ねえ……なにせあいつは——」
フュリオスは悪意に満ちた表情を歪めながら嗤い、蒼炎に覆い尽くされていった。
通常の炎を上回る火力で、奴の体は間も無く焼け崩れ、塵となった。
「……ジョーイ、か」
体に灯る蒼炎を消し去り、震える手で煉気水を取り出して口内に流し込む。
すぐには動けないがこれでとりあえず煉気切れで昏倒することはないだろう。
突如出現したエンゲルスの襲撃者、「紫電」の使い手フュリオス。
盟約の印を克せなければ殺されていた。
憎たらしいエンゲルスの連中に対して同情などない。
奴らは俺の故郷ククルを破壊し、家族や友人の命を悉く奪い去った外道だ。
俺は止まらない。ジョーイを殺し、奴らを潰し、この譲り受けた蒼炎で焼き尽くすまで。
「悪ィなナトリ、リッカ。すぐに追いつくのは無理だ。気張れよ……」




