第173話 紫電
獄炎の向こうに走り去っていくナトリとリッカの姿を見送る。これでいい。
戦うことに自信はあるが、誰かを守りながら戦うのは苦手だと自覚している。
護衛依頼なんかでそういう経験をしたこともあるにはある。が、やはりこっちの方が俺の性分には合っているだろう。
一対一。目の前で体を発光せる女の顔を見ると、自然と口角が持ち上がるのがわかった。
俺は嬉しいのだ。こんな場所でこいつと会えたことが。
「名前を聞かんでもお前が何者かの見当はつく」
「言ってみろよ」
女は獣が格下の獲物を見定めるような、自分の方が高みにでもいるかのような目で俺を見る。気に入らねえ。
「————『紫電のフュリオス』。エンゲルスの構成員やろ?」
「フン」
奴は否定も肯定もしないが、間違いないだろう。
エンゲルス。スカイフォール各地で破壊工作や殺戮を繰り返す最悪の犯罪集団だ。
その成り立ちは古く、こいつらは歴史の裏で常に暗躍してきたと噂される。
特筆すべきはその残虐性と、組織に対する忠誠心だろう。奴らに襲撃された村や町は数えきれない。
財産や金品が行動の目的であることはほとんどないと聞く。
まるで殺戮が目的だと言わんばかりの悪行の数々だ。反吐が出る。
そして俺の目の前にいる、「紫電のフュリオス」と呼ばれるこの気性の荒い女はエンゲルスの中でもそこそこ有名な賞金首とされている。
雷を操るアイン・ソピアルを持ち、非常に高い戦闘能力でとにかく手当たり次第に殺しまくる。
時空迷宮でアイン・ソピアル持ちと戦ったばかりだというのに、間をおかず狂犬のような波導使いと相見えるとはな。
果たして運が良いのか悪いのか。いや、これはチャンスだろう。
「てめえが何故王宮地下なんぞに忍び込んどるのか、そんなこたァどうでもええ」
「あぁ?」
「よくやく——、尻尾を掴んだぜ。ナトリとフウカちゃんには感謝せんとな」
フュリオスの姿と波導を見ただけで本人だと断定したわけではない。
だが確信がある。
同じなのだ。胸がむかつくような嫌悪感。
マグノリア公国で遭遇した変態女アガニィに、俺の探しているあの女。
そして————フウカという少女。
「一人で納得してんじゃねぇぞコラ!」
ナトリ達とは反対方向に逃げるように、こいつを誘導しながら地下通路を駆ける。
フュリオスは当然のように俺を追ってきた。
行く手を塞ぐ水道管を軽快に飛び越しながら迫ってくる。
「烈炎の矢、『火焔』」
「オラァ!」
奴の進路を塞ぐように打ち出した火球を、止まることなく拳で打ち砕いてくる。
素手ではない。拳闘士が試合で手に装着するセスタスのようなものを握りこんでいた。こっちは明らかな凶器だが。
フィルを媒介しやすい金属、おそらくはフィルリウム鋼鉄製の鉄甲か。
アイン・ソピアルの厄介な点は、基本系統の術と構成が全く違うことだ。
火、水、風、響、地、いずれかの属性であれば、その力の効果もわかるし対策を立てることはできる。
だが、アガニィの『恋の病』のようにアイン・ソピアルの力は特殊すぎて普通の常識が通じない。
フュリオスの力は雷だ。体が発光するのはおそらく外部のフィルをアイン・ソピアルの煉気で雷に変え、それを体内に溜めているのだと思われる。
俺の火焔は攻撃に特化した術だ。本来その直撃を受けて無事なはずはない。
波導障壁でも張って被弾を防ぐならわかるのだが。
奴が火球を拳で打ち砕く際、紫色の閃光が周囲に散っているのが確認できた。
雷の波導で俺の炎を相殺できるのか? 奴の力の性質は水でも風でもなく、炎に近いものということか……。
だがそうなると、これは完全に力比べだな。ひたすら高威力の術のぶつけ合い。
先に煉気が尽きた方が負ける。
散発的に火焔を放ちながら煉気を杖の内部に蓄積させる。
奴は火球を避けず、臆することなく正面から向かってくる。
小粒の火球をバラ撒いて奴の行動を制限し、誘導する。その上で素早く詠唱、波導術式を構築。本命を放つ。
「遍く罪を——喰らい滅ぼせ、『劫火炎』」
「!」
さっきまでの火焔の上位波導、火の属性が高圧縮された大火球に、フュリオスは自ら突っ込む形になった。さあ、どうする。
『穿鼓』
フュリオスの体が一瞬激しく光ったと思うと、大きな波導の気配を感じ取る。
高威力の大火球に対し真正面から紫電を纏った拳を振るう。空間を紫電の牙突が駆け抜けた。
地下通路の壁や水道管が明滅する雷で照らし出される。
劫火炎は奴の雷撃とぶつかり合って崩壊、割れた火球の向こうから奴が鉄拳を叩き込むべく突っ込んでくる。
劫火炎を真正面からねじ伏せるか、だが——。
奴が俺に向けて繰り出す拳は俺の体を突き抜ける。
火球を目くらましに発動した陽炎で俺の幻影を投射していた。
「火剣」
「しゃらくせえ!」
虚像を吹き飛ばしたフュリオスを、横合いから火剣を発動させ斬りつける。
奴は即座に跳ね上がり空中で回転すると火剣に向けて雷拳を放った。
灼熱の剣と紫電を纏った拳がぶつかり合う。炎と雷が相殺され周囲に激しく火花が散る。
再び距離をとって通路を飛んだ。
敵はアイン・ソピアル持ち。劫火炎を正面から打ち破る波導を操る。攻防一体となった拳闘士の戦型。
強いな。しかし俺はずっとこいつらを追って来たのだ。エンゲルスの構成員を。
「ククル」
「あぁ?」
「東部のシスティコオラにある、十年ほど前にお前らが滅ぼした町や」
俺の言葉を聞き、フュリオスは獰猛に笑った。
「ハッ。恨みを持ってるってわけかよ。オレの知ったこっちゃねぇな。弱え奴が悪——」
「誰や」
俺を追いかけながら、奴はまたもその顔に怒りを滾らせる。
「……この俺が話してやってんのに、何話遮ってんだァ? テメェにそんな権利はねぇ」
「実行犯は誰や」
「潰す」
全く話にならねえ。
アガニィ——あいつもエンゲルスの一員だと俺は考えているが、雰囲気だけでなく頭がおかしいのも一緒か。
あんな組織に属している時点でまともな奴は存在しないだろうが。
「焼け死ねよ。『雷虎』!」
「ぬッ?」
奴が空中で打ち下ろした右手から紫電の槍が撃ち出された。
通路を飛びながら駆ける俺たちの間には距離があるが、雷撃はそれを一瞬で超えてきた。
目で捉えることすら困難な速度で放たれる雷からは逃げきれず、それは俺の左腕をとらえた。
「づがァッ!!」
咄嗟に体内の煉気を左手に集めて全身感電するのに抵抗したが、雷撃に飲まれた腕に感覚がない。
さっきナトリはこいつを食らったせいで痺れて動けなくなったようだな。
「ちッ、これだからアイン・ソピアルってヤツはよォ……」
聞きたいことは無力化してから聞き出すしかねえか。
奴の波導は想像以上に空間の伝播速度が速い。初見の技に対して左手一本だけで済んだのは運がよかったか。
俺がナトリと行動を共にするようになったのは、フウカという少女の存在があったからだ。
数ヶ月前、王都で仕事を終え浮遊船でプリヴェーラへ帰る途中で俺はあの二人と出会った。
容姿からして船内で目立っていた二人だったが、俺が一番気になったのはフウカの持つ雰囲気だった。
初めて見た時から感じた嫌悪感——、その正体を見定めるため、俺はあの二人とできるだけ行動を共にした。
しかし、フウカの人となりを知るにつれ俺の認識は薄れ、勘違いであったと思うようになる。
記憶を失っているとはいえ、あの子は到底極悪人には見えなかったからだ。
だがここへきて不死身のアガニィ、紫電のフュリオス、とエンゲルスに関わる者に立て続けに出会うことになった。
アガニィはフウカについて心当たりがある風だったが……、やはりフウカは——、エンゲルスと何かしらの関わりがあると思わざるを得ない。
こいつをナトリに言うべきかは迷うところだな。
「フウカという名に覚えがあるな?」
「……!」
問いかけに対するフュリオスの反応は非常にわかりやすいものだった。
目つきはより鋭くなり、歯を剥いて俺を睨む。
こいつは揺さぶりがいがある。どうやらあの子のことも知っているらしい。
しかしアガニィの様子といい、仲が良好であるようには見えない。仲間ではないのか?
「ソイツの名を出すんじゃねえよ。テメェ、オレの感情を逆撫でするのが好きらしいなァ……?!」
「勝手にキレてろクソガキ」
「あァ?! 落ちろ——、『雷虎』!」
フュリオスの体が激しく紫電を散らし、高速の雷撃が打ち出される。
『熱気泡』
熱で空気の塊を操り、空中での進路を強引に変え、奴の雷撃に対して引くように自身の体を弾き飛ばす。
紫電の牙に飲まれる直前、雷はバチッという音を残して霧散する。
「その技はもう見た。お前の雷は俺の炎よりも速いが、空気による減衰率は高いんやろ?」
「……チッ! だからどうだってんだよォ!」
紫電のアイン・ソピアル、射程距離を常に計算に入れれば勝機はある。
「そのスカした面……気に食わねぇ。今までそうしてきた奴らと同じように消してやる。オレの『紫電』でなァッ!!」
赤い瞳に燃え盛るような憎悪と憤怒を滲ませてフュリオスが吠える。
「やれるもんならやってみろや。狂犬」
そう言い放ち、俺は湧き上がる愉悦を抑えながら奴に向かって手招いた。




