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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
五章 セフィロトの翼
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第172話 血の水道路

 


 痛い。


 いや、痛いで済んでいることを喜ぶべきだろうな。


 縦穴に足を取られ、そこそこの距離を滑り落ちてしまった。壁面に傾斜がついていたこともあってか、大怪我はなんとか回避できた。


 でも咄嗟に体を地面から庇い腕を強く打ち付けてしまった。

 俺はその痛みに加え、体をぶつけた衝撃に地面を転がりながら悶えている最中だった。


「くうぅ、いってえぇぇ……」


 ひとしきり悶えた後なんとか体を起こして周囲の状況を確認する。


 景色で言えば落ちる前とさほど変わらない。ここは相変わらず壁面に水道管が張り巡らされた水道路だ。


 さっきと違うのは、通路にかなりの広さがあってより薄暗いことくらいか。



 道を確認する。通路は枝分かれしているけど迷うことはなさそうだ。水の流れに逆らって進めば問題ないだろうし。それよりも。


 自分の滑り落ちてきた穴を見上げる。傾斜がきつすぎて俺じゃあれを登るのは無理だ。


 早速二人の足を引っ張ってしまった悔しさに奥噛む。


 やってしまったものは仕方ないし、しょげていても意味はない。立て直すことを考えよう。


 二人は俺の後を追って穴を降りてこようとするかもしれない。少し様子を見ながら、どの通路を進むべきかの見当を付けておく。



 そう考えて、水道管に近寄るために歩き出そうとした時、近くに物音を聞きつけた。

 穴から二人が落ちてくるような音じゃない、何かが床を引きずられているような音だ。


 はっとして薄暗い通路に目を配る。物音は近い。


 音がした方を探り、すぐ近くの地面を見る。果たしてそこには物音の正体があった。


 いや、いた、というべきか。


 光量の乏しい中、それは女のように見えた。長い髪をした人間がうつ伏せになり、地面を這ってこっちへ向かってきていた。


 その異様な光景を目にして俺は一瞬身動きが取れなくなる。


 人物の動きは非常に緩慢だった。ゆっくり、ゆっくりと地面を這い進んでくる。



「こんなところで、何してる?」


 言ってしまってから、それは自分にも当てはまることだと気づく。


「あ、ぅ……」


 人物の口から掠れた、吐息とも声ともつかない呻きが漏れた。

 動きはゆっくり、動作は弱々しい。歩けないほど弱っている、そんな風に見えた。


 そのことを認識して、俺はゆっくりと床を這う人物に近づいた。様子を見る。


 目の前に立つと、その人はわずかに顔を起こし、弱々しい呼吸を吐く。


 助けを求めているみたいだ。


「大丈夫ですか?!」


 俺は彼女の胴体に手を添えて体を反転させる。やや上半身を起こして仰向けになるように座らせた。


 彼女は白い頭髪をしていた。体を起こしても地面まで届く伸び放題の長髪。正確にはわからないがユリクセスっぽい髪色だ。


 まだ子供のようだった。年齢はおそらくマリアンヌくらいだろうか。


「あ……ぅ」


 意味をなさない言葉とともに、少女は喀血した。吐き出された尋常ではない量の血液が地面に跳ねて黒い染みを作る。その染みは一つだけではなかった。


 白い少女の這いずってきた後には少なくない量の血が跡として残っているのが見えた。

 そして彼女の腹部には、白い簡素な一枚着を真っ赤に染め上げる大きな傷が刻まれていた。


 見ただけでわかる。この子は助からない。酷い傷だ。これは致命傷だ。出血量が多すぎる……。


 フウカがいれば助かるかもしれないが、今ここに彼女はいない。


「君、俺のことがわかるか……?!」

「あ、ぃ……」


 少女は虚ろな瞳で俺を認め声を発する。


 治癒エアリアを取り出し、腹に開いた大穴にふりかけた。こんなもの応急処置にすらならないのはわかってる。


 でも何もせず見ていることは耐えられなかった。少しでも苦痛が和らぐなら……。


 心なしか、少女の虚ろな表情が和らいだように感じた。


 しかしそれは、痛みからの解放ではなく彼女の身に近寄る死の足音によるものでしかない。


 やがて虚ろな視線と表情は徐々に弛緩していく。


「あ……だめ、だめだ……」


 緩んだ表情が、一瞬だけ笑顔のように見え、そしてそれは何故だかフウカの笑顔と重なる。


 それを見た途端、俺の心に例えようのない悲しみが押し寄せた。激しい動揺と動悸。


「だっ、ダメだ! 死ぬな、……逝くな! 頼むっ……」


 白い少女の手を握り、必死に訴える。

 彼女の瞳から生気が失われていく。体から力が抜けていく。



 その時目の前を白光が過ぎった。突如飛来した光は暗闇に慣れた俺の視界を引き裂いて全身を襲う。


 吹っ飛ばされて地面を転がり、痙攣する。視界が明滅を繰り返し、四肢ががくがくと跳ね、震える。


「ったく手こずらせやがって。駆除するオレの身にもなれよクソ虫が」


 横向きになった視界の中を、黒い装束に身を包んだ赤い頭髪の人物が歩いていく。


 体が動かない。痺れたように力が入らなかった。攻撃された、のか……?


 目だけを動かし、急に現れた人物の動きを追う。その向かう先には白い物体が俺と同じように地面へ投げ出されて転がっている。


 そいつは仰向けに倒れた少女の胴体を両足で跨いで立った。


 そして肘を引くようにして拳を振り上げる。


「や……め、ろ……!」


 声を出したいのにうまく言葉を紡ぐことができない。俺の見ている前でそいつは、少女の頭部にその拳を振り下ろした。


 柔らかさと適度の硬さを併せ持つ物体が砕ける音が、水道路の壁に反響する。

 生々しく、背筋に鳥肌の立つような音だった。


 処刑はあっけなく遂行され、彼女は頭部を砕かれ絶命した。地面に黒い染みが広がっていく。


「ぁ……」


 どうすることもできない。できなかった。


 物言わぬ骸となり、動かなくなった少女を見る。

 そして目の前で凶行に及んだ黒服の人物に目を移した。そいつが今度はこちらに歩み寄ってくる。


「誰だテメーは。こんなとこで何してんだ? 余計な手間掛けさせやがって。死体の処理も楽じゃねんだぞコラ」


 次は俺の番か。体の痺れはまだ消えず、指先を動かす程度しかできない。

 絶望に顔を歪め、奴の顔を見上げる。


 赤髪に、燃えるような赤い瞳。目を見開き、明らかに怒気を含んだ表情から一目で機嫌が悪いことがわかる。


 苛烈な雰囲気の女だ。


「ぽっと出て来て手間増やしてんじゃねえよ。死んで詫びろ」


 女は再び拳を振り上げ————。


「燃えろ、『火剣メルカムド』」

「ッ?!」


 薄暗がりの中赤々と燃える火剣を振り下ろしながら上から落ちてきたのはクレイルだった。


 女は燃え盛る炎剣を躱して背後に飛び退る。


「クレイ、ル……っ!」

「生きとるな、ナトリ」


 彼に続いてすぐ隣にリッカが着地した。

 倒れている俺を抱き起こし、肩を貸して立ち上がらせてくれる。


「ナトリくん、大丈夫ですかっ?!」

「なん、とか……。でも痺れて体が、動か、ない」


 火剣を構えたクレイルがこちらに背を向けて謎の女と対峙する。


「誰やお前は」

「あァ? 名前を聞きてぇなら自分が先に名乗れトリ野郎」

「いきなり殺しにくるチンピラ女に名乗る名はねえよ」


 売り言葉に買い言葉。元から悪かった相手の機嫌がさらに悪化するのが手に取るようにわかった。


 そして、その態度は隠そうともしない憤怒を体現したような表情だけでなく、奴の身体全体に影響を及ぼし始める。


 最初は僅かに女の体が発光しているのだと思った。


 しかし薄暗がりの中で、そのぼんやりとした発光は次第に強さを増していき、周囲にバチバチとか細い閃光を撒き散らし始める。


「二人とも退がっとれ」


 クレイルが手短に忠告する。俺とリッカは素直に少しずつ後退する。


「あァ……イライラするぜ。次から次へと湧いてきやがって。名前なんかどうだっていいんだよクズ共。てめぇら全員ここで死体になるんだからな」


 女の行動は速かった。こちらの反論を受け付ける気はさらさらなく、クレイルに向かって直線的に殴りかかってきた。


障壁ウィオル!」

「ッらぁ!」


 大きな衝突音が地下空間に響き渡り、クレイルの作り出した障壁の前で眩い閃光と共に紫電が弾けた。


「お前の波導、基本系統じゃねえな。アイン・ソピ(神の叡智)アルか」


 女はクレイルの問いかけに答えず、障壁へ叩きつけた紫電を帯びた自らの拳を見下ろしていた。そうしながら口を開く。


「お前————、()()()()な」


 さっきまでの怒りの表情を一転させ、今度は犬歯を見せて獣のように鋭く笑う。


 正の感情を表す笑みではない。その顔にはただ悪意と害意のみが浮かぶ。


「あん? なんのこっちゃ」


 燃えるような赤髪に赤目の女にクレイルは思い当たる節がないのかそう返す。

 奴の身体が再び発光を始めた。


「知る必要はねーよ。お前らは黙ってオレにボコられりゃそれでいい」

「待て。……紫電の波導。そしてそのツラ。お前、まさか……」


 クレイルは言葉を切ると、女を凝視する。


 彼の赤い体毛が燃え上がるように逆立ち、ピリピリとした雰囲気を放ち始めた。


「燃え塞がれ——、『獄炎アグネラ』」


 彼が杖を振ると、クレイルと俺達との間を炎が駆け抜ける。広範囲に渡る炎で通路が隔てられた。


「リッカ。ナトリを連れて先に行け。俺はコイツに聞きたいことがある。あちらさんも俺に用があるみたいやしな」

「クレイルさん、でもっ!」

「クレイル……!」

「なァに、ちゃっちゃと片してすぐお前らの後を追うからよ」


 電撃で痺れてろくに動けない俺がいても足手まとい。だから先に行けとクレイルは言っている。

 言葉を返す事ができず、奥歯を噛む。


「……死ぬなよ!」

「カッ。誰に言うとるんや。早よフウカちゃん探しに行ってこい」

「なに勝手に話進めてんだクソが」


 リッカの肩を借りて歩き出そうとした時、炎の向こう側で女が飛び上がった。


 強引に獄炎アグネラを突破して俺たちを攻撃しようとする。


火剣メルカムド


 クレイルがそれを追って火剣を振るい、女の突進を妨害した。


「どけッ!」

「用があんのは俺やろ。相手してやるからかかってこんかい」


 炎の向こう側で二人がぶつかり合う激しい音が聞こえてくる。


「行きましょう。今は一刻も早くここを離れるんです!」

「すまない、リッカ……」


 一度後ろを振り返った後、俺たちはすぐに通路を先へと急いで進み始めた。


 クレイル、頼むから生きて戻って来てくれよ……!










挿絵(By みてみん)

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