第169話 強さを求めて
神官ルクスフェルト・ユーヴェインが女性拳闘士を医療班に引き渡し、気絶したネコの男が再び厳重に拘束されて舞台上から引き摺り下ろされた。
今は地の術士によって荒れた土俵の整地が行われている。
「なんか、すごかったな……」
「何が起こっていたのか、正直よくわかりませんでしたね」
「ていうか、俺の記憶違いじゃなければあの人四つの属性の波導使ってたような」
風圧の壁で相手の攻撃を受け止め、地の波導で拘束し、水の術で女性を癒し、不思議な輝く炎で相手を圧倒した。
「『煌焔のルクスフェルト』は、スカイフォールに数人しか存在せん四色使いらしいからな」
マステマか。確かガルガンティア術士協会のエレナが三色使いだった。
そのさらに上、四種類もの属性波導を使いこなす人間がいるのか。
「あの歳で王国最強は伊達やあらへん。王宮神官の中でもあいつは才能の塊やろ」
「あの発動速度と威力、凄まじい練度を感じます」
それに最後の、煌く炎を纏う一閃は、まるで瞬間移動したようにしか見えなかった。波導による攻撃だったのか、エリアルアーツだったのかもわからない。
天才的な波導の才能に、精悍で整った容姿。非の打ち所がない完璧さだ。
俺みたいな人間とは真逆の存在だな……。
そんなことをなんとなく思っていると、舞台の整備が終わって大会の進行を知らせる声が鳴り響いた。
〈一悶着ありましたが、試合を続行します。次は第八試合——〉
「おばあちゃんおばあちゃん、チェシィの出番よ」
「ようやくかい、眠くなってきちまったよ」
アリスさんの膝の上でダイナが大口を開けてあくびをする。孫の出る試合以外は退屈だったようだ。
〈西、アレイル地区予選二位。チェシィ・ウォズニアック〉
紹介の声と共に、二つある選手入場口の一方から人影が飛び出す。
そいつは素早く舞台前まで走り込むと、高く跳躍。回転しながら舞台上に着地を決めて高らかに宣言した。
「無敵の美少女拳闘士、チェシィ・ウォズニアックここに見参っ!」
大観衆に決めポーズで大仰な台詞を吐く、動きやすそうな軽装に身を包んだチェシィの登場に、会場は一瞬呆気にとられたがすぐに声援が沸き立つ。
「おい、大丈夫なんかアイツ?」
「ははは……、ちょっとアレな感じだけど実力は確かだから」
俺たちも遅れて彼女に向けてそれぞれ声を上げて声援を送る。
さて、どんな奴が相手になるのか。対戦表の名前はまだちゃんと見ていない。もう片側の選手入場口を見つめる。
〈東、イストミル予選三位。エルマー〉
「え?!」
のそりと入場口から現れたのは小柄な青毛のラクーン。
間違いない。チェシィの対戦相手はあのエルマーだった。
「エルマー……?!」
「ナトリくん、あのラクーンの子知ってるんですか?」
「もちろん。狩人として一緒にユニットを組んでた仲間だよ」
驚いた。でも考えてみれば、あいつが出場しているのはそう驚くことでもないか。
エルマーは強さを求めていた。東部で拳闘武会が開かれるとなれば、強者を求めて参加することくらいは普通にありそうだ。
東部予選で勝ち上がり、三位にまでなっていたのか。やっぱり強いな、あいつは。
「面白ぇ。どっちもナトリの知り合いかよ」
「こんな偶然あるんですね」
「うん」
俺としては複雑だ。もちろんチェシィを応援する気でいたが、ぶっちゃけエルマーにも負けて欲しくない。
舞台に上がった二人は、お互い睨み合う。相手の戦力や攻撃方法を予測しているんだろうか。
間を置かず、試合開始を告げる合図が響き渡った。その直後俺は声援を送る。
「チェシィ!! エルマー!! 行けーー!!!」
これでいい。どっちも応援すればいいんだ。
歓声の飛び交う中、ついに試合が始まった。
最初に動いたのはチェシィだ。地面を蹴って真正面から速攻を仕掛ける。
「はあっ!」
ひとっ飛びで距離を詰めた彼女は空中で身体を捻ってエルマーに向けて回転蹴りを繰り出す。
エルマーはその勢いの乗った蹴りを片腕で受け切り、不敵な笑みを浮かべる。
「へっ、こんなもんかよ……ウラァ!」
もう片方の拳をチェシィに向け振るう。彼女はその一撃を柔軟に体を折り曲げ躱すと、一度も着地することなく宙返りして距離をとる。曲芸のような柔軟性だ。
「なかなかの腕力とみたね。でも、そんな速さじゃ私には当たんないにゃあ」
最初の応酬で互いに相手の特性は把握できたようだ。
「身軽やな」
「チェシィの武器はあの速さと柔軟性なんだ。あのすばしこさで縦横無尽に動かれたら攻撃も当たらない。対するエルマーは力が強くて頑丈だけど速さはない。真逆の性質だ」
チェシィはエルマーの周囲を駆け回りながら隙を見て攻撃を仕掛けていく。
とにかく手数重視の波状攻撃だ。
それに対しエルマーは同じ位置からほとんど動こうとはしない。
彼女の速度に自分がついていけないことを理解しているんだろう。その動体視力でもってチェシィを迎え撃つ受けの姿勢だ。
エルマーはおそらくチェシィの動きを止めるため、彼女を掴まえようとしている。
そう考えると、とてもチェシィが優勢とは言い切れない。
チェシィは捕まるリスクを冒しながら手数を稼がねばならないが、エルマーは一撃で彼女を沈めるほどのパワーを持つ。
最小限の動きで力と体力を温存するエルマーの狙いは、彼女の呼吸の切れ目のようだ。
実践で場数を踏んでいるだけあって判断が的確だ。
チェシィの攻撃がエルマーの耐久を削りきるのが先か、動きが落ちたチェシィをエルマーが捕らえるのが先か。
攻防はそう長くは続かなかった。ついにエルマーがチェシィの蹴りを見切り、その足首を掴む。
「なっ!」
「捕まえたんだぜ、ネコの姉ちゃん!」
そのままエルマーはチェシィを振り回すと飛び上がる。そのまま地面へと叩きつけ一発でダウンを取る狙いか。
彼女はエルマーの腕を振りほどこうと身をよじるが、強靭な握力から逃れることができないでいる。
もつれ合う二人が落下を始める。
「なーんてね、これならどーかにゃ?!」
チェシィの片足が空中でエルマーの背中を穿つ。
しかもそれはただの蹴りではない。風切り音を響かせる鋭い一撃。明らかに威力が上がっているのが傍目にもわかる強烈な蹴りだ。
「ぐおぁっ!!」
胴体を貫く衝撃に、さすがの耐久力を誇るエルマーも反動で足を掴んでいた手を放してしまう。
舞台に落ちてきたチェシィは受け身をとってすぐに体勢を立て直した。
彼女は得意げに、エルマーは眉根を寄せて再び睨み合う。
「今のチェシィちゃんの蹴り、風の属性を纏ってましたね」
「ええ、あれはエリアルアーツの特殊な呼吸法の一つ『旋気功』です」
「旋気功?」
「煉気を体内で風の属性に変え、全身に巡らせる。そうやって大気中のフィルとの摩擦を自在に操作する技術ですよ」
エリアルアーツにそんな技術があるのか。波導を体に纏うようなイメージか?
「さっき『煌焔』が風で攻撃を受け止めた技は旋気功の発展やったな」
「そうですね。旋気功ですら習得するには厳しい修行が必要ですが、視認できるほどに濃い気功はもはや波導の域です」
「気功と波導の合わせ技ってことなんでしょうか?」
「両方使いこなせると、あんなこともできるのか」
「いずれにせよ簡単なことではありません。彼だからこそ可能なのでしょう」
舞台上では気功を身に纏うチェシィがエルマーを圧倒していた。
動きのキレが大幅に上昇し、目で追いきれないほどの素早さだ。
飛力の上昇、繰り出す蹴りに風の属性が上乗せされ威力を増している。さらに空中での、全身から気功を発することで実現されるトリッキーな動き。
エルマーは持ち前の頑丈さでなんとか耐えてはいるが、攻撃を防ぎきれずじわじわとダメージを蓄積させているように見えた。
「エルマー……」
なんとか攻撃の隙をついてチェシィを捉えようとするが、速さと予測不可能な動きにそれも叶わない。
「俺っちは負けねぇ、もっと強くなるんだぜ……!」
エルマーの呟きが拡声器に乗って聞こえてくる。
そんなに傷だらけになりながら、どうしてお前はそれでも強さを求めて戦いに赴こうとする。
傷つくのが怖くないのか。辛くないのか。
俺は、戦わなくて済むならその方が……。
プリヴェーラでユニットを組んでいた頃、あいつは言っていた。
レベル4のモンスターを倒して村に帰り、皆に認められるんだと。
でも、あいつの中で何かが変わった。クロウが去った後もエルマーは一人でモンスターと戦い続けていた。
戦いなんて、避けられるなら避けたいじゃないか。どうして怪我して、痛い思いをしながらそれでも立ち上がらなきゃならないんだと思う。
「あのトカゲ野郎を、俺っちが倒せてりゃあよ……全部、丸く収まったはずなんだぜ」
それは誰に向けられたでもない独り言だ。この会場の誰も、その意味を理解することはないはずだった。
でも俺は違った。その言葉に目を見開く。
俺たちはプリヴェーラ旧地下水路でアグリィラケルタスに敗北した。
アルテミスは解散し、俺たちはばらばらになった。まさかあいつは、それを自分のせいだと思ってるのか……? だから強さを求めているのか?
そんなことあるものか。
あれは俺のせいだ。俺があいつを仕留めきれなかったことが直接の原因だ。
エルマーが自分を責めるようなことは、何一つとしてないのに。
あいつはずっとそのことを気にして……自分を鍛え続けたのか。
それなのに、それなのに俺は……。
力を込めて拳を握りしめる。
「勝て! エルマー!!」
気がつけば、俺は叫んでいた。
「ぜってぇ……負けねぇ!!」
「えっ?!」
エルマーの体から闘気のようなものが立ち上る。そして彼は防御の構えを解き、身構えた。
無防備なエルマーの側頭部にチェシィの鋭い蹴りが音を立てて炸裂するが、彼は微動だにしない。
「っ?!」
「あれは……『硬気功』!」
それどころか全ての防御をかなぐり捨てて自滅覚悟で飛びかかったエルマーは、ついにチェシィの胴を両手でがっちりと掴む。
「ようやく捕まえたんだ……ぜ!!」




