第160話 静かな夜に
夜の散歩から家に戻るとまっすぐ二階の空き部屋、今はリッカの寝起きする部屋に向かった。
扉をノックする。中から声がして扉が開けられた。
「リッカ、少し話せる?」
「はい。もちろんです」
古い木椅子を引いて腰掛ける。リッカはベッドの端に座っていた。
狭い部屋の中で対面し、早速話を切り出す。
「王宮に行こうと思う」
「私も行きます」
リッカはそれがまるで当然であるかのように言う。
「リッカ……」
「言ったじゃないですか。私はナトリさんについて行くって。それに……わたしだってフウカちゃんのこと心配なんです。大事な、お友達ですから」
そう言って、彼女は笑ってみせる。この笑顔は俺の後ろ盾だ。
「……ありがとう。俺はリッカと会えて本当によかったと思う」
「私も同じです」
「フウカに会いに行こう。そして確かめる。フウカの無事と、あの子の気持ちを」
「決心したんですね……、ナトリさん」
「ごめんな。俺はあの王子に打ちのめされて自分を見失ってた。見えなくなったんだ……、進むべき道が。でも今は、自分がどうしたいのかはっきりと自覚できた。リッカのおかげさ」
王宮に忍び込むなんて正気とは思えない。
それでも俺はフウカを放っておけない。フウカのことが好きだから。
彼女は俺の人生を変えるきっかけだった。
あの子と出会ったおかげで様々な人々と絆を結び、知らなかった世界を知った。
リッカを王宮へ連れて行こうとする俺はひどい男だ。
自分への信頼をいいことに国家叛逆の片棒を担がせようとしている。
本当は俺一人で立ち向かうべきだろう。
でも、俺はそんなことができるほど強い男じゃない。できたらとっくにやっていた。
だからこそ、自分の感情に正直になろう。
軽蔑されようが、拒絶されようが、ここまで俺のことを信頼してくれるリッカに対して俺はもっとしっかりと向き合うつもりだ。
「もう一つ、聞いて欲しい話がある」
「はい」
居住まいを正す。
「…………」
いざ女の子に想いを告げようとするとなかなか言葉が出てこない。
もし、受け入れられなかったら。
想いの方向が違っていたら。
俺が勘違いしているだけだったら。
自分の内にある他人に対しての恐れが邪魔をする。男だろ、根性みせろよ俺。
「リッカ。お、俺は君の」
「はい」
「君のことが————、好きだ」
拙い告白を聞いてリッカは黙り込んだ。そのまま床に顔を向けて俯く。
「…………」
頬を汗が伝う。
彼女は黙り込んでしまった。
ふんわりした前髪が表情を覆い隠し、どんな感情がそこに表れているのか窺えない。
固唾を飲んでリッカを見守っていると、ぽたりと床板に小さな水滴が落ちた。
「な、泣いて……?」
「すみません」
彼女が顔を上げる。その両目に涙の粒を滲ませながらリッカは微笑んでいた。
頬を紅潮させ、大きな青い瞳を潤ませて。
「すみません……嬉しくて……」
「嬉しい……です。私を好きになってくれて。私も好きです。ナトリさんのことが、とってもとっても好きなんですっ……!」
「ぁ……」
目から涙が溢れるのを感じた。取り繕う間もなく俺は泣いていた。
誰だ、女の子の前で泣くのは嫌だとか思ってたのは。
そりゃ泣くだろう。ずっと俺は誰にも受け入れられることのないはみ出しものだったから。
みんなが俺を無視し、虐げた。気持ちを押し殺して生きてきた。
でも通じたんだ。想いが。
リッカは俺のことを知り、その上で俺の全てを受け入れてくれた。
こんなに嬉しいことはない。思わず目を閉じ、喜びに打ち震える体を折り曲げて首を垂れる。
「ありがとう……」
「ナトリさん」
リッカの呼びかけに顔を上げ彼女を見る。
「目を開けて……。もっと私を見てください。あなたのことが大好きな私を、あなたの心にもっと染み込ませてくれませんか」
「ああ……」
目の前にある、可憐な少女の顔。
涙を湛えた青く美しい瞳に部屋のランプの光が揺れる。
リッカは綺麗だった。こんな子に好かれるているなんて、夢じゃないよな……?
目頭に溜まった涙をぐしぐしと袖で拭う。そして彼女の涙を掬い取るようにそっと指で拭った。
「やっぱり可愛いな、リッカは」
暫くの間、無言で見つめ合う。ここにリッカがいる。そして俺のことを見ていてくれる。
もう言葉は必要なかった。
通じ合った心を噛みしめるように、心に染み込ませていくように。
この気持ちをいつまでも覚えていようと、そう思った。
そして俺は再び表情を引き締める。
「リッカを好きなのは俺の本当の気持ちだ……。だからこそ、言わなきゃいけないことがある」
「……はい」
「俺にはもう一人、大切に思う女の子がいるんだ」
「わかっています」
「……ごめん。最低だよな。俺みたいな人間が、そんな風に考える資格なんてないはずなのに」
「いいえ……。力になりたい人に真剣に向き合おうとするナトリさんだからこそだって、そう思います」
「事情もわかっているつもりです。私と出会った時のナトリさんは記憶を失くしていました。だからこそ、あなたは私を見てくれたんだってことも……」
こんなことを言えば、普通は怒り出すか泣き出すかしても文句は言えない。
しかしリッカはあろうことか俺の気持ちを汲もうと、理解しようとする。
「時空迷宮マグノリアの中で俺は自然と君に惹かれていった。リッカの強さに、君が挫けず前を向こうと頑張る姿勢に心を打たれたんだ。そんな子と一緒に歩めたらどんなに素敵だろうって思った。それは俺の大切な、偽りない本当の気持ちなんだ……」
「でも、フウカと心を通わせて、一緒に歩んだ時間も本物だ。だから色欲の厄災の魔法から解放されフウカの記憶が戻った時……俺は混乱した」
気が付いた時、俺は二人の少女に対して同時に強く特別な感情を抱いていた。
そしてどちらも本物で、かけがえのない大切な想いだった。
もし俺がフウカの記憶を失くすことなくリッカと出会っていたら、俺はそれでもリッカのことを好きになっていたんだろうか……。
「優柔不断だと罵ってくれ。俺は自分の気持ちをはっきりさせたい。そのためにも俺はフウカに会いに行こうと思ってる」
「本当の気持ち、話してくれてありがとうございます。……私、嬉しいです。ナトリさんはフウカちゃんだけを見ているんじゃないかって、すごく不安でしたから」
「ごめん、リッカ……」
「いいえ……。私はナトリさんのそういう誠実なところ、とっても好きですから」
リッカは涙を拭いながら微笑む。
「でもまだ五分だってことがわかったから……。ううん、今はきっと私の方がナトリさんの心に近づいているはずです」
「それは……」
「私、負けません。もっともっと、フウカちゃんよりもナトリさんに近づけるように頑張ります。……だから一緒にフウカちゃんに会いましょう」
リッカが表情を引き締める。その瞳には一層強い意志の光が踊ったように見える。
「……ありがとう、リッカ」
「一つだけ……わがまま言っていいですか」
「俺にできることなら何だって」
「ナトリくんって、呼んでもいいですか」
頬を染めたリッカが上目遣いで見上げてくる。
「もちろん。その方がいいなら」
彼女は嬉しそうに口元をほころばせると、早速俺の名を口にする。
「ナトリくん」
「うん」
「ありがとうございます。今までよりちょっとだけナトリくんに近付けた気がして……嬉しい」
そう言ってリッカは溢れるような可憐な笑みを見せた。
こんなにもリッカの事を愛しく感じているのに。
それなのに、俺は……。
俺は本当に最低な奴だ。
こんなに一途で健気な君に、君だけを好きでいると言ってあげられないのだから————。




