第157話 負傷
予想もしなかったリベリオンの突然の沈黙によって、一瞬シーラスへの対応が遅れる。
振るわれた腕を避けるべく後ろへ飛んだが、その鋭く長い爪は俺の左手上腕を深く切り裂いた。
「う、ぐああっ!!」
地面に転がった俺に向けて、間髪入れずにシーラスの追撃が繰り出される。腰に下げた短刀を抜き放ち、鋭い爪に向かって振り上げる。
甲高い音が洞窟内の空間に木霊する。なんとか爪を弾き二撃目の軌道を逸らす。
シーラスの体格は成人エアル程度だが、力は人の比じゃない。
スターレベル2相当、エリアルアーツの使い手でもなければまず近接戦での勝ち目はない。
なんとか跳ね起きたところにさらなる攻撃が襲いくる。長い爪は攻撃のリーチと威力を倍増させる。腕の痛みに耐えながら短刀を振り回し苦し紛れに爪を弾いた。
だがモンスターの強靭な腕力は受け流すので精一杯だ。じりじりと追い詰められ、傷が増えていく。
『リベル! どうしちまったんだ!』
『————』
『頼む、お前の力を……!』
『——』
心の内でリベルを呼ぶが応えは返ってこない。こんな時に声が聞こえなくなるなんて……。
「この野郎っ!」
シーラスの鱗に覆われた足を蹴りつける。分厚い鱗は打撃の威力を完全に殺しきった。ましてやドドの俺では知れた力。足掻きにもなっていない。
横合いから薙ぎ払われた爪を、両手で剣を構えて受け止めるが、威力を殺しきれずに体ごと吹き飛ばされた。
「がはっ……!」
「ナトリさんっ!!」
水たまりを転がり、身を起こす。
「リベル……お前も、俺を——」
『』
リベリオンを使えない俺に一体何ができる。
飛び上がったシーラスが空中で両腕を広げる。やばい、避け——。
「う……」
「弾ッ!」
横合いから飛んで来た高速の波導弾がシーラスに命中し、奴は不意打ちを喰らって空中で別方向へ吹き飛んでいった。
「目を閉じろッ!」
ポーチを弄り、掴んだものを地面に叩きつける。閃光エアリアは地面に当たった衝撃で炸裂し、周囲を強烈な光が照らす。
炸裂に合わせて俺たちは閃光から目を守る。
「ギッ、ギャギャーッ!」
光が収まり周囲を見回すと、視力を奪われたシーラスが無茶苦茶に爪を振り回していた。
普段暗がりで生活するこいつらには効果覿面だ。
「撤退だ、リッカ!」
「はいっ!」
そこら中から流血する体を引きずるようにして、洞窟入口に向かって脇目もふらず走り出す。
§
「はぁ、は……う゛、う」
「はっ……はぁ、ナトリさん、怪我……!」
息も絶え絶えに洞窟を飛び出し、トレト河の川岸まで戻った。
左手の傷は深く、出血量が多い。周囲に危険が無いことを確認すると治癒エアリアを取り出して砕き、傷に振りかける。
青い光が流血する傷口を清める。他の傷にもエアリアを使う。
「大丈夫……かなり痛むけど死にはしないさ、多分」
「とにかく手当を!」
エアリアを使っても止めどなく血を流がす上腕に布を宛てがい傷を覆う。
肩の近くをリッカに強く結んでもらって止血処置をする。
「出血が酷い……。早く街へ戻って処置を受けないと。歩けますか……?」
「大丈夫、歩ける。ごめん……リッカ」
赤く染まった布を見ると灼けつくような痛みと悪寒を覚える。
今にも泣き出しそうな顔のリッカに付き添われて俺は街へ向かって歩き始めた。
§
プリヴェーラ南区市民病院の中庭の芝生に置かれた長椅子に座り、病棟越しに見える夕焼け空を眺めていた。
痛み止めを処方してもらったので今は痛みはない。
だが、薬の効果が切れれば焼け付くような痛みは再びやってくるはずだ。
随分出血していたし、縫い合わせた傷口が開くので最低二週間は安静にしているようにと言われた。
大怪我だけど、医者の説明では幸い神経は傷ついておらず後遺症も残らないだろうとのことだった。運が良かった。
結局今日は俺の失態で稼ぎゼロ。市民特権で治療費は割安とはいえ収支はマイナス。
ぼうっと暮れなずむ空を眺めながら、心の中で問いかける。
『……リベル』
返事はない。シーラスとの戦いの最中に突然剣の光が消えて以来、リベルは沈黙したままだった。
以前、これと似たようなことはあった。クレイル、マリアンヌと三人で翠樹の迷宮に登った時だ。
あの時もリベリオンの出力は大きく弱まってしまっていた。
『どうして答えてくれないんだよ……』
「お待たせしました」
病棟の入り口から歩いて来たリッカが俺の隣に腰掛ける。
「……ごめん。俺のせいで今日はただ働きになっちゃったな」
「いいんです、そんなの。ナトリさんが無事なら……。もし命に関わる大怪我だったらどうしようって、私」
「心配、かけた」
「はい」
リッカは中庭の芝生に視線を落としている。
「危険なお仕事なんですね。狩人って……」
「うん。俺は前にも酷い怪我をした」
「…………」
「だけどその時はフウカがいたから……。やっぱり俺は、あの子に守られてたんだな」
俺は何度もフウカに命を救われた。致命的な大怪我ですら、すぐに治してしまう彼女の波導によって。
あんな力を持つ子が特別でないはずがない。王子があんな対応を取るのもわかる気がした。
「すみません……。私は治癒波導が使えません」
「謝ることなんてない。リッカの力はすごいよ。君がいなければ俺はあそこでやられていた。不甲斐ないのは俺だ……」
俺はずっとリベルの力に頼って戦ってきた。ノーフェイスや厄災なんて相手とまがりなりにも対峙できていたのは、リベルの力があってこそだった。
しかし今の俺じゃもうリベリオンをこの手に呼び出すこともできない。この体たらくじゃ狩人稼業だって続けるのは無理に近い……。
「…………」
「ナトリさんの武器、リベル……さんでしたよね。一体どうしてしまったんでしょうか……」
「わからない。もう声も聞こえないんだ。……ちくしょう。俺は強くならなきゃいけないのに。こんなんじゃ、リッカの助けになることもできやしない……」
膝に置いた両手に力を込める。
悔しい。フウカを奪われたことが。リベルに見放されてしまったことが。弱くて情けない自分自身が。
手の甲にリッカの手が重ねられる。少し小さくて、暖かい手。
「ナトリさんはもう私を助けてくれています。あなたは時の流れに取り残されて、ひとりぼっちになった私を連れ出してくれた。
……きっと、きっと大丈夫です。少し休めば色々なことがいい方向に向かうはずです。私はそう、信じてます」
「リッカ……」
彼女の言葉は優しく、荒んだ俺の心に沁み渡る。
乾いた大地に雨が降り注ぐように、心に負った傷を温かく癒してくれる。
「傷が完全に癒えるまで、ナトリさんの故郷に戻ってみるのはどうでしょう。ご家族の方も心配していると思います」
「それも……悪くないな」
今日の夕日はやけに目に滲みる。俺はリッカに付き添われて芝生を渡り、病院の敷地を出て家に向かった。




