第155話 二人の関係
現代風の上品で可愛らしい服に着替えたリッカと他の店を回った。
日が傾き始める前にはリッカのために二、三着の服を揃えることができた。
俺の軍資金は底を尽きかけていたがリッカが可愛くなるならこれくらいどうってことはない。
噴水広場で石段に座り、歩き回って疲れた足を休める。
近くの販売車で売っていたアイスクリームでも食べようと提案すると、せめて私がとリッカが二人分のアイスを買ってきてくれた。
「服、ありがとうございます。こんなに買ってもらってしまいました……。いつかちゃんとお返ししますから」
「気にしないでよ。俺がそうしたかったんだ。ところでリッカもここへ来て一週間くらい経つけど、プリヴェーラには慣れてきたか?」
「マグノリアとは何もかもが違ってて、いまだに驚くことばかりです。でも毎日がすごく楽しい」
「そうか。よかったよ」
リッカがいなければ俺はもっと落ち込んでいたと思う。彼女が付いて来てくれたことで救われているのは俺の方だ。
「プリヴェーラはいいところですけど、毎日が楽しいのはきっとナトリさんがいてくれるから……です」
リッカがはにかむように下を向く。
「こんな風に一緒に出かけるのって、デート……してるみたいですね」
「た、確かに……そうだな」
「楽しいです。とっても」
リッカが頬を僅かに染めて笑顔を見せる。
彼女は優しく、細かい気配りもできるとてもいい子だ。それに俺がドドだと知っても不気味がらず、見下さずに受け入れてくれた。
俺がリッカと対等な、普通の人間だったらどれだけよかっただろう。そのことが少しだけ悔しかった。
§
部屋に戻りリッカの作る素朴だがおいしい夕食を食べた後、夜の時間を過ごす。
俺は自室の寝台の上に座り込み、リベルとの会話を試みていた。
ミルレーク諸島を離れてからどうにもリベリオンの調子は良くなかった。
『リベル、聞こえるか』
『――肯定、マ※タ♮』
『おい大丈夫か? 最近力も安定しないし、調子でも悪いのか』
『私の方€問♯は£いと思わ$るが、∀スター√の――』
参った。これじゃ会話にならない。せっかく円滑な会話ができるようになってきたってのに……。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。
俺はリベルとの会話を早々に諦め、明日の仕事に備えて眠ることにした。
§
夜半、微かな物音に意識が浮上する。半ば寝ぼけながら毛布から顔を上げる。
灯りを落とした部屋の中は暗く、今は月明かりもないために薄っすらとモノの輪郭がわかる程度だ。
部屋の中を何かが動く気配があった。さっきの音は寝室の扉が開く音か。
侵入者。何者かが俺の部屋に入り込んでいる。
俺は暗闇で息を詰めて侵入者の正体を見定めようとする。
その人物はゆっくりと動き、寝台の横に立った。雲が晴れ、かすかに薄青い月の光が室内を照らす。
「リ……」
そこに立っていたのはリッカだった。泥棒でもなければこの家にいるのは俺たちだけなんだから当然だ。
しかし彼女の様子はいつもとどこか違っていた。
リッカの姿をそこに認めた直後、彼女はベッドの上で身を起こしかけた俺に向かって倒れ込んで来た。
「——っ?!」
間近にリッカの顔がある。頬が上気し妙に呼吸が浅く、その大きな瞳はどこか妖艶さを含んだ不思議な光を宿している。
目の前にある彼女の艶やかなくちびるから漏れる吐息が顔に当たる。
リッカは薄い寝間着姿のまま俺の体にきつく抱きついてくる。
布地越しに彼女の熱い体温を感じる。そして柔らかく豊かな質量を持つ物質が胸のあたりに押し付けられた。
「リ、リッカ……?」
息のかかる距離で見つめ合う。リッカの熱を帯びじっとりとした視線と絡み合う。
思考が一瞬停止し、彼女の目を覗き込んだまま体を硬直させる。
「ナトリ……さん」
リッカが俺の名を呼ぶ。甘え、喘ぐように。明らかにいつもの彼女と様子が違う。
彼女の体から発散される僅かな汗の匂いが鼻腔をくすぐる。体の芯がカッと熱くなり、じっとりと汗が出始める。
これ、もしかしなくても夜這いってやつか? きゅ、急すぎて心の準備が……。
いや落ち着け俺。まだお互いの気持ちを確かめ合ったわけじゃないし……。ここでリッカに恥をかかせるわけには————。
急にリッカが目を見開いた。さっきまでの艶めいた雰囲気は影を潜め、彼女の頬が暗くてもわかるほど朱に染まり始める。
「あ、あ……あ……」
リッカは慌てて俺から離れるとベッドの端に腰掛けて背を向けた。
「リッカ?」
その細い背中が小刻みに震え始めた。
「……ごめんなさい。ごめんなさい、ナトリさん。……おやすみなさい」
そう謝ると、ぱっと立ち上がり振り返ることもなく部屋を出て行った。
「あっ……」
俺はベッドから半身を起こし手を伸ばしかけたまぬけな格好で取り残される。
ぼすんと力なく枕に頭を落とした。
なんだったんだ、今の。
リッカは今、もしかして、泣いていた? 彼女の部屋まで追いかけるべきか。
……いや、きっと用を足しに起きて、寝ぼけて部屋を間違えたとかだ。
うん、ありえる。……そういうことにしとこう。
なんだか遣る瀬がない。リッカが何を考えていたのか気になってしょうがない。
実のところ彼女は俺のことをどう思っているのか。
俺はリッカのことが好きだ。普通に女の子として気になっている。
そんな気になる子に薄着で密着され、俺は動転していた。
再び寝ようとするものの、神経の昂りはなかなか治らない。
リッカの体温、匂い、柔らかな身体の感触を忘れられずにひたすら悶々とし、寝付けなくなった。
「ぐぬぬ……」
§
翌朝。
寝不足でぼんやりする頭で朝食を口に運んだ。
二人で食卓を囲んで朝食を摂り終え、一息つく。
今日向かう予定の討伐推奨地区ついて、リッカに注意点を話しておこうと思ったところで彼女が口を開いた。
「あの……、昨晩はごめんなさい」
「え? あ、ああ……あれか」
「ちゃんとお話ししておかなきゃって思って……。でも昨夜は取り乱してしまいましたので」
そのことは大いに気になっていた。何か事情があったのか。
「昨晩は、その……。つい、衝動が抑えきれずナトリさんの部屋に忍び込んでしまったんです」
「衝動?」
「はい……」
リッカは何故か俺と目を合わせようとしない。
「言い辛ければ、無理しなくても」
「いえっ! 言っておかないと、今後も迷惑をかけてしまうかもしれないのでっ」
なんだろう、なにか重大な問題が持ち上がったのか。話を聞く姿勢を正す。
「その、衝動というのは……多分、性欲、なんだと思います……」
リッカは目を閉じ、恥ずかしそうに頬を染めて言った。
性欲。わりと馴染み深い人間の根源的欲求である。
でも彼女の口からそんな言葉が出たことに、少しだけ呆気に取られる。
昨日のあれは、本当に夜這いだったということなのか。
リッカに対してあまりそういうイメージを持っていなかっただけに、なんと言葉を返せばいいかわからない。
「エッチな女だって、軽蔑されても仕方ありませんよね……」
「そんなことはないよ……。誰だってそういう気分になること、あると思うし」
軽蔑なんてとんでもない。
「私、今まであんな風になったことなくて……、それで戸惑ってしまいました」
「そうか……」
「でもこれ、自然な欲求とは少し違うみたいだなって」
「と、言いますと?」
「多分……、一体化した厄災の影響だと、思います」
彼女によれば、昨夜は急に抗いがたい衝動が湧き起こり居てもたってもいられなくなってしまったという。
その結果リッカは、熱に浮かされたように、引き寄せられるようにふらふらと俺の部屋にやってきてしまった。
確かに昨夜の彼女は様子が変だった。
リッカの中に間借りしているのは色欲の厄災アスモデウスと呼ばれる存在。
厄災は、何故か嫉妬や色欲といった人間の根源的な欲求を名前の上に冠している。
色欲。要は性的な欲求のことを意味する。その性質がリッカの身にも影響を及ぼしているってこと……なのか?
「もしかしたら今後も同じようなことになってしまうかも……」
リッカは恥じらうように顔を両手で覆って下を向いてしまう。
昨夜は驚きの感情が勝っていたが、もし今後似たようなことがあったら耐えられないのは俺の方かもしれない。
リッカの本意じゃない。もしそれで逆に襲っちゃうようなことがあれば俺は最低の屑だ。
そんなのはいけない。たとえリッカが夜這いしてきても、自分を厳しく律して紳士的な態度で接しなければ……。
そう固く決意し、今後リッカがそんな状態になっても下衆な真似はしないから安心してくれと彼女に約束した。
「それでも……もし私の衝動が強すぎてどうにもならないときは……。ナトリさんだったら、その……私は……いい、ですから……」
「うえっ!?!?」
最後の方は消え入りそうな小声でそう言うと、リッカはテーブルを挟んだ向こう側で縮こまるようにして、恥ずかしそうに目を伏せ髪を弄った。
胸の内を締め付けられ、俺はしばし絶句した。
ど……どういうことだ? つまり、そういうこと?
それって俺のことを好きだからOKってことなの?
いや、待て待て。そんなことが————?
『マス∮ー、落ち着£——』
昨晩から少々暴走気味な俺の思考を制止したのはノイズ入り混じるリベルの言葉だった。
少しだけ気まずい朝の時間を過ごした後、俺たちは狩りへと出かけた。




