幕間 遠き道のり
朝の気配漂う並木道をリオネラ港へ向けて歩いていく。
朝ではあるが空はすでに夕刻のような色合い。黄金色の雲の向こうに朝日が輝いている。
俺たち四人は欠伸を噛み殺したり軽く雑談しながら歩いていた。
リッカは港まで俺たちを見送るためについてきてくれている。
「残念だなぁ。せっかくリッカと仲良くなれたのにすぐにお別れだなんて」
「私もだよ、フウカちゃん」
「みなさんがカナリアから戻ったら、私も合流してミルレーク諸島を旅立とうと思ってます。その時はよろしくお願いしますね」
リッカは礼儀正しくぺこりと頭を下げた。
「また会えるのを楽しみにしてる」
「もしカナリアで家族が見つかったらしばらくは会えないかも……」
「フウカちゃんとはせっかくお友達になれたのに、ちょっと残念だね」
もしフウカがカナリアに留まることになっても、リッカと俺は嫉妬の厄災をどうにかする方法を求めてミルレークを発つことになるだろう。
そうなってしまえばそうそう気軽に会いにいったりするのは難しい。
別れを惜しむように、女子同士の会話は弾んでいた。二人の様子を微笑ましく眺めながら歩いた。
「待て」
それはよく通り、空気を塗り替えるような緊張感を孕んだ声だった。
気の緩んでいた俺たちはすぐに言葉を発した人物を探して周囲を見回す。
「囲まれとるな。気配を隠してやがったか」
周囲の並木の影から一人、二人と全身を動きやすそうな黒衣で覆った人物が音もなく現れる。
仮面をつけているために表情はよくわからない。
「なんなんだ、こいつら……!?」
前方から純白のローブを纏った長身の人物がゆっくりと歩いてくる。こいつがリーダー格か。
「俺らになんか用か」
クレイルが鋭い目つきでそいつを睨んだ。
先ほど声を発したのはこの白ローブの人物か。凛としたよく通る声だが、男の声にも女の声にも聞こえる不思議な音程だった。
ローブを深く被った顔は樹木の影になっているせいもあってよく見えない。種族はエアルだろうか……?
「ようやく————、見つけた」
白ローブの人物は顔を隠すフードを少し持ち上げる。透き通るような金髪がさらりと流れた。
この世のものとは思えない程に整った顔立ち、涼やかな切れ長の目。
何よりも目立つのはその眼だった。空の果てのように澄んだ綺麗な青と、対照的に宝石のような輝きを持つユリクセスの瞳のような赤。左右で瞳の色が違っている。
素顔を晒しても性別に関しては自信を持って断言できない中性的な容姿だ。女性のような美しい顔だが、体格や身長からしておそらくは男性だろう。
こんなのが街中を歩いていたら、女性なら誰もが彼に目を向けることだろう。
絶世の美男子と言い切っても過言じゃない。
「随分と探しました」
彼はフウカに向かって歩み寄りながら、ぽかんと見上げる彼女に友人に会ったかのようにごく自然に語りかけて来た。
「あなた……誰?」
「……!」
男の涼やかな表情が一瞬だけ歪んだように見えた。まるで痛みを受けたかのような、ほんの一瞬だがとても痛切な変化だった。
彼は俺たちを見回した。凍えるような冷たい視線で。
「まさか——、術によって記憶を。お前達の仕業か……?」
その細身の肉体から危険な気配が発せられる。刺々しい殺意だ。
「くっ……!」
リベリオンを右手に現し、柄を握った時にはもう端正な顔が至近にあった。
右手を掴まれ、捻り上げられる。強制的に地面に膝を突かされた。なんて速さだ。
青年の動きが急に止まる。
「その辺にしとけ。誤解じゃ済まんぞ」
俺と男の間に赤く燃える灼熱の剣が差し入れられる。クレイルの火剣だ。
「クレイルさんッ!」
「ぬッ?!」
クレイルの頭部目掛けて高速の蹴りが放たれた。目で追う隙も音もなく、取り巻きの黒衣が宙を舞いクレイルに迫っていた。
クレイルはその蹴りを間一髪のところで体を逸らして後退し、避ける。
「ナトリを放してっ!」
すぐ近くで風が渦巻くのを感じた。フウカの波導だ。
しかし金髪の青年は地面を滑るように髪を靡かせてフウカの背後へ即座に回り込んだ。
「あ……」
彼はフウカの後頭部に手をかざす。波導の光がぼんやり見えたと思ったら、フウカは体から力が抜けたように崩れ落ちた。
「フウカッ! リベリオン!!」
自由になった腕に握るリベリオンを変形させるが、腹部に強烈な衝撃を感じて俺の体は後方へ吹き飛んだ。
「ぐああっ!」
なんとか態勢を立て直して雑に着地、前方に立つ黒衣の一人を咳き込みながら睨みつける。
クレイルを狙ったのとは別の奴だ。こっちも相当速い。こいつに腹を蹴り上げられたらしい。
腕と腹部に鈍痛を感じる。幸い、ラケルタスクロークを着用していたおかげか蹴りを食らった腹に動けなくなるほどの痛みはない。星骸なだけあってさすがの防御力だ。
しかし、青年の波導によって卒倒させられてしまったらしいフウカは力なく彼にもたれかかって目を閉じている。
青年は一人の黒衣にフウカの体を預ける。
「お前はその子の知り合いなのかっ!」
「貴様らのような者供が知る必要はない」
青年は美しい柳眉を顰め、吐き捨てるように言い放つ。その瞳に怒りや憎しみに似た感情が揺らめく。
「ヌッ?!!」
クレイルに蹴りかかった黒衣が跳び退き、焼け焦げた二の腕を押さえている。
そいつに火剣を発動させた杖をクレイルが突きつける。
「忠告したよな。誤解じゃ済まんと。俺は対人戦は得意分野でな」
「ぐうう……っ」
「得体の知れないお前らなんかにフウカを渡してたまるかよ……!」
光の刃の出力を上げ、立ちふさがる黒衣との間合いを測る。
「フウカちゃんを放してください。みんなを傷つけるなら私だって容赦しない……!」
リッカも杖を取り出し構えている。
「……愚かな」
心底下らない、そんな顔をして青年は呟く。
「自己紹介か? 何様やお前は」
「…………」
彼の動きはあまりにも疾かった。しかしそれ自体は非常に単純な動作、地面を蹴って前方へ駆け出す。
一陣の風が駆け抜けるが如く彼我の距離を一瞬で詰め、青年は術の発動に備えて詠唱を刻み始めたリッカの目前へと迫っていた。
「なっ?!」
「響破」
青年はその手をリッカの頭部にかざして言った。キィンと甲高い音が響いたかと思うとリッカが地面に崩れ落ちる。
「リッカ!!」
「な、ナトリ……さんっ」
意識を失ってはいないようだが様子がおかしい。彼女は地面に転がって、苦しそうにもがく。
「リッカに何をしたッ!」
すぐさま彼女の元へ走る。金髪の青年はこっちを振り返るとその冷たい視線で俺を射抜く。その姿が——消えた。
奴の速さを見越してリベリオンを横に薙ぐ。風が体の脇を通り抜けるのを感じた。背後に意識が向いたのは偶然だ。
すぐさま切り返して背後に剣を振り下ろす。
しかし彼は、光の剣閃を体の軸をずらす最小限の動きで回避した。
リベリオンの刃は生身で少しでも擦ればただでは済まない。しかしその表情には恐怖や怯えの色は一切なかった。
打倒すべき対象、それだけしかその眼中にはないようだ。
「――――弱い」
二撃目の斬り払いを放つが、その時にはすでに彼は俺の前から姿を消している。見失っ————。
「揺らげ、『響破』」
頭上から発された声の直後、世界がぶれる。風景の輪郭が二重、三重に分かれ、細かく揺れ動いている。
立っていることができず両手を地面についた。
「はっ、ぐ……ぁ」
視界が揺らぐ、目が回る、気持ちが悪い————。
リッカもこれを受けて……。
黒衣が抱きかかえたフウカを男へ渡す。
「リッカ! ナトリ!」
配下二人の相手をするクレイルが叫ぶ。
「奴等をこの場で処断するのも吝かではないが……」
「殿下、ここは市街です」
「わかっている。——目的は達した。引き上げる」
「はっ」
青年は周囲の配下に指示を出す。
「ま……て。フウカを、フウカを返……せ」
定まらない視界の中で、それでもやけにはっきりと青年の冷たい双眸がこちらを見下ろすのがわかった。
「貴様如きが、この女性の何を知っているというのか」
「俺、は……、フウカをっ」
あの子の気持ちを無視して、強引に連れて行こうとする奴よりは知っているさ。
フウカは渡さない。
「お前……よりは、よく……知ってる」
「…………」
静かな怒りを湛えた瞳で俺を睥睨しながら青年はこちらへやってきた。あと三歩、二歩、一歩……。
這いつくばり、地面に突いた手の裏にリベリオンを思い描き、間髪入れず青年に向けて振り上げる。
カァンと辺りに固い音が響き渡った。右手の内には何もない。
高速の蹴りが放たれ、リベリオンの柄は俺の手を離れていた。
「がっ、はあっっ……!!」
そして間髪入れずに防具の上からでも腹部にめり込む強烈な拳が臓腑をかき回す。目眩に加えて吐き気と痛みで地面に転がった。
「貴様は何も知ってはいない。そして何も知ることはない」
「ふ、フウカっ……」
力なく黒衣に寄りかかる彼女に手を伸ばす。
フウカ……俺は、君を……。
こいつは知っているというのか、彼女の過去を。失われた記憶を。
寒気すら感じる冷酷な瞳を、地を這いながら見上げる。
「その子を……どうする気だ……!」
「貴様には関係のないこと」
「……殿下」
「わかっている」
「…… ! てめェら、まさか……」
クレイルに対峙する黒衣が短い杖を抜き放つ。
「……覆い隠せ、『白霧』」
「っ!」
視界が真っ白に閉ざされていく。フウカの姿が霧に包まれ、見えなくなる。
行ってしまう、フウカが。こんなに容易く連れ去られて。
「ま、てよ……」
視界を奪う白い闇の中、ただ痛みに呻く事しかできない。
俺にできるのはただがむしゃらに地面を這いずり、闇雲に手を伸ばすことだけだった。
そしてその手は何も掴むことは無かった。
「ちッ! 逃げ足の速ェ……」
やがて霧は晴れ、視界が戻ってくる。蹲り呻くリッカ、立ち尽くし顔を歪ませるクレイルの姿を認める。
そしてあの三人とフウカの姿はどこにもない。霧に巻かれて見失ってしまった。
「はぁ、はぁ……、フウカ……、くそッ!」
俺はただ荒い呼吸を繰り返し力なく地面に座り込み、握った拳を地面に叩き付けた。




