第151話 家族
マグノリア公国の跡地を発ってから二日目の昼過ぎ、浮遊船はリオネラの港に無事帰って来た。
船代は戻って来なかったが仕方ない。リベルの計算では、リオネラを発ってから既に26日もの日数が経っているのだ。
時空迷宮内の時間は外とは異なるため、俺たちの乗った浮遊船は当然遭難したものと考えられていた。
港の者達は神隠しだと騒ぎだす。
面倒になる前に俺たちは騒ぎから抜け出しそそくさと港を後にした。
「とんでもねぇもんに巻き込まれたもんやな、しかし」
「うん。よく帰ってこれたよね、私たち」
「ナトリさん達はこれからどうするんですか?」
「そうだなぁ……」
元々俺たちはフウカの家族を追いかけてカナリアへ向かっていた。もう一度向かうべきだろうか。
初めてここにやってきた時と同じように俺たちは空沿いの沿道を歩き、とりあえず街に向かうことにした。
「おう、あの婆さんまた埠頭に座っとるな。なんやもう懐かしいわ」
沿道から空に向かって突き出した細い埠頭の突端。
以前見かけたユリクセスの老婆が今日もまた椅子に腰掛け金色の雲原を眺めているようだ。
「あれ、またハンカチ落ちてる」
「婆さんのやないか。そそっかしい婆さんやな」
前に拾ったものと同じハンカチが落ちていた。
落とし物を拾い、埠頭を歩いて俺たちは小さな椅子に腰掛けた老婆の元へ向かっていった。
風に乗って、以前聞いたオルゴールエアリアの音色が流れてくる。
「この曲、どこかで……」
「リッカの知ってる曲?」
「…………」
「よォ婆さん久しぶりやな。元気しとったか?」
クレイルの陽気な挨拶に、彼女は俺たちを振り向いた。そしてああ、なんだという顔で頷く。
「アンタたちか。どこぞでの用事は済んだのか」
「俺らのこと覚えとったか。ボケとらんで何より」
「……その減らず口と容姿、そうそう忘れるものじゃない」
「カッカッカ」
リッカがふいに老婆の前に歩み出た。
「そんな」
老婆が首を傾げるようにリッカを見る。
「まさか、もしかして……。オリ……ヴィア……?」
「……?」
ユリクセスの老婆は怪訝そうにリッカを見つめていたが、その表情は徐々に変化していった。
赤みのある瞳を備えた切れ長の目が見開かれ、驚愕の表情に変わる。
彼女はリッカを見つめたまま、モノも言えないほどに硬直してしまった。
「オリヴィア……って、え?」
「もしや、もしやあなたは……、リッカ様……なのですか?」
「……うん、そう、リッカだよ。アルノート……ううん、私はリッカ・ルメールだよ」
「あ、ああぁ……」
老婆は立ち上がると、おぼつかない足取りで一歩、二歩とリッカに歩み寄る。
そして彼女の体を両手でつかまえると、縋り付くようにその顔を覗き込んだ。
「リッカ……様……。これは、夢……なのですか?」
「私も信じられない。オリヴィアだ。……オリヴィアがいる。まさか、生きてたなんて……」
時空迷宮マグノリアで出会った、白髪の少女の姿をしたユリクセス。
リッカの保護者として彼女の面倒を見てくれていた。しかし実際には、彼女はマグノリア公家に使える使用人という立場だったらしい。
迷宮の消滅とともに、彼女の代替物も消え去った……。
そう、思っていた。
しかし今、オリヴィアは確かにここに生き、存在している。
よく見れば、彼女の面影は老婆の随所に見うけられた。
奇跡的な再開を果たした二人は、しばし抱擁によって互いのぬくもりを確かめ合った。
とめどなく溢れ二人の少女の頬を濡らす涙は、その再会を祝福するように陽の光を浴びてきらめいて見えた。
「おかえりなさいませ。リッカ様……。よくぞ、よくぞご無事で……!」
「オリヴィアったら、少し見ない間に、こんなにしわしわになっちゃって……。でもいいの。私、今ものすごく嬉しい。だってまた、あなたのところに帰って来られたんだもの。……ただいま。オリヴィア……!」
抱き合う二人を雲腹に乱反射する光が取り巻く。
俺の見間違いかもしれない。でも、俺は見た。
抱き合う彼女たちの隣に立つ、生意気で得意げな顔をした小さな白ネコの姿を。
血の繋がりはなくとも、彼らは確かに家族なのだ。
§
俺たちはリオネラの港で再会した老オリヴィアの家に招かれ、彼女の家に泊めてもらうことになった。
彼女の長らく振るわれなかった腕によりをかけた料理の数々はとても美味で、そしてやはりおそろしいほどの量だった。
ついこの間まで食べ慣れていたリッカは食後もけろりとしていたが、俺だけは腹がはちきれそうになり手が止まった。
オリヴィアは食べるリッカを優しい笑顔を浮かべて見守るように眺めていた。
リッカもフウカも、あれだけ食えてどうしてあんなに細い体格を維持してるのか。飲み込んだ食物は一体どこへ消えてしまうのか不思議でならない。
リッカの場合は胸に栄養素が蓄えられている可能性もあるが。
長椅子に寄りかかってぐったりとしながら、楽しそうにお喋りする三人の女性を眺める。
みんな、とても幸せそうな表情をしている。
オリヴィア。彼女は生きていた。
迷宮を出たリッカには身寄りがない。孤独の身だ。でもたった一人だけ生きていた。家族が。
オリヴィア・ルメールは六十年前、丁度アガニィが公国に襲来してリッカが色欲の厄災と契約を結ぶ直前、所用でマグノリア公国を離れていたらしい。
彼女は一夜の間に国が消滅したと伝えられる「マグノリア公国消失」を免れた公国の元住人の一人だった。
それから彼女は……、どんな年月を歩んできたのだろう。
初めて埠頭でオリヴィアに出会った時、彼女は後悔していると言っていた。
それはあの悲劇から一人生き延びてしまったことなのだろうか。
でも、今彼女の隣にはリッカがいる。この六十年の空白を埋めようとするように二人は話した。
俺はその様子を眺め、胃もたれでぐったりしながらも優しい気持ちになった。
「なァ、ナトリよ」
隣で並んで食卓の様子を眺めていたクレイルが呟く。
「どした? 吐きそうならトイレに……」
「俺はまだ食えるぞ。いやそれやなしに」
「うん」
「これからどうするんや?」
俺クレイルが聞きたいのは旅を続けるのか、引き返すのか、ということだろう。
「うーん……」
俺たちが迷宮の中で過ごしたのは十日程度。しかし迷宮内で巻き戻った時間は外の世界には適用されない。
現実のスカイフォールでは俺たちがリネオラを発ってからもう一ヶ月近くになろうとしている。
ある程度長旅になることは想定していたから問題はないが、やはりここはフウカに意見を聞くべきだろう。
「フウカ」
「なに? ナトリ」
「カナリア島に行きたい?」
「……あのね。昔のこと、いくつか思い出しはしたんだけど。カナリア島に私の家族がいるっていう話、何か違うような気がするんだ」
「根拠でもあるんか?」
「そういうのはないんだけど……。でも、前に女の人のことを思い出したって言ったよね。広い庭も。あれは多分……、みんなが言ってる王宮にあるんだと思うの」
「そうなのか……」
今回思い出した記憶の断片にある王宮と、以前思い出した女性との思い出が結びついたということか。
ハッキリと記憶にある場所が判明したことは大きな収穫だ。
「記憶にある場所が本当に王宮かもしれないなら、私はそれを確かめに行きたい。今はそっちの気持ちの方が大きい……かな」
「つってもまあ、折角ミルレーク諸島まで来た訳やしな。カナリアまでは四日あれば行ける。とりあえず行って確かめといてもええんちゃうか?」
「もう時空迷宮は消えたはずですから、みんなが巻き込まれることはないはずです」
「そうだな……。一応カナリアを見に行って、それでも駄目なら王宮ってことで」
「うん。そうだね。ありがとう、みんな」
そんな感じで俺たちはフウカの家族を捜すため、今度こそカナリアを目指す事に決めた。




