第15話 襲撃
フウカのための生活必需品を買い揃えていたらすっかりアパートへ戻るのが遅くなってしまった。
結局、師匠の家にフウカを預けにいくのはやめた。部屋に帰ってプリヴェーラの件について彼女と相談しようと思ったからだ。
陽が落ちて人通りは少なく、街頭だけがまばらに路地を照らす寂しい通りを二人で歩いていた。俺は声を潜めて隣を歩くフウカに語りかける。
「フウカ。そのまま聞いてくれ……」
「どうしたの?」
「俺たちの後をずっとついてきてる奴がいる」
「えっ?」
「振り返らないで」
「あ……、ごめん」
追跡者に気がついたのは市街地から離れ、アパートに向かう人通りの少ない住宅地に入ってからだ。向こうは気取られても構わないのか、まっすぐ俺たちの後を一定の距離を保ってついてくる。
単に進む方向が同じ、とは思えなかった。そいつの格好は見るからに人目を憚っていた。ローブをまとい顔も目深に下ろしたフードでよくわからない。明らかに正体を隠したい奴の格好だ。
こんなのをアパートまで連れて行くわけにはいかない。すでに家とは違う方向、再び繁華街へと戻る道を選んで進んでいる。
一体何者だ。俺達の格好を見て窃盗を働く気にはならないはず。でなければ狙いはフウカか。
このところ五番街では二人の行方不明者が出ていた。先日の廃墟街の事件で実行犯の犯罪組織は壊滅し、事件は終わったと勝手に思っていたけど、まだ残党がいたとしたら。
さらに不吉なのは、こちらが二人連れにも関わらずバレるのを気にせず尾けてきていることだ。俺がドドだと知ってるとは思えない。だが、そうでなくともこの追跡者が複数人を同時に相手をしても問題がないくらい腕に自信のある奴だということは察せられる。
くそっ。なんでこんな目にばかり会う。服の下に冷汗を滲ませながらどうするべきか考える。怪しげな人物には違いない。だったら、人目の多い場所に逃げなくては。大通りや、治安部隊の詰所を目指す。
しかしそんなことは向こうも承知の上だろう。きっと俺たちがそこにたどり着く前に用事を済ませられる算段があるということ。だったらもう、死に物狂いで追跡者の手から逃れるしかないじゃないか。
「……フウカ、合図をしたら全速力で飛んでくれ。なるべく自然に手を握る。それが合図だ。頼めるか」
「……わかった。思いっきりいくね」
またもやフウカ頼みになってしまうけど、今はとにかく相手の意表を突かなければ突破は難しいだろう。彼女の飛力に賭けるしかない。
歩きながら俺はフウカを見つめる。彼女も俺を見る。差し迫る危機感に今すぐ逃げ出したい気分だけど、無理やり笑顔を作って親しさを装う。焦るな。そのまま自然に手を伸ばし、フウカの手に絡める。今だ。
フウカが返事の代わりにぐっと握った手に力を入れて、一歩を少し深めに踏み込む。次の一歩で彼女は地面を離れた。地面と平行に風が巻き起こり、俺の体はフウカに引っぱられて路地の石畳の上を滑空しながら徐々に高度を上げて行く。
フウカはさらに空を蹴って高度を稼ぐ。この先に見える大通りの明かりの中まで一気に飛ぶ。連なる民家の屋根を飛び越えた。
屋根の大棟を超えた時だった。等間隔で突き立った煙突の影からぬっと何者かが飛び出す。不意を食った俺たちがそれの接近に気づいた時には、薄汚れたボロいローブに身を包んだ刺客は俺たちの間近に迫っていた。
そいつは腕を伸ばし、飛ぶ俺の足を捕まえ、そのままぐんと振り回した。
繋いだ手を離した俺ははたき落とされるように屋根瓦に叩きつけられた。
「が、あっ!!」
「きゃあっ!」
屋根の傾斜に沿って体が転がる。お、落ちる! 偶然掴んだ凹凸に手をかけて落下を止め、すぐに上体を起こす。上を見上げると布で顔を覆った人物が屋根の大棟に足を乗せて俺を見下ろしていた。
フウカも少し離れて屋根に降り立った。怪我はなさそうだ。
「逃げろフウカ!」
彼女に向かって叫ぶ。奴らの狙いはフウカだ。俺がいなければより早く逃げられるし助けも呼べる。
「逃がしゃしないよ」
前を向こうとしたフウカを遮るように、屋根の上にもう一人の人物が音を立てて着地した。俺たちを後ろから尾けてきた方か。離れてもよく聞こえるその声音は女のものだった。
行く手を完全に遮られた。前方にも協力者が潜んでいたなんて。甘かったと奥歯を噛みしめる。
「なんなんだコイツらは……」
「やっと見つけた」
女の方がフードをたくし上げて素顔を晒す。風に靡く色素の抜けた長髪、血色の赤黒い瞳。
若い女のユリクセス。女は鋭い目つきでフウカを睨みながら問いかける。
「つい最近同胞に会っただろう?」
「なんのことだ」
「お前には聞いてない。女、お前が答えな」
フウカは口を閉じてユリクセス女のことをじっと見つめていた。
「コバルト。こいつで間違いないか」
「ああ。薄紅の目に橙色の髪。こんな目立つ女見間違いようがねえ」
女は俺の前にいる男に確認をとる。フウカのことを知っている。ということはやっぱりこいつらは廃墟街のユリクセスの残党……。しかし何故フウカを探していた?
「仲間の仇だ。償ってもらう」
「仇……? ちょっと待て、その子は関係ないって!」
女は初めてこっちを向いた。その暗い血色の双眸は強烈な怒気を含んでいた。
「お前も関係者か」
「……そうだ。お前らユリクセスだろ。仲間の細目の男に足を刺された。でもあいつらを殺したのは俺たちじゃない。お前らが攫った子達まで殺す理由がないだろ!」
「ではお前達でなければ誰だ」
「モンスターの仕業だ。突然現れてあそこにいた三人を皆殺しにした!」
女は無言で俺を睨みつけたままだ。もう一人の男が声を荒げた。
「テキトー抜かして切り抜けようってか? 王都にモンスターがいるわけがねえ。新聞にもそんなこと書いてねえぞ。第一てめえは襲われていないじゃねえか。やったのはおめえらだろ」
こいつらフウカが本当に自分達の仲間を殺したと思って探し回ってたのか。……酷い誤解だ。
新聞にあった治安当局の見解には犯罪組織の仲間割れ、などと書かれていたが、奴らにしてみれば身内の潔白は証明されている。
最悪の状況だ。俺たちは思っていた以上に危険な領域に足を踏み入れてしまっていたのだと、今更自覚して俺は青ざめた。
「殺す」
女がぼそりと呟いてフウカに向き直り一歩踏み出す。フウカは顔に恐怖を浮かべて後ずさった。
「フウカ!」
立ち上がりながら彼女の元に駆け寄ろうとするが、上から一息に跳躍し距離を詰めてきた男の拳が俺の腹を下から突き上げた。
「がはあっ!」
倒れ込んで再び屋根を転がる。咳き込みながらフウカが駆け寄ってくるのを見た。
「ナトリ!」
「ノロいな。こいつてんで弱ぇぜ。本当にブラークをやったのかよ?」
体勢を立て直そうとする俺にフウカが寄り添ってくる。彼女の顔は不安で覆われている。二人が俺たちを挟み込むように近づいてくる。……く、逃げられる気がしない。
「ただ殺すだけじゃ収まりがつかねえ。仲間の分まで存分にいたぶってやるから覚悟しろ」
「はぁ、はぁ……」
痛む腹を抱えてフウカを守るように体の後ろへと庇う。吐き気を飲み込んで寄ってくる二人を交互に睨む。
「お前ら……フウカが何をしたってんだよ……。頼むから話を聞いてくれ」
「ああ、聞いてやるさ。痛めつけたあとでたっぷりとな」
そう言って女は腰から目にも留まらぬ速さで刃渡りの長いナイフを引き抜いて振り下ろしてきた。
反応する暇さえ与えない素早い動作。肩口めがけて降ってくる凶刃の揺らめきを俺は目で追うことしかできなかった。避け――――。
「だめっ!」
ギインッ!
痛みを覚悟したが刃が体に到達することはなかった。ナイフは何か硬質なものに当たって目の前で停止した。空中にうっすらと、透き通る壁のようなものが見える。女はその目に驚きを露わにした。
これは、波導……?
「この女……!」
後ろに庇ったフウカを振り返る。彼女はユリクセスの女を険しい目つきで見上げていた。その薄紅の瞳が闇の中で明るく強い輝きを放っている。この波導障壁は、彼女が発生させているのか。
「フウカ……?」