第146話 兄貴
気が付くと俺とリッカは街を望む高台の広場に戻って来ていた。
静寂に支配された街に人気はなく、すべてが静まり返っている。
ここはもう過去の記憶の抜け殻に過ぎない。
突如、街の上空に黒い円を穿って時空の歪みが出現した。そこから何かが飛び出し、こっちに向かって物凄い速さで降下してくる。
「何か来る!」
リベリオンを構えリッカの前に出る。空から落ちてきた何かは高台広場の、俺達の前方の地面に激突した。土煙が舞い上がる。
突然の破壊と轟音が収まると、抉れた地面の上に立つ人影が見えた。
頭部から生えた黒角。それは魔人となったリッカ、厄災アスモデウスだった。
さっきは気が付かなかったが、よく見ると俺の後ろにいるリッカよりも少し大人びた体つきをしているようだ。
「あれが……、私と一つになった厄災アスモデウス」
「俺を追いかけてきたのか」
厄災を足止めしていたダルク達はどうなった。まさかこいつに………。
いや、みんながそう簡単に死ぬはずがない。
どういうわけだか、今の厄災は姿だけを借りた状態でリッカと分離しているらしい。
倒すなら今をおいて他にない。
『リベル』
『ジャッジメント・スピアの発動を推奨』
「っ!」
不穏な気配を感じて引き金を弾く。光の弾道は即座に厄災の腹部を貫通するが、全く応えた様子はみられない。
それどころか傷は即座に修復されてしまった。
『通常の攻撃で厄災を滅ぼすことは不可能』
『英雄達も封印することしかできなかったわけだ……』
何故かは分からないがアスモデウスはリッカを生かしている。こいつの目的は俺という異物の排除だろうか。
空間が歪むような感覚を肌で感じ取った。攻撃が来る。
「ソード・オブ・リベリオン——、『アトラクタブレード』」
目の前を薙ぎ払うように剣を振る。時空間を跳躍し、一気に厄災の背後へ回り込んで斬撃を見舞う。
しかし剣を振り抜いた時には既に奴の姿は掻き消えていた。
「くっ!」
ドス黒い気配を感じて上を見上げる。直上に浮遊する厄災がこちらを見下ろし、不穏な気配を放つ。
アスモデウスの手のひらから放たれる黒い衝撃波を再度時空斬で躱す。
「リッカを解放しろ!」
アスモデウスを追い、空間を跳躍しながら剣を振るう。
長い爪を切り落とし、腕を飛ばし、傷をつけるがとても動きを止めることなどできそうにない。
空中での攻防の中、なんとかジャッジメント・スピアを打ち込む隙を探す。
「羽虫が」
時空斬にタイミングを合わせたアスモデウスの爪撃が俺の太腿を抉る。
「があああっ!!」
たまらず地面へ転移して厄災から距離をとり膝を突く。
「やめてっ! ナトリさんを傷つけないで!!」
駆け寄ってくるリッカが叫ぶ。彼女が俺の隣で厄災を見上げる。
「私はここを出るって決めたの。あなたの言う通りにはもうならない。私も……戦う!」
「リッ、カ……」
「ナトリさんのおかげで一歩を踏み出せたんです。だから私はもう逃げない……。自分で選んだ事からっ!」
リッカは自分の短杖を抜いて術士の構えを取る。
「私だって戦える……。六十年も訓練生をやってたんだから」
周囲の空間の重みが増し、身体が重くなる感覚を覚える。攻撃の予兆か。
「堅牢なる二重の結界。『二重障壁』」
リッカは状況を見極め、即座に詠唱を諳んじる。
天に向けて掲げた杖を中心に円形の壁が展開し俺達と厄災を隔てた。
今の術の発動を見て彼女を訓練生と呼ぶ者は最早いない。
記憶を取り戻したリッカには過去六十年分の修行の成果が集積され、ベテラン術士以上の確かな技量を感じさせた。
「すごい……!」
思わず出た呟きはリッカの技術に対してだけのものじゃない。彼女の波導障壁は、襲い来る厄災の激しい空間攻撃の連打に耐えている。
空間ごと削り取るあの恐ろしい魔法に正面から抵抗していた。
「これって……」
「?」
「何か、いつもと違う手応えが……。自分の中に馴染みのない力を感じるんです」
「そういえばダルクが言ってた。リッカには黒波導の才能があるって。もしかしたら……」
「黒波導……」
普通の波導障壁が厄災の攻撃を耐えているのはそのせいか? 黒の性質は時空間に関わるものだったはずだ。
空間攻撃が防がれたとみると、アスモデウスは姿を消す。
「ソード・オブ・リベリオン————」
「ナトリさん後ろっ!」
「——「アトラクタブレード」!」
背後に現れた魔人リッカが鋭い爪を俺の背中に突き入れようとするのに合わせ、俺は地面を蹴った。
時空を斬り開き、攻撃を空振りした厄災の死角に移動する。
そこから頭部を狙って鋭い突きを繰り出す。
光の刃で厄災の頭を吹き飛ばした。頭部は黒いもやとなって消える。
その隙をついて、リッカが頭のない厄災に杖を突きつけた。
「彼の者の自由を奪え。拘束せよ『枷』!」
「——ッ」
アスモデウスの胴と四肢に枷が出現する。それは行動の抑制だけでなく、奴の時間の流れそのものを阻害するかのようにぎこちない動きを強いた。
頭部の再生速度も遅い。今なら。
「叛逆の槍、『ジャッジメント・スピア』……!!」
杖が組み変わり、パーツが展開する。リベリオンが輝き出し、力を蓄積させていく。
「お、ノ、れ」
口、そして片目が徐々に再生し、その憎しみに染まった赤い瞳が俺とリッカを射る。
「これで————終わりだッ!」
ガアアアアアアアアアアァァァッッ!!!
「?!」
杖に力が溜まりきる寸前、アスモデウスの重い咆哮が周囲に響きリッカの波導枷が砕け散る。
ふいに辺りが薄暗くなる。
周囲一帯に影が差す。厄災の放つ漆黒の影ではなく、陽の光が遮蔽物に遮られてできる普通の影だ。
視線を目前の厄災から上空へ。そこに空はなかった。
上空から降り注ぐ途方も無い数の岩石群によって空は埋め尽くされていた。
時空斬が間に合わない。まるで天変地異。どこにも逃げ場が————。
鼓膜を破壊せんばかりの轟音と空気の震えに目を開けていられない。
もはや上下もなく痛みもなく、なされるがまま体の自由が効かない時間が続く。
これが、厄災の魔法。迷宮内の時空間を捻じ曲げて、強引に全てを押しつぶすつもりか……。
平衡感覚と視界が定まると、よろめきながら起き上がった。
不思議なことに痛みがない。まだ、生きている。
辺りの風景は一変していた。高台広場にいたはずだが、降り注いだ岩石が周囲一帯の地形すら変えてしまった。
あたりにはごろごろと転がる大岩が散乱している。
「リッ……」
彼女はすぐ近くにいた。だがそれよりも、彼女が覗き込んでいるものを見て驚きに顔が歪む。
「ナトリ……。よかった。生きてた、ね」
「ダルク!!」
リッカが抱き起こしていたのはダルクだった。
彼は酷い状態だった。頭に傷を負って血を流しその片目は閉じられ、右腕は奇妙な角度に曲がりだらりと垂れている。服もぼろぼろだ。
側に駆け寄り膝をつく。
「ダルク……、どうしてっ」
「まさか、さっきの厄災の攻撃から俺たちを?!」
「間に合って、よかった……。ごめんリッカ、遅くなって」
「こんなになってまで、どうして私なんかを……!」
片目だけを開き、ダルクは澄んだ瞳でリッカを見上げて笑う。
「僕はリッカの……兄貴だから。妹を守るのは……当たり前、……だろ」




