第144話 運命の奴隷
時空を切り裂き亀裂を抜けた先には見慣れた風景が広がっていた。
城下町の通り、石畳の道に沿って立ち並ぶ民家、夕刻のような空色。そして、通りを行き交う街の住民達。
驚いた。ここはほとんど影が広がる前の平和な街と同じに見える。
「ここが迷宮の中心か……?」
『他の亜空間とは違う様相であることは確か』
『普通に人がいるしな。とにかくリッカの家に向かってみよう』
不穏な気配はどこにもない。全てがあの頃に戻ったみたいに、ここは平穏そのものだ。
なんとか時空を超えて、迷宮の中心に至ることはできたようだが……。
立ち止まって考えていても埒が明かない。俺はすぐに通りを駆け出した。
リッカの家にたどり着き、扉を叩く。中から声がして扉は開けられた。
「オリヴィア……さん」
「君は……」
中から扉を開けて姿を見せたのはオリヴィアだった。俺の知っている姿そのままだ。
生きている。彼女が目の前に存在している。
時空迷宮によって作り出されたリッカの記憶のマグノリアは崩れ去り、オリヴィアも含めた全ての人間は時空嵐の中へ還元されたんだと思っていた。
彼女の姿を目の当たりにして、俺はしばらく言葉を発せずにいた。
「どちらさん?」
「……えっ?」
「家に何か御用?」
「オリヴィアさん。俺です、ナトリですよ」
「ふむ……。まさか新手のナンパじゃないだろうね。他を当たってもらえないか」
「……!!」
彼女はどういうわけか俺のことを覚えていなかった。
微妙に険悪になりつつある場の雰囲気に耐えかねて口を開いた。
「オリヴィアさん、リッカいますか? 急ぎの用事があって」
「なんだ、あの子の知り合いか。それならそうと早く言ってくれ」
「す、すみません」
「リッカなら家にはいない。出かけたよ。そう遠くには行かないと思う」
この時空間にはリッカが存在するらしい。
でも魔人となった彼女は別の場所でダルク達と戦っているはずじゃ……?
「わかりました。ありがとうございます」
彼女に頭を下げて玄関の階段を降りる。
「ちょっと待った」
そのままリッカを探しに走り出そうとしたが呼び止められて振り返る。
彼女は扉に寄りかかってこっちを見ている。
「何かあったの? あの子、妙に思い詰めた顔をしていたから」
「…………」
オリヴィアは俺のことを知らないようだし、どう言うべきか迷った。
「あと少ししたらもう夕飯だ。あの子を見つけたら戻るよう言ってくれないか」
「あ、はい……」
「今日はあの子の好物をたくさん作っててね。君も食べていくといい」
「いいんですか、俺も……」
確かに家の中からいい匂いが漂っている。
「君はあの子のことを気にかけてくれているみたいだしね。……私にできるのは料理を作って腹を満たしてやることくらい。保護者なんて名ばかりさ。情けない限りだ」
そう言って彼女は諦念を浮かべた表情で目を伏せた。その表情は前にも……、劇場跡でリッカとダルクを抱きしめた時にも見せたものだった。
「そんなことない。リッカとダルクはオリヴィアさんの料理をすごく幸せそうに食べていた。毎日あの二人を笑顔にできるなんて、すごいことです」
「……そういってもらえると少しは救われるかな。ん、君は家に来たことがあったかな?」
しまった。失言だ。これ以上怪しまれる前に礼を言って立ち去ることにした。
「あの子のことを頼むよ」
「はい、一緒に戻って来ますから。……必ず」
冷静であまり感情を表に出さない人だからわかりにくいが、リッカのことをとても気にかけているのは伝わってくる。
彼女は本当に、リッカの記憶を元に作り出された虚像なのか。
リッカのいないところで彼女の身を案じ、親として葛藤を抱くオリヴィア。実際の人と何も変わらない。
時空迷宮が消えれば、その時は彼らも一緒に消えるのだろうか……。
頭を振って余計な考えを払い落とすようにして俺は通りを走り出した。
心当たりをいくつか探し、俺は高台のことを思い出す。彼女はよくあそこに行くと言っていた。街外れに足を向けて坂を登り始める。
城下町を見渡せる高台、城がよく見える広場までやってきた。
入り口に立って高台広場を見渡すと、広場の奥の塀に寄りかかって城を望む人物を見つけた。
微風にふわりとした肩までの金髪を揺らす後ろ姿。
いた、リッカだ。彼女に向かって広場を歩いて横切り、声をかける。
「リッカ」
俺の声に振り向いた彼女は、まるで来るのがわかっていたとでもいうかのように驚くことはなかった。
彼女はどこか寂しげな表情のまま少しだけ微笑む。
「ナトリさん。来て……くれたんですね」
「結構探したよ」
「私、気がついたらここにいたんです。目が覚めて……、全てを、思い出しました」
「そうか」
彼女は自身の置かれている状況を知った。迷宮の作り出すこの風景も、過去に秘められた真実も。
この亜空間はリッカが望んだ世界なのか。
厄災は迷宮の中心に、何故こんな場所を用意したのか。
リッカの世界。彼女の理想。彼女はここにいる。停滞した時の中に。
「見てください。城下町が元に戻ったんです。誰も、いなくなってなんかいません。今この街は平和そのもの。以前と何も変わりありません」
「さっきオリヴィアさんに会ってきた。俺のことを知らないみたいだった」
「……ごめんなさい。この街の人々は、誰もナトリさんのことを覚えていないんです」
考えてみれば、俺たちが現れてアガニィを倒したことは厄災の封印が解かれることになった大きな要因の一つ。
もしかしたら俺とリッカが出会ってしまったが故に。
停滞した世界を維持するため、記憶幻視を起こす俺の存在は不要だと言うことか。
「私、ナトリさんに憧れてたんです。ドドのはずなのに、強くて、前向きで。私もそんな風になれればって……」
俯き気味に話していたリッカが顔を上げる。泣き笑いのような表情。まるで無理やり笑顔を作ろうとしているみたいに。
「でもやっぱりだめでした。私が選ぼうとしたのは破滅の道だった。……私はそれに耐えられなかった」
「……けど、リッカ」
「……わかってます! みんな……みんな偽物だって。それでも、たとえ本物じゃなくても、ずっとここにいればそれは消えない。失われずに済むんです……っ」
所在なさげに立ち尽くす彼女は、まるで消えてしまいそうに儚げだった。
そんなリッカに、無理矢理現実を突きつけるのはあまりに酷だった。
俺には彼女の心の痛みを真に理解することはできないけど、それがどんな辛さを伴うものなのかは知っている。
……できない。彼女を追い詰めることなんて。
「巻き込んでしまってごめんなさい。……本当に、ごめんなさい。私はどこにも行けません。ここが行き止まりなんです。この世界を維持することが、私にできる唯一の罪滅ぼしだから……」
リッカは泣きながら俺に頭を下げる。
「リッカは何も悪くない……。悪いのは君を利用する厄災だ」
何故リッカが泣いて謝らなきゃいけない。
「いいえ。私なんです……。厄災を宿し、自分の願いを叶えるためにその力を利用したのは……」
何も知らず、過酷な運命に放り込まれた上、身に余る選択に板挟みになって苦しんだ。
彼女もまた運命にもて遊ばれる存在。
その事を考えると無性に怒りが湧いてくる。世の中は理不尽なことだらけだ。
個人の力じゃ到底どうにもならない事は腐るほどある。
俺は……、そんなのは嫌だ。だから叛逆してやる。前に進もうとする俺たちを容赦なく叩き落とそうと向かってくる運命って奴に。どこまでだって——。
「私にはあなたと共にある資格がない。さよなら、ナトリさん……」
広場の石畳から、大量の植物が湧き出す。枝を伸ばし、視界を覆い尽くそうとする。
「リッカ!!」
彼女に向かって手を伸ばすが、リッカの姿は瞬く間に枝に覆い隠されて見えなくなる。
「リベリオン!」
枝をまとめて切り払い、押し退ける。剣を片手に茂みの合間を抜けて走る。
視界を覆い尽くす、真っ白い花をつけた植物は天高く伸びていき、高い壁となった。
周囲一帯を覆い尽くし、まるで迷路のように広がっている。
どうして今にも泣きそうな顔で、まるで助けて欲しいって顔で俺を拒絶するんだ。
どうしてリッカが苦しまないといけないんだ。
助ける。
必ず君を。
「ダルク、約束は必ず果たすぞ。リッカをこのくそったれな運命の呪縛から解き放ってやるよ……!」




