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スカイリア〜七つの迷宮と記憶を巡る旅〜  作者: カトニア
四章 黄昏の国
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第143話 Rica,fall into the darkness

 


「ここって……」


 気が付くと自分の部屋にいた。レースに編まれたカーテンを透かして差し込んでくる柔らかい光の中で、私は自分の机の上に突っ伏していた。


 石のように重たい頭を巡らせ、黄と茜色の入り交じるミルレーク独特の空を窓越しに見上げる。


 もっとも、私にとってはこの空が自然だ。外には出た事がない。



「うぅ……」


 頭の中に散らばった記憶を拾い集めようとするが、ガラスの破片に触れてしまったみたいに鋭い痛みが頭を掠め思わず口から呻きが漏れた。


 アルノート=リッカ・マグノリア。それが長いこと忘れてしまっていた私の本当の名前だった。


 記憶……。私の人生は十六年たらずだが、それを遥かに上回る年月の記憶が今私の頭の中にはあった。


 何度も何度も繰り返した決して変わらぬ日々。


 そしてそれが唐突に終わりを迎えるのも同じ。あの波導使い、アガニィという少女の手によって。



 立ち上がり、窓の側に立つ。窓枠に手を触れて表の明るい通りを見下ろした。


 何かが変わりだしたのはこの世界に彼が現れてからだろう。

 空輪車に跨って坂を登ってきて、ポストに手紙を投げ込んでいく。


 お馴染みの光景。でも本当はつい最近始まったこと。



「ナトリさん、みんな。……ごめんなさい。ぜんぶ、全部私のせいだったんだ」


 この暮らしも、今見ている風景も、全ては私の記憶から生まれた虚像だった。


 その全ては遠い過去に、とうに失われていた。



「……?」


 音が聴こえる。優しいけど、少し切ないメロディ。


 硬質で可愛い旋律を発するのは机の上に置かれたダイヤ型の石。オルゴールエアリアだった。


 これ、たしか……。そう、オリヴィアが大事にしていたエアリア。


 彼女が城に勤めていた頃、休憩中によく音を聴かせてもらったのを覚えている。


「!」


 瞬きの間に見ていた風景が変化する。柱の間から城下町が下に見える。かなり高い場所にいた。


 ここはお城の塔の中だ。鐘楼の窓辺に立って庭園を見下ろす。


 さっきまでと同じようにエアリアの音色が途切れずに聞こえていることに遅れて気がついた。


「ねえオリヴィア。これどこに売ってたの?」

「これは貰い物ですよ。かなり古いものですが」


 振り向くと、鐘楼に取り付けられた鐘を挟んで反対側の窓辺に二人の少女が座っているのが目に入る。


 私とオリヴィアだ。どちらも姿は今とそう違いはない。これは私が公女だった頃の記憶?

 まだ城で暮らしていた頃、オリヴィアは城の使用人の一人だった。


 とてもきれいな白髪は目を引いたし、見た目の年は自分とそう違わないのに落ち着きがあって頼もしい彼女のことを私は気に入っていた。

 よく、同年代の子が周囲にいなかった私の話し相手になってもらっていた。


「大事な人から貰ったんでしょう。すごく大切そうにしてるもの」

「ええ、そうです。これは思い出の品なのです」

「詳しく聞きたいなぁ」

「外の事となると途端に目が輝いてきますね、リッカ様は」


 二人はまるで友達同士のようにお喋りに興じている。

 もう随分昔のことみたい……。実際に昔のことなんだけど、確かにこんなこともあった。忘れていたとても懐かしい記憶。


「リッカ様はマグノリアの外に出たいと思っておられるのでしょうか?」

「うん。普段はお父様のいいつけで勉強や波導術の訓練ばかりだもの。たまに城下町に出かけても用事が済めばすぐ帰らなきゃいけないし。窮屈なお城抜け出して、いつか絶対青い空を見に行くの」


 過去の私は不満げに城での暮らしに愚痴をこぼし、どこか夢見がちに窓外の景色に目を移す。



「それがリッカ様の夢ですか。素敵ですね。行けますよ、いつか必ず」


 外から差し込む黄金色の柔らかい光に照らされてオリヴィアは口元に手を当てて可笑しそうに微笑む。


 普段あまり表情の変化しない彼女が時折見せる笑顔が好きだった。



 二人の姿が透け、薄れていく。慌てて窓辺に駆け寄ったが思い出の幻影は消えてしまった。


 城下町の方から遠く鐘の音が響いてくる。


 居館の周囲に広がる空中庭園を、城門に向かって足早に行く人物が見えた。

 どこかへ遠出するのか、長い白髪を風になびかせ両手で鞄を持った少女の後ろ姿。


「オリヴィア!」


 庭園を行くオリヴィアを追いかけようと鐘楼の螺旋階段を急いで降りていく。


 居館の中は私の足音が広い廊下に反響するだけで人の気配がない。誰もいない。


 当たり前だ。お父様も、お母様も、もうこの世にはいないのだから。


 私一人だけが時の彼方に取り残されてしまった。



 大扉を開け放って庭園に踏み出すと、夜の風が吹きつけてくる。いつの間にかすっかり日が落ちて夜になっていた。


 頬を撫でる風にわずかな熱を感じる。遠く、城下町が燃えていた。


 夜空を焦がし、街のあちらこちらで火の手が上がっている。そんな……。


 炎に焼かれる街を背にして人影が庭園の入り口を通りこちらへやってくる。



「——うふふふふ、聞こえる。泣き声、叫び声、苦痛と痛みに悶える声……。ああ、素敵」

「……!!!」


 黒いローブに全身を包んだ悪意の塊が近づいてくる。フードの下から怪しい光を宿した邪悪な瞳が私を捉える。


「お城の人はあなたで最後。あなたが私の探し物なのかしら?」


 少女は口を弓なりに曲げて嗤い、歩み寄ってくる。庭園にはすでにオリヴィアの姿はない。


 頬を冷たい涙が伝う。足から力が抜けて、その場にへたり込んだ。


「オリヴィア……。みんな……」



 これが六十年前に起きた出来事。

 城下町はこの少女たった一人の手によって壊滅させられた。街は燃え、多くの住民が犠牲になった。父も、母も、マグノリア城の人間も彼女の手によって……。


 今私が見ているのはまぎれもない現実だった。六十年前の私が実際に体験した記憶。


 ……全ては私の記憶と結びついている。これは私が作り出した記憶の世界なのだから。



「……て」

「なあに? 聞こえない」

「返して……返してよ。……みんなを返して」

「あなた、今とってもいい顔してるわよ」


 目の前に立つ少女が体を仰け反らせて狂ったように嗤い始める。


 灼かれた夜空に響く嗤い声に嫌悪感を抱いた私は耳を塞ぐ。




 戻りたいか、あの頃に


「?!」


 耳を塞いでもやけにはっきりと聞こえた声にびくりと顔を上げた。


 しかしアガニィは蹲る私を見下しながらただ腹を抱えて嗤っているだけだ。


 声じゃない。言葉ですら無かった。しかし心の中に響く何者かの意志を私は受け取った。



 願い、求めろ。さすればお前の望みは叶う



 その時の私に厄災の誘惑に縋る以外の道はなかった。


 誰でもいい。この悪夢から目を覚まさせてくれるなら——、誰でもよかった。


「……戻りたい」



 もっと強く



「返してよ……! お父様も、お母様も、オリヴィアもみんな……、失くしたもの何もかも、……全部っ!!」



 いいだろう。——ならば「契約」だ。使うが良い。我が力を



 私の身体の奥底に昏い焔が灯ったような気がした。

 それは爆発的に燃え上がったかと思うと現実にも影響を及ぼし始める。


 私の身体から発生した影は時空の嵐となり、マグノリア全域を飲み込んでいった。


 少女の狂った嗤い声が渦巻く闇の中に消える寸前、白く輝くなにかを見たのを憶えている。



 私に宿った厄災から溢れ出したその力で、マグノリア公国は世界から消滅した。


 私の身勝手な願いによって、アガニィの襲撃から逃れた人々や城下町以外に暮らす全ての国民は時空の闇の中に消えた。


 これが六十年前私の身に起きたこと。決して消えることのない私の大罪。真実は残酷に私の心を打ち砕いていく。



 ……何も知らなければ、いつも通りの毎日を過ごせた。


 これが、私が変わることを選んだ結果。変わらない日常を捨て、前に進む事を選んだせいで起きた事。


 こんな思いをする事になるなら、そんなのいらない。


 何もかもをを犠牲にしてまで自分を変えようだなんて、そんなこと望んでない。


 例え全てが偽物だとしても、それは確かに記憶と共にここに存在してる。


 ぞわぞわと、胸の奥で影のようなものが蠢くのを感じた。両手で顔を覆って目を瞑る。



 もういいの。もう、何も望まない。私にはあの安らかで静穏な、淀みのある停滞した日々さえあればそれで——。


 樹木が軋むような音に顔を上げた。白い花をつけた枝が影の中からわき上がり、私に向かって伸びて来る。その枝は私を包み込んだ。


 少しだけ恐怖を感じたけど、枝は私を害そうとは思ってないらしい。


 敷き詰められた葉と雪のように白い花に包まれるとかすかな温もりを感じた。


 ……ああ、ここはとても居心地がいい。私は思わず目を閉じた。



 まどろみの中でふと彼の横顔が頭を過る。


 ナトリさん。彼はとても不思議な人だった。


 植え込みの奥で落ち込んでいた私を見て心配になったのか、妙に真剣になってただの他人に過ぎない私の悪夢の話を聞いてくれた。


 停滞していた私の時間に入り込んで来た初めての人。


 ナトリさんに出会ってからというもの、彼のことをよく考えるようになった。


 身近に年の近い男性の知り合いがいなかったから新鮮だったのかもしれない。


 ドドーリアという生い立ちを聞いた時はびっくりした。そんな人が本当にいるなんて思ってもいなかったから。

 自分だったら……耐えられないと思う。彼の苦労は私には正直想像することも難しい。



 生真面目な人、という印象が少しだけ変わった。

 きっと彼は、私たちからは想像もできないような過酷な世界で生きていて。


 生まれを恨んでもいいはずなのにいつだって前向きで、自分のことなんてどうでもいいみたいに身近な人の力になろう頑張る。


 自分もあんな風に生きられたら。そう思った。ナトリさんと一緒にいれば、自分もそんな風になれるかもしれないって。



 厄災が作り出した時空の繰り返しの中、彼は毎回私やダルクを助けるために死亡していた。

 その身を犠牲にしてまで、逃げることなくアガニィに全力で立ち向かい私たちを守ろうとした。


 アガニィから私たちを庇い、光の剣を振るい必死で戦う彼の横顔を鮮明に思い出せる。

 それを思い出すと、胸の奥が暖かさに満たされていく。


 そう……なんだ。私はきっと……ナトリさんのことが好きなんだ。


 彼といると、いろんなものが見えて来る気がした。

 希望、まだ見ぬ未来。未知の可能性。私はそれに惹かれて……、あの前向きで少し気弱な彼の笑顔が好きだった。



「…………」


 でも今は、彼に出会ってしまったことを後悔している。


 私は……、私は変わるべきじゃなかった。何も選んではいけなかった。


 そうすればたとえ偽物でも、全てが失われることはなかった。



 ……だから戻ろう。あの頃に。全てをなかったことにして、安らかなまどろみの中に。

 私がそう願えばこの世界はそれに応えてくれる。そんな気がしていた。



「…………」


 でも、こんなに悲しいのはどうして。あの頃の全てが戻れば、私はそれで満足なはずなのに……。


 きっとその世界にはいないからだ。……彼が。彼との未来の予感が、過去の中にはどこにもないから。


「————もう一度、ナトリさんに会いたいよ……」





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