第141話 英雄の覚悟
「喰らえ。烈炎の灼槍、『火焔』」
クレイルが広場の石畳を蹴りつけ地面とほぼ水平に跳躍しながら詠唱する。
彼の杖が灼けつくように明滅し、クレイルを追随する巨大な影に向けて二発、三発と火球が放たれる。
クレイルの術を巨体ながら機敏に旋回、回避しつつ影蜘蛛の勢いは落ちることがない。
ばら撒かれる火焔の一発を掠めても、炎が体を舐めるだけで手応えがあるようには見えない。
「カッ! こっちやデカブツ」
波導を使い流れるような動作で広場を駆け回るクレイルも相当な速さだ。
火の手の上がる民家の壁を駆け登り、壁を蹴って跳躍。その勢いに乗りながら空中で詠唱を完成させて彼を追う影蜘蛛へ火の波導を放っていく。
「すごいや。クレイルは戦闘に特化した術士みたいだね。まだナトリと歳もそう変わらないだろうに、かなり戦い慣れた動きをしてる」
「うん。アレは俺が割り込んでも足手まといにしかならないな」
クレイルは手を出すなと言った。だから俺たちは広場の手前で彼の戦いを見守ることにした。
「動き回るだけで単調なやっちゃ。もう終わりにするか」
彼は吐き捨てるように言うと術を発動、垂直に広場の上空高く飛び上がった。
影蜘蛛は落ちてくるクレイルを待ちかまえようとその真下へ駆け込んでくる。
巨体の前方についた頭、その顎らしきものが開き大量の影が吐き出された。落ちていくクレイルに影が押し寄せる。
「何かと思えば奥の手はしょっぺェ蜘蛛糸かよ——。焼き払え火龍の息吹き、『獄炎』!」
影に突っ込むクレイルを中心に、空中で放たれた炎が燃え広がる。辺り一帯広範囲を灼く炎の波によって、影が自身に到達する前に周囲の影を焼き尽くす。
ノーフェイスの吐き出す影が途切れた時、クレイルはもう奴の直上で杖を振り下ろしていた。
「天地を閃け火焔の灼翼。消し飛べ、『熾焔』」
広場に響き渡った詠唱の直後、まるで落雷のように空を割って白く発光する炎が撃ち堕とされる。
それは瞬きの一瞬に影蜘蛛に着弾し、視界を覆うほどの爆炎を撒き散らした。
轟音と光と熱。俺たちは眩しさに思わず腕を翳す。
「よォ、待たせたか?」
石畳が吹き飛び溶解した術の着弾地点から上がる噴煙を背にクレイルが悠々と歩いてくる。
ノーフェイスの姿は影も形もない。さっきの強烈な術で粉々になって消し飛んだらしい。
「すっげー……」
「カッカッカ」
「今の術、かなり高度なものだね。あれを実戦で扱えるのはすごいな」
「ほぉ……ようわかるな。ダルク、お前なんや雰囲気変わったか?」
「それについては移動しながら話すよ。道を作る。フウカを探しに行こう」
騎士剣で時空間を切り開き、俺たちは再びそこに飛び込んだ。
時空嵐の吹き荒れる迷宮内を駆け抜けながらダルクはクレイルに事情をかいつまんで話していく。
「厄災に、今度は七英雄ときたか。話の規模でかすぎんか」
「気持ちはわかる」
「しかし、まさかダルクが英雄たぁな。でもま、この状況じゃ英雄でも何でも居ってくれるだけありがてェか」
ダルクと彼の神器がなければ俺たちはこの迷宮の中でただ死を待つことしかできなかったろう。
「厄災はリッカに封印を解かせたかったんやろ? 半分あの子ん中におったのに、なんで自分の封印解かせるのに六十年もかかったんや」
「アガニィの存在があったからさ」
「あの女か……」
迷宮内の時空間の中で、リッカの記憶から国を襲ったアガニィもまた再現された。
そしてアイツは毎回あの惨劇を引き起こし、彼女自身を追い詰め、最後には死に至らしめた。
「アスモデウスはリッカに死が迫る度に迷宮内の時間を巻き戻したのさ。依代が死んでは封印の解放は成らないから」
「リッカはその繰り返しの中で毎回死んだってことか? 六十年間ずっとそれを繰り返したんか?」
「一向に城に辿り着けないリッカに業を煮やした厄災は、外から紛れ込んだ君達を利用した。図らずも迷宮の中でリッカを殺し、城の封印に近づかせないための防壁として機能してしまったアガニィという因子を排除するためにね」
「そういうこと……だったのか」
リッカに宿った厄災の意思は、封印の影響で自由に魔法を使うことはできなかった。
だから彼女に夢という形で囁きかけて城に誘導しようとした。外から自身に掛けられた封印を解除するために。
国全体が影に覆われ始めたのも、リッカを追い詰めて封印へ向かわせるため。全ては彼女を城へ誘うため……か。
彼女の記憶を元に再現された迷宮の中で、きっとリッカは何度もアガニィに殺されたんだ……。
何度も、何度も数えきれないくらいに。
リッカの死は厄災にとっての失敗となる。だから彼女が死ぬ度に状況をリセットして何度もやり直した。六十年もの間、ずっと繰り返した。
俺たちが三度体験した時間遡行。その過程で俺は実際に死んでいる。俺が死亡した後も時空迷宮の中の世界は続いていて……。
リッカがアガニィに追い詰められたことが引き金となり、厄災の作り出した迷宮内の時間は巻き戻っていたわけか。これがリベルが記憶していた時間遡行現象の原因。
もし、俺たちが時間遡行を跨いでも記憶を保持することが可能なリベルと一緒じゃなかったら。
そして以前の死に様を思い出す記憶幻視が起こらなかったら……。
そう考えるとゾッとする。俺達は繰り返しに気づくことなく時空迷宮の中に永遠に囚われていた可能性だってある。
『お前はどうして時間が巻き戻っても記憶を失わないんだ?』
『色欲の厄災は現実の時間を操作しているわけではない。自身の魔法の効果範囲である時空迷宮内の環境を自在に作り変え、過去を再現しているにすぎない』
現実のスカイフォールでは普通に時間が流れている。けど時空迷宮の中限定で自在に時間と空間を操作できるってことか。
とんでもない力であることに変わりはないと思うけど。
『記憶の喪失は時空迷宮に付随する洗脳効果によるものと推測される。影の軍勢は精神に作用する魔法を得意とする傾向がある』
迷宮内部に取り込んだ人間を迷宮内の環境に沿うように支配するのも、奴の魔法の一端ってわけか。
「なぁダルク。奴らの使う魔法って一体なんなんだよ」
「魔法は影の軍勢が行使する外法の術。奴らの肉体はフィルではなく魔力素子で構成されているからね」
「スカイフォールの人間にとっての波導術みてェなもんか?」
「そうだ。中でも厄災の使う魔法は特別だ。奴らの魔法は世界を破壊するほどに強力なものばかりさ。おまけにフィルは魔力素子と相性が良くないから、並の波導では奴らの魔法に通用しない」
そんなの人間側が圧倒的不利じゃないか。
「だから僕は神さまからこの神器——、『時空騎士剣キャスパリーグ』を与えられたんだ。神の力の宿った武器なら奴の魔法にだって対抗できる」
神代の時代、七英雄達が孤軍奮闘した理由がそれなのか。
「ダルク。実は俺少し覚えてるんだ。以前の繰り返しのことを」
「……それは本当かい?」
ダルクに俺たちの経験した記憶幻視について話した。
「そうか……。アガニィを倒せたのは、ナトリの記憶幻視のおかげだったんだ」
あれがなければきっと未来は変わらなかった。永遠に同じ時間の中を彷徨っていたかもしれない。
「……ナトリ。君はドドなんだよね?」
「ああ、そうだよ」
「ドドというのは一切フィルを感知できないらしいね。それは逆に言えば、波導や魔法の影響を受けにくいってことにもなる。もしかしたら、君に対しては厄災の魔法が十分に及ばなかったのかもしれないな」
「それで過去の記憶が時折蘇ったりしたのか?」
「おそらくだけどね。……そうか、ドド……か。もしかしたらナトリ、君があの方の言っていた『予言の者』なのかもしれないな……」
「『予言の者』……?」
ダルクは走りながら視線を遠くに遣り、何か思案しているようだった。
「でだダルク、お前は復活した厄災をどうするつもりなんや」
「もちろん再び封印するのさ」
「奴がリッカの体を奪っとってもか?」
「厄災からリッカを奪い返す。封印はそれからだ」
「クレイルは厄災をリッカごと封印すべきだと思ってるのか」
「俺かてあの子は助けたいと思う。けどな、現実的に考えてリッカのことを気にしながら戦って勝てる相手か、あれは」
「……それは」
「なぁダルク。今までお前は気の遠くなるような時間あのバケモンを封印し続けて来たんやろ。それに比べりゃリッカとの付き合いはたかだか六十年かそこらや。世界を滅亡の危機に晒してまで、あの子を優先するつもりなんか? 英雄のお前が」
俺にはなんとなくクレイルが何を聞きたいのか分かった。
記憶を取り戻してから凛とした佇まいを崩さなかったダルクが、その問いかけを聞いて初めて気弱な表情を見せる。
「厄災の分裂意思が封印をすり抜けてリッカに適合した時、僕は咄嗟にキャスパリーグと封印から離れた。外から封印が破られるのを防ぐため、リッカと厄災を追いかけたんだ。そして僕はキャスパリーグの保護効果なしで奴の魔法をまともに受けてしまった」
「リッカが時空迷宮を発動させた結果、お前も厄災の魔法にかかって記憶を封じられたわけか」
「理解が早いねクレイルは」
当時のダルクは、まさか厄災が封印された状態でも時空迷宮を発動させるなんて予想できなかったに違いない。
「俺らが記憶をなくしたのも迷宮に入り込んで厄災の魔法を受けたせいか」
「そうだよ。厄災を含む『影の軍勢』は人の心を支配するのが得意だ。
リッカの記憶から形作られたマグノリア公国の中で、唯一僕だけが彼女の記憶にない存在だった」
「…………」
「本当は、僕はリッカと何の接点もない人間なんだ。いや、もう人間ですらない」
英雄ダルクは自重気味に顔を伏せる。
「そんなことあるもんか。ダルクは六十年の間ずっとリッカの側にいたんじゃないか。たとえそれが厄災に支配されたまやかしだったとしても……、二人の過ごした時間は偽物なんかじゃない!」
「……ありがとうナトリ。僕の心がそうさせたのか、ただの偶然かはわからない。いつのまにか僕はリッカのごく身近にいて、それとなくリッカを守ろうとしていたみたいだ。
記憶が戻って僕自身の存在がまやかしだとわかっても、彼女との関係が幻に過ぎなかったとしても。
それでも僕は……あの子を助けたい」
ダルクの瞳に宿る光はそれが本心であることを物語っている。
厄災、封印の使命、彼自身の存在意義。ダルクはそれらよりリッカを優先すると言い切った。
その答えを聞いてクレイルが大きな口を曲げてニカッと笑う。
「カッ、身内の命を優先するか。ええんか? みんなの英雄がそないで」
「僕に英雄と呼ばれる資格はない。外に出られたらみんなに言っといてよ」
「確かにな。でも俺は嫌いやない。自分にとって一番大事なものを守る。それくらい単純な方が人らしいぜ。お前の覚悟の程はよう分かった。
でもどっちかしか守れんのは違うやろ。どっちもやりゃあええ。リッカは助ける。厄災はぶっ倒す。それで完璧や」
クレイルは確かめたかったんだ。ダルクの心を。覚悟の強さを。
「リッカを助けるぞダルク。絶対に」
「男ならそうするんが当たり前やろ?」
「……ありがとう、二人とも」




