第139話 亜空の闇
ダルクとフウカが魔人リッカの放つ影の濁流に飲まれた、その直後。
放たれた影を縫うように白い光が漏れ出す。
厄災の放った攻撃が止んだ後も、白き輝きはそこにあった。
剣を手に立ち上がったダルク。
その手に握られた剣が強い光を放っている。ダルクが厄災の攻撃を防いだ……のか?
「ダルク……?」
隣のフウカがダルクを心配そうに見遣る。
彼は呆然と手にした白い剣を眺めていた。
「そう、か……。ぼくは、ぼくは……」
「積年の恨ミ。忘れルものカ」
魔人リッカの周囲に無数の影が染み出す。
それは空間を侵食しながら再びダルク達に雪崩れ込んでいく。
ダルクは即座に反応し、真正面からそれに飛び込んでいく。
空間を侵食する影をすれ違いざまに剣で斬りつける。
するとその勢いはぴたりと停止し、影は消滅していく。
相手の攻撃自体を目くらましに利用して身軽に宙返り、リッカを飛び越えるとその背後を取った。
普段の彼からは想像できないほどに卓越した動きと剣捌きだ。その変化に目を見張る。
ダルクがリッカに向けて剣を振ると、彼女の周囲に白い光の輪が出現した。
光によって著された記号か、文字のようなものの羅列が輪の周囲に浮かび上がる。
リッカの動きが止まった。あの白い光の輪には相手を拘束する力があるのか。
「アスモデウス、リッカの体を返してもらう。お前を追い出して!」
「今度はソウやすやスと封じらレると思ウな。にンげん」
周囲の空気が急激に重みを増す。地面が揺れ、空間そのものが震え出す。
その中心、魔人リッカの体から濃密な影が激流のように溢れ出す。
影は周り全てを飲み込むように空間を満たし、広がっていった。
「やばい、みんなッ!」
「なんやこいつはッ?! うおおおッ!」
「きゃあああああっっ!!!」
みんなの叫びが聞こえる。
厄災の力はあまりに強大すぎた。
為す術もなく、影に飲まれる。
どこにも逃げ場はなく、俺はただ全身にこびりつく影に絡め取られていく。
消えゆく意識の最後に見たのは閃光のような白い輝きだった。
§
こめかみを、強い風を受けて靡く髪が撫ぜさする。
その感触に刺激されて目を覚ました。
俺はうつ伏せに倒れ、頬には硬く冷たい石の地面を感じる。
ゆっくりと上体を起こし、這う格好で周囲の状況を確かめる。
強い風が吹き荒れている。風の音がそこら中から聞こえてくる。
ふと見上げると——、空は漆黒に染まっていた。そもそも空なのか、どこかの空間なのか、それすらも判然としない。
あたりは暗かった。いや、手元は見えるから闇とは違う。
おそらく、周囲一帯が光を吸収する影のようなもので覆われていて……。ここはどこだ。
「目が覚めたかい。ナトリ」
首を巡らせると、すぐ隣にダルクがちょこんと立っていた。
見た目だけなら先ほどまでとあまり変わらない様子だけど、手にした白い剣と、どこか遠くを見るような深淵な眼差しはどうにも見慣れない。
いつものお気楽さは見当たらず、彼は真剣な表情で俺を覗き込んでいた。
「……ダルク。俺たち、どうなって……。それにここは? すごく暗いけど」
「ここは……迷宮。『時空迷宮マグノリア』。それがこの場所の名前さ」
「迷宮……?!」
改めて周囲を見渡す。
俺とダルクはごく狭い浮遊岩礁のような場所の上にいた。
下も、上も、周囲は全て漆黒の影。
ひたすらに黒い風が吹き荒れている。その風に巻き上げられるように無数の岩や石材などの破片が流れに沿って飛び交っている。
どれくらいの広がりがある場所なのか、見ただけでは掴めない。
「ごめん。近くにいた君を助けるので精一杯だった。二人は見失ってしまった」
「…………」
「時空嵐が強まってる。吹き飛ばされないように気をつけるんだ」
「あ、ああ」
「あまり時間はないけどナトリ。君にはいくつか説明しないといけないよね」
「……いまいちこの状況についていけてないんだ。頼む」
一体何が、どうなってる。
理解を超えた出来事すぎて。
「まずは僕のことから。僕はダルク・アルバーソンじゃない。本当の名はダルク・トリスタン。
遥か昔、神様の加護を得て六人の仲間と一緒に厄災と戦い、この地に封印した」
「遥か、昔……? エルヒムと共に厄災を、封印……? それって」
「……あの方をエルヒムなんてものと一緒にしちゃいけないよ。
ナトリ。僕は……もう人間じゃない。いいや、昔からそうだったんだ。長い長い年月を、僕はずっとここで……厄災を封印するためだけに存在しつづけた。
この剣は元々僕の武器だったんだ、これに触ることで失った記憶を思い出したよ」
神と共に厄災を封印。まるで神話じゃないか。
しかし俺はもうリベルからそれが事実であったことを聞いているし、この目で厄災と思しき存在を目にもしている。
……思い出した。創世神話に登場する七英雄、ネコの英雄トリスタンはその一人だ。
俺もお伽話の中でその名を聞いた記憶がある。
「それじゃダルクは……、七英雄の一人だっていうのか」
「今のスカイフォールじゃそんな風に呼ばれているみたいだね、僕たちは」
俺は改めて彼を見直す。ぱっと見どこにでもいるネコの子供。しかし、その体からは強い意志の光とでもいうべきものが溢れ出ている。
静夜の月を思わせるような思慮深い、薄青の大きな瞳。どこか気品を漂わせる白い毛並み。
これが本物の……英雄。
「長きに渡る封印は限界に近づいていた。いずれそれがやってくることはわかっていたけど、僕には厄災を抑え、封印を維持することしかできなかったんだ。
けど、封印はついに解かれてしまった。その結果がこれさ」
「時空迷宮マグノリアって、さっきそう言ったよな。城は、マグノリア公国はどうなったんだ……」
その問いに、ダルクは大きな目を伏せその視線を漆黒の影の向こうへと移す。
「ナトリ。……僕たちは最初から迷宮の中にいたんだ。
城も、城下町も、全てが迷宮の作り出したもう一つのマグノリア公国なんだ」
「は……?!」
「そう、全ては『色欲の厄災アスモデウス』がその魔法で以って作り出した亜空間。一人の少女を核として」
「一人の少女……、それってまさか」
「そう。リッカのことだ。僕たちが暮らしていたあのマグノリア公国は、彼女の記憶を元に形成されたものなんだよ」
なんてことだ。全てが偽物、まがい物だってのか。
人も、物も、全て。俺たちはフウカの記憶を辿る旅の途中でこの国に、「時空迷宮マグノリア」の領域に迷い込んでしまったということか。
それより気になるのはリッカのことだ。
「ダルク。あの子は……、リッカは一体何者なんだ」
「彼女の本当の名は、アルノート=リッカ・マグノリア」
「マグノリア」
「そう。リッカはマグノリア公爵家の一人娘。公女さ。
そして今から約六十年前にこの国を襲った惨劇、その生き残りなんだ」
「なんだよ、惨劇って……」
「ナトリもご存知のあの魔女。アガニィ、とかいう名前だったね。
あいつはある日突然ふらりとこの国にやってきて、邪悪な波導で国中の人間を殺して回った」
それが今から六十年も昔の出来事だと……?
城下町の住人。彼らは六十年も前にアガニィによって殺されていたというのか。
シロネコ配達のみんなも、オリヴィアも、みんな……?
「…………」
言葉を失う。最初はダルクの話を聞けば状況がわかると思った。
けど実際は余計混乱を招いただけだ。
全てはまがい物で、リッカは実は公女様で、国は六十年も前に壊滅していただって?
頭痛がする。
「急にこんなことを言われてもわけがわからないと思う。でも今は全てを説明している暇はないんだ。
この時空嵐に飲まれたフウカとクレイル、そして迷宮の中心に存在する厄災からリッカを取り返さなくちゃならない」
「……そうだ。正直まだ全然現状を飲み込めてない。
だけどみんなを助けたいってことだけは確かだ。
行こう、ダルク。お前なら進めるんだろ。この迷宮を」
「その通りだよ」
ダルクは体の正面で、まっすぐ白く細い剣の切っ先を天に向けて掲げる。
よく見ると凝った装飾のされた美しい剣だ。
流線型を描く柄や鍔。鍔の部分には時計細工を思わせる丸い装飾が嵌っていて、その部分が僅かに駆動しているらしい。
特別なものだと一目で分かる逸品だ。
「これは『時空騎士剣キャスパリーグ』。嫉妬の厄災アスモデウスと渡り合うため、神様から賜った神器さ。
この剣の力で僕は厄災の支配領域である迷宮内部でも奴の干渉を受ける事なく行動することができる」
彼はくるりと後ろを向くと、空を騎士剣で斬り払った。すると剣の軌跡にそって空間が歪み、白い穴が開いた。
「封印が破られ、アスモデウスは現実のスカイフォールに解き放たれてしまった。
早く奴をなんとかしないと、世界中が時空嵐に飲み込まれることになる」
「それを阻止できるのはダルクだけ、か」
「ナトリ。僕は君の力にも期待してる。まずはみんなを探す。そしてリッカを助け出す。きっと迷宮内のどこかにいるはずだ」
「……俺なんかに何ができるかわからない。でもやるしかないんだよな。
頼むダルク、俺も連れて言ってくれ。みんなのところに」
たとえ正体が人間でなくても、神話の英雄だったとしても、ここにいるのはダルクだ。
互いにリッカを思う気持ちは同じ。
俺たちは黙って頷き合い、固い決意の元時空の裂け目に飛び込んだ。




