第14話 アレイル図書館
本館の中は天井の高い広い空間になっていた。壁一面に本棚がぎっしりと並び、階層ごとに廊下が渡されている。巨大なガラス天井から光が降り注ぎ、広間中央の読書席を照らしている。
自分で探してたら時間がいくらあっても足りなさそうだ。中央に円形のカウンターがあり、その中に司書員が座っている。その前で立ち止まって尋ねる。
その司書もふわりとした金髪ショートのボブヘアーをしたコッペリアの綺麗な女性だった。ガラス玉のように透き通る灰色の瞳が印象的だ。
「すみません。住民情報の検索ってお願いできますか」
「はい。身元確認が必要となりますが、何か証明になるものをお持ちでしょうか」
「これでお願いします」
財布を取り出し、差し込んでおいた市民証でもある記録エアリアを抜いてことりとカウンターに置く。司書はその灰色の細長い金属片を取り、カウンター内にある読み取り機に取り付けた。
彼女の手元にある画面には今、俺の住民情報が表示されているのだろう。これが王都の最新技術ってやつだ。映像を映し出す刻印機械なんて俺の故郷にはなかったし、あまつさえ住民情報記録なんてシステムすら存在しなかった。司書が礼を言って差し出したエアリアを受け取った。
「ご協力ありがとうございます。検索の内容と理由を伺っても?」
「はい」
さすがに個人の情報なだけあって管理がしっかりしている。こういう情報を悪用するために図書館を利用しようとする奴がいるのかもしれない。俺は正直に説明した。
「なるほど、記憶喪失ですか……」
司書員は済んだ灰色の瞳をきらりと輝かせてフウカを見た。
「お名前は?」
「フウカです」
「家名もお願いします」
「フウカ・ソライドです。たぶん」
司書はフウカの「たぶん」を聞いて若干疑問符を浮かべたようだが、検索を了承してくれた。少々お待ちくださいと断りモニタ脇の操作盤をカタカタと操作し始めた。彼女の灰色の瞳にモニタの緑の文字が浮かんでは踊るのを眺め、検索が終わるのを待った。
「終わりました」
「どうでした?」
「フウカ・ソライド様のお名前で検索を走らせたところ、完全一致はなし、お名前で十七件。家名の方も該当なしでした」
「…………」
「アレイル内の該当は二件です」
家名の一致は無し……。王都において少なくとも市民登録されたソライド家は存在していないということになる。
でも不法滞在者の類ではないと思う。なんというか、雰囲気でしかないのだがフウカは育ちが良さそうに見える。あまり苦労してきたようには見えないし。
詳しい情報の閲覧を頼み、それぞれの情報を引っ張り出してもらったが、フウカ本人と一致しそうな人物は結局見当たらなかった。
司書さんにお礼を言い、俺たちは館内の高くて大きな窓の前に置かれた長椅子に並んで腰を下ろした。王都全体でも家名に関する情報はなし。手詰まりか。
できれば今日中にフウカの実家を見つけて彼女を送り届けたかった。明日は仕事がある。日中彼女を一人にしておくのはなんだか不安だし、かといってアパートの狭い部屋に押し込めておくのもかわいそうだ。フウカのためだ。迷惑覚悟で再びアリスさん達を頼ってみるか……。
「あら、アナタ達。さっき受付で検索頼んでた子達ね」
地面に目を落として考え込んでいると、深緑の司書服の長い裾がひらりと揺れて目の前で止まった。掛けられた声に反応して顔を上げると、ゆったりとした図書館の制服を強い圧力で押し上げている丸みを帯びた大きな二つの膨らみが目の前にあった。
「ちょっとアナタ。一体どこを見ているの。いやらしいわ。心配だわ。怖いわぁ」
「わわっ! すみません、何も見てないです! 誤解しないでください!」
何を言ってるんだ俺は。ばっちり見たじゃないか。いやそうじゃなくて。立ち止まって声をかけてきたのはエアルの女性司書員だった。
青みがかった長い髪を後頭部で結って垂らし、フレームの細いメガネを掛けたいかにも司書といった知的美人だ。
全体的な印象は細身なのに、思わず目が吸い寄せられるほどに胸が大きい。ここの司書はやたらと美人揃いだ。彼女は疑いの眼差しでこちらを見ている。
「冗談よ。気にしないでいただけるかしら」
「はい……。あの、俺たちに何か……?」
「ええ。探し物はみつかったの? 心配していたのよ」
「…………」
「その様子からするとだめっぽいわね」
「私、なんせ知識量には自信があるの。困っているなら力になるわ」
親切な人だった。
「本当ですか! 是非お願いします」
「何について調べているの。話してもらえる?」
青髪の司書にフウカを示して、彼女の家探しが難航している旨を伝える。図書館勤めの物知りなら的確な助言をもらえるかもしれないと思った。
「なるほどね……。記憶をなくすなんて大変なことだわ。それで家に帰れないの。心配ね」
「なかなか手がかりがなくて」
「探すのではなく、いっそ治療してみるというのはいかが? 三番街の大病院には高名な白の波導術士がいるわ。記憶障害なら解決できるかもしれないわよ」
「うっ……、三番街の大病院、ですか……」
「お金ないのね……術師の治療費は高くつくし。ごめんなさい」
位の高い術師の治療費なんて俺ごときの給料では手が届かない。メガネの司書さんは本気で俺の懐を心配するような顔をしていてなんだか情けない。
「我らがアレイル図書館に蓄積された情報にも限界があるわ。王立図書館ならばあらゆる知識が集まるのだけどこれも無理よね」
「はい」
「それでもここの検索能力だって結構なものよ。アレイル正規住民記録の九割以上はカバーしているもの。これはもう地方に目を向けてみた方がいいかもしれないわね」
地方。その可能性は全く考えていなかった。王都で記憶を無くしたのだから当たり前といえば当たり前だが。
けど確かに、フウカが王都の出身である確証なんて何もない。いや、むしろ探し回って全く手がかりもないのだから王都ではない可能性も視野に入ってくる。
「可愛い彼女さん。アナタのお名前は? もしかしたら聞いたことあるかもしれないわよ」
彼女はフウカの前で身を屈めて名前を聞いた。
「フウカ。家はたぶんソライドっていうの」
本棚に視線を泳がせて考えている。頭の中で検索でもしているのだろうか?
「ソライド……。ソライド?」
「知ってるんですか?!」
思わず立ち上がる。
「待って。すぐ思い出すわ。どこかで……」
考え込む司書さんをじっと見つめる。
「やあね。また怪しいことを考えているの。心配になるわ」
「考えてません!」
いかん、叫んでしまった。慌てて口を覆う。周りの来館者がびっくりしてこちらを振り向く。図書館ではお静かに。
司書さんが記憶の糸を手繰り寄せるのをフウカと大人しく座って待った。
「プリヴェーラ」
やがて彼女はそう呟いた。
「そう。水の都プリヴェーラよ。数年前に収穫祭を見るために旅行したの。お祭りの出資者表記の中に『ソライド』という家を見かけたわ。変わった家名だと思って気になったのよ」
「プリヴェーラ……か。それ本当なんですか」
「ええ。間違いない」
そこなら俺も知っている。水の都とも呼ばれる、東部イストミルの最大都市だ。巨大河川の中ほどにある変わった街。ロマンチックな雰囲気が人気と言われる観光都市だ。
ソライドという家名はかなり珍しいものだ。故郷はもちろん、検索結果によれば王都には一軒も存在しない。言葉の響きも独特だ。プリヴェーラにあるというソライド家がフウカの親戚など、何らかの関係者である可能性はあるのではないか。
さっきから言葉少なに大人しくしているフウカを見る。
「フウカ。プリヴェーラに行きたい?」
「……うん。私のお家があるかもしれないなら、行ってみたい」
「そうかぁ……」
「私の知識、役に立ったかしら?」
「はい、有力な情報だと思います。さすが司書さん」
「ふふふ。光栄よ」
司書さんは満足そうに笑った。
「あの、司書さんのお名前は?」
「あらナンパ? 可愛い彼女が悲しむわね」
「違いますって! これで本当に見つかればお礼を言いに来たいと思って」
「またまた冗談よ。私はフィアーというの。よろしく」
「フィアーさん、今日は本当にありがとうございました」
去り際に彼女は笑顔でこちらに声を掛けた。
「フウカちゃんの家が見つかったら教えてね。アナタ達のこと、心配しているわ」
見つかったら必ず伝えると返事をして俺たちは図書館を出た。
「一応手がかりらしきものは見つかった。メガネの司書さんのおかげだ」
「うん」
フウカは何故か妙にしおらしくなっていた。歩き回って疲れてしまったのだろうか。図書館を出た時まだ陽は高かったが、暗くなる前に必要なものを揃えるためすぐ二層へ戻った。
図書館を出たあたりから徐々に雨雲が出始め、二層へ戻る頃には雨が降り始めていた。
しかしプリヴェーラか……、遠いな。