第136話 約束と踏み出す一歩
「私はみんなを守りたい」
リッカはまっすぐに俺の目を見てそう言った。
「私も連れてってください。正直足手まといかもしれません。……それにすごく怖い。それでも私はお城に行くべきだって、私の心がそう言うんです」
リッカの選択。彼女にとってはきっと大きな決意だ。一歩踏み出すことを選んだその言葉を俺は尊重したい。
彼女は訓練生ではあるけど波導が使える。戦う力は持っている。
「わかった。一緒に行こう」
「大丈夫、危なくなったら私が守るから!」
「よっしゃ。戦える奴は多いに越したことことはねえ」
「ありがとう、みんな……」
リッカはダルクに向き直る。
「ごめんねダルク。私お城にいくよ」
ダルクは大きな瞳に複雑な色を浮かべながら、何事か思案しているようだった。
「わかったよ……、もう止めない。リッカが自らそれを選ぶならさ」
ダルクはそこまでリッカの選択を否定する気はないみたいだ。
「仕方ない……、僕も行くよ。リッカが行くならいかないと。僕は兄貴だからね」
「ダルク……」
「なぁんや、結局全員で行くんかい。カカッ」
「大体さ、君たちどうやってあのお城まで行くつもりなの」
「それは……」
考えてなかった。城の周辺はすでに広範囲に影が渦巻いていて非常に危険だと思われる。いつ亀裂が発生して飲み込まれるかわからない。
城下町の中心地付近は悲惨な状況なのが遠目にも見て取れる。すでにもう近寄れなくなっている可能性が高い。
「今、うちの機械工房のドックに小型の浮遊船がある。修理も終わってるから僕なら動かせる」
「そっか、空からお城に近づけば!」
「うん。下を行くより安全なはずさ」
「おおっ、浮遊船を操舵できるんか、ちびすけ」
「ちびすけじゃない。ダルク様って呼べよクレイル」
「そうか。悪ィ悪ィ。あん? いや違うな。ちびすけは別の……」
一人首を傾げるクレイルはひとまず置いてみんなに声をかける。
「出発する前に、オリヴィアさんにちゃんと説明しておかないとな」
「そうだね。下に降りようよ」
崩れた石段に腰掛け、物憂げな表情を浮かべるオリヴィアの前に俺たちはやってきた。
彼女に一通りの説明をし、城に向かうと決めたことを伝えた。
「それは……、本当のことなのか。この事態の原因が城にあるというのは」
「確証はないです。でも、可能性は高いと思う」
「ほとんど間違いないと思うよ!」
「ふむ……」
ユリクセス特有の赤みが差す瞳を伏せて彼女は考える。
「リッカ、ダルク、アンタたちはここにいなさい」
「!!」
オリヴィアとしては当然の言葉だった。
「私はアンタらの保護者だ。自分の子供を進んで危険な場所に遣るような真似はできない」
「オリヴィア! 何もしないとみんな死ぬかもしれないんだよ。ナトリ達だけに任せてここでじっとしてるなんて僕は嫌だ!」
「アンタに何ができるのダルク。彼らのように自分の身を守れるの」
「僕は船を……!」
「それは関係ない。蛮勇の末路は死だ。第一アンタ達はまだ子供じゃないか……」
「時間がないんだよっ。それにあんな危ないところに進んで行ってくれる人なんて……」
「そうとわかっているなら、なおさら——」
「波導は世の泰平のため行使すべし」
言い争うダルクとオリヴィアの横でリッカが呟いた。
「波導術士の使命。私は術士として、みんなを守るために力を使う義務がある」
「アンタはまだ訓練生だ。術士になってない」
「同じなの。今は非常時、この国存亡の危機なんだよ。これはきっとナトリさん達にしかできないこと。私はみんなの力になりたい……!」
「……!」
オリヴィアとリッカは互いに見つめあった。その気持ちを、覚悟を見定めるように。やがて根負けしたかのようにオリヴィアは視線を外した。
「その様子じゃ、止めても行くつもりなんだろう」
「オリヴィアさん」
「ここまで強情なリッカを見るのは初めてだね。そこまで決意が固いなら、もう私は何も言えない」
彼女は石段から立ち上がるとリッカとダルクの体を引き寄せて同時に抱きしめた。
「私にはアンタ達を守れるような力がない。……それが悔しい。確かに大人だなんて言っても、無力なものだよ」
彼女の表情はどこか虚ろに見えた。
「絶対に生きて戻って来るんだ。アンタたちは私の子供。子が親より先に死ぬのは最低の親不孝だ」
「……ごめんなさい。オリヴィアさん」
「……ユリクセスは寿命が長いって言うし、クールなオリヴィアは普通に生きても僕らより長生きしそうだけど」
「相変わらずの減らず口だ……」
三人はしばし抱擁を交わした。
必ずまた会える。俺たちが誰も死なせたりしない。
「ナトリ君、どうか二人を頼む。あの子達に何かあれば、私は……」
珍しく気弱な表情を見せる彼女を励ますように言う。
「リッカもダルクも、必ずオリヴィアさんのところへ連れて戻ります。ここで帰りを待っていてください。なんとか……、俺達がみんなを助ける方法を探してみます」
見送る彼女を背にし、俺たちは劇場跡を出た。街へ向かって走る。
◇
街へ向かう五人の影が見えなくなるまでその背を見送りながらオリヴィアは一人呟く。
「どうか、ご無事で……」
◇
時刻は次第に夕方へと近づきつつある。
侵食する影は徐々に拡大し、最後にはマグノリア公国全体を覆い尽くすだろう。
遠目に見える城下町はすでにその半分が影に飲まれ、かつての平和な街の姿はとうに失われている。
黒い影越しに見える城は不気味にもまだその形を留めていた。
「酷えな」
「急ごう。街が完全に影に飲まれる前に止めたい」
「足元に気ィつけろよお前ら」
俺たちは一団となって街へ向った。
俺も歯を食いしばりながらみんなの移動速度に遅れないようについていく。
「さっきのリッカには正直驚いた。あんなことを言い出すなんて」
となりを軽快に飛ぶダルクが口を開いた。
「意外だった?」
「そうだね。以前のリッカからは考えられないよ」
「……自分の弱さを知りながら、それでも前を向こうとしてる。リッカは強いな」
「リッカが変わろうとしたきっかけは、多分ナトリだよ」
「俺は何もしてないと思うけど」
「にゃはは、相変わらずだなぁ君は。……うん。あの子には本当は僕の助けなんていらないのかもしれないなぁ」
「そんなこと……ないって」
「ナトリ、約束してほしい。僕達で絶対リッカを守るって」
ダルクは本当にリッカの事を気にかけているな。それは俺だって同じだ。
「ああ。男の約束だ」
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街外れまで戻ってきた。そこからはダルクの先導で工房を目指す。
街に入ると外から見ていたよりも影の侵食は酷かった。
すでに通りに人気はなく影そのものが道を塞いでいたり、地面が陥没して傾いだ民家や空中の影に二階部分だけ飲み込まれている建物などを見た。
比較的安全な道を通り、遠回りしながらなんとか目的地に到達することができた。
ダルクが機械工見習いとして働く工房は、幸いまだ影の影響を受けずに無事だった。
建物の裏手に回り、ドックの扉を潜ると彼が言った通り小型の浮遊船が浮かんでいる。船室もついてない個人用の小さなものだ。
「ナトリさん……、大丈夫ですか?」
「はぁ、はぁ……ああ。だい、じょうぶ……。俺の事は気にしないでくれ」
「みんな、先に船に乗っててよ」
ダルクの言う通りみんなが船に飛び乗る。俺も近くにあった作業用の台を動かし、それを足場にして船によじ登った。
ダルクが壁に取り付けられたハンドルを回すと大扉が動いて壁面が大きくスライドし、ドックが外へ解放される。
ダルクも船に飛び乗り、舵の側に取り付けられた操作盤を弄った。刻印機械の起動音がして船が僅かに振動を始める。
「よし、動くな」
「これって修理を依頼されてる船なんだよね。勝手に使ってもいいの?」
「街があんなになってるのに四の五の言ってられないって」
「……そうだね。悪いけど使わせてもらうね」
小さな船だ。五人も乗ればもう足の踏み場もない。船縁に掴まって、固定状態を解除し動き出した舟の行く先を見つめる。
ドックの大扉を潜って外に出た船は、工房裏の広場で高度を上げながら進み始めた。民家の屋根を超えて城を目指す。
上空から見下ろすとよくわかる。やはり城に近づくほどに影が増えている。マグノリア城周辺の空はすでに広範囲に渡って漆黒に塗りつぶされている。
空中を侵食する影を避けながら城を目指すが、真っ暗な穴は遠近感が曖昧で、近くにあるのか遠くにあるのかとても把握しづらい。
亀裂の付近を通過する際はこっちに広がってこないかヒヤヒヤする。
「あの辺りからならまだなんとか近づけそうだ。みんな、覚悟はいいかい?」
「ここまで来て引き返そうなんて、もう思わないよ」
「近づけるうちに早よ行こうや」
「……お願い、ダルク」
「わかった。みんなしっかり掴まれよ!」
浮遊船は大きく旋回し、城を覆う影ごと回り込んでいく。そして船の通れそうな影の隙間目掛けて直進を始めた。
「ダルク、後ろっ!!」
リッカが叫んだ方に目をやると、怪しげな挙動で急激に膨張の気配を見せる影が目に入った。
空間そのものから染み出すように、空を黒く染め上げ静かに影は浮遊船に迫ってくる。
「うおおっ! 来とる来とるッ!!」
「やばい!」
速度を上げた船が影の侵食に追いつかれ、飲まれそうになる。
「くそっ! こうなったら……ッ!」
突然、船の後部から大きな振動が伝わって来た。
がくん、と体が揺れ強い衝撃がやってくる。手すりに両手で捕まり、力を込める。
「推進機をオーバーヒートさせてやった! みんな、振り落とされるなよっ!」
船体後部から伝わる強い衝撃とともに、船はさらに速度を上げて影を引き離し、城へ向かって一直線に飛ぶ。
風を切りながら、船は小型の浮遊船が出せる限界速度を超えて城に接近する。
というか、これって墜落してるんじゃ……。
「や……、やばいッ! 今ので制御が効かなくなったッ!」
「ちょ、ちょっと、このままお城にぶつかるってこと?!」
「うん……」
「ええーーっ?!」
そんなことを言っている間にも船はうなりを上げながら城壁めがけて突っ込んで行く。俺は頭を抱えてうずくまるみんなに覆いかぶさることしかできない。
「う、うわあああああああっっ!!!」
だが、クレイルだけは目の前に迫る城壁から突き出した高い尖塔をしかと睨みつけていた。
「地より出ずる。風が培う。膨れ上がれ焔。あまねく宙を焦がせ。『熱気層』」
杖を流れるような所作で前方に向けて抜き放ち、はっきりと、即座に詠唱を刻む。
杖に嵌った炎のエアリアが眩しいほどの光を放つ。
船が尖塔に激突する直前に発動したクレイルの波導が、周囲一帯の気温を急激に上昇させる。
船の勢いがガクンと落ちるのを感じた。空中なのに、まるで水中に突っ込んだような感覚。
幾重にも重なるあまりにも濃密で分厚い空気の層が進行方向に出現し、その抵抗力によって船の勢いが減衰する。
だが、クレイルの術をもってしても浮遊船の勢いを止めきるまでには至らなかった。一瞬遅れて激しい音と衝撃が体を襲い、俺たちは空中へと投げ出されていった。




