第134話 崩れゆく日々
なんの変哲もない普通の日々。命の灯が消えるまで続く平坦な日常。
だが、それは唐突に終わりを迎える事だってある。
リッカの感じている変わっていくことへの不安。それは俺にとっても他人事ではなかった。
今の俺の暮らしは偽りのものに過ぎないのか。
俺はそれを確かめたい。
消えた記憶に関連するものを探してまずは自分の部屋を物色した。
今更見知らぬ物が出てくることもなかったが、それでも妙な違和感は覚える。
たとえば床板の下に隠しているお金だ。
確かに俺は金を貯めていた。しかし革袋には銀貨に混じって数枚の金貨まで入れられている。
俺はいつのまにこんな大金を蓄えていたのか。何のために貯めていたのかうまく思い出せない。
もっている衣服にはモンスターとの戦闘で使うような防具や、不思議な素材で編まれた服もある。
実家からまとめてもってきたもののはずだけど、よく見ると日常生活には到底使わないようなものに見える。
一つ一つは些細な違和感だ。けどそれらを俯瞰してみるとやっぱり何かが確実におかしい。
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午後、腹ごしらえを済ませた俺はリッカやフウカとの待ち合わせ場所に向かった。
今日はみんなで街の術士のところへ行くことになっている。
集合場所である店の前にはもう三人が集まっていた。
みんなと合流してリッカを先頭に歩きだすと、前方から見覚えのある人物がやって来るのが見えた。
「おー、お前らか。また会うたな」
それは燃えるような赤毛のストルキオ、クレイルだった。
「やあクレイル。先日はありがとう」
「気にすな。お互い様や」
ダルクがクレイルを物珍しそうに見上げて口を開いた。
「僕、ストルキオ見たのクレイルが初めてだよ。マグノリアにはいなさそうだしクレイルは外から来た人?」
「おう。仕事でここに来とってな。用事も済んだしもう帰ろ思たんやが……」
「行っちゃうのか。もっと話をしたかったんだけどな」
リベルの話では俺は以前彼とも共に行動していたはず。できればそのあたりの話を共有しておきたいが。
クレイルは常に鋭い目つきをした男だが、今はどうも浮かない顔をしているように見えた。
「どうしたの、何かあった?」
彼の様子に気付いたフウカが聞く。
「それがなァ……」
クレイルは首を捻りながら事情を語る。
彼は先ほどマグノリア公国を発つ浮遊船に乗り、今は郊外の発着場から帰って来たところだと言う。
「どういうこと? クレイルは船に乗ったんでしょ。どうしてここにいるの」
「船がな、戻って来ちまったんだわ」
「?」
マグノリア発、リオネラ行きの浮遊船は定刻通りに出航した。
しかし、空へ出てまっすぐ空路に乗って進んだところで前方に見慣れぬ陸地が見えたという。
本来進路上にないはずの陸地、しかしそれは、船の乗員がよく知るマグノリア公国のものに間違いなかった。
とりあえず進路計の異常ということにして、船は再びリオネラを目指したそうだが結果は同じだった。
何度か同じことを繰り返した後結局船はマグノリアに引き返すことになったらしい。
「奇怪な話やろォ? どうやっても船はこの国から離れられんかった。夢でも見とるんかと思ったぜ。そんで日ィを改めよ思てな」
「ええー、どうなってるのそれ?」
「そんなこと、本当にあるんですね」
「不思議だなぁ。最近は本当に変なことばっかり起きてるよ」
「…………」
みんなクレイルの体験した不思議な出来事について考えを巡らせているようだ。
俺はその話を聞いてリベルとの会話を思い出した。
『なあリベル。今のクレイルの話って同じだよな。俺たちがここに来た時に起きたっていう怪現象と』
『マグノリア公国周辺の時空間に何らかの異常が発生しているものと考える』
『そうだな』
もしかしたら、このマグノリア公国そのものが何か異常な事態に陥っているのではないか。
一見するといつもと何も変わらない日常。
しかしその日常そのものがすでに別の何かに変化しているのだとしたら。
なんだかとても嫌な予感がする。
『私達は通常のものとは異なる時空間に囚われている可能性が高い』
『それじゃ、この国に暮らす全ての人が何らかの事態に巻き込まれているってことか?
クレイルのように、俺たちは誰一人この国から出られなくなってるなんてことは……』
俺は思わず地面を見つめて押し黙った。
まだ確証はない。だが、思っていた以上に深刻な事態になっているのかもしれない。
「ナトリさん、どうしたんです? 急に黙り込んでしまって」
リッカの澄んだ瞳が心配そうに覗き込んでくる。
顔を上げ、みんなを見回す。今俺が知り得る現状と推測をみんなに話してみるべきか。
「みんな、聞いてほしい話がある。ちょっといいか。クレイルも聞いてほしい」
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「突拍子もない話やと言いたいが、不思議と否定する気にはならんな」
クレイルにもリベルの記憶の話をかいつまんで話した。たぶん半信半疑といったところなんだろうけど、相手にすらされないということはなかった。
「ナトリ、フウカちゃん。お前らとはどうも初対面っつー気ィがせんのや」
そう言うクレイルの目に噓偽りの色は見えない。今の話に、何か彼なりに納得してくれるものがあればいいのだが。
「だけどナトリ。それじゃあ私たち、このままずっとここから出られないの?」
「うーん、時間が解決してくれるってのは期待しないほうがいい気がするな」
「みんなで船に乗って確かめてみる?」
「やめとけ。多分結果は同じや」
「私たちは、このマグノリアの地に閉じ込められている……と?」
このままここで暮らすというのなら、それでも問題は……。いや、そんなことあるもんか。
今の状況は明らかにおかしい。ずっとこのままである保証だってないんだ。
「どうして……、そんなことになってしまったんでしょうか。マグノリアは普通の、ただの平和な国だったのに」
「時空間の異常なんて聞いたこともない。なんでそんなのが起こってるんだよ」
「偶然っちゅうのは流石に無いわな。だが人為的に起こせるような規模でもあらへんし」
「エルヒムやモンスターにもそんな力ないですよね」
「じゃあ、一体何が原因で……?」
大規模な、自然災害にも近い事象。
世界の在り方すらも変えかねない人智を超えたもの。
そういうものを、俺はリベルの話の中で聞かされた。
厄災。そして迷宮。
俺たち三人が対峙したという厄災は、まるで自然の脅威そのもののような、世界のかたちすら変えかねない力を備えていたらしい。
まさか、それらが関係しているとでも?
『リベル、どう思う』
『影響の規模や性質を考慮すると厄災が関与している可能性は高い』
やれやれ、俺たちは過去に嫉妬の厄災レヴィアタンの実物と既に向き合っているらしいのに、また別の厄災に捕まったってのか。
俺たちと厄災の間には何か因縁でもでもあるのか?
しかし、こうも考えられる。嫉妬の厄災はリベルとフウカの力によって一時的にではあるが退けられたって話だ。今この状況をなんとかできるのは、もしや俺たちだけなのでは————……。
「あれ……」
隣で空を見上げるリッカが呟く。ふとそちらを見上げると、すぐにそれは目に入った。
黄金色の夕空の上空。黒い、真っ黒な何かが浮かんでいる。
一瞬我が目を疑い、目を凝らす。
何か、というより——、例えるなら穴だ。
空に開いた真っ黒な穴のようなもの。
空中にインクをこぼしたように真っ黒なそれは、光すら飲み込むようにひたすら暗い。
まるで影。
距離からしてもかなりの大きさだ。
「なんなんだよ、アレ!」
ダルクが叫ぶ。慌てて空を見渡す。
空に広がる影はそれ一つだけではなかった。二つ、三つ、あちこちに漆黒の深淵が開いている。
そして、城下町はその影に沈み始めている。
————世界の崩壊が始まっていた。




