第133話 変わる日々
事件の夜から四日経ち、城下町広場の惨状は多少ましになった。
焼け焦げた家々は痛ましいが最低限の片付けはされている。
広場では犠牲者の追悼式が行われた。多くの住民が参加し、広場は人で溢れた。
どの顔も沈鬱な面持ちで、ひそひそとした話し声以外にいつもの活気ある声は聞こえてこない。
街の偉いお役人が集まった住民の前で追悼の意を述べ、設置された祭壇に祈りを捧げる。
それに続いて人々は思い思いの方法で犠牲者との別れを惜しんだ。
俺も祭壇に献花と祈りを済ませ、人の合間を縫って歩く。顔を俯けて歩いていると誰かが俺の前に立った。
「あ……オリヴィアさん」
白髪の少女、リッカの保護者であるオリヴィアだった。
長い髪を後ろでアップにしてまとめ、質素だがきちっとした装いをしている。
「ナトリ君も来ていたんだな。仕事は?」
「今日は休みになりました」
「そうか。リッカとダルクも来てる。こっちだよ」
そう言って手招きする。俺は彼女と並んで歩く。
「あの二人を犯人から守ってくれたそうだね。礼を言う。あの子達が無事なのは君のおかげだ」
「……運がよかっただけですよ。犠牲者の中に二人がいてもおかしくはなかった」
「君は自分にできる最善を尽くしてくれたんだろ。この恩は決して忘れない」
そう言ってもらえると、少しだけ楽になる。
「ナトリさん」
「やあ、二人とも」
話をしていたダルクとリッカが歩み寄っていく俺とオリヴィアに気づいた。
俺たちは静かな広場という見慣れぬ風景を見回しながら四人で立ち話をする。
「マグノリア公国でこんな凄惨な事件が起きるなんてね。私の知る限り今までこんなことはなかった」
「うん……。私、なんとなくこの国はずっと平和なんだと思ってた」
「こんな時に公爵様はどこへいってんのさ?」
「さっき商店街の連中と話したけど、どうも城とうまく連絡をつけられないとか。誰も公爵様が今どこにおられるのか知らないようだね」
「頼りにならないなぁ。城の連中は何してるんだか」
マグノリア城は城下町から少し離れた丘の上に浮かんでいる。この広場からも、街中からならおおよそどこからでも城を見ることはできる。
黄昏色に染まった古めかしくて立派な城は歴史と威厳を感じさせる佇まいだ。
「あの子だ」
ダルクが人混みを指差す。そちらに目をやると、人混みの間に橙色の髪が見える。
この人の多さでも、フウカの容姿は抜群に目立っていた。
「ちょっと挨拶してくる」
俺は人の合間を縫って彼女を追いかけた。後ろから声をかけると、彼女は立ち止まって振り返る。
「やあフウカ」
「あ、ナトリ」
妙な気分だ。リベルの話では、俺はこの子と行動を共にしていた。俺にその記憶はないが。
どういう距離感で接したらいいか、正直掴みかねる。
「えーっと、大丈夫?」
「うん。私は元気」
俺を追いかけてリッカとダルクもやってきた。
「キミ達……ダルクに、リッカだったよね?」
「うん」
「フウカちゃんも来てたんだね」
せっかくだしみんなでちょっと話でもしていかないかと誘ってみる。
フウカは快く了承してくれたので、四人でオリヴィアのところへ戻った。
「ん、お友達?」
「うん。オリヴィアさん、私たち少しお話ししてくるよ」
「わかった。私はそろそろ家に戻るよ。いってらっしゃい」
「いってきます」
「あまり遅くならないように。何かと物騒だからね」
「気をつけます」
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
オリヴィアを見送った後俺たちは広場を離れ街の喫茶店に入った。
時間が巻き戻っているかもしれないというリベルの推測はまだ彼らには伝えないでおくことにした。
誰かに話すには実態が不確定すぎる。
「ナトリはどうして私達の記憶がなくなったことに気付いたの?」
「俺の使っていた武器を覚えてる?」
「あのカッコいい光の剣でしょ。あんなものどこに持ってたのさ」
リベリオンが突然俺の手の中に現れ、話し始めたこと。
そして以前の自分がリベリオンと共に戦っていて、その頃のことを憶えてくれていたことを話す。
「喋る武器かぁ……。後で見せてよ。興味あるな」
「リベルが憶えてくれていたお陰で気付けたんだね」
「うん。君と王都で出会った話もリベリオンから聞いた」
それにしても記憶の喪失、時空間の異変と記憶幻視、そしてアガニィの襲撃と、この短い間に色々な事が起こりすぎた。
「マグノリア公国は最近少し変です」
「うん。公爵家の人たちも全然帰ってこないみたいだし、みんな不安がってるもんね」
「加えて今度は黒い影の噂まで出始めたらしいよ」
「黒い影?」
初耳だ。街で流行っている怪談話だろうか。
ダルクが言うには最近街中を不気味な黒い影がうろつくという噂が流れているそうだ。
平時であればそんないかにもな怪談話を本気にする人は少ないだろう。しかし最近の国の情勢では人々の心は余計に乱れる。
被害者の霊だとか、犯人が悪霊となってさまよっているだとか、どうにも陰鬱な話だった。
「ねえ、ナトリ。私たちってまだこの国に来たばかり……なんだよね?」
「そうらしい。リベルによれば俺達がこの国に来てからまだ一月も経ってないらしいんだ」
「私たちは記憶が消える前までは一緒に暮らしてた」
「そうらしい」
フウカは腕を組んで考え込むそぶりをみせる。
「それなら……、また一緒に暮らしてみる? 何か思い出すかも」
「ええっ?!」
「!!」
フウカの言葉にしばしあっけにとられる。
以前もそうだったなら特におかしなことじゃない……のか? 今はほとんど初対面の女の子だけど。
「…………」
「フウカ、君すごいね。ナトリはいい奴だけどちょっと積極的なところもあるんだよ?」
「どういう意味だよそれ」
「あはっ。私今一人暮らしだから、誰かと一緒でも楽しいかなって思って」
そう言ってフウカはあっけらかんと笑ってみせる。この子、警戒心ゼロか?
「だ……、だ……」
「だ?」
「そんなのだめです! フウカちゃん、もう少しちゃんと考えてから……」
「俺もさすがにそれは性急すぎると思うよ」
「うーん、そうかなぁ?」
隣のリッカが胸をなで下ろす。
確かにフウカは見ていて少し心配になるくらい無邪気な感じがある。これでよく一人暮らしできているな……。
「フウカ、リッカが街の白波導術士を知っているらしいんだ。その人に診てもらったら消えた記憶について何かわかるかもしれない。明後日の予定は空いてる? 一緒に連れていってもらわないか」
「本当? 私もお願いしていいかな、リッカ」
「うん。フウカちゃんも一緒に行こうよ」
その後、ダルクは機械工房に用事があることを思い出したとかで慌てて先に帰っていった。
俺たちは三人とも休みになっていたので、もう少し話していくことにした。
「ナトリさんとフウカちゃんは以前からの知り合いだったんですね」
「とはいっても三ヶ月くらいの付き合いみたいなんだけどさ」
「でも知らない人っていう感じは全然しないよね。覚えてないけど」
フウカが俺をみてにこっと微笑む。いい笑顔だ。
「うーん、言われてみればそんな気もするなぁ」
その感覚は俺にもある。ただの思い込みなのかもしれないけど。
こうして向かい合っていると、フウカは今まで知り合ったこともないような綺麗な女の子のはずなのに気圧されるようなこともない。その存在を自然に受け入れられている。
彼女の人柄によるところも大きいだろうけど、まるで妹みたいな親密さを彼女に対して抱きかけているのも事実。
「フウカは記憶をなくして不安じゃない?」
「少しだけね。でも大丈夫、ナトリがいてくれるし」
「俺が?」
「うん。私の家族をずっと一緒に探してくれてたんでしょ。キミがいてくれるならきっと大丈夫。そんな気がするんだ」
「そっか……、信頼してくれるのは嬉しいけど」
「あ、あの……」
リッカは何か言いにくそうに口を開く。
「お二人はもしかして、恋人同士だったんでしょうか?」
「…………」
リベルの話にそういった情報はなかった。わりと事実のみを並べ立てられただけだから、関係性なんかは微妙にわからなかった部分も多い。
「どうかな……。仲良くなれそうな気はするけど」
「うーん、私もわかんないや」
「あ……、そう、ですか」
もし、フウカが俺の恋人だったら。
そりゃこんなに可愛い子が実は彼女だったなんてことになったらすごく嬉しいけど……。
有り得ないだろ。実際。
「なんでそんなことを?」
「だってその……、お二人がなんだかとても親しそうでしたから」
そうかなぁ。たしかにフウカはかなり馴れ馴れしい感じがするけど、誰にでもこんな感じなんじゃないだろうか。
そういう性格なんだと思っている。俺はまだ、正直この子のことを計りかねているし。
「まだわからないことだらけだな。けど、たとえ記憶が戻らなくてもフウカ、できればもっと君と仲良くなりたいよ」
「私もだよ。ナトリ」
フウカの薄紅色のきれいな瞳を見る。彼女もこっちを見返す。
その大きくて変わった色合いの目を見ていたら胸の鼓動が早まってきたので俺は目を逸らした。
「…………」
妙に気まずい沈黙が流れる。リッカも俯いてしまった。
術士のところへ一緒に行く約束をし、俺とリッカはフウカと別れて店を出た。
それぞれの家へ、途中までは同じ坂道を歩いていく。
「あの、ナトリさんはまだ時間ありますか?」
「うん。今日はもうする事がないから」
「ちょっと寄り道して行きませんか」
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
リッカの提案で俺達は家のある通りを過ぎて坂を登り続ける。丘を登り切ると街を見下ろせる高台の広場に出た。
彼女はそこに築かれた石塀に寄りかかって眼下に広がる街並みを眺めた。
ここからは城下町がよく見渡せる。町並みの向こうの丘上に浮く立派な城が茜色の光に染まっていた。
「いい場所だね」
「はい。ここ、よく来るんです。私はこの小さな世界しか知らないけど、こうやって見渡せばとても大きく感じられるので」
「リッカは国の外に出たことはないんだね」
「はい、一度も」
俺だって同じはずなのに、あまりそうは思わない。不思議な感覚だ。
「ナトリさんは記憶が戻ったら、この国を出て行っちゃうんでしょうか」
「…………」
俺は外から来た人間で、この国には寄っただけという話だ。普通に考えればそうなるのだろう。
彼女は黄昏の中にある街並みを見渡す。
「変わりばえのしない毎日がずっと続くんだと思ってました。マグノリアは王国みたいな華やかさはないと思いますけど、とっても穏やかで平和な国ですから」
「最近いろいろ不安な事が起こって、すごく怖いです」
「色んなことが変わっていくのが怖いのか?」
「きっとそうなんだと思います。胸騒ぎがして、焦りや不安を感じることがあって、居ても立っても居られないような……」
リッカが見るという怖い夢。その不安を和らげようと夜市に連れ出したはずなのに……、却って彼女の不安を煽る結果となってしまったのか。
その事を激しく後悔する。
彼女の見る悪夢は止むことなく続いている。
アガニィの襲撃でより悪くなったということはないけど、多少夢の内容が変化したらしい。
なんでもマグノリア城らしきものが夢の中に出て来るようになったとか。
そのことだけはやけにはっきりと覚えているそうだ。
「でも、悪い事ばっかりじゃないです。ナトリさんに会えたから」
リッカが顔をこちらに向ける。
「いつか、ナトリさんがこの国を出て行ってしまうんだとしても、私は——」
彼女は僅かに顔を伏せる。その表情は影になってよく見えない。
記憶が戻りここを去ることになったとしても、彼女の問題を残したまま俺は行くんだろうか。
リッカの不安を和らげる助けになれるのなら、俺なんかでよければいくらでも協力したい。それが本心だ。
「リッカ、俺は急にいなくなったりしない。二人とはせっかく仲良くなれたんだしね。この前は大変なことになっちゃったけど、またみんなでどこかへ出かけようよ」
「本当ですか? 楽しみです。約束、ですからね」
「うん」
可憐な笑顔で笑いかけてくれる少女に少し胸が締め付けられた。
リッカの提案で、本日も俺はルメール家の夕飯に招かれることになり、俺達は並んで夕暮れの坂を下っていった。




