第130話 信頼
「昨日はありがとう。あいつを倒せたのは君とクレイルのおかげだ。それに怪我のこともね」
「気にしないでよ。ナトリがいなかったらあの子にはきっと勝てなかった」
そう言ってテーブルを挟んで向かい側に座る橙色の鮮やかな髪を持つ少女、フウカは屈託無く微笑んだ。
変わった容姿で少し近寄り難い雰囲気があった彼女だが、声をかけてみればとても話しやすい女の子だった。人当たりがよく快活で、表裏のなさそうな子だ。
俺たちは彼女が働くレストランで四人がけの席に座り、テーブルを囲んでいた。
店を訪ねたところフウカはまだ勤務中で、もう少しで終わるからと言うので三人で茶を飲みながら彼女を待っていたのだ。
普段着に着替えたフウカがやってくると、俺たちはまず彼女に昨晩の礼を言う。
「広場では火事の片付けをしてるよ。昨晩のうちにほとんどの死体や怪我人はなんとか家族の元に返せたみたい」
俺も夜通し救援やら消火活動を手伝った。力の入らない体では大して役に立てなかったけど。
昨日はほとんど寝ていない。それは他の三人も同じだ。
「私とそう変わらないくらいの子だった。平気であんな酷いことをやったなんてまだ信じられないよ」
そう言ってフウカは少し俯く。
「あいつは……、人の皮を被った化け物だ」
「…………」
アイン・ソピアルによって不死となった身体。呼吸を必要とせず血も通わない。
あいつは生きながらにしてもう死んでいた。きっと……心さえも。そう思うとなんだか悲しい存在だな。
「うん……、でもね。あの子が消える時、なんだか嫌な感じがした」
「嫌って?」
「うまく言えないけど……、可哀想だって思ったのかな」
「あんなやつ死んで当然さ! 街の人たちを何人も殺したんだ。パン屋のおばさんも、鍛冶屋の兄ちゃんもあいつに……!」
「ダルク……」
興奮気味のダルクをリッカが不安げに窺う。ダルクが怒る気持ちはよくわかる。
アガニィに同情の余地などない。フウカの抱いた気持ちは俺にはわかり得ないものだ。
「あのさ、要件は他にもあるんだよね。ちょっと君と話がしたかった」
「私と?」
切り出したはいいものの、なんて言えばいい。
俺と君は記憶喪失で、過去の記憶を失ってるかもしれない、とか?
なんか気持ち悪いな。新手の口説き文句かよ。
半ば勢いでここまで来ちゃったけど、もう少し言うことを考えてから来るべきだった。
どう切り出そうか深刻な表情で悩む俺を見て小首を傾げるフウカ。
「あ、えっと……」
「なに? ナトリ」
「フウカは自分の出身とか親のことって、ちゃんと覚えてる?」
「え、覚えてるけど……。それがどうしたの?」
「本当に? 細かいところまで思い出せる? 名前とか、地名とかさ」
「うん、もちろん。…………あれ?」
彼女は目や顔を様々な向きに動かしながら思案しているようだったが、やがて黙りこくってしまう。
「朧げには覚えているけど、ちゃんと思い出そうとするとよくわからないんじゃないか?」
「う、うん……。おかしいなぁ。お父さんと、お母さんの名前、顔も、思い出せない……。そんなことって」
ため息を吐いて木の椅子に背を預ける。リベリオンの長話を裏付ける要素がまた一つ見つかってしまったようだ。
話の中のフウカは強力な治癒波導を行使する。特徴ももれなく一致だ。
やはり彼女も以前の記憶を失っているのでは……。
「さっきから一体なんなのさナトリ。わけがわからないって」
「俺にもまだよくわかってない。でももしかしたら、俺とフウカは元々この国の人間じゃないかもしれないんだ……。
そしてここに来る前の記憶を失っている。いや、記憶がすり替わってるのか」
「二人はマグノリア公国の人間じゃ、ない……?」
「フウカ、少し長くなるけど聞いてほしい話がある」
「うん、話して。気になる」
俺はリベリオンが語った内容をかいつまんで三人に話していった。
長い話だったが、それは不思議と俺の心の中にそのまま残ってすんなりと受け入れられている。
だから途中で詰まることもなくそれを話し終えることができた。
「こんな無茶苦茶な話信じられなくても無理はない。ただ、聞いてて何か感じたことがあったなら教えて欲しい」
俺はただのしがない配達員だ。
こんな今朝見た夢の内容みたいな話、実際にあったことだなんて触れ回っても頭がおかしくなったと思われるのがオチだろう。
それでも、覚えのない過去の話は確実に俺の中で重みを増していた。
「ナトリ……。それは流石にありえないんじゃ」
「私は信じます」
「リッカ?」
胸に手を当て、目を閉じたリッカが答える。
「昨晩ナトリさんは私の……、私たちのために戦ってくれた。さっきのお話の中でフウカちゃんのために頑張ってるナトリさんも同じです。いつも一生懸命で。
だから私はそのお話が本当のことだって、ナトリさんのことに違いないんだって信じられます」
そう言い切るリッカの表情に猜疑の気配はかけらも見られない。
彼女の優しい眼差しが俺への信頼を物語ってくれている。
「ありがとう」
「私も信じるよ」
フウカもあっさりとそう言う。しかし、真実かどうかも定かでない物語を聞かされて、簡単に信じるのは逆にいかがなものだろうかとも思う。
「そんな簡単に? ……一体どうして」
「だって、キミの話に出てきた私の方が自分の記憶の私よりもはっきりしてるんだもん」
「…………」
「それに、聞いてて私だったらそうするだろうなって思った。迷宮に一人で行ったのは、よくわかんないけど……」
フウカはふと窓の外に視線をやり、遠い目をする。
橙色の少し癖のある長い髪がとても鮮やかで、そうしているとなんだかすごく絵になる感じだ。
「いつからかわかんないけどずっと考えてた。今の私は本当の私なのかなって。
はっきりとはわからないけど、何か違う。そう思ってたんだ。それに——」
フウカは俺をまっすぐに見てくる。薄紅色の澄んだ瞳に見つめられるとどきりとする。
「ナトリのことは信じられる。そう思うから」
二人は俺の話を受け入れてくれた。少し懐疑的なダルクはといえば、テーブルに頬杖をついてさっきの話について考えているようだった。
「もし……ナトリの話を信じるならさ、あの伝承にでてくる厄災が実在してて、しかも復活したってことじゃん? それってとんでもないことだよ」
厄災は俺でも知ってる昔話、スカイフォールの創世神話に出て来る怪物のことだ。
神代の頃に暴れ回り世界中を壊し、それを神々と七英雄が互いに協力し合うことでようやく倒した。
自分がそんなものに立ち向かっただなんて、現実感がなさすぎてとても言い切ることはできないけど。
「世界は滅んでしまうんでしょうか……」
今の世に神話の七英雄はいない。
封印された厄災が復活したなら、もうどうすることもできないだろう。
信じたくないのも当然だ。重苦しい空気が場を支配する。
そして疑問はまだある。昨晩俺が体験した出来事だ。
あの時俺は確かに、自身が何度か死にかける光景を体験した。それはあまりにリアルな感覚としてこの身に残っている。
夢幻の類と簡単に切り捨てることもできないし、あの幻覚を見なければ俺は間違いなくアガニィに殺されていた。
リッカも、ダルクも、クレイルもだ。
まだ誰にも言ってはいない。こんなことを相談できるのは、一人だけだ。
『リベリオン。質問』
『了解』
『昨日、俺が体験したアレが何かわかるか?』
『————』
だめか……。ていうか、そもそもあの体験をリベリオンは把握しているのだろうか?
『お前はあの繰り返しを知ってるのか』
『肯定』
リベリオンもあれを知っているのか。俺一人が夢を見ていたとかじゃないらしい。
『あの現象はなんだったんだ』
『————』
『以前の俺と関係があるのか』
『————』
『俺は————本当に死んだのか?』
『肯定』
一瞬、リベリオンが答えを間違えたかと思った。
『俺は死んだのか』
『肯定』
問いかけが止まる。俺の頭はリベリオンの答えの意味を理解しようと努める。
多分こいつは噓をつかない。いや、つけないんだろう。
死んだ? じゃあ今の俺はなんだ。
確かに意識がある。
ものを考えられる。
あの幻覚は実際に起きた現実の出来事か?
そんなはずがあるものか。
『お前は、俺が死ぬところを見たのか』
『——肯定。マスターが死亡した事実を三度記録している』




