第129話 見覚えのない過去
通りを歩く。……とても静かだ。
それは今日一日の配達を通して感じた街の雰囲気だった。
無理もない。昨夜あれほどのことが起きたのだから。
どこへいっても昨夜の騒ぎ——、夜市で起きた虐殺と火事のことがひそひそと話されている。
普段は平穏そのものであるマグノリア公国だ。昨夜の出来事が国民に与えた衝撃は計り知れない。
事を起こした張本人、事件の主犯である魔女アガニィは、流れ者の波導術士であるストルキオの男クレイルと、街のレストランに勤める少女フウカの波導によって消滅した。
文字通りの消滅だ。塵一つさえこの世界には残っていない。残っていたら再び復活していただろう。
思い返してみても悪夢のような光景だった。燃える広場、そこら中に倒れ伏した住民達やその死体。
たった一人の余所者の少女によって何十人もの犠牲者が出た。国の長であるマグノリア公が不在であることも人々の混乱に拍車をかけているようだ。
俺自身心の中に様々な感情が吹き荒れている。けれどそれは、街の人間が感じている犠牲者を悼む気持ちや悲しみ、恐れ、不安以外のものも多い。
昨夜、俺は夢でも見ていたのだろうか。ありえないことが起こりすぎた。
あまりに俺の理解を超えていて、何から考え始めればいいのか。
そのせいで今日の仕事は全く手に付かなかった。
「…………」
右手を持ち上げ意識を集中する。すると手の中に白銀に輝く金属の短杖、リベリオンが音もなく出現した。
一体これは何なのか。俺はどうしてこんなものを出せるのか。何故名前がわかるのか。
昨日、俺はあの狂人と戦った。現実じゃないみたいに体が動いた。
自慢じゃないが俺は運動神経には全く自信がないし、戦いなんてものを経験したこともない。それらを考え始めると頭痛がしてくる。
そういえば、こいつ——リベリオンは喋るんだったな。わからなければ直接聞けばいいんだ。
『質問に答えてくれ』
『了解』
昨日のことでわかっているとはいえ、頭の中に自分以外の声が響くのは妙な感覚だった。
『お前はいつから俺の中にいる?』
『王都エイヴス、バラム遺跡でマスターと接触した時点』
『……は? ちょっと待て。王都なんて行ったことはない。それは誰か別の人間だろ』
『違う』
よくわからない。こいつは何を言っている。俺を騙そうとしているようには思えないけど……。
『お前の言うマスターってのが到底俺自身だとは思えない。お前の言い分と全然食い違ってる。それでも正しいってんならその理由を説明してくれよ』
『原因はマスターの記憶欠如によるもの』
『記憶……欠如? そんなことない。全部ちゃんと覚えてるぞ』
『————』
そんなことあるはずが——、と言いたいところだけど、本当に記憶が置き換わっていたらそれを確かめる術はない。
こいつの言うことを信じるわけじゃない。だけど……。
『お前が本当に以前俺と王都で出会ってるというなら教えてくれ。お前が覚えてる俺自身のことを。できる限り詳細に』
『了解』
短い返事の後、リベリオンは全く呼吸を挟まず抑揚に欠ける声で語り始めた。
早口で、一々突っ込みを入れたくなる部分も多かったが俺は黙ってとりあえず一通り聞くことにした。
それは非常に長い話で、到底信じられないような話でもあった。
王都で暮らす俺、さる事情により東部イストミルへ渡り水の都プリヴェーラへ。
そこで狩人となり、今度はシスティコオラ大陸の翠樹の迷宮へ乗り込み厄災なるものと対峙したという荒唐無稽な話。
そして話は、俺がミルレーク諸島のカナリア島を目指してマグノリア公国を訪れたところまで到達した。
『ちょ、ちょっと待て』
『了解』
あまりの情報量にただでさえ混乱気味だった頭がおかしくなりそうだ。
無茶苦茶な話——しかし、何故か真に迫るものがある。
まるで自分が本当にそこにいたみたいに、話を聞いて心の中にせり上がってくる感情があった。
そしてリベリオンの長い語りの中には、あのフウカという少女とクレイルという男が出てきた。
こいつの話によれば、俺はあの二人とスカイフォールを旅をしていた。
確かにあの二人にはどこか初対面とは思えない奇妙な連帯感があったのは確かだけど。
もし本当に記憶を失っているんだとしたら——。俺はいつしかそんな風に思い始める。
リベリオンの話を聞くことで、いくつかの疑問に納得がいってしまうのも確かだ。
『全部本当に起きたことなのか』
『肯定』
リベリオンは聞かれたことに対して無感情に回答する。
こいつの話通りであるなら俺は本来ここに、この国にいないはずの人間ということになる。
そんなことあるものか。俺は確かにこのマグノリア公国の田舎町で生まれて——。
しかし俺の思考はそこで停止する。立ち止まり、後頭部に手を当て俯く。
思い出せない。
生まれた村の名前、風景、故郷に暮らす両親の顔と名前。
ぼんやりとは覚えてる。でも細部はひどく曖昧で、確かなことが何一つとして思い出せない。
そもそも、それらは本当に実在しているのか?
……俺は一体何者なんだ。
まるで体が足元の地面へゆっくり沈み込んでいくような感覚を覚える。
王都、迷宮、厄災、プリヴェーラ、狩人、リベリオン、フウカ……。
そうだ。先の話が真実ならフウカとクレイル、彼らも同様に記憶を失っていることになる。
「会いに……、行ってみるか」
家へ帰る足を別の方向へと向ける。
あの、フウカという子が着ていた特徴的な給仕服には見覚えがある。確か広場の近くにある人気のあるレストランのものだ。
「あ、ナトリさん」
通りの角を曲がったところでリッカとダルクの二人にばったりと出くわした。
「ナトリ、仕事終わり?」
「ああ。二人とも……その、大丈夫か?」
「僕らは大丈夫だよ」
「怪我は……なんともないんですか」
心配そうな顔でリッカが聞く。
「うん。不思議なもんだね、波導の治療っていうのは。怪我なんて最初からなかったみたいだよ」
アガニィを消滅させた直後、クレイルは限界を超えて波導を使ったせいでそのまま倒れ込み、俺は彼と一緒にフウカに治癒術をかけてもらった。
まだ息のあった治安部隊の人たちも、数名は助けることができた。
「ごめんな。俺が夜市なんかに二人を誘ったせいであんなことに巻き込まれてしまった」
「ナトリさんのせいじゃないです。そんな風に思わないでください」
「そうだよ。悪いのは全部あの波導使いの魔女だ。あんなにたくさん人を殺して……。何のつもりだったんだ」
ダルクが大きな瞳に怒りを滲ませて呟く。あいつ、アガニィは人を探していると言った。そしてクレイルに対して「みつけた」とも。
クレイルの持つ印とやらを探し出すためだけに奴はあれだけの人間を殺して回ったのだろうか。狂っている。
あのことについて話していると気分が沈む。俺は話題を変えた。
「二人はどこかへ行くのか?」
「広場の様子を見てきたのさ。これから帰るとこ。ナトリの方は?」
「俺は昨日の派手な女の子に会いに行こうと思って」
「そうなんだ」
「お礼も言いたいし、聞きたいこともあるから」
「ナトリって結構積極的なんだね」
「おい、何か勘違いしてないか?」
「それなら僕らも一緒に行きたいけど……、ご飯に遅れるとオリヴィアに怒られるかな」
「私も行きたいです」
リッカの言葉にダルクが微妙な顔をするが、まあいっか、と納得してリッカに合わせることにしたらしい。
「じゃ、三人で行くか」
俺たちは黄昏がかった街並みを並んで歩き出した。
「ナトリさん、昨日は、本当にありがとうございました。私達を守ってくれて」
「え?」
「僕らがこうして生きてるのはナトリのおかげだよ。すっごく感謝してる」
「俺は……大したことは」
「そんなことないですっ! 私達のこと命をかけて守ってくれました。凄かったです。ほんとうに……」
「うん。あんなやばい奴に立ち向かえるなんて凄いよ、ナトリは」
二人が尊敬の眼差しを向けて見つめてくる。
「二人が無事で本当に良かった。みんなが力を貸してくれたおかげだよ」
多くの命が失われてしまった。全てを救うことなんてできない。
それでも、俺は本当に大切なものは守ることができた。
俺はそれを誇ろう。彼らと再び日々を歩めることを。自分自身の奮闘を。




