第13話 彷徨う二人
浮遊街区をつなぐ橋から身を乗り出してアレイルの街を見下ろす。二層の中央に位置する浮遊船発着場の屋根が陽の光を反射して光っている。
「あの丸屋根が浮遊船の発着場。役所はすぐ近くにあるあの角ばった大きな建物だよ」
大体の位置を指で指し示す。
「歩いたら結構遠いね」
「うん」
「ねえナトリ、飛んで行こうよ」
「えっ?」
言うが早いか、フウカは俺の手を掴むとふわりと飛び上がった。俺の体は引き寄せられるように引っ張られて足が地面を離れた。
気が付いた時には塀を飛び越えていた。そのまま住居が積み重なって壁を形成している街区の壁面を沿うように一気に落下して行く。
「ちょっ! ちょっとまっ、うわあああああああ!!」
落下に身をまかせるように垂直に落ちて行くフウカを見下ろす。風をうけて、彼女は気持ち良さそうに目を閉じている。彼女の手を離さないように強く握り返す。するとフウカは目を開けて、俺に向かって余裕で笑いかけてみせた。
「フウカ! 下、下! ぶつかる!」
ものすごい勢いで民家の屋根が迫っている。フウカはくるっと体の向きを変えて下を向くと、俺たちの周りを勢いよく風が回り始める。
あわや屋根に激突、という直前で強烈な風が下から吹き上げてきて、再び体は空高く跳ね上がる。なんとか体勢を立て直して次に着地した屋根をフウカに続いて踏む。
それを繰り返しながら、フウカは長い距離を軽々と浮遊街区を足場にして渡って行く。
この子は俺と真逆だ。空の加護なんてレベルじゃない。空の恩寵とでも言ったほうがいい。彼女は生まれながらに空に愛されている。羽が生えたように空を飛ぶフウカは、風を受けて実に生き生きとして見えた。
駅前広場に続く賑やかな通りに靴音を響かせて俺たちは着地した。フウカの手を放すと、俺はよろよろと街灯に手をついて蹲った。
「ナ、ナトリ……? どうしたの? 大丈夫?」
フウカが心配そうに覗き込んでくる。俺の顔は真っ青になって血の気が引いているんだろう。
「あ、ああ。ちょっと酔っただけ。ごめん、少しだけ休ませて……」
飛べない俺は振り落とされようものなら即死となる。高いところでぐわんぐわん振り回されて、必死でフウカにしがみついていることしかできなかった。彼女はめちゃくちゃ楽しそうだったけど。
それにしてもフウカの飛力はとてつもないレベルだ。特に身軽さはどうみてもネコ以上。あれだけの移動を俺をひっぱりながらやってのけるなんて並大抵のことじゃない。
なんとか歩けるまで回復した後も多少よろめきながら通りを進む。フウカは不安そうに俺の様子を気にしてくる。駅前広場を通って大通りを進み、三階建ての役所の前までやってくると正面階段を登って入り口から中に入った。
§
公園のベンチで二人並んでトルタを齧る。最近アレイルで人気の食い物だ。肉に薄焼きパンを巻きつけ、好みのトッピングで食べる。もそもそと頬張りながら、俺は空を見上げていた。
「見つからなかったなぁ……」
役所の受付で市民係を案内されて、そこでフウカの名前と家名について調べてもらった。
アレイル二層だけでなく、三層と一層も含めて調べたが該当する記録はないとのことだった。もちろん、五番街以外の街だったら記録がある可能性もあるのだが……、ここではその記録は管理していないと言われてしまった。
市民係の女性には図書館を勧められた。全ての街を巡って役所で記録を探すのが確実ではあるけど、三層にあるアレイル図書館ならば王都の住民全体の記録が保管されているらしい。ただし、図書館の住民台帳は少し古い情報になるので確実性に欠けるそうである。
「全ての街の役所……か。そんなので一体いつになったら見つかるっていうんだ」
できるだけ早く家に帰してやりたい。記憶がないとはいえ、フウカだって寂しいはず。まだ時間はある。一縷の望みを懸けて図書館に行って調べよう。隣に座ってトルタをむしゃむしゃと頬張るフウカを見る。
「おいしい?」
「うん! アレイルの街にはおいしい食べ物がたくさんあるねー」
「食べ終わったら、発着場から三層に上がって図書館に行ってみよう」
一見フウカは家が見つからないことが堪えているようには見受けられないが、内心はわからない。比較的わかりやすい彼女のことだから多分大丈夫なんだとは思うけど……。
浮遊船発着駅まで歩き、構内で二人分の切符を購入する。ちょうど三層中央駅行きの浮遊船が上がってきたので俺たちは急いで乗船した。
船は垂直に浮かび上がり、街区の間を上昇していく。俺とフウカは甲板の手すりにもたれて二層の街並みを見下ろした。アパート、師匠の家、廃墟街などを指差してフウカに教える。彼女は何もかもが新鮮に目に移るらしく、始終楽しそうにしていた。
やがて船は三層まで昇ると、駅のホームに横付けに固定状態に入った。
「なんだかここ、高い建物が多いね」
「うん。アレイルでは三層に偉い人が勤める施設なんかが集まってるんだ。街並みもきれいだろ?」
「たしかにー」
ここに住んでいるのは偉い役職にいる者や金持ちが多い。そういう奴らは庶民を見下ろせる高い場所を好むってわけだ。
目指すアレイル図書館や中央庁舎などの公共施設も三層に集まっている。ここを訪れるのは大抵何かお堅めの用事がある時なので、実は俺も三層に来るのは初めてだ。
さすが第三層、道を歩いても糊のきいた一張羅やお堅い制服を着込んだ人々が行き来している。この着飾った雰囲気は、自分達が場違いに思えてどうにも居心地が悪い。
中央通りのゆったりとした階段を上って行くと、やがて右手に図書館が見えてくる。聳え立つ高い本館を中央に、それをぐるりと分館が囲むように建っている。等間隔で細い尖塔が並び立ち、まるで堅牢な要塞のようにも見える。
歴史を感じる厳つい門構えの大きな正門の前に立ち、二人してその偉容を見上げた。
「なんか、すごいね」
「近くで見るとやっぱりでかいな」
それでも王宮にある王立図書館はこことは比較にならないほど大きいと聞く。ここより大きいって、どれだけばかでかいのか。一度この目で見てみたいもんだ。
高いアーチの正面入り口を入って薄暗い廊下を歩く。廊下の先には両脇にカウンターが設置され、そこに二人のコッペリアの司書が座っている。そこを通る時彼女たちは俺たちにちらと一瞥を投げただけで特に何も言わなかった。
「珍しいな。コッペリアだ」
「こっぺりあ?」
フウカが小声で囁く。そうか、彼女はそんなことも忘れてしまっているのか。
「コッペリアは七種族の一つだよ」
「七種族」
「あー、うん。つまり」
この世界、スカイフォールに生きる人間は七つの種族で構成されている。最も人口の多い俺たちエアル。エアルと同じくどこにでもいるネコ。あとは水辺のラクーン、北部のユリクセスとか。
コッペリアもその一つだ。彼らの特徴を一言で表すなら……人形みたいな人種、ってところか。頭の小さいスリムな体型で、体毛のない硬そうなつるつるした肌をしてて、どこか作り物めいた造形美みたいなものを感じる見た目。
有名な研究者や学者、作家などが多いらしい。その詩的で耽美な生態は市井でも憧れの的だ。要するにモテるってこと。それらを簡単にフウカに説明した。
「すごいってことだね」
フウカは真面目な顔でそう言った。
「うん、……まあね」
俺たちは廊下を抜け、ガラス天井を通してやわらかい日差しが降り注ぐ図書館の中央ホールへ出た。